学位論文要旨



No 212113
著者(漢字) 東条,敏
著者(英字)
著者(カナ) トウジョウ,サトシ
標題(和) 法的推論における時間関係の状況理論による形式化の研究
標題(洋)
報告番号 212113
報告番号 乙12113
学位授与日 1995.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12113号
研究科 工学系研究科
専攻 情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渕,一博
 東京大学 教授 田中,英彦
 東京大学 教授 井上,博允
 東京大学 教授 武市,正人
 東京大学 教授 石塚,満
 東京大学 教授 大須賀,節雄
内容要旨

 本稿の目的は,ある事件に相当する事象群において,各事象の持つ時間的特性を用いてその事象と他の事象との時間関係を推論する過程を状況理論的に形式化することである.法的推論における事例記述においては,時間的に複雑かつ微妙な例を含むものが多い.ある事件を構成する事象間でどういう時間関係があったかは,その後の法的判断,すなわち判決にも影響する問題である.さらにまた,事象間の時間関係は,単に物理的時間の位置関係だけでなく,事象間の因果関係の解釈や知識・信念のスコープなどにすべて関連する重要な問題である.

 現在までに,このような事象間の時間関係付けは,古典的な時間区間論理に基づき,多くの労力を要して手で関係を書き下す必要があった.もしこの作業を自動化しようとすれば,個々の事象に対して予めさらに細かい知識(プラン)を与えておいて,その知識から全体の事象の流れを構成することが考えられる.しかしながら,この方法は,やはり多大な労力を費やして辞書を作る必要を示唆しており,手作業による負荷を軽減する目的には即しない.本稿で提案するのは,各事象に時間的特性を与える方法である.各事象はその時間的特性に基づいて時間区間などを定義する.事象間の関係はこの時間区間どうしの関係の付け方によって決定することができるため,初期入力としては各事象に時間特性の型を与えておくだけで済む.プラン作りはそれ自体で異義のある作業であるが,事象間の関係付けを目的とするには開発者に過負荷である上,プランの内容も客観性を欠く.一方,時間特性を定義しておく方法は労力を圧倒的に削減できる上,自然言語の表現に本来内在する時間の概念までを陽に形式化することになり,事象間関係を記述する手段としてより豊かな情報を提供することになる点で優れている.

 本稿では,まず,古典的な考え方に基づいて事象は静的な状態と動的な行為に大別される.次に,動的な行為は最後まで達成されたか,あるいは進行中であるか区別される.次に達成されたイベントがその達成状態を維持するか,瞬時にもとの状態に復帰するかを区別する.このような事象の分類は,より一般的なただ一種類の事象オントロジーに異なったパースペクティヴ(見方)を与えたものであるとして形式化できる.この事象オントロジーは,行為の開始から始まって行為中の区間,達成の瞬間,および達成状態が維持される区間,元の状態への復帰の時間などからなる.本稿では各事象の導入するこれらの時間区間の間に成り立つ関係をデフォルトの時間推論規則として導入する.

 以上のデフォルト推論規則を用いて時間関係を生成する推論システムは,実験レベルで実装されている.例題としては,実際に司法試験に出た事件記述を例にとって行なわれ,生成できる関係の妥当性と補足すべき情報について考察し,さらに生成した関係の言語学的定式化を行なった.本研究の成果は以下のようにまとめられる.

 まず第一に,事象オントロジーとパースペクティヴによる事象の時間特性の形式化である.言語学の方では,以前より動詞の分類という研究が行なわれてきたが,この成果をサーベイし,分類の観点を調べてみると,当然のことながら共通点が多い.一方で,どの事象にも共通な時間区間列があることが提案されており,これに対する着目点の違いが相を生むという研究成果もある.本研究では,共通な時区間列を事象オントロジー,その中で話者が注目する時間領域をパースペクティヴと呼び,事象オントロジーに対するパースペクティヴの違いとしてプロセス・状態・イベントと言った区別を設けた.この研究過程において,本研究が寄与したのは,パースペクティヴ関数を型を定義して定め,その意味を状況理論から与えるという計算言語学的定式化の部分である.

 第二に,事象間の関係を時間特性から付けるという試みである.歴史的に事象間の関係は,接続詞や副詞の情報に頼る方法と,各事象をさらに細かい下位事象に分類したプランから作る方法などがある.しかしながら,本来事象を記述する述語は前後との関係を作るに充分に役立つ時間情報を豊かに含むものであり,この情報は積極的に利用すべきである.本稿では,この型別の事象間の関係,すなわち,プロセス-イベントの並びで予測できる関係,状態-イベントの並びで予測できる関係,イベント-イベントの並びで予測できる関係をデフォルト推論規則として導入した.このような規則から導かれる時間関係の推論システムは,当然のことながら,不適当な関係あるいは情報として全く無駄な関係を生み出す可能性がある.したがって本研究では,既に成り立っていると考えられる時間関係(サポート関係)からさらにメタに予測できる時間関係を後処理として用い,記述の精度を上げる提案も合わせて行なった,この時間関係の自動生成システムは現段階においても直接法的推論に寄与するものである.これまで必要としていた事件記述における大幅な手作業を削減することができる上,単純な区間論理の記述に比べて時間情報もより豊富に含む.また,デフォルト推論規則は逆に事件記述の仕方に対する制約となることから,事件記述上のガイドラインとして働く可能性があることを示唆している.

 第三に,事象間で予測される時間関係を,自然言語の構文同様に,文法的にまとめ意味論を与えたことである.事象間関係の生成とは,仮想時間軸上に並んだ事象の型から,ボトムアップに両者の間に成り立つ関係をつけることである.これを自然言語文の語のカテゴリーから導かれる文の文法性になぞらえ,事象の時間特性の型をカテゴリーとし,文法的文を二つの事象の間に接続詞(whileやafter)を用いて付けられた複文構造とすることによって時間関係の構文とした.こうした文法は,その意味論においても次のような特化ができる.通常カテゴリー文法の意味論はモデル論的に与えられ,個体の集合をユニバースとするモデルで命題としての文の真偽値を与えるものである.本研究の時間関係の構文では,個体の集合に代えて時点の集合をユニバースとして,点と区間の包含関係から真偽値を決定する意味論を提示した.この意味論においては構文上’while’や’after’などで結ばれた関係も一様にサポートの関係で記述できる.この一様な記述を可能にしたのは事象オントロジーとパースペクティヴの定式化の仕方によるものである.

 本研究は実際に事例ベース推論を行なう前段階として,すなわち事例の形式化に到る過程として,自然言語の時間情報から取り出される時間関係の形式化を試みたものである.したがって,将来への研究の発展方向として,実際の事例記述とその上での類似性検証を目標に据える必要がある.しかしながら,この段階においては,もっと近いところに何点もの課題が残る.まず,本研究では時間関係ということにテーマを絞ったが,事例記述には他の様相の記述も求められる.すなわち,因果関係の概念,義務・可能の概念,そして知識と信念の概念などである.本研究からすぐ結びつくのは知識と信念をやはり状況理論的に解析することである.知識や信念,特に誰かの誤解と言ったものは,事件という大きな状況の中に作られた仮想の部分状況である.したがって本研究で行なった時間領域もこの部分状況の導入であり,この意味で同様な扱いが可能であることが期待できる.また,因果関係は歴史的に時間関係の解析とよく結びついて研究されてきている.実際,可能世界意味論を用いて因果関係を解析した研究例も多く報告されている.因果関係は判例による推論の中で最も重要な関係の一つであり,知識や信念の問題と同様,近い将来の研究課題と考えられる.

審査要旨

 本論文は「法的推論における時間関係の状況理論による形式化の研究」と題し,和文で六章から成る.

 法律と判例を形式化して法的判断を機械的に導く法的推論においては,まず事例記述における形式的表現が十全になされる必要がある.特に当該の事件の中で起きたさまざまな出来事が時間的にどのような関係にあるかを表現することは非常に重要であり,その後の推論結果にも影響する問題となる.さらにまた,事象間の時間関係は,単に物理的時間の位置関係だけでなく,事象間の因果関係の解釈や知識・信念のスコープなどにすべて関連する重要な問題である.

 現在までに,このような事象間の時間関係は,古典的な時間区間論理に基づき,多大な労力を要して手で書き下す必要があった.しかしながら事象を形式化する際に単純な時間区間を考えるのでは時間表現として抽象的になり過ぎ,事象間の微妙かつ複雑な関係を記述するのには不十分である.加えて,手作業による関係づけでは作業者による主観性を排除することができない.したがってより精緻な時間情報の記述の仕方が望まれると同時に,これらの時間的特性の連なりから推論できる時間関係があれば,関係の生成の一部自動化も可能となる.本論文では,各事象に言語理論に基づいたより精密な時間構造を与え,その時間構造の並び方から事象間の関係を自動的に導く方法を提案している.この方法では初期入力としては各事象に時間特性の型を与えておくことだけでよく,労力を圧倒的に削減できる上に,自然言語の表現に本来内在する時間の概念までを陽に形式化することになり,事象間関係を記述する手段としてより豊かな情報を提供できる点で優れている.

 以下,各章の概要を述べる.

 第1章は序論であり,本研究の背後にある法的推論の時間記述の問題を提起し,それに対する本研究の方法の概略を述べている.

 第2章では,状況推論による法的推論の形式化と題し,まず可能世界意味論とそこから展開される様相論理についての一般的な説明を行い,それらを発展させた理論として状況理論を導入している.次に一つの判例や法律の適用範囲などを状況として法的推論を形式化し,この枠組において事件や判例における事象間の時間関係を記述することを問題として提起している.

 第3章は時間表現の解析と題し,まず自然言語表現の中の時間の概念を状況理論的に解析している.次に事象のさまざまな時間特性を調べる目的で,自然言語の動詞の分類についてサーベイを行った後,どの事象にも共通に内在する事象オントロジーとそれに対するパースペクティヴ(見方)を定義し,それにより各動詞の時間特性をプロセス・状態・イベントなどに分類する定式化を行い,時制と相の解析を行った例を示している.

 第4章は時間関係の生成システムの提案である.前章で導入した事象の時間特性に基づき,二つの事象の間にデフォルトで成り立つと推測される関係を仮定し,それを規則として述べている.この規則は不適当な関係を導く可能性もあり,後処理として,あるいはさらに豊かな時間情報を付加する必要から,いくつかの状況推論規則について提案している.またこの章では,この推論過程をプログラムとして実装した結果についてもまとめられており,処理システムの概要を述べるとともに,実際司法試験に出た事件記述を例にとってその時間関係を自動生成した結果を示している.

 第5章は事象間関係の構文とその意味論とし,事象の型をカテゴリーとすることによって構文論としてカテゴリー文法を用い,事象間関係として複文構造を導く理論を構築している.このため,カテゴリー文法とその背後の推論規則であるラムダ計算系についてまとめ,第4章で導入した時間関係の規則について,その構文・形式言語・意味論をまとめている.

 最後の第6章は結論である.

 以上を要するに本論文は,事象オントロジーとパースベクティヴという概念から各事象の持つ時間特性の形式化を行い,これらが導き出す時点や時区間の間の関係をつけるためにデフォルト規則を導入し,事象群の関係を自動生成する枠組を提示したものである.これらの関係に対しては,さらに後処理として状況推論規則を用いることにより記述の精度を上げる提案もなされている.また以上の規則はカテゴリー文法と状況理論を用いて定式化され,意味論が与えられている.この時間関係の定式化は事象間関係の文法とも位置づけられ,言語の時間の意味論に寄与するものであるとともに,今後さらに本格的な法的推論へ適用するための基礎を築いたものということができ,情報工学に貢献するところが大きい.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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