学位論文要旨



No 212115
著者(漢字) 鈴木,宣弘
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ノブヒロ
標題(和) 生乳市場の不完全競争の実証分析
標題(洋)
報告番号 212115
報告番号 乙12115
学位授与日 1995.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12115号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荏開津,典生
 東京大学 教授 原,洋之介
 東京大学 教授 藤田,夏樹
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 助教授 生源寺,真一
内容要旨

 本研究では、日米の生乳市場を例にして、価格差別に着目し、推測的変動(conjectural variation)やconjectural elasticity、あるいは、よりマクロ的な指標としての「不完全競争性パラメータ」を定義して、市場の不完全競争の程度を量的に評価する。本研究は、産業組織論研究の流れの中では、structureconduct-performance paradigm(SCPP)による伝統的産業組織論に対するnew empirical industrial organization(NEIO)に位置づけられる。

 飲用向け生乳と加工向け生乳にはほとんど品質差がないにもかかわらず、飲用乳価が加工原料乳価より高いという関係(この格差を「飲用乳価差額」と呼ぶ)は、多くの国々で観察される。飲用乳価差額は輸送費に起因する格差以上に大きくなる可能性がある。このような「価格差別」が生じるのは、保存・輸送が困難で需要が非弾力的な飲用乳用途と、製品の保存・輸送が比較的容易で需要が弾力的な加工原料乳用途が存在する場合、相対的に、飲用乳販売量を制限し、飲用乳価を加工原料乳価より高く維持した方が総売上が増加するからである。

 飲用乳価および飲用乳販売量が、通常のような需要関数と供給関数の交点で決定されないということは、それを決める別の(=不完全競争の)メカニズムを何らかの形で数量的に把握しないかぎり、生乳市場の計量分析(例えば、牛乳販売促進事業の限界収益率の推定、加工原料乳の政策価格の引き下げの生乳需給への影響の評価等)は適切には行えないことを意味する。この問題を解決した分析は従来なかった。

 生乳市場の不完全性を量的に把握するために、まず、第1章で試みられるのは、完全競争、独占を両極端として、既存の伝統的寡占モデルであるCournot-Nash型寡占、Stackelberg型寡占等を仮定して、その場合の均衡飲用乳価を求め、既存の代表的寡占モデルの中に、我が国の生乳市場を近似しうるものがあるかどうかを探すという方法である。これによって、既存の寡占モデルでは、生乳市場を十分に近似できないことが判明する。それと同時に、既存の寡占モデルのように推測的変動にアプリオリな値を仮定する代わりに、現状の推測的変動を実際に推定することによって現状の不完全競争の程度を把握することが1つの解決の道であることが示唆される。

 第2章で、そのアイデアが具体化される。ここでは、日本の生乳市場の競争を北海道対都府県に代表させ、それぞれの推測的変動を推定することによって、日本の生乳市場の不完全競争の程度を量的に位置づける。推測的変動の推定値は、指定団体の行動が次第にprice-takerに近づいてきていることを示している。また、北海道と都府県の相互の相手の行動に対する推測と実際の相手の行動とを比較すると、双方がよりprice-takerに近づくという方向で、推測と相手の行動とがコンシステントになりつつあることがわかる。そして、加工原料乳の政策価格の引き下げの影響を不完全競争モデルにより推定することにより、従来のモデルによる保護削減の影響評価が過大である可能性を明らかにする。

 次に、第3章で、推測的変動を導入した生乳市場の不完全競争モデルのフレームワークの有効性を分析対象を変えて検証する研究を、牛乳普及事業の効果の推定に関して行なう。従来の研究は、飲用乳価あるいは飲用乳価差額が外生化されたモデルで牛乳普及事業の効果測定を行なっており、牛乳広告による飲用乳価の上昇が見込まれないという点で不十分なものであった。そこで、conjectural elasticityを導入した不完全競争モデルにより牛乳普及事業の効果を推定する方法を提案し、それによって従来の推定方法による牛乳普及事業の限界収益率の推定値は過小である可能性を指摘する。また、我が国の牛乳普及事業の限界収益率は大きく、事業費拡充の余地が大きい可能性を指摘する。

 続く第4章では、「不完全競争性パラメータ」を定義する。市場の不完全競争の程度を計量する研究に対して、互いの戦略の変更が考慮されないという批判があることを考慮し、推測的変動に関するミクロで動態的な定義と、ある産業の不完全競争性の集計的指標としてのマクロで静態的な定義とは別物であることを明確にする試みである。これは、米国生乳市場におけるはじめての不完全競争性の実証研究でもある。また、第2章、第3章とは異なる推定方法の導入により、統計学的検証のしやすい「不完全競争性パラメータ」の値を得ることが可能となる。さらに、米国飲用乳市場の不完全競争性に季節性(秋から冬に大きく春から夏に小さい)があることを明らかにする。

 もう1つの発展方向として、第5章では、第1章および第2章で、北海道対都府県という2地域区分で、一定の制約条件を課して解くことのできたモデルを、n地域間の不完全競争を取り扱えるように拡張・一般化する試みを行なう。このモデルにより、生乳市場の空間均衡分析において、従来未解決であった多くの問題が統一的に解決できることが示される。完全競争と独占(全国ボード)を両極として、地域ブロックボードを含む様々な寡占均衡における多地域間の生乳輸送量、価格を求めることが可能となる。現状の錯綜した地域間生乳移送は不完全競争により生じているのであり、その意味で地域間「競争」は完全競争より不完全競争において熾烈であることも示される。ウルグアイ・ラウンドが妥結し、今後、漸次加工原料乳の政策価格の引き下げが続くことが予想される中で、その生乳需給への影響を推定することが、ますます重要な課題となってきている。本研究の成果は、それを推定するための実践的モデルの構築に有効に活用されることが望まれる。

審査要旨

 市場経済の原則は1物1価である。しかるに生乳(搾乳業者の販売する未処理牛乳)に関しては,飲用仕向価格とチーズ・バター等乳製品に加工される原料乳の価格とが異なっており,前者の方が高い。これは日本においてのみならず,アメリカおよびヨーロッパの諸国を通じて広く観察される事実である。元来,牛乳は農産物の中でも最も品質格差の小さいものであり,1物1価の原則に従って然るべき商品であるにもかかわらず,事実はこれに反して1物多価となっている。これは何故か。

 本論文は,この問題に関して,新しい産業組織論の系列に属する不完全競争理論を応用して,経済学的に合理的な解決を与えんとしたものである。全体は序章とむすびを加えて7章から成っている。

 まず第1章では,上述の問題(飲用乳価差額の存在)が,従来型の不完全競争理論によって説明できるかどうかの検討にあてられる。申請者は,日本の生乳市場のデータに対して,Cournot-Nash型モデルおよびStackelberg型モデルを適用して,それらが有効である場合の均衡乳価を求めるが,得られた結果は,大きく現実とくいちがうものであった。すなわち,飲用乳価差額は,従来の不完全競争理論では説明できない。

 従来型理論の問題点は,不完全競争市場の構造パラメータ,特にいわゆるライバル企業の行動に関する推測的変動(conjectural variation)を先験的に所与とするところにあると,申請者は考え,推測的変動自体をデータから推定する方向で研究の発展を試みた。

 第2章では,まず日本の生乳市場を北海道と都府県というduopolyと想定した上で,それぞれの推測的変動を推定している。推定結果はよくデータに適合するもので,新しい試みの有効性を示した。更に加工原料乳不足払制度に関連して,従来モデルによる保護削減の影響評価が過大であることを明らかにした。

 第3章は,推測的変動のモデルを牛乳普及事業に応用したものである。牛乳販売における広告の効果の研究においては,従来の手法では飲用乳価差額を外生的に所与とするしかなかったが,推測的変動を用いることによって価格が内生化される。計測結果は,日本における牛乳普及事業の限界収益率がこれ迄の計測値に比較してかなり大きいことを示すものであった。

 第4章では,推測的変動の着想をより一般化し,マクロ・ダイナミックスの観点からする「不完全競争パラメータ」を定義し,それを用いてアメリカの牛乳市場の産業組織を分析する。アメリカの生乳市場は,Marketing Orderによる政策的干渉のもとにあるが,本研究は,新しい不完全競争理論によるアメリカ生乳市場の分析として最初のものであり,市場の不完全性の程度の経時変化について推定すると同時に,市場の不完全性に季節変動があることをも明らかにした。本研究は,新しい着想によるすぐれた実証分析として,アメリカ農業経済学会でも高く評価されている。

 第5章は,これまでの各章がduopolyを想定するものであったことから,生乳供給者の数を限定しないoligopolyの方向への拡張を試みたもので,従来のN地域空間均衡モデルに不完全競争の要因を持ち込もうとする野心的な研究である。計測は九州を4地域に分割したデータを用いて行われ,「二重構造不完全競争N地域空間均衡モデル」を二次計画問題として定式化した。これは,現在の錯綜した生乳市場構造に合理的な解釈を与える道を開くものであり,不足払制度などの政策運用に対しても示唆するところがある。

 以上を要するに,本研究は,生乳市場の1物多価という広く各国で観察される興味深い現象に対して最新の産業組織論の手法,ことに推測的変動の推定という方法を適用して分析を行ったものであり,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文にふさわしいものであると判定した。

UTokyo Repositoryリンク