学位論文要旨



No 212080
著者(漢字) 杉元,晶子
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,アキコ
標題(和) 珪酸塩中におけるクロムイオンの置換状態の光学的手法による研究
標題(洋) A Study on Substitutional Condition of Chromium in Silicates Using Spectroscopy
報告番号 212080
報告番号 乙12080
学位授与日 1995.01.30
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12080号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武居,文彦
 東京大学 教授 宮本,正道
 東京大学 教授 武田,弘
 東京大学 助教授 堀内,弘之
 東京大学 助教授 田賀井,篤平
内容要旨 はじめに

 鉱物の生成時の物理的・化学的状態を究明するために、不純物として含まれる遷移金属イオンに着目する方法がある。この場合の研究の手法としては、化学分析の他に光学的な手法が有効である。すなわち光学的手法で得られる情報を基に、イオンの種類のみならず価数や配位子の様子などについても議論することができるからである。この方法でこれまで特にCrイオンについての研究が多く為されているが、それらの報告ではCrは主に3価として取り扱われ、ほかの価数状態については殆ど可能性を考慮されていなかった。これはCrの酸化物の安定性に基づく発想の結果である。しかし近年、従来は非常に不安定と考えられていたCr4+が、珪酸塩中で検出可能な程度に安定に存在することを示す報告がなされた。これは、イオンが固体内に微量に存在する場合には、その価数分配や安定性に寄与する要因が単なる酸化物の場合とは異なることを示唆する。

 本研究では、固体内に微量にドープされたCrイオンにおいて、その光学的性質と共存イオンや母結晶の構造との関係を調べ、Crイオンの価数決定に関与する要素を議論する。実験的にはCrイオンの入るサイトとして六配位サイトと4配位サイトの両方を持つ結晶(Mg2SiO4フォルステライト)と、六配位サイトを持たない結晶(メリライト結晶)をCZ法またはFZ法を用いて合成し、これらの結晶内におけるCrイオンの挙動を調べた。

結果及考察CrドープおよびCr,Liドープフォルステライト

 CrのみドープおよびCrとLiの両方をドープしたフォルステライト(Mg2SiO4)を雰囲気を変えてCZ法により育成した。育成中の酸素分圧によりフォルステライト結晶中のCr3+/Cr4+が変化し、吸収・発光スペクトルが変化することが本研究で確認された。

 Crイオンのみを添加したときの発光スペクトルは800nmにピークを持つが、Crイオンと共にLi+イオンを添加すると750nm付近に新たなピークが観察され、低温において両者は著しく異なった挙動を示す。(Fig.1)この結果から、Cr3+の置換サイトの状態についての推定が可能である。すなわちLi+イオンが無い場合には、Crが3+で置換するために必要な電荷補償は、導入されるMgの空孔により達成されるものと考えられる。このMg空孔がCr3+置換サイトに近接しているとすればCr3+置換サイトが膨張することが考えられ、観察された分光特性が低結晶場中のCr3+のものであると説明できる。Li+イオンが共存する場合にはMg空孔の必要性は無くなり、逆にMg2+より大きなイオン半径をもつLi+イオンがCr3+サイトに近接して置換した結果、Cr3+サイトが圧迫されて縮小したと考えれば、中結晶場での分光特性を説明できる。従来の報告の中には光学特性の差異を、フォルステライト中の2つの大きさと対称性の異なるサイト(M1,M2)のどちらかに置換した結果であると説明しているものもあったが、この説はガーネット系結晶のサイトの大きさと発光スペクトルの状態との比較から否定された。四面体サイトに置換したCr4+ゼロフォノン線の分裂状態からLi+イオンの有無はCr4+サイトにも影響し、無数の微妙に異なる摂動を生ずるものと考えられる。

Crドープメリライト

 Crをドープした4種のメリライト結晶(Ca2MgSi2O7,Ca2Al2SiO7,Ca2Ga2SiO7,Ca2Ga2GeO7)を主としてFZ法によって育成し評価した。4種のメリライト結晶の吸収スペクトルは互いに良く似ており、Cr4+フォルステライトに共通な特徴を持つ。(Fig.2)

図表Fig.1(a)Photoluminescence spectrum of Cr:Mg2SiO4 at17K / Fig.1(b)Photoluminescence spectrum of Cr,Li:Mg2SiO4 at17K / Fig.2(a)Absorption spectra of Cr:Mg2SiO4 / Fig.2(b)Absorption spectra of gehlenite (Cr:CaAl2SiO7)

 従ってメリライト中には主としてCr4+が存在すると考えられる。Cr3+の存在の可能性は、可視域の発光が全く認められなかったこと、及びCr3+が置換するには小さすぎる四面体サイトしか無いことから否定される。育成雰囲気・アニール雰囲気による吸収スペクトルおよびCrイオンの分配係数の変化からCr6+の存在も推定された。

 メリライト系結晶では、Cr4+の吸収・発光スペクトルのピーク位置は元々のサイトの大きさの影響をあまり受けないという傾向が見られた。これはガーネット系結晶におけるCr3+の吸収ピーク位置の顕著な結晶場依存性と比べると対照的である。メリライト系結晶では原子の充填密度が小さく、Cr置換により中心イオン-配位子間のイオン結合性が増大するため、Cr4+が結晶中に置換するときに局所的に周囲のイオンの再配列が起こり、結果的にサイトの大きさが変化しているからであろう。

Crの価数と母結晶

 フォルステライトとメリライト系結晶の結果から、結晶育成時の酸素分圧が同じでも置換されるCrイオンの価数が異なる場合があることがわかる。これは結晶内に存在するCrイオンの置換サイトの配位数や、中心イオンの価数と関連している。すなわちフォルステライトにおいては四配位・六配位の両方のサイトがあり、かつ六配位サイトは2価のMgサイトなので、六配位サイトが3価のAlであるY3Al5O12等に比べるとCr3+にとって最適な置換条件ではなく、Cr3+のみならずCr4+同時に置換し得ると考えられる。一方メリライト系結晶においては四面体サイトしか無いため、育成雰囲気がN2であってもCr3+は殆ど置換せず、Cr4+あるいはCr6+としてドープされやすい。

Cr3+とCr4+

 励起波長を変えて、直接Cr4+の吸収帯を励起した場合と、Cr3+の吸収帯を励起してCr4+の発光を観測した場合とを比較した結果、フォルステライト中ではCr3+とCr4+の間にはエネルギー移動があると考えられることがわかった。

 Cr3+の発光寿命の温度依存性は、2つの寿命の異なる上準位間での分布変化、あるいは非幅射遷移と輻射遷移との競争モデルで良く記述できる。これに対し、Cr4+の発光寿命の温度依存性には非幅射遷移の影響が大きいことが判明したが、それだけでは説明できないこともわかった。この現象はメリライト系結晶についてのCrイオン濃度を変えた実験結果等より、イオンクラスターの形成に起因するものとは考えられず、Cr4+の本質的な性質に起因するのではないかと推定された。

結論

 結晶内にCrがイオンとして微量に取り込まれるとき、その価数分布は結晶生成時の雰囲気のみならず、母結晶内においてCrイオンの置換し得るサイトの種類や中心イオンの価数によっても大きく変化することが判った。また共存する他のイオンの影響を受けて結晶場が変化し、その結果光学的性質も変化することが判った。

審査要旨

 本論文は、珪酸塩鉱物中に微量に添加されたクロムイオンの光学的性質と、母結晶の結晶構造、成長条件、および共存する他種イオンとの関係を調べ、クロムイオンの価数決定に関与する要素を明らかにしたものである。鉱物の生成時の物理的・化学的状態を究明するためには、不純物として含まれる遷移金属イオンの価数に着目する方法が考えられる。とくにクロムイオンは二価(Cr2+)から六価(Cr6+)まで幅広くかつ比較的安定な価数をもって存在し、それらに特有の顕著な光学的特性を示す。またこれらの価数は生成条件によって容易に変化するので、結晶生成条件と結晶内不純物の価数状態の関係を光学的に研究する上で極めて有効なイオンである。しかしながら従来の研究では珪酸塩中のクロムは主に三価イオン(Cr3+)として取り扱われており、価数状態の変化を究明するためにはその内容は不充分なものであった。本研究では単結晶を作成しつつ、生成条件とその結晶の光学的性質を直接に関連づけることに成功しており、このようにして得られた知見は珪酸塩鉱物生成の機構を理解する上で少なからぬ貢献をもたらしたものと考えられる。

 本論文は6章より構成されており、第1章は緒論、第2章は結晶育成と光学測定について、第3章はCr添加フォルステライト(Mg2SiO4)結晶について、第4章はCr添加メリライト系(Ca2MgSi2O7,Ca2Al2SiO7,Ca2Ga2SiO7,Ca2Ga2GeO7)結晶について、第5章は考察、第6章は結論、となっている。以下に論文内容を抄録する。

 まず第1章では、今まで試みられてきたいくつかの実験結果が紹介されている。とくに著者らが共同で開発した、4価のクロムイオン(Cr4+)による珪酸塩結晶の波長可変レーザーに関する研究が詳しく説明され、それらが本研究の大きな動機づけとなったことが述べられている。

 第2章では、本研究における珪酸塩結晶の作成法について紹介されている。Cr添加フォルステライトについてはチョクラルスキー法が、Cr添加メリライト系に関してはチョクラルスキー法と浮遊帯溶融法が併用され、光学測定に充分な大きさ・品質の単結晶が育成された。その際、育成炉の雰囲気の制御が行われた。また、室温から4.2Kまでの光吸収、レーザー励起発光などの光学測定法が説明されている。

 第3章ではCrのみ、およびCr,Li添加フォルステライト結晶について光学測定の実験結果および考察がなされている。Cr添加結晶では800nmに幅広い発光ピークを持つが、Cr,Li添加結晶では750nmにピークを持ち、低温で非常に鋭くなる。これらの発光は4配位位置を置換したCr3+によるものと同定され、Liを加えた場合にはMg空孔が消滅して結晶場が強まるためであろうと考えられている。

 第4章では、Cr添加メリライト系結晶について実験結果が記載されている。ここではほとんどのクロムイオンはCr4+の形で4配位位置を置換し、育成雰囲気によっては一部Cr6+となっていることが結論された。また発光スペクトルの位置が結晶の種類によってほとんど移動しないことから、結晶のCrO4基の形状には種類で変化がないことが示唆された。

 第5章ではまずCrの価数と母結晶の構造との関係が議論されている。同一雰囲気での育成によってフォルステライトにはCr3+とCr4+が、メリライトにはCr4+のみが安定に存在することから、位置選択性の原則がより重要であることが明らかとされた。つぎにCr3+とCr4+が共存するフォルステライトの場合の発光について考察し、これには両者間でエネルギー移動があると結論された。さらにCr3+とCr4+の発光寿命の違いについて検討した結果、Cr3+に関しては輻射遷移と非輻射遷移との競争によってよく説明されるが、メリライト結晶のCr4+についてはサイトの特徴からもたらされる非輻射遷移の影響が極めて大きいこと、などが明らかにされた。

 第6章ではこれらの内容がまとめられている。

 以上の要約が示したように本論文は、珪酸塩結晶内にクロムイオンが取り込まれたとき、その価数分布は結晶生成時の雰囲気、母結晶内のサイトの種類やイオンの価数、共存する別種イオン等によって大きな影響を受け、その結果生じた結晶場の変化によって光学的性質も大きく変わることが明確になった。これらのことは珪酸塩結晶の生成時における微量不純物の物理的・化学的挙動を理解する上で極めて有用であり、本研究によって得られた知見は、珪酸塩鉱物の研究に少なからぬ進歩をもたらしたものと考えられる。また鉱物の光学的性の解明に対しても重要な示唆を与えるものであり、鉱物学全般の進歩にも少なからぬ寄与をもたらすものであることを審査員一同認めた。よって本論文は博士(理学)論文として合格と判定された。

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