学位論文要旨



No 212101
著者(漢字) 藤原,彰夫
著者(英字)
著者(カナ) フジワラ,アキオ
標題(和) 量子情報系の幾何学的研究
標題(洋) A Geometrical Study in Quantum Information Systems
報告番号 212101
報告番号 乙12101
学位授与日 1995.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12101号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甘利,俊一
 東京大学 教授 有本,卓
 東京大学 教授 花村,榮一
 東京大学 教授 岡部,靖憲
 東京大学 助教授 合原,一幸
内容要旨

 本論文では、量子情報理論および量子推定理論の幾何学的側面について研究する。本論文は3つのパートからなる。

 パート1では量子情報理論を扱う。古典物理学的仮定に基づくShannon流の古典情報理論では、情報系とそれを運ぶ担体の物理とを分離して考えることが可能であったが、レーザーの発明によって光通信や光技術が注目され、量子力学を基礎とする情報・通信理論も検討されている。さて、情報の数学的表現であるエントロピーの量子版は作用素代数の観点から主として公理論的研究が行われているが、それらは古典情報理論の数学的アナロジーとしての量子情報理論であり、それらが観測を介して認識可能な量であるか否かについてはこれまでほとんど検討されることがなかった。本論文では、情報理論は我々にとって認識可能な量のみから構成されるべきである、という観点に立脚した構成的量子情報理論の構築に向けてのいくつかの試みを行う。まずはじめに種々の非可換ダイバージェンスから導かれる双対幾何構造を研究すると共に、ダイバージェンスを持たない曲がった空間を扱う上で重要な武器となることが予想される経路ダイバージェンスの概念を導入し、その基本性質を研究する。これらの研究は、将来、量子論的エントロピーを扱う上で有用な幾何学的方法論を提供することが予想される。次に、構成的量子情報理論の一例として、古典通信路を考える上で最も基本的な定理の1つであったShannonの通信路符号化定理の量子版を導き、対応する量子通信路容量が量子論的エントロピーと関連するか否かに関する数学的問題を明確化する。

 次にパート2では量子推定理論を扱う。有限個のパラメタを持つ確率分布族(古典統計モデル)のパラメタ推定問題の量子版は、光通信における連続信号の受信方法の最適化問題に端を発する。量子推定理論においては、各パラメタが不確定性原理によって同時測定できない物理量に対応しうるという古典論にはない困難が存在するため、多くの重要な問題が未解決問題となっている。本論文では、はじめに古典推定理論で重要な視点を提供した双対幾何学の量子版を対称対数微分に基づいて導入し、パート1で導入したダイバージェンスに基づく幾何構造との相違を明らかにすると共に、その量子推定理論における重要性を指摘する。続いて、量子効果が最も顕著な形で現れる問題として、従来の量子推定理論では(特異性のため)扱われることがなかった純粋状態モデルの推定理論の構築を試みる。まず1パラメタ推定問題では、正則なモデルの場合と同様、対称対数微分に基づく推定が最適であることを示す。続いて複数パラメタの推定問題のうち、右対数微分に基づく推定が最適となるモデルのクラスを特定し、その最適測定を具体的に構成する。最後に、純粋状態推定の双対幾何についても若干の考察を行う。

 さらにパート3では、情報バンドルとその接続という新たな幾何学的概念を導入し、パート1、2で研究した量子情報幾何学とは異なる幾何学的視点を提供する。はじめに、可換なゲージ理論である純粋状態の位相の接続問題を従来の研究の延長上で考察し、Berryの位相の新しい計算方注を提案する。次いで、Hbnerの着想に基づき、これを密度行列の接続の微分幾何学に拡張する。この場合、ファイバーは密度行列の分解の任意性、すなわち事前情報に対応することが明らかとなり、密度行列の接続は情報の接続であるという観点に導かれる。ついで、この幾何学が任意のランクを持つ密度行列からなるモデルの推定理論と関係することを示し、パート2で研究した純粋状態の推定理論の1つの一般化が可能であることを示す。

審査要旨

 Shannonによって創始された情報理論は、確率論を一つの基礎として、信号の符号化復号化を含む情報伝送についての精緻な理論体系を築き上げることに成功した。この枠組みでは、信号を担う物理状態を捨象してこれを記号系として扱うことが可能である。しかし、レーザーや光伝送技術などの進歩につれて、量子状態を担体とする通信が究極の姿として考えられるようになったが、ここには量子力学的不確定性と量子観測の問題が介在するため、古典的な情報理論の枠組みをそのまま量子通信に適用するわけにはいかない。このような問題意識から、量子力学を基礎とする通信理論がHelstrom,Personick,Yuen,Holevoらによって考察された。しかしながら量子情報系の研究は、量子状態を表現する量の非可換性に基づく数学的困難と量子観測問題が関係するため、未だに未成熟な段階にあり、数学的にも工学的にも重要な問題のほとんどが未解決のまま残されている。本論文は、量子情報理論およびそれに関連する量子推定理論の基本的枠組みを現代微分幾何学的観点から研究し、未解決問題のいくつかを解決したもので、"A Geometrical Study in Quantum Information Systems"(和訳「量子情報系の幾何学的研究」)と題し、本文11章、付録および文献からなる。

 第1章は序論で、古典物理学に基礎を置く古典情報理論と、量子力学に基づく量子情報理論の相違を歴史的必然性を交えて概観すると共に、本研究の目的と意義を述べている。

 引き続く本文は3つの部に分けられる。

 第1部は量子情報理論を扱っている。情報の数学的表現であるエントロピーの量子版は、これまで主として作用素代数の観点から公理論的に研究が行われてきた。それらは古典情報理論の数学的アナロジーとして導出するものであり、観測により認識可能な量であるか否かについてはほとんど検討されることがなかった。本論文は、情報理論は認識可能な量のみから構成されるべきであるという思想に立脚し、構成的量子情報理論の体系化に向けたいくつかの試みを行っている。すなわら、第2章で従来の研究を概観し、第3章では量子状態からなる情報空間を構成し、ここでの種々の非可換ダイバージェンスから導かれる双対微分幾何構造を研究した。さらに、ダイバージェンスを持たない曲がった空間を扱うために経路ダイバージェンスの概念を導入し、その基本性質を研究した。これらの研究は、量子論的エントロピーを扱う上で有用な幾何学的方法論を提供することが期待される。次に第4章では、構成的量子情報理論の一例として、Shannonの通信路符号化定理の量子版を導き、対応する量子通信路容量が量子論的エントロピーといかに関連するかに関する数学的問題を明確化した。

 第2部は量子推定理論を扱っている。有限個のパラメータを持つ確率分布族(古典統計モデル)のパラメータ推定問題の量子版は、光通信における連続信号の受信方法の最適化問題に端を発する。量子推定理論においては、各パラメータが不確定性原理によって同時測定できない物理量に対応しうるという古典論にはない困難が存在するため、多くの重要な問題が未解決問題となっている。そこで第5章で従来の量子推定理論の研究を概観した後、第6章において情報空間の双対微分幾何学の量子版を対称対数微分に基づいて導入し、ダイバージェンスに基づく幾何構造との相違を明らかにすると共に、その量子推定理論における重要性を指摘した。続く第7章では、量子効果が最も顕著な形で現れる問題として、従来の量子推定理論で扱われることがなかった純粋状態モデルの推定理論の構築を試みている。まず1パラメータ推定問題では、正則なモデルの場合と同様、対称対数微分に基づく推定が最適であることを示した。続いて複数パラメータの推定問題のうち、右対数微分に基づく推定が最適となるモデルのクラスを特定し、その最適測定を具体的に構成した。

 第3部では、情報バンドルとその接続という幾何学的概念を新たに導入し、第1、2部で研究した量子情報幾何学とは異なる幾何学的視点を提供している。はじめに第8章で、量子力学における情報の意味に関する若干の考察を行った後、第9章では可換なゲージ理論である純粋状態の位相の接続問題を従来の研究の延長上で考察し、Berryの位相の新しい計算方法を提案した。次いで第10章では、Hbnerの着想に基づき、第9章で述べた幾何学的位相の研究を密度行列の接続の微分幾何学に拡張することに成功した。第11章は結論であり、本論文における成果を概括すると共に、今後の課題を整理している。

 これを要するに、本論文は量子情報系の特性を研究する枠組みを構築し、そのために情報幾何学を拡張すると共に、量子系における観測と情報の問題を統一的に捉えたもので、数理工学に貢献するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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