学位論文要旨



No 212059
著者(漢字) 尾本,章
著者(英字)
著者(カナ) オモト,アキラ
標題(和) 障壁による回折音の能動制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 212059
報告番号 乙12059
学位授与日 1995.01.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12059号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橘,秀樹
 東京大学 教授 安岡,正人
 東京大学 教授 松尾,陽
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 大野,進一
内容要旨

 障壁は,騒音の伝搬を制御するための基本的な方法であり,またそれ故制御効果,つまり騒音の減衰を予測する方法も様々なものが与えられている。従来,これら騒音制御のための障壁は,騒音源のパワーレベルの増加に伴って主としてその高さを上げる方法で対処してきた。これは確かに有効な方法であるが,本格的に高くするには例えば構造的な強度の問題,日照権など周囲の環境に与える問題,などの制限があり明らかに限界が存在する。そこで,現存の障壁の様な高さを必要とせず,音源が僅かにでも隠れれば充分な遮音量が得られるような障壁を開発することは非常に意義深いことと考えられる。本論文ではこの目的のために障壁による回折音に対して能動制御を適用する。以下に本論文の要旨を示す。

 第1章では,騒音制御の為に設置されている障壁についてその現状,及び問題点を概説し,更に遮音性能の向上を目的とする幾つかの研究について紹介した。従来の研究は主に受動的な方法を用いているため,原理的に低音域になるほどその効果は小さくなる。また例えば,障壁の高さを変えることなく,10dBを越える遮音量の向上が安定して得られる方法は存在しないのが現状である。この様な考察に基づいて障壁による回折音の低減に能動制御を適用することの意義,及び本研究の方針,本論文の構成について述べた。

 第2章では,半無限障壁による回折場について考察した。音源が無限長線音源,及び点音源の場合,つまり音場が2次元及び3次元の場合を扱ったが,併せて障壁表面の音響特性をソフト,吸音性に変化させた場合についても考察した。既に数多くの文献で論じられた問題であるため,解の導出は詳述せず,数値計算に適した形式に整理することを主眼とした。また,特に厳密解は半無限積分を含む形であるため,以後行う実際の数値計算に際して便利なように,積分上限値に関する考察等を行った。

 第3章では,半無限障壁を仮定した上で実際に能動制御を行った回折場を定式化し,その効果について数値シミュレーションによって考察した。制御に際しては,回折場に対して仮想的な音源の様に振舞う障壁Edgeでの音圧を,適当な振幅・位相係数を持つ2次音源によってゼロにするということを基本的な方法とした。結果によれば制御は有効に働き,場所によっては-30dB以上という,従来から行われてきた障壁の高さを高くする方法ではなし得ない程度の減衰を得る可能性が明らかになった。

 また,音場が2次元の場合は解析的に,3次元の場合は数値シミュレーションの結果から,より広い領域でより大きな減衰を得るという意味で2次音源の配置位置を最適化出来る可能性を明らかにした。併せて,障壁表面の音響特性を,ソフト,吸音性と変化させた場合についても考察した。結果によれば,制御は表面の特性によらず有効に働き,制御によって障壁による影の領域での音圧をある一定のレベルまで落とし得ることが分かった。

 更に制御の効果が得られる物理的な要因を探るために,音響インテンシティを用いて,Edge近辺のエネルギーの流れについて考察した。結果として,一部の2次音源では能動的な吸音が行われていることが確認されたが,同時にエネルギーを放射する音源も存在し,この能動的な吸音が制御の効果をもたらす主たる要因とは考えにくい。またEdge近辺ではエネルギーがあたかもEdgeを避けて通ろうとするかのような振る舞いを見せた。本研究において用いた制御の方法,つまり障壁Edgeでの音圧をゼロとすることによってエネルギーが流れる場所にインピーダンスの不連続点が生成される。定性的な説明の域を出ないが,この不連続点がエネルギーの流れの一部を変化させ,結果的に回折場に流れ込むエネルギーを減少させることで制御効果が得られているとの解釈を示した。

 第4章では,能動制御の効果を,近似的に実現した2次元音場及び無響室において実験的に検証した。いずれの場合にも,前章で予測された傾向,つまり回折音低減に能動制御は有効であること,また2次音源の配置位置が最適化し得る可能性が確認された。2次元音場におけるノイズを用いた実験,および無響室における3次元音場の実験においでは適応信号処理を導入した。特に3次元音場の場合は,Edge上での複数の点で同時に音圧をキャンセルするために,多チャンネル適応アルゴリズムを用い2次音源の振幅・位相を逐次的に決定した。なお,実験に用いた信号処理ハードウェアの能力から,1つのシステムで処理できるチャンネル数には限界が存在する。これは現実の音場への適用を考慮する上で不可避な問題である。そこで複数のシステムを独立にかつ同時に働かせることを考え,数値シミュレーションによってその振舞いを調べた。結果として収束スピードの低下はみられるものの,システムは安定に収束することが明らかとなった。

 第5章では,反射性地面の影響を考慮にいれて考察を行った。ここでは音場が2次元の場合,3次元の場合双方とも地面が完全に剛であり,音波を鏡面反射すると仮定して問題を取り扱った。数値シミュレーションの結果によれば,音源位置などの条件によって,制御が有効に働かず,逆に制御によって音圧が上昇してしまう場合も存在することが予想された。また,半無限障壁の場合に求められた,制御を最も有効に働かせる2次音源位置の条件もこの場合には成立せず,2次音源位置などのパラメータのわずかな変化により,効果が大きく変動することが明らかとなった。対策として地面が存在する場合に制御を安定に働かせるには,2次音源をEdgeに近付けるべきであることが分かった。

 また,より積極的な対策として,第3章で導入した2次音源の他に地面からの反射波成分のみをキャンセルする為の付加的な音源群を設置する方法を提案した。これらの音源は,自身の鏡像を作らない様に地面上に設置し,それぞれ独立に1次音源及びその鏡像,また2次音源の鏡像をキャンセルするものとした。数値シミュレーションの結果によると,付加的な音源は非常に有効に働き,設置しない場合に効果が得られない様な音源の位置関係においても,一転して大きな減衰を得られることが分かった。またこの付加的な音源の効果を2次元音場における実験によって検証した。

 更に,上記の付加的な音源群を設置する代わりに,障壁近辺の地面を吸音性とし,2次音源の鏡像の影響をキャンセルすることも試みた。3次元音場における実験の結果,この方法も有効であり,能動制御を安定に働かせる効果があることが確認された。

 第6章においては,現実の障壁による騒音制御に近い状況を想定し,屋外において二つの実験を行った。実験1では騒音源にスピーカから放射されるオクタープバンドノイズを用い,二つの多チャンネル適応信号処理システムを独立に動作させて合計10チャンネルの制御を行った。結果としてあたかも一つの10チャンネルシステムが働いているのと同等の効果が得られ,ほとんどの受音点において制御が有効となることが確認された。

 障壁近辺の領域においては,制御が有効となる領域がシステムの存在する場所を中心にほぼ扇型に広がり,その端においては僅かに逆効果となる点も見られた。これに対し特に障壁から50〜80mといった遠距離においては制御効果は安定しており,全測定点において-4〜-5dB程度以上の減衰量を得ることが出来た。暗騒音の影響を差し引いて考えた場合は,-6dB以上の減衰量である。障壁から50m離れた場所で,障壁による遮音量に-6dBの付加的な減衰を得ることは,障壁の高さを3m以上高くすることと等価であり,この値は騒音制御において大きな意味を持つものである。

 続いて実験2では騒音源に送風機(ブロワー)を用い,騒音源信号のピックアップ方法などについても併せて検討した。この場合は2次音源系と不安定な閉ループをつくることのない振動ピックアップを用いて検出を行った。測定結果として,実験1と同様にほとんどの受音点において制御は有効に働くことが確認され,この場合障壁から20m程度離れた位置で,約-4〜-5dBの減衰を得ることが出来た。

 次に,屋外において適応信号処理を用いた能動制御を行う場合には不可避な問題である風の影響に関して,これが直接音速の変化に対応するものと仮定し,適応アルゴリズムの振る舞いを数値シミュレーションによって考察した。結果として,風速変動の振幅,及び周期は直接制御効果に影響し,達成し得る減衰レベルを制限してしまう可能性が示された。また変動の周期が適応処理の周期に比べて遅ければ,比較的大きな減衰を得ることが出来た。これは,サンプリング周波数が充分高速であれば,ある程度大きな風速の変化などにも対応できることを示しているとも解釈できる結果である。更に実験を通して明らかとなった問題点,将来的な実用化への課題等について述べ,その対策について考察した。

 第7章では,各章の主要な結果の概略を示しこれをまとめた。また,本論文で用いた障壁のEdgeでの音圧をキャンセルする方法の有効性を示し,将来的な展望を述べた。

 本研究において得られた制御の効果は,遮音設計に算入されるに充分値するものである。障壁による回折音に能動制御を適用することは非常に有効であり,本論文の研究結果によって大きな減衰を得られる低い防音塀実現の可能性が明らかになったといえる。

審査要旨

 本論文は、各種の騒音対策に用いられている障壁の遮音性能を向上させるための能動制御手法の適用について、理論的並びに実験的検討を通してその可能性を検討した結果を取りまとめたもので、7章から構成されている。

 第1章では、騒音対策のための障壁に関する問題点を整理し、既往の研究の内容を概説している。それに基づいて、障壁の遮音性能を向上させるためには従来のパッシブ制御では原理的に限界があり、能動制御を適用するのが適当であるとし、本研究を企図した理由並びに本論文の構成が述べられている。

 第2章では、半無限障壁による回折音場に関する理論的考察の結果をまとめている。内容としては音源が線音源及び点音源の場合、すなわち音場が2次元あるいは3次元の場合を扱っており、併せて障壁表面の音響特性を変化させた場合についても考察している。障壁まわりの音の回折現象に関しては既に数多くの研究があるため、厳密解はそれらの研究成果によることとし、数値計算に適した形式(漸近解)を導いている。

 第3章では、半無限障壁について能動制御を行った場合の回折音場を定式化し、その効果について数値解析によって検討している。能動制御の基本的な方法としては、回折場に対して二次的な音源の様に振舞う障壁エッジにおける音圧を適当な振幅・位相をもつ二次音源によって相殺すればよいという考え方に立ち、その方法について数値解析で検討した結果、能動制御はきわめて有効で、場所によっては30dB以上の低減効果が得られるとしている。また広範囲に減衰効果を得るための二次音源の最適位置に関して、2次元音場については解析的に、3次元音場については数値解析による検討を行い、騒音源と障壁のエッジを結ぶ線上に設置すべきことを明らかにしている。この方法によれば、障壁表面の音響特性によらず能動制御は有効であることを見出している。さらに能動制御の効果を物理的に探るために、音響インテンシティに着目した数値計算を行い、障壁のエッジ周辺及び背後における音響エネルギーの流れ、二次音源の挙動について解析している。

 第4章では、模型実験によって能動制御の効果を検証している。その結果、能動制御による音圧低減効果、二次音源の最適配置位置などが前章の数値的解析で得られた結果と一致することを確かめている。

 第5章では、現実的な問題として地面の反射の影響について考察している。すなわち、地面を完全反射性と仮定し、2次元及び3次元音場について数値解析を行い、騒音源の位置によっては能動制御が有効に働かないことも有り得ること、また二次音源位置などの条件の僅かな変化によって効果が大きく変動することを見出している。このような不都合を避ける方法を検討し、二次音源を障壁エッジに近付けること、またその他に地面からの反射波成分のみを相殺するための付加音源群を設置することが有効であることなどを数値解析および2次元音場を対象とした実験で示している。さらに、付加的な音源群を設置する代わりに障壁近辺の地面を吸音性として反射音の影響を除く方法の有効性についても、3次元音場を対象とした実験で検討している。

 第6章では、現実的な条件における能動制御の効果を調べるために、屋外において実物大の障壁を用いて2段階の実験を行った結果を示している。実験1では、騒音源としてスピーカを用い、2系統の多チャンネル適応信号処理システムを独立に動作させた制御を試みている。その結果、2系統の制御システムが一体として働き、障壁背後の広い範囲で障壁の高さを3m以上高くすることとほぼ等価な音圧低減効果を得ている。実験2では、実際的な騒音源として送風機(ブロヮー)を用いた実験を行っている。その結果、実験1の場合とほぼ同様に広い範囲にわたって能動制御による効果が認められ、障壁から20m程度離れた位置で約4〜5dBの低減効果があるとしている。

 最後の第7章では、各章における検討結果を取りまとめるとともに、障壁のエッジ上における音圧を能動制御によって極小化する方法の有効性を述べ、この方法の実用化に関する考察並びに将来展望を行っている。

 以上のように、本論文は騒音対策として広く用いられている障壁の効果を能動制御手法によって改善する方法を理論的・実験的検討を踏まえて提案しており、環境工学分野における研究として大きな価値がある。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50918