学位論文要旨



No 212134
著者(漢字) 金子,浩之
著者(英字)
著者(カナ) カネコ,ヒロユキ
標題(和) ウシのFSH分泌および卵胞発育の調節に対するインヒビンの作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 212134
報告番号 乙12134
学位授与日 1995.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12134号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京農工大学 教授 笹本,修司
 東京大学 助教授 西原,真杉
 東京大学 助教授 森,裕司
内容要旨

 ウシの発情周期中においては、排卵卵胞に匹敵する大型卵胞の発育が卵胞期のみならず、黄体期においても起こることが知られている。一方、霊長類では、卵胞期のみに排卵と一致した大型卵胞の発育が起こり、黄体期には大型卵胞の発育は観察されない。このように、同じ単排卵動物でありながら、ウシと霊長類では、最終的に排卵卵胞が発育してくるまでの過程が異なっているが、両者を分けている機序は未解明である。卵胞発育に最も重要な役割を果たしているのが卵胞刺激ホルモン(FSH)であるが、そのFSH分泌を強く抑制する物質として、1980年代後半に、下垂体前葉細胞に直接作用してFSH分泌を抑制する糖タンパク質、インヒビンが、各種動物の卵胞液中から単離・精製された。インヒビンのFSH分泌調節における生理的意義は、ラットなどの排卵数が複数の動物では明らかにされつつあるが、ウシおよび霊長類などの単排卵動物では、不明な点が多い。そこで、本研究では、卵胞から分泌されるインヒビンのFSH分泌および卵胞発育の調節に果たす役割を検討することによって、ウシの卵胞発育の調節機序を解明することを目的とした。

 本研究においては、まず、成熟雌ウシの末梢血中インヒビン濃度の、1)発情周期に伴う変化および2)過剰排卵誘起に伴う変化を卵胞の発育、排卵および退行と関連づけて調べ、FSH分泌とインヒビン分泌との関連を検討した。さらに、抗インヒビン血清の投与によって内因性のインヒビンを中和することによって、成熟雌ウシの黄体期および卵胞期のFSH分泌調節に関するインヒビンの意義を検討した。加えて、未成熟雌ウシの日齢の進行に伴った血中インヒビンおよびFSH濃度の変化を調べた。なお、インヒビンのラジオイムノアッセイ法で用いた抗血清は、インヒビン関連物質であるアクチビン(インヒビン鎖の2量体)およびTGF-とは交叉反応を示さなかった。また、この抗血清は、ウシの血中インヒビンの測定で最も問題とされているインヒビン鎖の前駆体由来のペプチド(proaC)との交叉反応は極めて低いことが判明した。さらに、ラジオイムノアッセイ法による血中インヒビンの測定値の変化がバイオアッセイの測定値の変化とほぼ一致することから、この測定系は血中インヒビンの生物活性の変化を反映し得るものと考えられた。

 超音波断層診断装置を用いた観察により、性成熟に達し規則的な発情周期を回帰する雌ウシでは、発情周期中に卵胞発育の波が、黄体期前期(第1次発育波)、黄体期中期(第2次発育波)および卵胞期(第3次発育波)の、3回観察された。いずれの発育波においても、当初、一群の小型卵胞の発育が観察されたが、やがて単独の卵胞のみが発育を継続し大型化し(主席卵胞)、その他の卵胞は発育を停止した。このような主席卵胞が排卵あるいは退縮過程に入ると、次の発育波が出現した。第1次および第3次の発育波では、主席卵胞の発育に伴って末梢血中のインヒビンおよびエストラジオール17濃度が上昇している時には、FSH濃度は低値に抑えられ、これらの主席卵胞の退行および排卵に伴ってインヒビンおよびエストラジオール17の血中濃度が低下すると、逆にFSH濃度は上昇した。一方、第2次の発育波では、主席卵胞は発育するもののエストラジオール17濃度の上昇は観察されず、インヒビン濃度だけが上昇し、これに逆相関してFSH濃度が低下した。血中のプロジェステロン濃度が、卵胞期では低値であるが、黄体期前期から徐々に上昇し黄体期中期には高値に達したことを考え合わせると、卵胞期に観察される第3次の発育波では主席卵胞から分泌されるインヒビンとエストラジオール17が、黄体期前期の第1次の発育波では、主席卵胞からのインヒビンとエストラジオール17に加えて黄体からのプロジェステロンが、黄体期中期の第2次の発育波ではインヒビンとプロジェステロンが、FSH分泌の抑制に関与しているものと推察された。

 一方、過剰数の卵胞発育を誘起した場合には、発育卵胞数の増加に応じて末梢血中のインヒビンは、免疫学的測定法によっても、生物学的測定法によっても著しい高値が得られた。血中のインヒビン濃度が大型卵胞の発育に伴って最高値に達し、大型卵胞の排卵によって減少したことから、大型卵胞がインヒビンの主要な分泌源であると判断された。しかし、小型および中型の卵胞のみの増加によっても血中インヒビン濃度が上昇したこと、大型卵胞の排卵後も血中インヒビン濃度は比較的高値に維持されたことから、小型および中型の卵胞群もインヒビンを分泌し、血中インヒビン濃度の変化に寄与しているものと推察された。一方、過剰排卵誘起動物の血中のFSH濃度は、正常な発情周期に比較して著しい低値で推移した。前段の結果と考え合わせると、インヒビンの血中濃度は、産生母地である卵胞の数の増加、発育、退行および排卵に伴う顆粒層細胞の量的あるいは質的な変化によって変動しているものと推察された。

 そこで、発情周期中のFSH分泌調節に対するインヒビンとエストラジオール17の相対的な寄与度を検討する目的で、まず、末梢血中のエストラジオール17濃度が低くFSH濃度が比較的高い、黄体期中期の第2次発育波の開始時に、抗インヒビン血清を投与した。その結果、抗血清投与後、8時間以内に血中FSH濃度の著しい上昇が観察され、次いで約2日遅れて過剰な卵胞の発育が起こった。これらの結果から、雌ウシの黄体期中期では、インヒビンがFSH分泌の抑制的調節に主体的な役割を果たすことによって卵胞発育の調節に関与していること、および血中インヒビンの消失が速やかに下垂体からのFSH分泌に変化をもたらすことが明らかとなった。黄体期中期の第2次発育波の開始時の卵巣には、退行過程にあってエストラジオール17の分泌能を喪失した第1次主席卵胞と、第2次の卵胞の発育波に属する未成熟な小型卵胞が存在していることから、この時期、インヒビンの産生母地となっている卵胞は、小型卵胞あるいは退行過程にある大型卵胞であると推察された。

 卵胞期では、末梢血中のエストラジオール17濃度がインヒビン濃度とともに上昇する反面、血中FSH濃度は低下することから、エストラジオール17もFSH分泌の抑制に関与していることが予想された。そこで、卵胞期に抗インヒビン血清および抗エストラジオール17血清の投与による内因性ホルモンの中和実験を試みた。その結果、抗インヒビン血清の単独投与後には、末梢血中FSH濃度は顕著な上昇を示したが、抗エストラジオール17血清の単独投与後には、血中FSH濃度の変化は観察されなかった。さらに、抗インヒビン血清と抗エストラジオール17血清を併用投与すると、血中FSH濃度の上昇が抗インヒビン血清単独投与後に比較して長時間維持された。これらの結果から、卵胞期のFSH分泌の抑制的な調節には、インヒビンに加えて、エストラジオール17もインヒビンの作用を増強する形で関与しているものと推察された。黄体期中期のFSH分泌調節にもインヒビンが関与していることを考え合わせると、インヒビンは、発情周期を通じて、雌ウシのFSH分泌に抑制をかけているものと推察された。免疫的中和によって血中のインヒビンを不活性化するとFSH分泌が亢進し卵胞数の顕著な増加が観察されることから、インヒビンは、黄体期と同様に、卵胞期にもFSH分泌の抑制を介して卵胞発育の調節に関与しているものと考えられた。一方、エストラジオール17は、卵胞の発育波の開始後に、インヒビンのFSH分泌抑制作用を増強し、FSHの血中濃度の低下に寄与することによって、卵胞の選抜に関与し、さらに主席卵胞の選抜後に新たな卵胞の動員が行われないように作用しているものと推察された。

 次いで未成熟な雌ウシの日齢の進行に伴う血中のホルモン動態を調べた結果、末梢血中インヒビン濃度は、出生直後極めて高く、その後発育に伴い徐々に低下した。一方、FSH濃度もインヒビン濃度と同様の変化を示したことから、出生後早期の雌ウシの血中のインヒビンとFSH濃度の間には負の相関が存在しないことが明らかとなった。

 以上の結果から、成熟雌ウシのFSH分泌の抑制的な調節においては、卵胞から分泌されるインヒビンが、発情周期全般を通じて、重要な役割を果たしていることが明らかとなった。インヒビンは、卵胞の数の変化あるいは卵胞の発育、退行および排卵に伴う顆粒層細胞の量的および質的な変化を、分泌量の変化として下垂体に伝達しFSH分泌に抑制を加えることによって、卵胞発育の調節に関与しているものと考えられた。

審査要旨

 ウシの発情周期中の黄体期には,最終的に排卵には至らない大型卵胞の発育が起きることが知られていた。一方ラット,また霊長類では,卵胞期にしか大型卵胞の発育は起こらず,この卵胞が排卵に至ることが知られている。ウシがこのように独特な機構を持つことは,その事実自体が最近の知見で,本論文が,褐毛和種・黒毛和種でその事実を確定させたこと自体が既に評価に価する内容である。ウシの生殖現象を制御することは,獣医学,畜産学の分野では高い実用的価値を持ち,そのための基礎的知見として,本論文が目指したウシの卵胞発育機構の解明は最も重要な課題の一つである。

 問題の解明に当たって,インヒビンに焦点をあてたことは適切な選択である。すなわち,卵胞発育は第一義的に下垂体ホルモンの卵胞刺激ホルモン(FSH)により制御されているが,近年ラット等を用いた実験から,さらにこのFSHの分泌が卵胞から分泌されるインヒビンによって強く抑制されることが知られるようになり,その機構の解析はインヒビンの関与を除いては語れないからである。

 論文は3章からなり,第1,2章の緒論,実験材料と方法に続いて,第3章ではまずウシにおけるインヒビン測定法の検討後,末梢血中のインヒビン濃度の発情周期,成熟に伴う変化を性腺刺激ホルモン,性ステロイドホルモンの濃度変化と共に測定し,さらに,過剰排卵誘起処置,抗血清投与処置に引き続く変化を併せて検討することによって,末梢インヒビン濃度とFSH分泌との関連を検討している。この間,超音波断層診断装置を適宜使用して,卵胞の形態学的消長との関連を検討している。

 その結果,出生直後の末梢血中には高濃度のインヒビンとFSHが存在し,性成熟に達するまで両者は徐々に低下し,負の相関を示さないことが示された。しかし,性成熟後,卵巣に大型卵胞が出現した後には,何れの時期,条件においても,両者には明確な負の相関があり,FSH分泌抑制にインヒビンが主体的な役割を演じていることを見い出した。

 発情周期中に卵胞発育の波は3回観察された。第3次の発育波は卵胞期に見られ,そのうちの主席卵胞(一群の発育しつつある卵胞の中で,次第に他より大型化し,かつ機能を維持し続ける卵胞)が排卵に至るもので,ラット,ヒト等に見られる発育波に相当するものであった。第3次発育波に先だって,第1・2次発育波が黄体期に観察され,ウシ独特のものであった。第1次発育波では卵胞の発育に伴って末梢血中のインヒビン及びエストロジェン濃度が上昇すると,FSH分泌が抑制され,主席卵胞以外の下位の卵胞の退行をもたらした。この間黄体機能の亢進により,末梢血中プロジェステロンが高値に達し,これがGn RHパルスジェネレーターに作用してLHの分泌を抑制することで第1次発育波の主席卵胞は退行過程に入るものと論議している。そして,第1次発育波の主席卵胞の退行によってインヒビンが低下するとFSH分泌が再び開始して,第2次発育波を誘導することを明らかにしている。第2次発育波での特徴は,高い血中プロジェステロンレベルのためにLH分泌は抑制され,発育する卵胞からのエストラジオール17の分泌が起こらないことである。従ってこの発育波の卵胞は機能不全で,主席卵胞の大型化の程度も弱く,自らのインヒビン分泌でFSH分泌が抑制されることで退行していくと論議している。そしてこの後に,排卵に至る第3次発育波が開始する。

 この間のデータを横断的に整理して,血中FSHレベルを知ることで,卵胞発育を,多数の卵胞の発育が誘起される,主席卵胞のみの発育が維持される,全ての卵胞が退行するステージに予見できることを見い出しており,実用上大きな発見と評価される。さらにインヒビンとエストラジオール17について,両者の抗体を投与することによってFSH分泌抑制に対する寄与の程度を論議している。結論はインヒビンの寄与の程度が常に優位であるが,エストラジオール17が共存する時にはインヒビンの抑制効果がより長期に発現するというもので,1-3次卵胞発育波の成因についての解釈を側面から補強するものであった。

 以上の如く,本研究は良く計画された多くの実験を重ね,ウシにおける3次に亘る卵胞発育波の存在と,それぞれの特徴,成因を極めて合理的に示した。同時に今まで実証的証拠に欠けていたウシにおけるインヒビンのFSH分泌抑制作用を,疑義のない点迄実証した。この成果はウシの生殖生物学の基礎研究,さらには獣医臨床,発生工学等の応用技術に対して,大きな貢献をするものと評価される。よって審査委員一同は申請者に対して博士(獣医学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク