<緒言> 屠畜場から廃棄される血液蛋白質などを食品素材として有効利用することが社会的に要求されている。利用を推進するには、蛋白質の乳化特性などの機能特性を解明し、特性を活用した利用方法を開発しなければならない。さらに、特性発現に関わる蛋白質の構造的要因を明らかにし、特性改善を系統的に行えるようにする必要がある。 蛋白質の乳化特性に関与する構造的要因としては、疎水性と構造の柔軟性が考えられている。そこで、構造的に多様性に富む数種類の乳蛋白質を対象とし、これらの要因と乳化特性との関係について検討した。次に血清アルブミンとプロテオースペプトンの2種類の蛋白質について、蛋白質分子中の乳化に関与する部位の同定やその部位の構造的特徴について具体的に検討した。最後に、本研究で得られた知見をもとにペプチドのデザインとその化学合成を試み、知見の検証を行った。 このような蛋白質の構造と機能特性発現との関係に関する知見は、発展しつつある蛋白質工学的手法を用いて、食品蛋白質のアミノ酸残基の置換などを行うことを通して特性改善を計る場合にも重要であると考えられる。 <第1章 蛋白質の疎水性および構造の安定性と乳化特性の関わり> 乳化の際に起こる蛋白質の脂肪球への吸着は、主に疎水的相互作用によると考えられるので、蛋白質の表面疎水性は重要な要因と考えられてきた。しかし、5種類の乳蛋白質(-ラクトグロプリン(-Lg)、-ラクトアルブミン、血清アルブミン(BSA)、s1-カゼイン、-カゼイン)を用いて蛍光プローブ法で表面疎水性を測定した結果、これらの蛋白質の乳化活性と表面疎水性との間には相関は認められなかった。カゼインのような非球状蛋白質の表面疎水性値は低く、-LgやBSAのようにプローブの特異的な結合部位のある蛋白質は極めて高い表面疎水性値となった。また、疎水性クロマトグラフィー・炭化水素の蛋白質溶液への溶解性・疎水性分配法の各方法で評価した疎水性値と乳化活性の間にも相関が認められなかった。 蛋白質は脂肪球表面で界面変性することが必要であることから、蛋白質の構造は変性しやすいほど乳化に有利であると考えられる。そこで蛋白質の変性剤や加熱処理に対する安定性、酵素分解に対する安定性を評価し、乳化活性との関係を検討した。-Lgについて検討した結果、pHが酸性領域では構造の安定性が増し、このことが乳化活性の低下に関与していると考えられた。また-LgのS-S結合の還元などによって構造の安定性を低下させると、乳化活性が向上することが示された。BSAについては、これに脂肪酸を結合させた影響について検討した。この場合は、蛋白質の構造は安定化するのに対し、乳化活性は向上していた。 蛋白質の疎水性や構造の安定性が乳化特性発現に関与する要因の一つであることは推定されたが、このような蛋白質分子全体をとらえる概念は、多種類の蛋白質の性質を比較する上で限界があるばかりでなく、個々の蛋白質の乳化特性の変化を解釈する場合にも限界が認められた。 <第2章 血清アルブミンおよびその限定分解物の乳化特性> 蛋白質の脂肪球への吸着部位の詳細な構造は不明の点が多く、蛋白質の乳化特性に関して、一次・二次構造に基づく検討が必要であると考えられる。そこで、構造に関して多くの情報が得られているBSAを材料として、これをプロテアーゼによって分解し、分解物の乳化活性の変化を測定すると共に、脂肪球表面へ吸着している成分を分離し、その構造を決定することで、乳化特性発現に関与する構造について検討を進めた。 BSAをトリプシンで加水分解すると、分解物の乳化活性は分解前よりも高くなった。この分解で分子量が約24kDaの分解物(24kDaペプチド)が生成し、これが脂肪球表面に選択的に吸着していた。また分子量2kDaから8kDaのペプチドの吸着もキャピラリー電気泳動の結果確認された。24kDaペプチドはそれ単独では乳化活性は低く、他の低分子ペプチドとの相互作用によって相乗的に乳化活性が向上することが示された。 24kDaペプチドが選択的に脂肪球へ吸着する原因の解明を進めた。24kDaペプチドがBSA分子のどの部位に相当するかを同定したところ、これは387から582残基に相当するものであった。疎水性クロマトグラフィーによる疎水性の評価の結果、この部位の疎水性は高く、これが高い吸着性の一要因と考えられた。この部位は-ヘリックス構造を含むことが報告されているが、これは疎水性基と親水性基が局在する両親媒性構造をとるものと考えられた。このような両親媒性のへリックス構造が優れた吸着性を発現する上で有利であることが推測された。 <第3章 プロテオースペプトンおよびその限定分解物の乳化特性> プロテオースペプトン(PP)は乳蛋白質中の熱に安定で酸に可溶な画分である。この乳化特性について検討した結果、乳清蛋白質よりも優れた乳化活性や乳化安定性を持つことが示され、さらにPPで調製したエマルションは、加熱処理に対して安定で、脂肪球はリパーゼの作用を受けにくいという特徴が認められた。 脂肪球がリパーゼによる分解を受けにくい原因は、PPの脂肪球への高い吸着性に起因することが考えられた。脂肪球表面への吸着成分の分析を行ったところ、PP画分中の分子量が約30kDaの2種類の糖蛋白質が選択的に吸着していることが示された。 PPは電気泳動的に4つのコンポーネントからなるが、この内コンポーネント3は糖蛋白質を含んでいる。そこでPPからコンポーネント3を精製し、さらにゲル濾過法によって、ラクトフォリン(LP)を調製した。脂肪球へ選択的に吸着する糖蛋白質の同定を行ったところ、これはLPであることが示された。 LPはアミノ酸135残基からなるが、この一次構造には疎水性アミノ酸が局在している領域は認められなかった。しかし、C末端側の101から135残基がヘリックス構造を形成すると仮定すると、この部分に極めて明確な両親媒性が出現することが明かとなった。このことから、LPの脂肪球への優れた吸着性には、C末端の部分が関与していることが予想される。そこでLPの101Met残基のカルボキシル側を臭化シアンで切断してこの部位を除去した試料を調製した。C末端の除去により乳化活性および脂肪球への吸着性の低下が認められ、この部位が乳化において重要な役割を果たすことが示された。 以上の結果から、蛋白質中に存在する両親媒性のヘリックス構造は、脂肪球表面へ吸着する際に有利な構造であり、乳化の際に重要な役割を果たすことが示唆された。 <第4章 両親媒性を利用した乳化性ペプチドのデザインおよび合成> 多くの蛋白質分子内に両親媒性のヘリックス構造が存在することが知られており、このような構造が蛋白質が脂肪球に吸着する場合の主要な結合部位にあたることが前章までの結果から予想された。そこで、両親媒構造を持つようなペプチドをデザインし、これを合成してこの構造の乳化における働きを検討した。 ロイシンおよびグルタミン酸各8残基からなり、配列が異なる3種類のペプチドを合成した。各ペプチドについて、pH5.5とpH7.0において、円偏光二色性スペクトルから二次構造を推定し、また各条件下で表面圧の経時変化、乳化活性および脂質結合性を測定した。その結果、両親媒性のヘリックスまたはシート構造を形成する条件下ほどペプチドは高い界面活性を有し、乳化活性・脂質結合性も優れていた。このように、両親媒性の-ヘリックスと-シート構造はペプチドが乳化特性を発現する際に有利な構造であることが明かとなり、このことは蛋白質中の両親媒構造の部位が乳化特性発現に重要であるという考えを支持するものである。 <まとめ> 蛋白質の乳化特性発現に関与する要因を検討した。蛋白質の疎水性や構造の安定性などの蛋白質分子全体の特性をとらえる概念だけでなく、蛋白質の脂肪球への吸着部位を同定しその部位の特徴を解明するという、蛋白質の一次・二次構造に基づく解析が有効であった。その結果、両親媒性を持つヘリックスやシート構造が乳化特性発現に有利であり、蛋白質分子中のこのような部位が脂肪球への吸着に関与していると考えられた。また、このような両親媒構造を持たせることは蛋白質の乳化特性の改善にもつながる可能性があり、両親媒構造を持つようにデザインすることによって優れた乳化性ペプチドを合成することが可能であることが示された。 |