学位論文要旨



No 212117
著者(漢字) 辻,典子
著者(英字)
著者(カナ) ツジ,ノリコ
標題(和) β-ラクトグロブリンに対する抗原特異的免疫応答に関する研究
標題(洋) Studies on β-lactoglobulin Specific immune response
報告番号 212117
報告番号 乙12117
学位授与日 1995.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12117号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 助教授 飴谷,章夫
内容要旨

 日本人が快適な生活を求め、衣食住すべてのスタイルを変化させてきたことに比例するようにアレルギー疾患が増え続けている。牛乳アレルギーなど食物アレルギーも小児を中心に多くの患者を悩ませており、予防法・治療法の確立が望まれている。β-ラクトグロブリン(β-LG)はウシをはじめヤギ、ヒツジなどの乳清中に含まれるが人乳中には含まれず、牛乳中最もアレルゲン性の高いタンパク質として古くから研究されてきた。

 タンパク質自身がアレルギー反応など免疫応答を制御する領域としてB細胞・T細胞エピトープがある。B細胞エピトープは抗体が結合する領域であり、アレルゲンタンパク質が肥満細胞上のIgE抗体を架橋して即時型アレルギーの症状を誘起する部位、または様々な分化過程にあるB細胞の表面イムノグロブリン(B細胞レセプター)に結合して効率良い抗原提示やB細胞へのシグナル伝達を促す部位としてその重要性が注目されている。B細胞エピトープがB細胞の活性化あるいは不応答化の鍵を握り、B細胞レパートリーを決定するとすれば、その解明の意義は大きい。

 T細胞エピトープも抗原特異的免疫応答に重要な役割を果たす。食物アレルゲンなど外来性の抗原タンパク質は生体内の抗原提示細胞(APC)のエンドソームに取り込まれた後酵素分解を受けてペプチド断片となるが、その中のいくつかにT細胞エピトープ部分は含まれている。MHCクラスII分子はこれらのペプチド断片と会合し、細胞表面に提示する機能分子であり、その複合体はT細胞レセプターを介して抗原特異的T細胞の活性化を促すこととなる。抗体産生をはじめとする外来抗原タンパク質に対する様々な免疫応答にはこのT細胞による抗原認識とその活性化が必須であり、T細胞エピトープの解明はアレルゲン特異的免疫応答制御のための基礎的知見として非常に重要である。

 さて外来抗原処理過程でMHCクラスII分子拘束的に活性化されるT細胞は多くの場合CD4+T細胞であり、それらは様々なサイトカインを産生したり様々な細胞と細胞間接触を行なうことにより抗体産生の補助、遅延型過敏症反応(DTH反応)の誘導など幅広い機能を発揮し、免疫応答を調節する。すなわちT細胞エピトープを介したT細胞の活性化は、IgE産生を介して即時型アレルギー反応に関わるのみならず、IgE以外の抗体産生・マクロファージや好酸球等の集積など幅広い生体内変化に関わり、遅発型・遅延型または慢性のアレルギー症状にも関与するとされる。

 個々のT細胞が免疫応答の際に、抗原濃度・介在サイトカイン・近隣の細胞との相互作用など微小環境条件に応じて機能を発揮し、特定の抗原に対してバランスのよい免疫応答を導こうとするとの考えは魅力的である。微小環境を変化させることによりT細胞機能のスペクトルを調節し、炎症局所における抗体産生や細胞の集積も制御する道が拓かれることが期待される。各細胞の多機能性を問うこれらの解析には、抗原特異的CD4+T細胞クローンが有用である。

 本研究ではβ-LGをモデルタンパク質として選び、合成ペプチドを用いてマウス・家兎・山羊におけるB細胞エピトープ、3系統のマウスにおけるT細胞エピトープの解析を行なった。また、βLG特異的CD4+T細胞クローンを樹立し、それらを用いてエピトープ特異的T細胞・B細胞間相互作用、抗原特異的抗体産生応答の制御や遅延型過敏症反応の誘導など、抗原特異的免疫応答の機構解析を行なった。

【第1部第1章B細胞エピトープの限定化】

 β-LGで免疫したICRマウス、家兎、山羊の血清および3動物種に共通するβ-LGの主要抗体結合領域22-56、72-86、119-133、149-162残基目のアナログペプチドを用いた。ELISAを用いた免疫吸収法により同血清中抗β-LG抗体の詳細な結合部位(B細胞エピトープ)を調べたところ、ポリクローナル抗体を用いたにも関わらずほとんどのエピトープ領域が5-7アミノ酸残基まで限定化された。このことはβ-LG分子上動物種を通じて認識され易い領域のなかでも特に抗体の接近が容易な部分があり、その部分に高い特異性を持つB細胞のみが選ばれてきたことを意味している。同じ領域内においても動物種間では微妙に異なる部位がB細胞エピトープとして認識されており、各動物種に固有のB細胞レパートリーの影響あるいは各ハプロタイプのT細胞エピトープとB細胞エピトープとの位置関係の影響等を強く受けた結果と考えられた。

【第1部第2章T細胞エピトープの解析】

 抗原提示細胞内で生成したT細胞エピトープを含むペプチドは、アグレトープ部分でMHCクラスII分子と複合体を形成した後抗原提示細胞の表面に提示され、T細胞エピトープ部分を介して抗原特異的T細胞を活性化する。β-LGの全領域をカバーする合成部分ペプチドを用い、H-2ハプロタイプの異なる3系統のマウスBALB/c(H-2d)、C3H/He(H-2k)、C56BL/6(H-2b)におけるT細胞エピトープの検索を行なった。β-LGで免疫したマウスのリンパ節細胞を採取し、ペプチド抗原存在下の増殖活性を3H-チミジンの取り込みを指標として測定した結果、BALB/cマウスはペプチド42-56、62-76、139-153を、C57BL/6マウスはペプチド11-26、72-86、100-113、119-133を、C3H/Heマウスはペプチド72-86、91-104、129-143、139-153をそれぞれ認識して増殖した。同定されたT細胞エピトープ領域はハプロタイプの異なる系統のマウス間で異なっており、唯一、ペプチド139-153がBALB/c(H-2d)とC3H/He(H-2k)に共通して認識された。このことは、各ハプロタイプのMHCクラスII分子の多型性により異なるペプチドフラグメントが提示された結果である他、各系統間で準備されているT細胞レパートリーが異なることも大きく影響していると考えられた。

【第2部第1章β-LG特異的T細胞クローンの樹立】

 β-LGに特異的なT細胞の抗原認識とそれに伴う免疫応答を解析することを目的とし、β-LG特異的CD4+T細胞クローンを樹立してそれらの表面抗原、MHCクラスII分子拘束性、T細胞エピトープの解析を行なった。β-LGで免疫したBALB/cマウスのリンパ節および脾臓細胞を採取しin vitro抗原刺激を繰り返すことによってβ-LG特異的T細胞ラインを得た後、同細胞群から限界希釈法によりクローンを樹立した。β-LGに特異性を示すCD4+T細胞4クローン(H1.1、5G、2.11G、6.11G)を得た。これらはいずれもMHCクラスII分子の内I-Ad分子拘束的にβ-LGを認識して増殖した。特にH1.1および5GはBALB/cマウスにおける主要T細胞エピトープ42-56残基目を認識することから、in vivoにおけるβ-LGおよびβ-LG由來のペプチドフラグメントに対する免疫応答をよく反映すると期待される。すなわちこれらT細胞クローンはβ-LG特異抗体産生をはじめとする免疫応答に関わるT細胞・B細胞協同作用をin vitroで詳細に解析し、T細胞・B細胞エピトープフラグメントが果たす役割を一層深く理解するための有用な材料であると考えられた。

【第2部第2章T・Bエピトープペプチドがin vitro抗体産生に及ぼす影響】

 B細胞は、細胞表面に抗原特異性を持つB細胞レセプターを表現している。B細胞レセプターの最も重要な機能は、抗原を効率よくとらえてプロセシングの経路に乗せることであると考えられているが、一方ではB細胞レセプターからのシグナル自体がB細胞の増殖に関わるという現象も示されている。ここでは一次構造上離れた部分のB細胞エピトープペプチド22-36とT細胞エピトープペプチド42-56を用いることによりプロセシングの過程を省略し、B細胞レセプターとT細胞からのシグナルを分離させて解析した。B細胞群はβ-LGで免疫したBALB/cマウスの脾臓細胞より調製し、T細胞はT細胞クローンH1.1を用いた。その結果ペプチド42-56はH1.1を活性化することにより単独でB細胞群の抗体産生を促した。また、ペプチド22-36はT細胞エピトープの存在下で抗ペプチド22-36抗体の産生を増強させた。すなわちB細胞エピトープフラグメントは単独では抗体産生に影響を及ほさないものの、T細胞エピトープフラグメントの存在下という条件の下で抗体産生を増強することが示された。

【第2部第3章β-LG特異的T細胞クローンの複合的機能解析】

 CD4+T細胞は複数のサイトカインや細胞間接触を通じて様々な機能を発揮し、生体防御反応や炎症反応を制御している。β-LGなど食物アレルゲンに対する抗原特異的免疫応答を解析する際にも、抗体産生の補助・抑制、炎症の誘起や持続に関わる機能を解析することにより、アレルギー発症のしくみや消化管・皮膚などのアレルギー症状について免疫学的理解が深まると考えられる。特に炎症反応とその遷延化におけるCD4+T細胞の役割は大きいとされ、様々なアレルギー症状の緩和もCD4+T細胞を制御することにより可能となる場合も考えられる。ここではβ-LG特異的T細胞クローン4株についてそれらの多機能性をサイトカイン産生能、抗体産生補助機能、細胞傷害活性、遅延型過敏症反応(DTH反応)の誘導活性を指標に検討した。サイトカイン産生能はサイトカイン依存性細胞株を用いたバイオアッセイ、ヘルパー機能はin vitro抗体産生系、細胞障害機能は標的細胞からの3H-チミジンの遊離、DTH反応はマウス足しょの浮腫反応をそれぞれ指標として解析した。その結果、2.11Gと6.11Gは比較的高い細胞傷害活性とDTH反応誘起能からTH1型であり、5Gは高い抗原特異的ヘルパー活性と低いDTH反応誘起能からTH2型であると考えられた。H1.1はその中間的な機能を示した。

【第2部第4章CD4+T細胞クローンによる抗原非特異的抗体産生の促進と抗原特異的抗体産生の抑制】

 T細胞クローンが多機能的に働くとすれば、実際の免疫応答の場において各々の機能は協同的・相乗的あるいは拮抗的に作用して生体内の変化を決定すると考えられる。本章では、BALB/cマウスの脾臓B細胞群において、活性化H1.1が多機能的に誘導または抑制する抗体応答を観察した。活性化H1.1は、未処理およびβ-LG免疫マウス由来の脾臓B細胞群において抗原非特異的に抗体産生を誘導した。高濃度のβ-LG抗原存在下では抗原特異的な抗体産生は抑制され、その傾向はβ-LGで免疫したマウス由来の細胞群において特に顕著であった。51Cr遊離法による細胞傷害試験の結果、抗体産生抑制の一因としてH1.1の細胞障害作用が関与していることが示唆された。単一T細胞クローンが抗原濃度に応じてin vitroで多機能的に働き、抗原特異的抗体産生を促進・抑制の両方向に制御する事象が示されたことより、生体における一個のT細胞の機能も、弾力性を持って発現されると推測される。すなわち抗原濃度、サイトカイン、他の細胞との接触など微小環境の条件によって各細胞の機能、ひいては免疫応答が方向付けられると考えられた。

 以上、本研究第1部では牛乳アレルゲンであるβ-LGのB細胞・T細胞エピトープを詳細に解析した。第2部ではβ-LG特異的T細胞クローンを樹立してその機能解析を行なった。また、T細胞クローンを用いた免疫応答のin vitroモデル系においてT細胞・B細胞エピトープフラグメントの機能について新たな知見を得、さらに単一T細胞クローンも微小環境に応じて多機能的に免疫応答の調節を行ない得ることを示した。

 本研究で得られた知見は、低抗原性化β-LGの分子設計等に役立つばかりでなく、広くβ-LGあるいは他抗原により引き起こされるアレルギー症状や免疫応答の基礎的知見として活用されることが期待される。また、本研究で得られたβ-LG特異的T細胞クローンおよび解析された多機能性は、今後もアレルギー症状における炎症反応等新しい情報を得るための有用な道具となることが期待される。

審査要旨

 牛乳アレルギーは小児を中心に多くの患者が見られ,その予防法・治療法の確立が望まれている。β-ラクトグロプリン(β-LG)はウシをはじめヤギ,ヒツジなどの乳清中に含まれるが,人乳中には含まれないため異種性が高く牛乳中最もアレルゲン性の高いタンパク質である。

 本論文ではこのβ-LGのアレルギー発症における役割を明らかにするため,その合成ペプチドを用いてマウス・家兎・山羊におけるB細胞エピトープ,3系統のマウスにおけるT細胞エピトープの解析を行った。またβ-LG特異的CD4+T細胞クローンを樹立し,それらを用いてエピトープ特異的T細胞・B細胞間相互作用,抗原特異的抗体産生応答の制御や遅延型過敏症反応の誘導など,抗原特異的免疫応答の機構解析を行った。

 第1部第1章においてはB細胞エピトープの限定化について述べた。β-LGで免疫したマウス,家兎,山羊の血清および3動物種に共通するβ-LGの主要抗体結合領域のアナログペプチドを用いた。免疫吸収法により同血清中抗β-LG抗体の詳細な結合部位(B細胞エピトープ)を調べたところ,ポリクローナル抗体を用いたにもかかわらずほとんどのエピトープ領域が5〜7アミノ酸残基まで限定化された。このことはβ-LG分子上動物種に関係なく抗体の接近が容易な部分があり,その部分に高い特異性をもつB細胞のみが選ばれてきたことを意味している。同じ領域内においても動物種間では微妙に異なる部位がB細胞エピトープとして認識されており,各動物種に固有のB細胞レパートリーの影響あるいは各ハプロタイプのT細胞エピトープとB細胞エピトープとの位置関係の影響等を強く受けた結果と考えられた。

 第1部第2章においてはT細胞エピトープの解析について述べた。β-LGの全領域をカバーする合成部分ペプチドを用い,H-2ハプロタイプの異なる3系統のマウスBALB/c(H-2d),C3H/He(H-2k), C56BL/6(H-2b)におけるT細胞エピトープを決定した。

 第2部第1章においてはβ-LG特異的T細胞クローンの樹立について述べた。β-LGに特異的なT細胞の抗原認識とそれに伴う免疫応答を解析することを目的とし,β-LG特異的CD4+T細胞クローンを樹立してそれらの表面抗原,MHCクラスII分子拘束性,T細胞エピトープの解析を行った。β-LGで免疫したBALB/cマウスのリンパ節および脾臓細胞を採取し限界希釈法によりクローンを樹立した。β-LGに特異性を示すCD4+T細胞4クローン(H1.1,5G,2.11G,6.11G)を得た。これらはいずれもMHCクラスII分子の内I-Ad分子拘束的にβ-LGを認識して増殖した。

 第2部第2章においてはT・Bエピトープペプチドがin vitro抗体産生に及ぼす影響について述べた。ここではT細胞クローンのβ-LG特異抗体産生をはじめとする免疫応答に関わるT細胞・B細胞共同作用をin vitroで詳細に解析し,T細胞・B細胞エピトープフラグメントが果たす役割を研究した。その結果,B細胞エピトープフラグメントは単独では抗体産生に影響を及ぼさないものの,T細胞エピトープフラグメントの存在下で抗体産生を増強することが示された。

 第2部第3章においてはβ-LG特異的T細胞クローンの複合的機能を解析した。β-LG特異的T細胞クローン4株についてそれらの機能性をサイトカイン産生能などを指標に検討した。その結果,2.11Gと6.11Gは比較的高い細胞傷害活性とDTH(遅延型過敏症)反応誘起能からTH1型であり,5Gは高い抗原特異的ヘルパー活性と低いDTH反応誘起能からTH2型であることを明らかにした。H1.1はその中間的な機能を示すことを明らかにした。

 第2部第4章ではCD4+T細胞クローンによる抗原非特異的抗体産生の促進と抗原特異的抗体産生の抑制はついて述べた。ここでは,単一T細胞クローンH1.1が抗原濃度に応じてin vitroで多機能的に働き,抗原特異的抗体産生を促進・抑制の両方向に制御することを明らかにした。

 以上,本論文は牛乳アレルゲンであるβ-LGのB細胞・T細胞エピトープを詳細に解析し,β-LG特異的T細胞クローンを樹立してその機能解析を行い,T細胞・B細胞エピトープフラグメントの機能について新たな知見を得,さらに単一T細胞クローンも微小環境に応じて多機能的に免疫応答の調節を行い得ることを示したもので学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50924