学位論文要旨



No 212072
著者(漢字) 山下,智司
著者(英字)
著者(カナ) ヤマシタ,サトシ
標題(和) チオシアン酸アンモニウム溶液による金属の溶解
標題(洋)
報告番号 212072
報告番号 乙12072
学位授与日 1995.01.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12072号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 増子,昇
 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 教授 辻川,茂男
 東京大学 助教授 小川,修
 東京大学 助教授 前田,正史
内容要旨

 現在、製鉄所のコークス炉から発生するにガスは、公害防止のためアンモニアを媒体とする湿式脱硫処理がなされている。この時、同時に起こる脱シアン反応によってチオシアン酸アンモニウム(以降NH4SCNと記す)を含む、いわゆるロダン廃液が大量に発生する。この廃液は化学的酸素要求量(COD)が非常に高いために、そのまま排出することは不可能とされ、また格別な利用法もないため、現在は液のまま燃焼方式により焼却処分されている。このロダン廃液の主成分はNH4SCNであり、このNH4SCNは種々の金属とチオシアン錯体あるいはアンミン錯体を形成するので、金属の溶解剤として利用できる可能性がある。

 そこで、本研究ではこのNH4SCNを含むロダン廃液を有効利用するための基礎資料を得るために、試薬NH4SCNを用いて各種金属の溶解について研究した。試薬NH4SCNの溶液およびこれにNaSCNまたはNH3および(NH4)2SO4を加えてSCN濃度またはNH3濃度を変えた溶液をpH調整後、各種金属の溶解に用いた。この溶解実験によって、溶解条件と各種金属の溶解量および溶解速度との関係を明らかにし、さらに各種金属の溶解濃度の平衡論的検討も行った。そして実験結果および検討結果を総合して、その溶解反応および溶解機構について考察した。溶解対象物には貴金属含有スクラップ等からの貴金属の回収への応用を考えて銀を、鉄スクラップからの脱銅を考えて銅を、ニッケル合金等のスクラップからニッケルの回収を考えてニッケルを取り上げ検討した。

 本論文は七章から構成されている。

 第一章では序論として本研究の背景と目的および各章の概要を述べた。

 第二章では、チオシアン酸アンモニウムを金属の溶解剤として有効に利用するための基礎となるチオシアン酸アンモニウム溶液の化学について述べ、さらにチオシアンの分解、酸化剤の選択について検討した。酸化剤の存在しない場合、SCN-はpH=1以上ではほとんど分解しないことを確認した。NH4SCN溶液中で金属を酸化溶解するには、SCN-が分解してが析出しないように、酸性溶液中ではFe(III)/Fe(II)酸化還元系との反応を、またアルカリ性溶液中ではCu(II)/Cu(I)酸化還元系との反応を利用することにした。すなわち金属の溶解実験に際しては、Fe(III)あるいはCu(II)を添加し、同時に酸素ガスを吹き込むことにより消費されるFe(III)あるいはCu(II)の再生を計ることにした。

 第三章の「酸性チオシアン酸アンモニウム溶液による銀の溶解」では、銀を酸性チオシアン酸アンモニウム溶液に、酸化剤としてFe(III)を用いて溶解することを検討した。。試料に粒状銀を用いたので、溶解に伴い表面積が変化する。そこでまず実測された溶解速度を単位面積当たりの溶解量(q)によって評価する式を誘導し,以後の実験結果をこのqを用いて整理した。次に銀のNH4SCN水溶液への溶解速度に及ぼすNH4SCN濃度、酸化剤の濃度、pHおよび温度の影響について調べ、さらにその溶解機構について考察した。

 銀はチオシアン錯体として溶解することが明らかになり、また液中のFe(III)もチオシアン錯体を形成するので、そのSCN濃度よりも高いSCN濃度が必要であることがわかった。

 第四章では、前章に引き続いて、塩基性のチオシアン酸アンモニウム溶液中への銀の溶解挙動について検討した。これは、酸性溶液を用いる場合におこる装置の腐食を避けるために塩基性溶液を用いることが有利と考えられるからである。塩基性チオシオアン酸アンモニウム溶液においてはFe(III)は沈殿するので、Cu(II)を酸化剤として使用し、前章と同様の諸溶液条件が銀の溶解挙動に及ぼす影響を調べた。塩基性溶液においても、銀はチオシアン錯体として溶解することが明らかとなり、また溶液中の2価銅イオンはアンミン錯体となっており、その溶解度を維持するためには銅錯体形成以上のアンモニアが必要であることがわかった。

 第五章では、鉄スクラップの利用に際して問題となる市中屑に混入するトランプエレメント特に、銅に着目し、融解前に鉄を溶解しないで銅のみを溶解する塩基性チオシアン酸アンモニウム溶液で浸出して銅を除去することを検討した。塩基性溶液において、各種溶液条件と銅の溶解量および溶解速度との関係を明らかにし、また平衡論的検討を行い、実験結果と総合して溶解反応を推定し、その溶解機構について考察した。鉄を含む金属スクラップから銅の選択分離は塩基性溶液を用いれば、十分に可能であることが明らかとなった。

 第六章では、ニッケル基合金スクラップからニッケルを回収することを目的に、また酸化ニッケル鉱の還元・浸出処理法の溶媒に利用することも考慮に入れ、鉄を溶解しない塩基性溶液におけるニッケルの溶解を検討した。前章と同様にNH4SCN濃度、pH、酸化剤Cu(II)濃度、温度、SCN-濃度、NH3濃度等の溶液条件がニッケルの溶解挙動に及ぼす影響を明らかにしたが、特にチオシアン酸イオンがニッケルの不動態化を破壊する作用があり、ニッケル基合金の溶解に効果的であることを明らかにした。さらにニッケルの溶解反応と反応機構について考察した。

 第七章では、研究結果から明らかになったことについて、総括を行った。

 各章の結果から明らかになったNH4SCN溶液による金属の溶解について、共通事項をまとめると、

 (1)酸化剤の存在しない酸素吹き込みだけでは、金属の溶解速度はほとんどゼロに等しい。金属の溶解を効率よく進行させるためには酸化剤Fe(III)、Cu(II)の添加だけでなく、溶解に伴い生成されたFe(II)、Cu(I)を酸化するために酸素を吹き込むことが必要であり、また有効である。

 (2)溶液のpHは、酸性溶液ではFe(III)の濃度を高く保つために3以下にしなければならない。そして溶解速度はpHは低いほど大きくなるが、実用上はSCN-の分解を考えるとpH=3程度が望ましい。また塩基性溶液では、溶解速度はpH=9〜10において、最も大きくなるが、NH3の揮発を抑えるためにはpH=9程度が望ましい。

 3)酸化剤にCu(II)を使用した塩基性NH4SCN溶液において、金属の溶解により生成したCu(I)は溶解度が少ないためにチオシアン酸第一銅(CuSCN)の皮膜を形成する。しかし、CuSCNは酸素の存在下でSCN-、NH3により逐次溶解し金属の溶解を妨げるほどとはならない。

 4)溶解速度は、NH4SCN濃度の比較的低い場合には、NH4SCN濃度に依存するが、NH4SCN濃度が高くなるとNH4SCN濃度と無関係に一定となり酸化剤濃度に依存する。そして、溶解速度がNH4SCN濃度に依存する領域では、金属の表面のアノード領域の化学反応が律速段階となり、溶解速度が酸化剤濃度に依存する領域では、金属の表面への酸化剤(Fe(III)あるはCu(II)イオン)の拡散が律速段階となるものと思われる。

 5)本研究で取り上げた銀、銅、ニッケルの酸性溶液あるいは塩基性溶液おける金属の溶解反応を実験結果と平衡論的検討結果を総合して推定した。

 以上、今まで利用されずに廃棄処分されていたNH4SCNを主成分とするロダン廃液を、スクラップからの金属回収の溶媒として有効に役立てるために、基礎的な溶解反応を検討した。

審査要旨

 本論文は湿式製錬法を応用する金属資源のリサイクル技術の開発に関連して、チオシアン酸アンモニウムを選択性のある溶媒として使用することの可能性を検討したものである。チオシアン酸アンモニウム水溶液に対する各種金属の溶解条件と溶解速度との関係を実験的に求め、反応の駆動力に関する平衡論的考察および溶解反応の律速因子に関する速度論的考察を通して、溶媒としての特性を明らかにした。これらの結果として、貴金属含有スクラップからの銀の回収、鉄スクラップの脱銅、ニッケル合金からのニッケルの回収、などの分野での本溶媒の適用の可能性を示した。

 本論文は全7章から構成されている。

 第1章は序論であり、本研究の背景が述べられている。チオシアン酸アンモニウムは製鉄所のコークス炉ガスの湿式精製の際に廃液として大量に発生するが、現在では液のまま焼却処分されている。近年高炉ダストからの亜鉛の抽出に利用することが研究され、抽出溶媒としての応用に関心が示されるようになってきているが、系統的な研究はまだ行なわれていない。

 第2章では、チオシアン酸塩の安定性の実験的検討結果が述べられている。金属溶解の酸化剤として用いる酸素の酸化力はチオシアン酸イオンをシアン酸イオンにまで酸化する可能性を有するが、溶液のpHが2以上では実用的に安定である。酸素による金属溶解は酸性溶液中ではFe(III)/Fe(II)、アルカリ溶液中ではCu(II)/Cu(I)、によって触媒的に進行することを確かめた。

 第3章では、酸性チオシアン酸アンモニウム溶液(pH=3)に対する銀の溶解反応および溶解機構に関する実験結果が述べられている。ここでは銀はチオシアン錯体Ag(SCN)43-として溶解し、Fe(SCN)4-/Fe(SCN)2のレドクス対が触媒的に作用する。溶解反応速度はチオシアンイオン濃度の低い場合にはその濃度に比例するが、高くなると濃度には無関係に一定となる。この一定値は、直接の酸化剤であるFe(III)の濃度に比例する。この条件下での溶解の活性化エネルギーは約13kJ/molであり、銀表面へのFe(III)の拡散が律速している。

 第4章では、塩基性チオシアン酸アンモニウム溶液(pH:8〜10)に対する銀の溶解反応および溶解機構の実験結果が述べられている。この溶液系では銀はアンモニウム錯体もしくはチオシアン錯体Ag(SCN)43-となる可能性を有するが、平衡論による検討では、後者のAg(SCN)43-として溶解する。銀の溶解に対する直接の酸化剤はCu(NH3)42+であり、このアンミン錯体を安定に維持するためにアンモニア濃度を高くする必要がある。

 第5章では、塩基性チオシアン酸アンモニウム溶液への銅の溶解反応および溶解機構に関する実験結果が述べられている。この溶液中では鉄は不動態を示し溶解しないので、銅の選択溶解を利用した鉄スクラップの脱銅への応用が可能である。ただし固相のチオシアン第1銅CuSCN皮膜の形成によって溶解速度が低下することを防ぐために、チオシアン酸イオンの全濃度を高くして、アニオン錯体Cu(SCN)32-として溶解する条件を選ぶことが必要となる。

 第6章では、塩基性チオシアン酸アンモニウム溶液へのニッケルの溶解反応および溶解機構に関する実験結果が述べられている。この溶媒中では、鉄およびクロムは不動態となって溶解しないが、ニッケルの不動態はチオシアン酸イオンによって破壊され、Ni(NH3)42+としての溶解が進行する。溶解反応速度はチオシアンイオン濃度の低い場合にはその濃度に比例し、速度定数の温度依存性は、活性化エネルギーとして68.5kJ/molとなる。チオシアン酸イオンの濃度が高くなると溶解速度は濃度には無関係に一定となる。この領域での溶解速度は、直接の酸化剤であるCu(II)の濃度に比例し、活性化エネルギーとして16.3kJ/molの温度依存性を示した。ニッケル合金からのニッケルの選択溶解に付いては今後の課題として残されているが、溶媒側の条件としては、ニッケルを選択的に溶解できることが示された。

 第7章は総括である。

 以上本研究はコークス炉廃液に含まれるチオシアン酸アンモニウムを金属資源のリサイクルのための溶媒として利用するための基礎研究であり、この溶媒に対する銀、銅、ニッケルの挙動が明らかにされた。今後の金属湿式製錬の発展に寄与するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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