イネはエネルギー源としてだけでなく、含まれているタンパク質のアミノ酸組成がトウモロコシ、コムギなどの他の穀物に比べるとバランスがとれているため、タンパク質源としても重要である。本研究では、イネの種子タンパク質を改変するため、突然変異誘発とSDSポリアクリルアミドゲル電気泳動法(SDS-PAGE)を組み合わせることにより、種子タンパク質についての突然変異体の選抜を試みた。得られた一部の種子タンパク質突然変異の遺伝様式を明らかにし、その育種的な利用について検討を行なった。 1.イネ種子タンパク質突然変異体のスクリーニング 形態形質についての突然変異系統、および胚乳外観形質についての突然変異系統から、それぞれ4系統のタンパク質突然変異体が選抜された。種子へのガンマー線照射またはEMS処理に由来するM2種子を直接タンパク質の変異について調べることで、ガンマー線照射で25系統、EMS処理で9系統の合計34系統が選抜された。種子タンパク質突然変異体は、変異したタンパク質によって14のタイプに分類された。これらは、57kDaポリペプチドの増加、37-39kDaと22-23kDaグルテリンの減少またはサブユニットの欠失、26kDaグロブリンの欠失または減少、16kDaポリペプチドの増加または減少、13kDaプロラミンの増加または減少、およびこれらを組み合わせた変異を有していた。突然変異体の選抜率は、照射線量および処理濃度が増加するに従って高まることが明らかにされたが、最高の選抜率を示したEMSの0.2M処理で0.72%であった。 2.低グルテリン突然変異体の選抜と遺伝解析 NM67系統はグルテリンが少なくプロラミンが多い突然変異体であることを見いだした。本系統は、もともと短稈、低稔性の系統として選抜され、維持されてきたものであるが、詳細な栽培特性の観察により、葉の黄化が早く開始する形質が見いだされた。この系統を原品種のニホンマサリに交雑することで、低グルテリンの形質は常に高プロラミンの形質を伴っていること、低グルテリン-高プロラミンの形質は単因子の優性の遺伝子によること、短稈、低稔性で黄化の開始が早い形質は、タンパク質の突然変異遺伝子とは独立した単因子の劣性の遺伝子によることが明らかにされた。本遺伝分析の過程で原品種のニホンマサリと形態的に差がない低グルテリン-高プロラミンの系統(LGC-1系統)が育成された。この系統の全タンパク質含量はニホンマサリと差がなく、消化性のよいグルテリンが30%程度減少し、消化されにくいプロラミンが増加しているので、ニホンマサリよりも30%程度低タンパク質になっていると考えられた。このLGC-1は低タンパク質のコメが望ましいとされている酒造用のコメとしての利用、およびタンパク質の摂取が制限されている腎臓病患者の食事療法に用いるコメとしての利用が期待される。 3.グルテリンサブユニット欠失突然変異体の遺伝解析および突然変異遺伝子の集積 1次元SDS-PAGEで、グルテリン酸性サブユニットには4本の、塩基性サブユニットには3本のバンドが観察される。本研究で得た突然変異体のうち、酸性サブユニットの最も高分子量のバンドが欠失するものが1系統、2番目が欠失するものが4系統、3番目が欠失するものが2系統、3番目が減少するものが2系統あった。2次元電気泳動で調べることで、酸性サブユニットにおいて10個、塩基性サブユニットにおいて8個、酸性、塩基性サブユニットの前駆ポリペプチドの57kDaポリペプチドにおいて11個のスポットが確認された。これらのスポットのうち、各突然変異型で欠失あるいは減少する酸性サブユニット、塩基性サブユニットおよび57kDaポリペプチドのスポットの対応関係が明らかになった。遺伝子の対立性を検討すると、同じ欠失型の表現をする系統は全て同じ遺伝子座の劣性の遺伝子であったが、異なる表現型の系統は互いに独立した遺伝子であった。3種類の酸性サブユニット欠失系統を交雑することで遺伝子を集積し、高分子量側から1、2、3番目までの酸性サブユニットが欠失したトリプルホモが育成された。このトリプルホモにおいてグルテリンの割合は10%程度減少し、グルテリン以外のタンパク質の増加が確認されたが、全タンパク質含量はコシヒカリと同程度であった。 4.低アレルゲン突然変異体の選抜および利用 コメの摂取が原因でアトピー性皮膚炎症状が出るアレルギー患者の主要なアレルゲンは、16kDaのアルブミンであるとされている。アレルゲンタンパク質に対する抗体を用いて、16kDaアレルゲンタンパク質が少ない3糸統が選抜された。これらの系統のタイプは、57kDaのポリペプチドが増加し、26kDaのグロブリンが減少し、16kDaポリペプチドが原品種の約半分に減少するタイプ(85KG4、86RG18系統)と、26kDaと16kDaのポリペプチドが痕跡程度で13kDaポリペプチドを多く含むタイプ(87KG20-970系統)であった。これらの突然変異体は全て種子が粉質であった。85KG4の16kDaポリペプチドが減少する形質は遺伝分析により単因子の劣性遺伝子によるものと示唆された。85KG4の16kDaポリペプチドを減少させる遺伝子と胚乳を粉質にする遺伝子は、交雑によって分離させることができなかったので、この2つの遺伝子は、非常に密に連鎖しているか、あるいは1遺伝子の多面発現によるものと推察された。 コメアレルギー患者に有効であると臨床的に評価されている市販のアレルゲン低減化米は、コシヒカリの精白米を界面活性剤を含む塩溶液に浸漬、減圧処理後、タンパク質分解酵素で処理し、流水による洗浄を行なって作られているが、酵素処理に用いられるタンパク質分解酵素アクチナーゼが高価なため生産コストがかかることが問題となっている。85KG4は16kDaポリペプチドを普通のコメの半分ほど含むため、アクチナーゼを用いたアレルゲン低減化処理を試み、アレルゲン低減化米の素材としての評価を行なった。85KG4を精白し、アレルゲン低減化処理を行なって得られたコメから、全塩可溶性タンパク質量および、16kDaポリペプチドの量を測定した。その結果、85KG4を用いて塩水浸漬、減圧処理を行なえば、酵素処理を行なわなくてもそのまま流水中で洗浄することで、市販のアレルゲン低減化米と同程度まで16kDaアレルゲンタンパク質を減少させることができた。また、全塩可溶性タンパク質をアレルゲン低減化米と同程度まで減少させるために必要な酵素(アクチナーゼ)の量が、8.5KG4ではアレルゲン低減化米の生産に使用されている酵素量の1/5で済むことも確認された。85KG4を用いることでアレルゲン低減化米の生産コストを低下させることができるものと考えられた。 以上を要約すると、本研究により、ガンマー線照射および化学変異剤処理によるイネの種子タンパク質突然変異体が合計42系統選抜され、これらの系統は変異したタンパク質によって14のタイプに分類され、それぞれのタイプの突然変異体の選抜率が明らかになった。分類されたタイプのうち、グルテリンが減少しプロラミンが増加したタイプの特性と遺伝様式が明らかにされ、このタンパク質組成で栽培特性が原品種と異ならないLGC-1系統が育成された。グルテリンサブユニットが欠失したタイプを2次元電気泳動で分析することで、酸性サブユニットと塩基性サブユニットおよび57kDaポリペプチドとのスポットの対応が明らかにされた。また、3種のグルテリンサブユニット欠失突然変異遺伝子が集積した系統が育成されたが、グルテリンは10%程度減少するが全タンパク質含量は原品種と同程度であった。57kDaが微増し、26kDa、16kDaポリペプチドが減少したタイプにおいて、コメアレルギーの原因タンパク質とされている16kDaアレルゲンが減少していることが確認され、このタイプの85KG4系統を用いれば、アレルゲン低減化米の生産コストを削減できる可能性が示唆された。 |