オオムギは、醸造用原料、飼料として非常に重要な作物である。現在までオオムギの育種研究の中で有用遺伝子導入を目的とした遠縁交雑が精力的に行われてきたが、その成果は比較的乏しい。従って、細胞融合や形質転換等の新技術を駆使した細胞・分子育種への期待は大きい。その第一段階としてのプロトプラスト培養に関する研究も数多く行われ、プロトプラストからの植物体再分化の一、二の報告があるが、育種的に利用するためには、再現性および効率を向上させる必要がある。 本研究では、オオムギプロトプラスト培養系の、カルス誘導→液体培養細胞系の確立→プロトプラストの単離・培養→植物体再分化、という一連の操作の中で、使用する外植片等も含めた種々の培養条件を検討することで、プロトプラスト培養系の改善を行った。さらに、効率化された培養系を用いて、野生種との細胞融合、および抗生物質抵抗性遺伝子の導入を試み、前者からは体細胞雑種カルス、後者からは形質転換オオムギの作出に成功した。 1.葯由来カルスからの液体懸濁培養細胞系の確立とプロトプラスト培養 オオムギの場合、液体懸濁培養に資することが可能なフライアブルなカルスは未熟な組織を用いた場合にのみ得られる。そこで、近年著しい技術的進歩を遂げている葯培養を利用してのプロトプラスト培養系の確立を試みた。 まず、出発点である葯培養において、スクロースの代わりにマルトースを使用したところ、用いた3品種すべてにおいて大きな培養効率の向上がみられた。続いて二次カルスの誘導のため、最も効率の良かったDissaの一次カルスを4種類の培地に移植したところ、カルスの大きさによって、各培地へ異なった反応性を示した。さらに、二次カルスから液体培養細胞を確立するためには、遅い振盪速度の下、比較的少ない培地量で培養することが必要であった。この結果、安定して増殖する細胞系が130系統得られた。 次に、長期間継代培養され増殖能の高い細胞系を材料にプロトプラストからの安定したコロニー形成のための培養条件を検討した。その結果、アガロースでの包埋、糖源としてのグルコースの使用、高細胞密度での培養が不可欠であることが明らかになった。さらに、ナース培養の利用は、プレーティング効率を大きく向上させた。これらの培養条件を本研究において新しく確立した細胞系から単離したプロトプラストに適用したところ、4系統においてコロニー形成が確認され、最高で10%のプレーティング効率が得られた。これらの細胞系は比較的小さい一次カルス(直径0.6mm以下)に由来することが判明し、1つの系統から単離されたプロトプラストからはエンブリオジェニックなカルスが形成され、アルビノのシュートの分化が認められた。 2.未熟胚由来カルスからの液体懸濁培養細胞系の確立とプロトプラスト培養 葯培養を利用した場合アルビノの発生が問題となったので、未熟胚培養を起点とするオオムギプロトプラスト培養系の確立を行った。 品種Dissaの未熟胚カルスから約800系統の液体懸濁培養細胞系の誘導を行った。5ヵ月後に安定した増殖を示した30系統について、培養細胞を再分化培地に移植し、スクリーニングを行ったところ、8系統でエンブリオジェニックなカルスの発達が認められた。また、これらから緑色植物体が再分化し、稔性も確認された。 エンブリオジェニックな細胞系から単離したプロトプラストをナース細胞を用いないで培養した場合、1系統でコロニー形成が認められたに過ぎなかった。そこで、1.で効果のみられたナース培養法をこれらのプロトプラストに適用したところ、すべての系統でコロニーが形成された。コロニーを再分化培地に移植したところ、2つの細胞系のプロトプラストに由来するカルスから緑色シュートの再分化がみられた。特に1つの細胞系では、過去の報告を大きく上回る100以上の植物体か鉢あげされた。さらに、これらの多くは出穂に至り、オオムギ未熟胚に由来するものとして初めて稔性のある植物体も得られた。 また、この培養過程において重要な役割を果たしたナース効果について検討を加えた。様々な植え付け密度で培養しても、ナース培養ほどのプレーティング効率は得られず、比較的若い(形態形成能のある)細胞系のプロトプラストの培養にはナース細胞が不可欠であることが明らかになった。また、プロトプラストとナース細胞の相互関係を調べた総当たりナース培養実験では、ナース効果に複数の因子が関与していることが示唆され、議論の多いナース効果を解明する上でのヒントを与えると同時に、ナース培養を効果的に使用するための一つの指針を示した。 3.効率的なプロトプラストからの植物体再分化のための一次カルス誘導条件 プロトプラストからの比較的高頻度での緑色植物体の再分化は可能になったが、再分化能を持つ細胞系は低い効率でしか得られなかった。そこで、液体懸濁細胞培養の材料となる一次カルスの誘導条件を検討することでプロトプラスト培養系の効率化を図った。 温室または人工気象室で生育させた品種DissaおよびIgriの未熟胚をその胚の発育段階に基づきグループ分けし、2,4-D濃度の異なる培地を用い培養した。Igriでは、人工気象室区で再分化能を有する細胞系が多数得られたが、Dissaでは温室区からより高い頻度で液体懸濁培養細胞系が確立された。2,4-D濃度に関しては、Igriでは最も低い濃度(2.5mg/l)で良好な反応を示したのに対し、Dissaでは2.5mg/lから12.5mg/lまでの範囲で判然とした結果は得られなかった。未熟胚の発育段階も液体懸濁培養細胞系の確立効率や再分化効率に影響し、最適な大きさは胚盤の直径(胚軸に対して垂直方向)で約1mmであることが明らかになった。以上のことから、遺伝子型によりパターンは異なるものの、長い培養過程を経た後でも材料植物の生育環境や発育段階、初期の培養条件が大きな影響を及ぼすことが示された。また、これら再分化した緑色シュートの一部を引き続き、鉢あげ、馴化したところ、すべてのものが成熟、出穂に至り、約80%の個体で稔性が確認された。 4.オオムギ栽培種と野生種のプロトプラスト融合 オオムギプロトプラスト培養系の確立ができたので、オオムギ属における体細胞交雑の基本的条件を検討するために、野生種とのプロトプラスト融合を試みた。 まず、野生種H.marinumとH.bulbosumを用い、プロトプラスト源となる液体培養細胞系の作出を行った。H.marinumでは未熟胚を材料に液体懸濁培養細胞系を確立した。これらの細胞系からは高頻度で緑色シュートが再分化し、稔性も確認された。H.bulbusumでは形質転換処理および選抜によって、G418(カナマイシンの誘導体)およびハイグロマイシンに耐性の液体懸濁培養細胞系を作出した。 これらの野生種細胞系に対して、再分化能のあるものとG418抵抗性で再分化能のないもの2種類の栽培種細胞系を用いてPEG法によりプロトプラスト融合を試みた。H.marinumと栽培種の組み合わせでは、雑種と考えられるコロニーか得られたが、約1ヵ月で増殖を停止した。H.bulbosumとの組み合わせでは、ナイロンメンプレンを利用した新たな融合法の開発により、異種間のプロトプラスト融合が可能となった。選抜はG418とハイグロマイシン、またはIOA処理とG418により行った。これらの細胞についてrDNAのRFLP分析を行ったところ雑種性が示され、体細胞雑種カルスの作出とともに形質転換により導入した抗生物質抵抗性の選抜マーカーとしての有用性が確認された。 5.オオムギ形質転換植物体の作出 高い再分化能を持つ細胞系と改善されたプロトプラスト培養法を用いることで、プロトプラストへの直接遺伝子導入によっての形質転換オオムギ植物の作出を試みた。 2.と3.で得られた細胞系からプロトプラストを単離し、PEG法でNPTII遺伝子の導入を行った。液体培養での選抜の後、ただちに選択試薬を含まない培地で培養、再分化させたところ、選抜効果が十分でなく、調査したカルスすべてが外来遺伝子を発現していないもの(エスケープ)であった。また、固体培地で1ヵ月間以上選抜を続けると、エスケープの発生は抑えられたが、健全な植物体は得られなかった。一方、固体の選択培地上でエンブリオジェニックな構造が観察された時点ですぐに選択試薬を含まない再分化培地に移植した場合は、シュートの再分化をみせたカルスの約半数は外来遺伝子を発現しており、これらから再分化したシュートを鉢あげすることができ、稔性が確認された。 鉢あげできた個体について、サザン分析を行ったところ、オオムギゲノムに外来遺伝子が組み込まれていることが明らかになった。また、外来遺伝子のリアレンジメントやメチレーションが起こっていることが示唆された。さらに、多数の外来遺伝子を有する形質転換体においては、植物体の発育過程で外来遺伝子が不活化していることがわかった。稔性のあった形質転換体の後代を分析した結果、外来遺伝子の伝達ならびに発現が確認された。 以上を要約すると、本研究により、オオムギプロトプラストからの植物体再分化の再現性が示されたと同時に効率化が達成された。また、プロトプラスト融合によるオオムギ属内の体細胞雑種カルスおよびプロトプラストへの直接遺伝子導入による形質転換オオムギが初めて作出された。さらに本研究で開発された技術および得られた知見を今後のオオムギの細胞・分子育種で利用するための方策について考察した。 |