学位論文要旨



No 212077
著者(漢字) 山内,芳弘
著者(英字)
著者(カナ) ヤマウチ,ヨシヒロ
標題(和) 固定化酵母バイオリアクターによる迅速ビール醸造法の開発
標題(洋) Development of a Rapid Beer Brewing System Using an Immobilized Yeast Bioreactor
報告番号 212077
報告番号 乙12077
学位授与日 1995.01.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12077号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 熊谷,泉
内容要旨

 本論文はビールの迅速醸造法を開発することを目的として新しい連続3槽式バイオリアクターシステムを開発したもので、10章より構成されている。

 ビール醸造プロセスの迅速化とは、製品として必要な発酵度に至るまでの発酵速度を短くするとともに望ましいフレーバーを実現することにある。ビールを始めとする発酵食品の製造では、目的とする生産物の生産効率を向上させるために酵素や微生物を固定化して触媒として利用する研究が行われている。しかし、発酵食品の場合には目的とする製品品質があまりにも複雑であるために研究開発は盛んであるが実用化は極めて困難であるとされている。

 従来型技術による生産性の向上方法としては、タンクを大型化してバッチ当たりの製造量を増加させる方法と高濃度の基質(麦汁)を発酵させることによって製造設備を簡単化する方法が一般的である。1970年代には高温発酵,連続攪拌発酵槽(CSTR)を用いることにより発酵期間を短縮する試みも多くおこなわれてきたが、十分な品質が実現できないために実用化には至らなかった。

 そこで、本研究は、バイオリアクター技術を用いることによってビール品質を損なうことなく迅速に製造するシステムを新規に開発することを目的とした。

 本論文の第1章では、本研究の背景と位置づけ、さらに本研究の目的および意義を述べている。

 バイオリアクターによる連続醸造法では、主発酵中に生成された-アセト乳酸をアセトイン等の官能的に比較的不活性な物質へ変換する過程が律速段階となる。通常のビール製造工程では熱成工程として、-アセト乳酸のダイアセチルへの自動変換とダイアセチルの酵母によるアセトインへの変換が並行して行われる。バイオリアクターシステムでは、醸造期間を短縮するために、まずこの並行反応を直列の2段階反応に分解してそれぞれの段階の迅速化を検討する必要がある。

 そこで第2章では、-アセト乳酸のダイアセチルへの熱変換条件の最適化の検討を、反応速度論,操作性,ビール品質の面から総合的に検討した。-アセト乳酸は熱処理時のビール中の溶存酸素濃度に応じてダイアセチルまたはアセトインヘ熱変換されるが、反応速度定数は同一の温度依存式で表現されることが確認された。また、ビールを熱処理する際、酵母濃度を105mL以下にすることでビール品質への影響を回避することが可能であった。また、操作面ではビールの気液分離による熱伝熱効率の低下および加熱時間の不足を防止するために、70〜90℃で加熱処理する場合には8〜11kg/cm2の高圧で操作する必要があった。熱処理の際の溶存酸素の影響を検討した結果、嫌気条件下では最大80%の変換率で-アセト乳酸からアセトインヘダイアセチルを経由することなしに直接変換できることを明らかにした。

 次に第3章では、熱処理によって生成されたダイアセチルを短時間で官能いき値(0.06mg/L)以下に低減させるための固定化酵母バイオリアクターの最適運転条件について検討した。リアクターの運転温度が4℃を越える場合には-アセト乳酸の再生成が避けられないために、-1から1℃の氷温で運転する必要があった。-アセト乳酸の初期値が1.0mg/L以下の場合、滞留時間を3から20時間の間にすることで-アセト乳酸の再生成量をいき値以下にコントロールすることが可能である事を明らかにした。また、リアクターでのエキス消費量が0.5%以下の場合には、0.6〜1.0kg/cm2に加圧することでガスの発生を防止することが可能であった。

 以上の運転条件では、アミノ酸の消費は殆ど無く、またトータルダイアセチル(ダイアセチルおよび-アセト乳酸)のレベルは官能いき値以下となった。このときのエキス消費量は0.03%/時間であった。運転温度が低温のためリアクターのダイアセチル低減能力は6ケ月以上に渡って維持された。

 バイオリアクターによってビール醸造を行う場合、官能的・分析的にいかに通常法で製造されたビールに近づけることができるかが開発のポイントとなる。固定化酵母リアクターを単独で使用した場合、酵母の増殖が抑制されるためにアルコールの対糖収率が高まり余剰酵母が発生しないという利点はあるが、ビール中の-アセト乳酸・アミノ酸濃度が高まり、窒素代謝に由来する各種香気成分が十分に生成されないため製品品質が低下するという問題点がある。この点を解決するためにCSTRど充填槽型バイオリアクター(PBR)を直列に組み合わせた2槽式システムを考案した。本システムによって品質を維持させながら、従来7日間かかっていた主発酵期間を滞留時間基準で2日間に短縮することが可能になった。

 第4章では糖類とアミノ酸の取り込みのコントロールとビール香味の関係について検討した。ビール香味の主成分である高級アルコールとエステルの生成について解析したところ、高級アルコールは主にCSTRで、エステルは主にPBRで生成された。両成分の生成量を最大化するためには、CSTRとPBRでのエキス消費率を1:1から1:2の間でコントロールすればよいことが分かった。また、ビールの爽快さに影響するpHは主に酵母によるアミノ酸の取り込み量に影響され有機酸濃度の影響は余り受けなかった。従って、酵母の増殖槽であるCSTRでのエキス消費比率を高めることによって軽いビールを、比率を低下させることによって重いビールを製造することが可能であった。

 第5章では、糖代謝に由来する発酵副産物の生成のコントロール方法について検討した。CSTRおよびPBRでの酵母菌体収率はそれぞれ、10%および1.0%であった。全体としての収率は、PBRでの酵母菌体収率が極めて低いために、通常法よりも若干低下した。この分、エタノール収率が若干向上した。有機酸組成は通常のビールとは著しく異なり、バイオリアクタービールでは、琥珀酸含量が高く酢酸含量が低いという特徴を生じた。酢酸に関しては、CSTRでの生成は殆ど認められず、琥珀酸は両リアクターで高めの生成が認められた。-アセト乳酸に関しては、PBRの連続運転の初期の段階にのみ多量に生成したが、安定化状態では10mgのエキスで消費量当たり0.07mgの生成量であった。生成物阻害を期待しての-アセト乳酸のPBRでの生成抑制効果は殆どなく、全く増殖の無い場合でも-アセト乳酸の生成はあることが明らかとなった。

 第6章では、抗酸化剤である亜硫酸の生成のコントロールについて検討した。ビール中の亜硫酸は適度に存在する場合には、ビールの抗酸化剤として働き、過剰に存在する場合にはビール香味にマイナスである。亜硫酸は通常のビールよりも多量に生成された。これはCSTRでの生成は殆ど認められなかったが、PBRで30ppm程度生成されたためであった。PBRでは酵母の増殖が抑制されているので亜硫酸の生成はさけられないが、通気およびリアクター内の余剰酵母を逆洗によって除去することによってある程度低下させることは可能であった。

 以上の検討から主発酵,熟成工程を連続化した連続迅速醸造プロセスの構築が可能であることがわかった。

 そこで、第7章では、トータルシステムとして主発酵部分と熟成部分を組み合わせた3槽式システムを開発した。固定化担体としては機械的強度の高い多孔性泡ガラスを使用したがこれは操作性に優れ、固定化能力は中央細孔径に依存することがわかった。多孔性ガラスは本目的のために新たに設計開発した。本担体は、酵母液をPBRに循環させるだけで十分な固定化量(107/mL)得ることができ、ラクトースを用いるインパルス法で滞留時間分布を解析したところプラグフロー特性が得られた。また、リアクター内部の発酵熱分布特性を把握し冷却管を内部に備えた10kL容量用のスケールアップリアクターを設計した。

 第8章では、10kL規模(日産量)のバイロットプラントを建設し、操作特性の検討を行った。6ケ月の連続運転の結果、操作性,温度コントロールはほぼ良好であったが、スケールアップにともなって固定化酵母リアクターの発酵効率が低下する現象がみられた。ビールの品質は通常法で醸造したビールと、同等の品質を有するものであった。

 第9章では、固定化酵母の長期安定性に関する検討を行った。酵母の活性の長期維持に関与する要因として、固定化酵母の不飽和脂肪酸組成,通気,チャネリングの影響について検討した。連続好気培養した不飽和脂肪酸含量の高い酵母は活性の低下が著しく使用には不適であったが、嫌気静置培養した酵母を固定化したりアクターでは2ケ月に渡って安定した効率が維持された。通気は、固定化酵母の増殖を活性化させ遊離酵母量は増加したが、固定化酵母自体の世代交代が行われないせいか活性は漸減した。また、全く通気しない場合にも酵母の微量増殖はみられ、チャネリングの発生しない条件(担体径を大きくした系)で、増殖酵母をリアクター内にバイオフィルムとして保持することにより6ケ月以上におよぶ長期連続運転が可能であった。

 第10章は総括であり、連続3槽式のバイオリアクターシステムを応用することにより、ビールの迅速醸造法を開発することができた。今後バイオリアクター技術が食品製造プロセスの効率化に広範囲に利用されるようになると期待される。

審査要旨

 本論文では、回分操作で約1ヵ月を要するビール醸造プロセスの迅速化(生産性の飛躍的向上)を目的として新しい連続3槽式バイオリアクターシステムを考案し、それに関する基礎から実用化までの一連の研究成果を報告している。従来単純にアルコールの生成速度を迅速化しただけでは製品ビールの品質特性を維持することは困難であるとされていたが、本論文では独自の方法で問題を解決している。

 まず、醸造工程で最も時間を要する熟成工程に着目している。熟成工程の主な目的はビールにとって望ましくないフレーバーの原因物質であるダイアセチルのアセトイン(無臭物質)への微生物変換であるが、熟成開始時にはダイアセチルは前駆体である-アセト乳酸としてビール中に存在し、-アセト乳酸は一旦ダイアセチルに熱変換されてから酵母によってアセトインに微生物変換される。これは酵母が-アセト乳酸をダイアセチルに微生物変換することができないためで、従来法では-アセト乳酸のダイアセチルへの熱変換とダイアセチルのアセトインへの微生物変換を同時に時間をかけて並行して行わせていた。そこで、この2つの変換過程を分割してそれぞれの過程を迅速化することで熟成工程全体の迅速化を実現している。

 熱変換システムを設計するにあたって種々の条件下での速度論的解析を行い最適条件を求めている。特に、嫌気的条件下では-アセト乳酸がダイアセチルを介さずに直接アセトインに変換される反応過程が存在することを新規に見い出している。次に、固定化酵母バイオリアクターを用いてダイアセチルをアセトインに微生物変換する工程の解析では、処理温度が高まると-アセト乳酸がビール中にわずかに残存している糖から微生物的に再生成されることから、最終製品のダイアセチル濃度を官能閾値(0.06mg/L)以下にコントロールするためには運転条件の最適化が必要であることを示している(-1〜1℃、3〜20h)。

 熱変換過程と固定化酵母バイオリアクターを組み合わせた以上のシステムだけでもビール醸造工程の大幅な迅速化が達成されるが更にトータルシステムとして主発酵部分の迅速化の検討も行っている。

 主発酵工程は、ビールの香味を生成させるため重要で従来の回分式システムを変更することは極めて困難であるとされている。そこで、「酵母の増殖量を制御することによって主発酵工程でアミノ酸と糖類の取り込みの比率が維持されるのであれば結果的にビールの香味も維持される」との作業仮説をたてることによって、酵母の増殖を促進させた連続攪拌式リアクター(CSTR)と酵母の増殖を抑制しアルコールの生成速度を迅速化させた固定化酵母リアクター(PBR)を組み合わせたシステムを構築している。20L規模の試験結果では、エステル、高級アルコールなどのビール香味を左右する酵母の代謝副産物の生成バランスを従来法と同等の範囲内に制御できることを実証している。また、本システムで主発酵期間を従来の約1週間から2日間に迅速化することに成功している。

 最後に連続3槽式トータルシステムの構築とスケールアップによる実用化試験について報告している。まず、スケールアップに適した担体として機械強度、酵母固定化能に優れた多孔性ガラスビーズを新規に設計製作している。表面吸着固定化の担体を用いることによってリアクター内に担体を保持させたまま酵母の吸着、担体の再生が可能になりスケールアップが実操作面からも可能となった。次に、リアクター内の流れ特性、熱分布を解析することによってプラグフロー特性を有し除熱効率の優れた充填槽型リアクターを設計している。充填槽型リアクターを10kL規模にまでスケールアップしたのは世界で初めてであり、このシステムで6ヶ月間にわたって連続的に醸造したビールは従来法で醸造したビールと同等の品質であることを示している。

 増殖の抑制された固定化酵母バイオリアクターでは酵母の活性を長期間にわたって維持させることが重要である。そこで、固定化する酵母の脂肪酸組成について検討を行った結果、好気的に培養された不飽和脂肪酸比率の高い酵母は固定化するとアルコール発酵能が嫌気的条件下で急速に低下するのに対し、嫌気的条件で培養された不飽和脂肪酸比率の低い酵母は長期間にわたって高い発酵能を維持することを明らかにしている。

 本研究は、ビールの連続かつ迅速醸造法に関して基礎から実用段階までを扱った先駆的かつ独創的なものであり、食品工学の分野でバイオリアクター技術の有効性を実証した極めて意義深い研究といえる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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