学位論文要旨



No 212068
著者(漢字) 林,公隆
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,キミタカ
標題(和) 自動車車体用防錆鋼板の塗膜下腐食に関する研究
標題(洋)
報告番号 212068
報告番号 乙12068
学位授与日 1995.01.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12068号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻川,茂男
 東京大学 教授 増子,昇
 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 助教授 前田,正史
 東京大学 助教授 篠原,正
内容要旨

 本研究は、自動車車体用防錆鋼板の塗膜下腐食について、腐食先端部の断面観察から得られた腐食形態の知見を基にモデル化、ならびに腐食の定式化を行い、腐食現象の統一的な解釈を試みるとともに、耐塗膜下腐食性に優れためっき層設計への指針を得ようとするものである。

 第1章『序論』では、Zn系合金めっき鋼板の塗膜下腐食に関する歴史的経緯を概説し、塗膜下腐食が自動車車体の腐食の一形態であること、更に現象そのものの本質は未だ解明されてはいないが、防錆鋼板の実用性からは極めて重要な問題であることを述べた。

 次に、従来の塗膜下腐食に関する研究を要約し、その問題点を下記のごとくまとめた。

 (1)塗膜下腐食先端部に着目し、Zn系めっき鋼板のめっきの腐食形態についての現象論的把握、特徴の明確化が不充分である。

 (2)アノード、カソード部位の所在を含め、塗膜下腐食回路状態について未だ不明確である。

 (3)従来研究は定性的検討がほとんどであり、腐食現象の定量化が未だなされていない。

 (4)めっき厚・組成、腐食環境が腐食状態に与える影響について経験的、定性的把握がなされているだけで、耐塗膜下腐食性に優れためっきについての明確な設計指針が未だない。

 上記問題点を解決するために、第2章『Zn、Zn系合金めっき鋼板の塗膜下腐食形態』では、これまで注目されていなかったZn、Zn系合金めっき鋼板の塗膜下腐食先端での腐食挙動に着目し、めっき層の腐食状態の観察を行い、腐食形態の特徴を明らかにした。

 腐食先端部に塗膜ふくれを伴わないZn、O、Clからなるめっき初期腐食生成物が存在することから、塗膜下腐食先端ではめっきのアノード溶解が起こっていることが裏付けられ、且つ腐食がめっき層先行型の腐食で進行することを示唆するものである。

 また、めっきの初期腐食生成物の直下の地鉄は腐食していないことから、この腐食先端で生成した塩基性塩化亜鉛は直下の地鉄をProtectiveに保護しているものと考えられる。

 各種のZn系合金めっき鋼板はマクロ的にはめっき先行型腐食機構で腐食が起こるが、ミクロ的には腐食先端部でのめっき層侵食速度(Cl侵入耐久性)が異なることが特徴であり、これについての支配要因は明かではない。

 第3章『Zn-Fe合金めっき鋼板の塗膜下腐食の特徴』では、上記支配要因の明確化を行うために特にZn、Zn-Fe合金めっき鋼板について塗膜下腐食先端部におけるめっき層のCl侵入挙動を現象把握を検討した。

 めっき付着量およびめっき層中Zn量の増加により、めっきへのCl侵入耐久性は向上する。すなわち、めっきの腐食速度はめっき組成、めっきの付着量に依存することがわかった。また、めっき層中へのCl侵入による劣化層形成が塗膜密着性に影響を与える重要な要因となっていることを明らかにした。

 他方、Cl侵入挙動やめっき層先行型腐食機構という観点で大気暴露環境とSST環境における塗膜下腐食先端でのめっき腐食形態はほぼ類似しているが、めっきの腐食速度は腐食環境に依存することがわかった。

 更に、同一腐食環境中においてめっき中Fe含有率の変化により腐食距離が異なることは、従来から考えられている酸素拡散支配型の腐食機構では解釈できないこともわかった。

 第4章『Zn-Fe合金めっき鋼板の塗膜下腐食モデルと腐食速度の定式化』では、Zn-Fe合金めっき鋼板の塗膜下腐食現象を定量的に把握するために、先ず腐食先端でのめっきの腐食回路モデルを立てて、このモデルの電気化学的解釈を行うことで、めっきの腐食速度および腐食形態パラメーターの定式化を試みた。

 検討を進めるにあたって、前提条件として腐食形態の特徴から三つの仮定を行い、これらを基に腐食先端でのめっきの腐食回路モデルを立てた。二つの腐食回路を流れる腐食電流がTafelの関係を満たすアノード、カソード分極曲線の電流収支でバランスしているものと考えられ、めっきの腐食速度は二つの腐食回路を流れる腐食電流の和で表されるため、めっきの腐食速度(L/t)を分極曲線を用いて定式化することができた。併せて、腐食回路の物理形状の情報を与える腐食形態パラメーター(めっき上回路の腐食電流寄与率()、有効地鉄長(1c))も同様な取扱いにより式量化できた。

 第5章『腐食定量式中文字変数の決定』では、上記の腐食定量式中の文字変数の値を決定した。まず、を実測可能変数へ置換するために、考案された電気化学手法を用いて求められた酸素濃淡型のカップル電流密度の適用妥当性を検討した。

 めっきの腐食が塗膜の下で酸素拡散支配ではなく進行していることを前提とし、電気化学的手法である酸素濃淡型のカップル電流測定を応用して、この酸素拡散支配ではない電流の実測を試みた。カップル電流の過渡応答の詳細について検討を行った上で、カップル初期電流密度icplが酸素拡散支配ではない電流密度となる可能性を示した。

 最終的に、腐食定量式中のの実測可能な変数への置き換えはを適用することにより可能であることを示した。

 他方、腐食定量式中の文字変数値の内、maはアノード分極測定、mcは前述のカップル初期電流密度測定によりそれぞれ明らかにすることができた。

 第6章『腐食形態の定量的把握および腐食モデルの妥当性の検証』では、上記の文字変数の値を定量式に代入して算出された、1cの値から、Zn、Zn-Fe合金めっきのめっき付着量およびめっき組成、腐食環境と腐食形態(腐食回路状態)の関係を考察し、更にいくつかの実験事実を基に塗膜下腐食モデルの妥当性についての検証を試みた。値は(1)めっき付着量(めっき厚)(2)環境の乾き度合い(3)めっき中鉄含有率が増えると増大する。

 他方、1c値は(1)定速度で進行する腐食で一定(2)同一環境、一定めっき厚条件下ではめっき組成によらず一定(3)同一環境、同一めっき組成条件下ではめっき厚によらず一定(この傾向は特にZnめっきで顕著)である。また、同一めっき厚、組成条件下では環境の乾き度合いの増大に伴って減少する。

 SST、CCT、暴露試験環境において1cが極めて小さな値であることが推定され、実験事実を踏まえて、この推定の正当性を示唆し、腐食モデルの妥当性を検証した。

 第7章『総括』では、本研究で得られた結果をまとめ、その意義を総括した。

 先ず、第2章、第3章においてこれまで注目されていなかった塗膜下腐食先端でのめっきの腐食形態を断面観察法により詳細に調査し、Zn系合金めっき鋼板の共通する腐食形態の特徴を明示した。更に、Zn-Fe合金めっき鋼板を用いてめっき厚・組成および腐食環境が腐食に与える影響について現象把握を行った。これらは、塗膜下腐食を定量化していくために不可欠、且つ基本的な情報であり、本研究の展開において重要な位置付けをなした。

 次に、第4章、第5章において腐食現象の定量化を行うために、第2章、第3章で得られた知見を基に塗膜下腐食モデルを提案し、腐食の定量式を導出した。この定量式中の文字変数の値は著者の独自の手法を用いて決定された。導びかれた腐食定量式はこれまでの塗膜下腐食の研究にはない独創的なものであり、本研究の骨子といえる。

 最後に、第6章においては、腐食定量式から得られた知見と実験事実の比較検討を行い、腐食モデルの妥当性を検証するとともに、これまで経験的、且つ定性的に把握がなされてきためっき厚・組成、腐食環境が腐食状態に与える影響について、定量式を用いて統一的に解釈できることを示した。これらは更に、耐塗膜下腐食性に優れためっき層の指標をなすものであり、今後のめっき層設計の具体的な指針を提示するものである。

 以上、本研究は、従来の問題点の解明に対し、先進的な指標をなすものであり、自動車車体用防錆鋼板の塗膜下腐食について、新しい基礎的な知見を与えるとともに、今後の防錆鋼板の開発等実用面からも多大な寄与をなし得た。

審査要旨

 本論文は、自動車車体用防錆鋼板の塗膜下腐食を腐食先端部の観察・解析に基づいてこれをモデル化し、必要な変数決定を経てその腐食速度を定式化し、これによって当該腐食現象の統一的解釈に成功したもので、以下の7章よりなる。

 第1章は序論であり、防錆鋼板の良好な実績自体が従来の塩水噴霧試験では正当に評価されなかった歴史的経緯からはじめ、環境・めっき組成/厚さ等における防食挙動への理解がなお定性的にとどまっている現状の問題点を述べている。

 第2章では、Zn,Zn-Fe,Zn-Ni等のめっき層を与えた防錆鋼板の塗膜下腐食の実体を観察・解析した。塗膜下腐食は巨視的に塗膜欠陥部からのふくれ(さびによる塗膜の持ち上げ)として現われるが、これに先行してめっき層のみが腐食していく先端部があること、ここでの初期腐食生成物はCl-を含む塩基性塩化亜鉛ZnCl2・4Zn(OH)2であり、この腐食生成物が存在する箇所の地鉄は腐食していないことを観察し、めっき層先端がアノード・直近の地鉄がカソードという幾何学的な電気化学的構成を見出した。

 第3章は各種Zn-Fe合金めっき層を与えた防錆鋼板についての観察である。腐食先端の後退速度(腐食速度)がめっきの化学組成に大きく依存する事実から、その律速過程は酸素の拡散ではなく活性化段階にあることを見出し、また環境の湿潤度の高低により腐食速度のFe量依存性が異なることに基づいてめっき上にもカソードを置くモデルが必要とした。

 第4章では、2、3章の観察に基づいて、塗膜下腐食をモデル化した。すなわち(a)めっき(P)上アノード(面積:la(めっき厚)×1、電流密度:)から地鉄(S)上カソード(面積:lc×1、電流密度:)へ、(b)めっき上アノード(電流密度:)からめっき上カソード(電流密度:)へ、流れる二つの腐食電流回路を導入し、電流密度の電位依存式には活性化律速のTafelの式をあて、ファラデー則と電気的中性条件を加えて、めっきの腐食速度を定式化した。

 第5章では、上述の腐食速度式を具体化するため、式中に含まれる文字変数を実験的に決定した。この中で、酸素(O2)または窒素(N2)を飽和した5%NaCl水溶液を満たした二つのセルへめっき(P)または裸鉄(S)試片をすばやく浸漬し以降の短絡電流icplを測定する方法は、から、から、また後者の電位依存性からのTafel係数(mc)を決定可能にして独創性に富む工夫である。

 第6章では、モデルに基づいて実験的に決定した腐食速度定量式の妥当性を検討している。まず定量式中でただ一つ決定できない有効地鉄長(lc)について、腐食速度が実測されている場合の値を求めて、lcがめつき厚さ(la)・めっき組成に依存しないが、環境には依存して大気中暴露下でlaの5%、塩水噴霧下で同90%と算出されることを示した。対応するlcの絶対値は0.14〜2.7mと小さく、実際観察によっては100m以下ということしか確認できないという限界はあるが、与えられた環境における腐食速度は上述のように仮定したlcによってめっき組成依存性を含めて定量的に予測でき、また近年の課題であった環境によるめっき種間実績の逆転も説明しうるとしている。

 第7章は総括である。

 以上要するに、本論文は自動車用防錆鋼板の塗膜下腐食における亜鉛系めっきの腐食速度をはじめて定式化し、関連するめっき組成・厚さ、環境の影響を定量的によく記述することに成功した。これらの成果は表面処理鋼板の耐食性の理解を深め、金属表面工学へ寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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