学位論文要旨



No 212108
著者(漢字) 野中,秀彦
著者(英字)
著者(カナ) ノナカ,ヒデヒコ
標題(和) 酸化物薄膜の合成に関する研究
標題(洋)
報告番号 212108
報告番号 乙12108
学位授与日 1995.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12108号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,宏
 東京大学 教授 幸田,清一郎
 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 助教授 中尾,真一
 東京大学 講師 霜垣,幸浩
内容要旨

 酸素に富む大気をもつ地球上では、酸化物は最も自然な物質形態の一つであり、天然には主に各種鉱物として存在する。酸化物はエレクトロニクス、光学などのさまざまな分野の材料として利用されており、人工的に特性を制御した酸化物を合成することは工学上重要な課題である。酸化物の特性は、他の化合物系と比較するときわめて多様かつ広範囲にわたっている。例えば、電気伝導率によって酸化物を分類すると、SiO2に代表される絶縁体、ZnOなどの半導体、SnO2などの導電体、そしてに代表される超伝導体というように全てのカテゴリーを満たす。これらの特性は、例えば、の超伝導特性のように、酸化状態や構造欠陥に著しく影響を受けることが多く、その合成の際には、反応プロセスを積極的に制御することにより、はじめて意図した物性をもつ酸化物が得られると考えられる。

 本論文では、上記の視点から、合成石英ガラス薄膜(以下石英ガラス薄膜)および酸化物超伝導体単結晶エピタキシャル薄膜(R=Nd,Dy,Y)の合成法として、それぞれ光CVD(chemical vapor deposition)法およびMBE(molecular beam epitaxy)法を取り上げ研究の対象とした。

 光CVD法は、実用化が望まれる低温合成法の一つであり、反応の励起に光を用いるので、プラズマCVD法などと比較すると、イオンなどによる損傷などが起き難い方法である。特に、ある一定の波長の輻射を有する光源を用いた場合は、原料ガスの分解反応プロセスが特定の経路に限定されるために、プロセスの優れた制御性が期待される。一方、低温プロセスであるために、原料ガス起源の構造欠陥の残存あるいは十分な構造緩和が起きないなどの問題があり、目的に適した膜を得るためには、本研究で試みたフッ化シラン系ガスを用いたフッ素ドーピングなどの積極的な反応・構造制御が必要であると考えられる。

 MBE法は、原理的には蒸着法にすぎないが、既に半導体デバイスの分野では実用段階にあるように、高真空条件下において反射型高速電子線回折(RHEED)で代表されるその場表面観測手段を用いて、単結晶薄膜を原子層レベルで制御して堆積することを可能とする方法である。本研究で取り上げた酸化物超伝導体は、多元素からなる複雑な層状構造をもつことから、単結晶薄膜の合成だけでなく、ジョセフソン接合形成のための良好な界面、あるいは超伝導特性(高Tc、高Jcなど)の向上を意図した超格子構造などを得るためには、MBE法の優れた制御性が有効であると考えられる。また、各種のその場表面観測により、膜成長表面における酸化、結晶化、層形成などのプロセスを原子層レベルで解明することは、酸化物薄膜の構造制御に関する本質的な課題である。しかし、従来のMBE法による酸化物の合成では、導入可能な酸素分圧がその酸化物の化学平衡圧より遥かに低いので、十分な酸化状態の実現のためには、本研究で開発したような強力な酸化ガス源の使用が不可欠である。

 本論文では、上記の二種の合成プロセスを用いて酸化物薄膜をそれぞれ合成し、その合成反応プロセスを考察し、新たな制御方法を提案した。以下、本論文の内容を章別に述べる。

 第2章では、新たにフッ化シラン系ガス(Si2F6)を用いて、光CVD法によりフッ素ドープ石英ガラス薄膜を合成し、その物性を評価した。フッ素ドープは石英ガラス薄膜の屈折率制御に有効であり、低温合成における構造制御にとっても有望であると考えられていた。しかし、従来法ではNF3などをプラズマ中で分解してフッ素ドープ源としていたため、プラズマからのイオンにより膜が損傷を受けるなどの問題があった。本研究では、Si2H6、O2、Si2F6の混合ガスに真空紫外光を照射することにより、光CVD法により低温でフッ素ドープ石英ガラス薄膜を合成することができた。この系におけるフッ素ドープの機構を明確にすることはできなかったが、Si2F6が真空紫外光により光解離してフッ素系ラジカルを生成し、膜成長表面反応に寄与する機構が推定された。この方法で得られたフッ素ドープ石英ガラス薄膜は、赤外吸収スペクトルや電子スピン共鳴の測定から非ドープ膜に比べて構造欠陥が少なく、後述するオージェ電子分光(AES)による評価の結果、対電子線耐性も向上していることがわかった。

 さらに、得られた石英ガラス薄膜の真空紫外領域における吸収を測定した。これまでは、石英ガラスの真空紫外領域における吸収の測定は、バルク試科についてのみ報告されていたが、本研究では光CVD法によりLiF単結晶上に石英ガラス薄膜を堆積して試料として、シンクロトロン放射光を光源として測定を行った。その結果、フッ素ドープにより、試料中の-OH濃度の低減に対応して吸収端が高エネルギーに移動することなどが見い出された。本研究により初めて、石英ガラス薄膜のバンドの吸収端が評価され、バルク試料において得られた構造欠陥と光吸収の関係が、薄膜においても有効であることが示された。

 第3章では石英ガラス薄膜のAESによる評価法を確立した。一般に酸化物の表面は電子線照射により、酸素原子が脱離したり、それに伴う構造の再構成が起きるなどの変化を生じやすい。特に絶縁性の優れた石英ガラスでは、酸素が脱離したあとに残された構造欠陥が電荷中心となって、測定そのものを妨害するなどの問題がバルク試料では生じる。本研究では励起電子線の照射率および全照射量と石英ガラス薄膜表面の酸素欠乏欠陥生成の関係を明らかにし、AESの測定時に表面に損傷が生じない励起電子線の条件を確定した。またこのとき、酸素欠乏欠陥の生成機構が、電子線による石英ガラスネットワークの切断だけではなく、酸素原子の拡散などの二次的な効果からなることを示唆する結果を得た。本研究ではこれらの結果を用いて、AESが石英ガラス薄膜の膜質の評価に有効であることを示し、実際に、フッ素ドープ膜が電子線に対して強い耐性をもつこと見い出した。

 第4章では、NO2超音速分子線の開発により、超高真空下において酸化物薄膜をMBE法により合成することを可能にした。酸化物薄膜の合成において膜構造・物性の制御のためには、構成元素である酸素の制御性の高い供給がポイントとなる。特に、原子層制御が期待できるMBE法では、酸化ガスの雰囲気圧を低くして蒸着源の安定を計らなくてはならない。これには、オゾンなどの酸化力が大きなガスを用いることが有効であるが、普通のガス導入方式では、ガスの分圧は通常のMBE条件より遥かに高くなる。本研究では、低温ガス吸着排気方法を適用することにより、通常のMBE装置に装着可能な小型軽量のNO2超音速分子線源を開発し、強力な酸化剤であるNO2を、超高真空を保ったままある決まった領域に局所的かつ高密度に制御性良く供給することを可能にした。この手法を用いて、初めて超高空中で、MBE法により酸化物超伝導体薄膜を合成することに成功した。また、合成中にRHEEDによるその場表面観測を行い、酸化物超伝導体薄膜の成長過程を原子層レベルでモニタできることを確認した。

 酸化物薄膜の合成に先立って、超高真空中に置かれた基板上におけるNO2による金属(Cu)の酸化反応の温度依存性を明らかにした。NO2は強力な酸化剤であることが知られていたが、その酸化反応の多くは大気中の水分子とNO2との反応生成物である亜硝酸を介しての反応であった。本研究では、新たに開発したNO2超音速分子線を用いて、超高真空中に置かれた基板上に供給された銅原子線の純粋なNO2による酸化反応の温度依存性を初めて調べた。その結果、NO2は銅原子に対して200℃付近と650℃以上の二つの領域において強い酸化力をもつことが明らかになった。このことは、NO2を用いた超高真空における酸化物超伝導体薄膜の合成により立証された。

 第5章では、RHEED電子線励起AES(RHEED-AES)による酸化物成長表面のその場組成分析を実現した。酸化物超伝導体のような複雑な多層構造をもつ系では、膜成長表面の結晶性のみならずその組成を知ることが、成長機構やさらに異種物質との接合構造形成へと研究を進める上で重要である。本研究では、差動排気が可能な小型エネルギー分析装置を開発し、試料を分析室に移動することなく、オゾンなどの強力な酸化ガス雰囲気において、RHEED-AESにより膜成長表面組成をその場で分析することを初めて実現した。この分析手法は、酸化ガス雰囲気下でのみ安定な酸化物超伝導体などの表面をその場観測するためには特に有効であり、実際に、構成元素の逐次蒸着法によるの合成において、蒸層元素に対応した表面組成の変化を観測することができた。本研究により、RHEEDによるその場表面構造分折と表面組成分析の両者が同時に可能となり、多元素からなる薄膜の成長機構の解明を進める上で有効な測定手段であることが示された。

審査要旨

 本論文は「酸化物薄膜の合成に関する研究」と題し、6章よりなる。酸化物はエレクトロニクスや光学などのさまざまな分野の材料として利用されているが、その特性は、例えば酸化物超伝導体の超伝導特性のように、酸化状態や構造欠陥に著しく影響を受けることが多く、合成プロセスを積極的に制御することにより、意図した物性をもつ酸化物が得られると考えられる。本研究は、これらの視点から、酸化物として合成石英ガラス薄膜および1-2-3系酸化物超伝導体単結晶エピタキシャル薄膜を取り上げ、それらをそれぞれ光CVD(chemical vapor deposition)法およびMBE(molecular beam epitaxy)法により合成を行い、その反応機構と制御性について研究したものである。第1章では、酸化物薄膜の合成法の問題点の指摘と本研究の意義に関し論じた。第2〜5章は本論である。

 第2章では、新たに六フッ化ジシランを用いて、光CVD法により低温でフッ素ドープ石英ガラス薄膜を合成しその物性を評価した。一般に、低温合成では原料ガス起源の構造欠陥の残存や不十分な構造緩和などの問題があり、本研究で試みたフッ素ドーピングなどの積極的な反応・構造制御が有効であると考えられた。本研究において合成されたフッ素ドープ石英ガラス薄膜は、赤外吸収スペクトルや電子スピン共鳴の測定から非ドープ膜に比べて構造欠陥が少なく、対電子線耐性も向上していることが明らかになり、フッ素ドープによる低温での構造制御の可能性が示された。また同時に、六フッ化ジシラン起源のフッ素系ラジカルが膜成長表面反応に寄与するというフッ素ドープの機構が推定された。さらに、本研究において初めて石英ガラス薄膜の真空紫外領域の吸収端が評価され、バルク試料における構造欠陥と光吸収の関係が、薄膜においても有効であることが示された。

 第3章では石英ガラス薄膜のオージェ電子分光(AES)による評価法を確立した。本研究では励起電子線の照射率および全照射量と石英ガラス薄膜表面の酸素欠乏欠陥生成の関係を明らかにし、AESの測定時に表面に損傷が生じない励起電子線の条件を確定した。この結果からAESが石英ガラス薄膜の膜質の評価に有効であることを示し、第2章で論じたフッ素ドープ膜が電子線に対して強い耐性をもつことを見い出した。

 第4章では、二酸化窒素超音速分子線の開発により、超高真空中において酸化物薄膜を分子線MBE法により合成することを可能にした。原子層制御が期待できるMBE法による酸化物薄膜の合成では、酸化ガスの雰囲気圧を低くして蒸着源の安定を図らなくてはならない。本研究では、低温ガス吸着排気方式を適用することにより小型軽量の二酸化窒素超音速分子線源を開発し、強力な酸化剤である二酸化窒素を局所的かつ高密度に制御性良く供給することを可能にした。この手法を用いて、二酸化窒素による金属の酸化反応の温度依存性を明らかにし、初めて超高真空中で、MBE法により酸化物超伝導体薄膜を合成することに成功した。

 第5章では、反射高速電子線回折励起オージェ電子分光(RHEED-AES)による酸化物成長表面のその場組成分析を実現した。酸化物超伝導体のような複雑な多層構造をもつ系では、膜成長表面の構造およびその組成を知ることが、成長機構の解明やデバイス化のための接合構造の形成の上で重要であるが、本研究では、オゾンなどの酸化ガス雰囲気において、RHEED-AESにより膜成長表面組成をその場で分析することを初めて実現した。この分析手法は、酸化ガス雰囲気中でのみ安定な酸化物超伝導体などの表面をその場観測するためには特に有効であり、実際に、構成元素の逐次蒸着法によるYBaCuO薄膜の合成において、蒸着元素に対応した表面組成の変化を観測することができた。本研究により、その場表面構造分析と表面組成分析の両者が同時に可能となり、RHEED-AESが多元素からなる薄膜の成長機構の解明に有効な測定手段であることが示された。

 第6章は結論である。本研究は、フッ素ドープ石英ガラス薄膜の低温合成と酸化物超伝導体薄膜のMBE法による合成の二つを主な目的として実施された。前者では、フッ化シラン系ガスを用いた光CVD法により欠陥密度が低減されたフッ素ドープ薄膜が得られることが示された。後者は、酸化ガスを超音速分子線化して供給することにより実現されることが示された。このように両者から、原理的には元素の酸化反応にすぎない酸化物薄膜合成においても合成プロセスの積極的な制御が重要である。

 以上、本論文は化学工学の発展に寄与することが大きく、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53879