学位論文要旨



No 212111
著者(漢字) 大屋,正明
著者(英字)
著者(カナ) オオヤ,マサアキ
標題(和) 硫化水素 : 一酸化窒素系の高温反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 212111
報告番号 乙12111
学位授与日 1995.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12111号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松為,宏幸
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 定方,正毅
 東京大学 助教授 山下,晃一
 東京大学 講師 大島,義人
内容要旨

 近年、地球環境での物質循環のバランスが崩れ、NOx、SOxに起因する酸性雨や、大気中のCO2濃度増大による温室効果などの重大な環境問題が懸念されており、これらの環境汚染物質の挙動を解明し、その排出量を低減することが社会的に強く要請されている。実用燃焼器におけるこのような環境汚染物質の低減化を図るための研究は活発に行われているが、これら燃焼器における現象を解明するためには、基礎的な高温場における環境汚染物質の挙動を明らかにし、正確な知識を確立しておくことが必要である。このような観点から、本研究においては基礎的な立場から環境汚染物質であるH2SやCOSの熱分解反応機構を解明し、併せてこれらの関与した未知の素反応速度定数を求めた。また、S原子によるNOの還元の可能性を追求するためH2SおよびCOSとNOとの高温における相互反応機構を調べH-N-O-S系の反応機構について検討した。

 実験に用いた衝撃波管は三本あり、標準型衝撃波管、単一パルス衝撃波管およびレーザー閃光分解衝撃波管を用いた。化学種の検出には高感度赤外線法、原子共鳴吸収法、あるいはガスクロマトグラフィー質量分析計を用いた。

 H2Sの熱分解反応機構について検討した。標準型衝撃波管を用い低濃度H2Sを入射衝撃波により2740〜3570Kに加熱し、H2S、HSの赤外発光を特にH2Sについては赤外発光を高感度検出することにより次の素反応速度定数を求め、次の値を決定した。

 

 また、レーザー閃光分解-衝撃波管を用い反射衝撃波加熱によりS原子およびH原子の挙動を原子共鳴吸収法により測定し、次の素反応を検討した。

 

 実験はAr中に希釈したH2SとCOSの混合試料気体を1050〜1540Kに反射衝撃波加熱し、KrFレーザーを照射することによりS原子をCOSの光分解により生成させ、その濃度の経時変化をARASにて追跡観測することにより素反応速度定数として次の値を決定した。

 

 レーザー閃光分解-衝撃波管を用い反射衝撃波加熱によりS原子の挙動を原子共鳴吸収法により測定し、次の素反応を検討した。

 

 実験はAr中に希釈したH2とCOSの混合試料気体を1050〜1660Kに反射衝撃波加熱し、ArFレーザーあるいはKrFレーザーを照射することによりS原子をCOSの光分解により生成させ、その濃度の経時変化をARASにて追跡観測することによりこの反応の逆反応速度定数を求め、平衡定数を介して次の素反応速度定数を決定した。

 

 反応(1-1)の速度定数は高温側ではH2S初期濃度の高いBowmanらの実験による値より、Rothらの実験値の延長線上の結果と比較的よい一致を示した。本実験のような低濃度下においては今まで赤外発光による測定例はなく、赤外は発光法から反応(1-1)の速度定数を求めることができた意義は大きい。

 k1-3の値と平衡定数とから計算されたこの反応(1-3)の逆反応速度定数は297Kでは1.25×10-11となり、Bradleyら、Michelicらによって以前に求められた値と等しく妥当な結果であった。

 反応(1-4)の速度定数は、本実験の温度領域で、Cupittらの室温での推定値とおおよそ一致していた。この速度定数は今まで実験的に求められておらず、本速度定数を実験的に求められたことは価値あることと思う。

 以上のように、H2Sの熱分解機構については本研究において高感度赤外発光法、およびレーザー閃光分解衝撃波管とARAS法を組み合わせることにより既往の実験に比べ非常に精度の高い実験が可能となり、反応(1-1)、反応(1-3)、反応(1-4)の素反応速度定数を精度よく求めることができた。また、吉村らによって求められた反応(1-2)を加えることによりH2Sの熱分解反応機構を完全に解明できた。

 COSの熱分解反応機構について検討した。標準型衝撃波管を用いArで希釈された試料気体を入射衝撃波により1900〜3230Kに加熱し、COS、COの赤外発光を追跡観測し新規な解析法をとることにより次の素反応速度定数を求め、次の値を決定した。

 また、レーザー閃光分解-衝撃波管を用い反射衝撃波によりArに大希釈されたCOSを1140〜1680Kに加熱し、S原子の挙動を原子共鳴吸収法により測定することにより、次の素反応速度定数を求めた。

 

 反応(2-1)の速度定数の実験値はHayらの求めた値の2.1倍、Scheckerらの1.4倍であり、Scheckerらの値がCOの干渉により過小評価されていることを考慮すれば本研究で得られた速度定数は妥当な値といえる。また、本実験結果はNO-COS系の反応を非常によく説明できた。さらにCOSと同様に対称直線状分子であるCS2の熱分解反応の素反応速度定数と比較してもよい近似を得た。反応(2-2)の値はWoikiらの求めた速度定数と比較すると2倍程度大きく、活性化エネルギーは3.4kcal/mol程低い値となっており、本実験の温度範囲では比較的近い値であるが、Hayらの速度定数値の約15倍本実験値の方が大きく、また、Klemnらの求めた速度定数の20倍大きい結果を得た。Hayら、Klemnらの実験は実験精度が悪いことから本実験結果は妥当なものと考えられる。

 以上のことからCOSの熱分解反応機構については完全に解明でき、素反応速度定数についても決定できた。

 N化合物とS化合物を含んだ反応系として、素反応、

 

 が重要な反応であることが感度解析の結果分かったので、NO濃度とS濃度とを同時に測定することにより反応(3-8)の速度定数を直接的に求めた。SのsourceとしてCOSを選びArで希釈したNO-COSの混合試料気体を入射衝撃波により1900〜5200Kに加熱し、9.5m、5.3m、4.7mの赤外発光および370.5nmの紫外発光を観測した。その結果、反応(3-8)の速度定数を広い温度域にて精度よく求めることができ、次のように決定した。

 

 NO-H2S系の反応について1800〜3600Kの範囲で実験を行い、NO/COS/Ar系を使って求めたNO+S→N+SOの速度定数および一連の素反応速度定数を用いてシミュレーションを行いその反応機構を明らかにした。その結果、実験値とシミュレーションはよく一致し、NO/H2S/Ar系の反応も十分説明できることがわかった。また、反応熱を考慮したシミュレーションを行なうことにより、反応物を高濃度に含む系についても実験のデータをほぼ説明できることがわかった。

 NO-H2S系の反応をより実際的な反応系に近ずけるために単一パルス衝撃波実験を行い分解生成物等を四重極質量分析計を用いて詳しく調べた。その結果、反応物であるNOおよびH2Sの残存率については実験とシミュレーションの結果が比較的よく一致したが、H2O、SO2の生成率については両者の一致はあまり良くなかった。これは高温ではO、H、SO、OH等のラジカルとして存在する割合が多くなり、これらが冷却過程でどのような安定な化学種に戻るかについて考慮していないためと考えられた。本実験結果よりH2SはNOを還元するのにH2よりも有効であり、高温燃焼場ではNOの還元剤として有効で実用化の可能性のあることが分かった。

 以上の結果を総合することによりS化合物とNOを含む燃焼系における化学反応論的基礎に関する重要な知見が得られ、今後の燃焼からの有害排出物の制御技術や環境問題の解決に向けて大いに貢献できるものと確信する。

審査要旨

 本論文は、環境汚染物質であるH2SやCOSの熱分解反応機構を基礎的な立場から解明し、これらの関与した未知の素反応速度定数を求めるとともに、H2SおよびCOSとNOが共存する系について高温における反応中間体の相互反応機構を解明することを目的とし全7章より構成される。

 第1章は序章であり、本研究の社会的な背景、研究の動機、関連する反応機構の研究の現状等について概要を述べている。すなわち、NOx、SOxなどの環境汚染物質の燃焼器内における挙動を解明することが環境汚染対策技術を確立する上からも重要であるが、これら硫黄を含んだ反応系の反応素過程は未知のものが多く燃焼解析の際に支障を来している。したがって、H2SおよびCOSの熱分解反応におけるこれら未知の素反応速度定数を実験的に求め反応機構を確立すること、また、NO、COSおよびH2S等が共存する系について関連する反応中間体の相互反応機構について検討をすることの重要性を述べている。

 第2章では衝撃波管を用いた反応の研究の歴史、衝撃波管内の波動現象および本研究全般にわたる衝撃波管実験装置とその化学種濃度測定方法について述べている。本研究において実験に用いた衝撃波管は、標準型衝撃波管、レーザー閃光分解衝撃波管および単一パルス衝撃波管を用いており、化学種の検出にはそれぞれ高感度赤外線検出法、原子共鳴吸収法(ARAS)、あるいはガスクロマトグラフィー質量分析計を用いて測定している。各実験装置の特長とこれらを組み合わせて使用することにより得られる利点をまとめている。

 第3章ではH2Sの熱分解反応機構について研究した結果をまとめている。H2Sの熱分解反応については既にBowmannら、Rothら、Woikiらによってその一部の反応については研究されているが、素反応速度定数が未だに実験的に求められていないもの、測定精度の低いもの等が多数あり、全体の熱分解過程について未だに明確にされていない。本研究では高感度赤外発光法およびレーザー閃光分解衝撃波管とARASとを組み合わせて、H2SおよびS原子濃度を追跡観測し次の三つの主要な反応、

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 について精度よく高温における速度定数を求め、評価している。ここで求められた反応速度定数と以前に吉村らによって求められた次の反応、

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 の素反応速度定数を用いてH2Sの熱分解反応全体の挙動をよく説明できることが確認された。

 第4章ではCOSの熱分解反応機構についての研究結果をまとめている。COSの熱分解については1960年代にそれらに係わる反応の室温における速度定数は求められているものの測定精度は低く、また、高温における実験値はHayら、ScheckerらおよびWoikiらの論文の他には研究されていない。本研究ではCOSの熱分解反応において重要である次の二つの反応、すなわち、

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 について前章と同様な方法にて素反応速度定数を求め評価している。特に、赤外発光解析におけるCOSとCOの新規な分離法を採用して開始反応速度定数を精度よく求めている。また、レーザー閃光分解衝撃波管とARASとを組み合わせてS原子の濃度を追跡観測することにより後続の反応速度定数を精度よく測定し、COSの熱分解反応機構について解明している。

 第5章ではCOS-NO系の反応についての研究結果をまとめている。すなわち、N化合物とS化合物を含んだ反応系として素反応、

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 が重要な反応であることが感度解析の結果分かった。NO濃度とS濃度とを赤外発光および紫外発光の同時測定から決定し、この反応速度定数を広い温度域にて直接的に求めている。

 第6章ではNO-H2S系の反応についての研究結果をまとめている。すなわち、前章にて得られた速度定数および一連の素反応速度定数を基に反応モデルを構築し数値シミュレーションを行い、その反応機構を検討した。また、単一パルス衝撃波実験を行い分解生成物等を四重極質量分析計を用いて詳しく調べ、反応物であるNOおよびH2S、生成物であるN2、H2O、SO2の生成機構を検討している。

 第7章は、各章のまとめにたって全体を総括した章である。すなわち、本論文では、高感度赤外発光法およびレーザー閃光分解衝撃波管とARASとを組み合わせてH2S、COSおよびS原子を追跡観測することによりH2SおよびCOSの熱分解反応機構を実験的に解明し、未知の素反応速度定数を決定すると共に、熱分解全体の挙動に関する新しいし反応機構モデルを確立した。さらに今後に残された検討課題について総括している。

 本論文の研究は、S化合物とNOを含む燃焼系における化学反応論的基礎に関する重要な知見を与えたものであり、基礎研究として価値の高いものである。また、硫黄化合物の関連する大気環境問題の解明に関して本研究の成果は重要な意義を有する。よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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