学位論文要旨



No 212118
著者(漢字) 木村,利昭
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,トシアキ
標題(和) ストリングチーズにおけるカゼインサブミセルの構造に関する電子顕微鏡的研究
標題(洋)
報告番号 212118
報告番号 乙12118
学位授与日 1995.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12118号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 中村,厚三
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 飴谷,章夫
内容要旨

 本論文は、繊維状組織を発現するストリングチーズにおいて、乳蛋白質カゼインの主要構成成分であるカゼインサブミセルによってつくられる構造の発現機構、およびカゼインの構造に関する電子顕微鏡的研究である。

 ストリングチーズは、モザレラチーズのカードを温水中で混練し、さらに延伸して成形する。得られたチーズは、手で裂くとその断面に、繊維状組織を有する。このような特異的な組織は、他のナチュラルチーズにはないストリングチーズのだけに見られる特徴である。

 繊維状組織の発現の概念について、Kosikowskiは次のように考察している。すなわち、カード中のスターター由来の乳酸菌の酸生成により、生乳中のカゼインと同じ成分であるジカルシウムカゼインは、モノカルシウムカゼインに変化する。モノカルシウムカゼインは、温水中で混練すると可塑性のプラスチッカードになり、このカードが延伸可能な性質を持つと説明している。しかし、ジカルシウムカゼインやモノカルシウムカゼインの詳細に関しては不明であり、繊維状組織を発現する機構も明らかにされていない。

 本研究では初めに、ストリングチーズの繊維状組織発現機構の解明を目的とし、ストリングチーズのマクロ構造を観察した。

1.ストリングチーズのマクロ構造

 ストリングチーズの構造を走査電子顕微鏡と光学顕微鏡を用い、組織化学的方法で観察した。その結果、ストリングチーズを構成する蛋白質は、延伸操作により、光学顕微鏡では一見、延伸方向に繊維状に延伸しているように観察された。しかし、その部位を走査電子顕微鏡で観察すると、蛋白質は層状であり、その蛋白質の間に脂肪球と遊離した水が配列していた。ストリングチーズ横断面の観察結果から、蛋白質は連続であり、一般の繊維にみられる1本の糸のような、独立した形態ではなかった。

 以上の結果から、ストリングチーズを裂いた断面に見られる繊維状組織は、層状に伸長した束縛力の強い蛋白質間に存在する脂肪、水の部分が、裂いた時の弱い力で開裂し、同時に蛋白質部分は延伸方向に沿って引きちぎれることなく、細く繊維状に分けられ発現するものと考えた。

2.ストリングチーズカードの動的粘弾性

 前章の結果から、ストリングチーズの繊維状組織の発現は、束縛力の強い蛋白質の存在に起因すると考えられるので、ストリングチーズカードの力学物性を測定した。

 ストリングチーズカードのpHを6.0〜4.9まで変えた4種類のチーズカードについて、温度、周波数を変えて動的粘弾性を測定し、蛋白質相の束縛状態に及ぼすpHの影響について考察した。

 動的弾性率、動的損失の温度分散からマスターカーブを合成し、そのシフトファクターをArrheniusプロットした勾配は、直線になり温度時間換算則が適用でき、見掛けの活性化エネルギーを算出した。カードの動的弾性率、見掛けの活性化エネルギーとpHの関係は、各々pH5.2と5.5で最高値を示した。

 このpH範囲は、ストリングチーズ製造時の延伸最適条件とほぼ一致していた。このpH範囲における蛋白質連続相は、蛋白質連続相を構成するカゼイン粒子の相互作用に基づくものと考えた。そして、この相互作用はストリングチーズ製造過程で生じるpHの低下によって、蛋白質に結合する無機成分量が変化するために起きると推定した。

 そこで、乳の無機成分量とカゼインの構造の関係および乳中のカゼインの最小存在単位について知るために、脱脂乳を用い無機成分を脱塩によって減少させ、その時のカゼインミセルの形態変化をしらべた。

3.脱脂乳中のカゼインミセルの形態変化に及ぼす無機成分の影響とカゼインサブミセルの内部構造

 脱脂乳中の無機成分を脱塩し、その過程における無機成分含量とカゼインミセルの形態変化を考察した。脱脂乳の脱塩過程は、カゼインに結合するカルシウムとリンのmol比に着目すると次の3段階に分けて考えることができた。

 第I段階はCa/P比1.3〜1.0、第II、第III段階は各々Ca/P比1.0および1.0未満がである。第I〜IIIの各脱塩過程で次のような変化があった。第I段階は乳中にイオン状で存在していた無機成分が脱塩された。第II段階はカゼインに結合していた無機成分が解離し、それに伴いカゼインミセルからサブミセルが解離した。この時、カゼインミセルの大きさは濁度、電子顕微鏡、超遠心分離のいずれの測定でも減少した。この時、コロイド相はサブミセルが増加し、それに伴いカルシウム、リン量が増加した。第III段階は、カゼインに結合していた、わずかに残ったカルシウムが脱塩されたが、リンは脱塩されずに残り、Ca/P比は1.0未満になった。

 以上のように乳中の無機成分が減少すると、カゼインミセルがサブミセルに解離し、無機成分のうちではカルシウムとリンの減少量が、カゼインミセルの解離と密接な関係があり、カゼインミセルの構造は、サブミセルが無機成分を介して凝集していることが示唆された。

 さらに、サブミセルの内部構造が電子顕微鏡でどこまで詳細に把握できるかを目的に、脱脂乳を脱塩して得たサブミセルを試料とし研究した。

 サブミセルを含む脱脂乳を固定後乾燥し、アルゴンイオンビームスパッタリング法で、サブミセルの内部構造を露出させ、透過電子顕微鏡で観察した。その結果、サブミセルには、規則的な構造は存在せず、球状もしくはロッド状構造物が鎖状に繋がっていた。ロッド状物の幅は、サブミセル表面で1nm、内部で2nmであった。ここで観察できたロッド状物は、ペプチド鎖の一端であると推定した。

 これらのことからサブミセルは、ペプチド鎖がランダムに折りたたまれたロッド状の粒子が連なり、それが糸毬状になって1個のサブミセルを形成していると考えた。また、サブミセル表面にはペプチド鎖の親水性側鎖の領域が多く存在し、内部には疎水性側鎖の領域が存在する確率が高くなることから、表面のロツド状構造物は小さく、内部のそれは大きいなものになると考えた。

4.ストリングチーズのサブミクロ構造とそのpH依存性

 次に、ストリングチーズ蛋白質の最小構成単位およびそれによって構成される構造とpHの関係を、pH4.9〜6.0のカードを延伸したチーズの電子顕微鏡観察とカゼイン結合性カルシウム、リン含量を測定し検討した。

 ストリングチーズの蛋白質連続相は、pH5.2と5.5で直径10nmのパラカゼイン・サブミセル粒子が糸状に繋がり、網目構造を形成していた。この構造は、ステレオ観察により明瞭に把握することができた。また、延伸の至適pHである5.4〜5.2になると、カゼインに結合するカルシウム、リン量が減少し、Ca/Pのmol比は約1になり、脱脂乳脱塩過程のCa/Pのmol比の変化と同じ傾向を示した。

 網目構造形成の因子と考えられるpH値とカゼインに結合するCa/Pmol比のどちらが支配的であるかを知るために、脱塩脱脂乳から高pH、低カルシウム、リン含量のチーズカードを作り延伸した。その結果、カゼインに結合するカルシウム、リンのmol比が約1のカードであれば、pHが高い値でも通常のストリングチーズカードと同じように延伸が可能で、良好な繊維性が得られた。このことから、pHは単にストリングチーズ製造上の操作因子であり、カゼインに結合するCa/Pmol比がより重要な因子であることが分かった。

 カゼインに結合するCa/P比が約1で網目構造が形成される理由は、Ca,P比が変化することによりカゼイン粒子の結合サイトが変化し、その結果、カゼイン粒子間の疎水性相互作用が増加するためと考えた。

5.熱溶融性の異なるプロセスチーズのサブミクロ構造

 ナチュラルチーズを原料として造られるプロセスチーズにおいて、加熱すると流動する熱易融性プロセスチーズ(ソフトタイプ)と易融性のないプロセスチーズ(ハードタイプ)の微細構造を電子顕微鏡観察し比較した。

 ソフトタイプの蛋白質は、ほとんどが単独粒子として存在し、その大きさはカゼインサブミセルと同様な値で、超薄切片法で20〜25nm、凍結割断法で10〜15nmであった。一方、ハードタイプの蛋白質粒子は、ソフトタイプよりやや小さく、糸状につながった網目構造を形成していた。

 この結果から、蛋白質連続相中の網目構造の有無が、チーズを加熱した時の流動性に違いをもたらす原因と考えた。また、この網目構造はプロセスチーズ製造時に添加する融解塩の種類の違いによるものと推定した。

 プロセスチーズにおいても、サブミセル様粒子の存在形態がプロセスチーズの性質、ここでは熱的物性に大きく影響していることが分かった。

 以上のように、チーズの存在する10〜20nmのパラカゼイン・サブミセルは、結合する無機成分の変化に伴って、網目構造が形成され、ストリングチーズでは可塑性になり、延伸が可能になり、また、プロセスチーズでは熱易融性が変化した。

審査要旨

 ストリングチーズは、特定のpH値になったカードを温水中で混練し、さらに延伸して成形する。得られたチーズは、手で裂くとその断面に繊維状組織を有することが特徴である。このような組織は、他のナチュラルチーズにはなくストリングチーズだけに見られる特徴である。日本国内では1981年から製造販売され、年間1000tを越える生産量になっている。しかしながら、繊維状組織を究現する機構については明らかにされていない。そこで、本論文は、ストリングチーズの主要構成成分である乳蛋白質カゼインに着目し、カゼインサブミセルによってつくられる構造と繊維状組織発現の関連性、およびカゼインの構造に関する電子顕微鏡的研究である。全体は7章からなり、第1,2章で各々緒論、研究史を述べている。

 第3章では、ストリングチーズのマクロ構造を走査電子顕微鏡と光学顕微鏡を用い、組織化学的方法で観察した。その結果、ストリングチーズを構成する蛋白質は、延伸操作により、光学顕微鏡では一見、延伸方向に繊維状に延伸しているように観察されたが、その部位を走査電子顕微鏡で観察すると、蛋白質は連続した層状であった。一般の繊維にみられる1本の糸のような、独立した形態ではなかった。この結果から、ストリングチーズを裂いた断面に見られる繊維状組織は、層状に伸長した束縛力の強い蛋白質の間に存在する脂肪、水の部分が、裂いた時の弱い力で開裂し、同時に蛋白質部分は延伸方向に沿って引きちぎれることなく、細く繊維状に分けられることにより発現するものと考えた。このことは、束縛力の強い蛋白質の存在が繊維状組織の発現の要因であることが示唆された。

 そこで、第4章ではストリングチーズカードの力学物性を測定した。ストリングチーズカードのpHを6.0〜4.9の間で4種類のチーズカードをつくり、温度、周波数を変えて動的粘弾性を測定し、蛋白質相の束縛状態に及ほすpHの彩響について考察した。貯蔵弾性率、損失弾性率の周波数分散からマスターカーブを合成し、そのシフトファクターをArrheniusプロットした勾配は、直線になり温度時間換算則が適用でき、見掛けの活性化エネルギーを算出した。カードの貯蔵弾性率、見掛けの活性化エネルギーとpHの関係は、各々pH5.2と5.5で最高値を示した。このpH範囲は、ストリングチーズ製造時の延伸最適条件とほぼ一致しており、このpH範囲における蛋白質連続相は、強い束縛状態にあることがわかった。そして、この相互作用はストリングチーズ製造過程で生じるpHの低下によって、蛋白質に結合する無機成分量が変化するために起きると推定した。

 そこで、第5章では乳の無機成分量とカゼインの構造の関係について知るために、脱脂乳の無機成分をイオン交換膜電気透析法て脱塩し、その時のカゼインミセルの形態変化を調べた。脱脂乳の脱塩過程は、カゼインに結合するCa/Pmol比に着目すると、Ca/P比は初期値1.3が1.0を経て1.0未満になった。この間、カゼインミセルの大きさは濁度、電子顕微鏡、超遠心分離のいずれの測定でも減少した。カゼインミセルは、乳中の無機成分が減少するとサブミセルに解離し、特にカルシウムとリンの減少量が、カゼインミセルの解離と密接な関係があった。

 第6章ではストリングチーズの蛋白質のサブミクロ構造に注目し、そのpH依存性について考察した。ストリングチーズの蛋白質連続相は、延伸の至適pHでパラカゼイン・サブミセル粒子が糸状に繋がり、網目構造を形成していた。また、同じpHでカゼインに結合するCa/Pのmol比は約1になり、脱脂乳脱塩過程のCa/Pのmol比の変化と同じ傾向を示した。そこで、網目構造形成の因子と考えられるpH値とカゼインに結合するCa/Pmol比のどちらが支配的であるかを知るために、脱塩脱脂乳から高pHでCa/Pのmol比の異なるチーズカードを作り延伸した。その結果、カゼインに結合するCa/Pのmol比が約1のカードであれば、pHが高い値でも延伸が可能で、良好な繊維性が得られた。このことから、pHは単にストリングチーズ製造上の操作因子であり、カゼインに結合するCa/Pmol比がより重要な因子であることを究明した。

 第7章では熱溶融性の異なるプロセスチーズのサブミクロ構造を観察し、プロセスチーズ製造時に添加する融解塩の種類の違いによって、パラカゼイン・サブミセル相互の結合による網目構造が形成され、それが易融性の有無につながる要因であることを発見した。

 以上のように、チーズに存在するパラカゼイン・サブミセルは、pHの変化あるいは加える塩類の組成により、その相互作用が変化し、ストリングチーズては延伸が可能になり繊維性を発現する構造に変化し、また、プロセスチーズでは熱易融性が変化した。このように本論文は学術上、応用上貢献するところが多く、よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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