学位論文要旨



No 212135
著者(漢字) 板垣,佳明
著者(英字)
著者(カナ) イタガキ,ヨシアキ
標題(和) 着床前期における体外受精由来牛胚の性判別に関する研究
標題(洋)
報告番号 212135
報告番号 乙12135
学位授与日 1995.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12135号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊田,裕
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 助教授 森,裕司
 東京大学 助教授 酒井,仙吉
 東京大学 助教授 佐藤,英明
内容要旨

 家畜生産において、雌雄によって経済効率が異なる場合が多く、ヒトの目的に合った性の産仔だけを得ることによってもたらされる効果は育種的にも産業的にもその意義は大きい。牛においては改良増殖の新しい手段として人工授精から胚移植への利用に移り、移植産仔の性支配に対する関心が高い。さらに近年、体外成熟-体外受精-体外培養(IVM-IVF-IVC)による牛胚の体外作出に関する研究が著しく進展し、胚移植技術の進歩とともに、新しい牛の繁殖技術としての注目を集め、産業面への応用が進められている。これらの技術に関連して、移植前に胚の性を判別する技術が確立されれば、体外受精由来胚をより有効的に利用することができ、家畜の生産性向上に大きく貢献すると思われる。着床前期胚の性判別法では、現在、判定率の高さや簡便性などの点でもっとも有効と考えられるのがPCR(polymerase chain reaction)によって雄特異的塩基配列を増幅し検出しようとする試みである。PCRでは微量なサンプルを扱うことから、プライマーの検出感度もさることながら、サンプル以外のDNAなどの汚染による判定結果の誤認をいかに防ぐかが大きな問題になる。また、胚から細胞をサンプルとして採取することから(バイオプシー)、正確に性を判定するでけでなく、性判別後の胚の生存性を低下させないことが要求され、体外での胚操作、培養および胚移植などの繁殖領域での技術が不可欠である。そこで本研究では、これらの問題点を総合的に検討し、雄特異的塩基配列を用いたPCRによる体外受精由来牛胚の性判別法の確立を目的とした。さらに、これらの方法を用いて体外受精由来胚の着床前期における性比の変動について検討を加えた。

 先ず、体外受精由来胚の安定した作出を目的としてIVM-IVF-IVC系の確立をめざした。屠場より入手した卵巣より卵胞内卵子を採取し、5%仔牛血清、0.5mMピルビン酸ナトリウムおよび抗生物質を含む25mM HEPES緩衝TCM-199で24時間成熟培養を行った。体外受精にはヘパリン-カフェインを含むBO液で受精能獲得を誘起した凍結-融解精子を用いた。媒精後5時間で成熟に用いたのと同じ培地に移し換え、39℃、5%CO2の気相下で10日間卵丘細胞と共培養した。その結果、本培養条件下では体外受精に供した卵子(1210個)の70.6%が卵割し、媒精後8日までに35.0%が胚盤胞期以上にあり、媒精後10日には26.8%が脱出胚盤胞まで発生することが明らかとなった。

 胚操作法の検討として、拡張胚盤胞を用いて2分割およびバイオプシー(栄養外胚葉の約10%を採取)について比較した。胚操作用培地として蛋白を除いた0.2Mシュークロース添加PB1液を用いたことにより胚はシャーレ底面に吸着し、顕微操作は微小金属刃(マイクロブレード)を垂直方向に降ろすことによって容易に切断分離できた。胚操作後24時間の体外培養では、胚操作をしていない対照胚(92.3%)とバイオプシーされた胚(86.3%)の生存率に差はなかった。一方、2分割胚(77.5%)ではバイオプシーされた胚との間に差はみられなかったが、対照胚との間に有意な生存率の低下が認められた(p<0.05)。体外培養した生存胚の構成細胞数においても、対照胚(170.7±44.6)と比べてバイオプシーされた胚(153.1±53.3)ではやや細胞数の減少がみられたが、有意な差ではなかった。しかしながら、2分割胚(67.5±23.2)では対照胚の半分相当の細胞数(85.5±22.2)よりも有意に減少した(p<0.01)。また、バイオプシー直後に胚から採取したサンプルの細胞数を検査したところ11.8±5.8個であった。

 胚の性判別に用いる雄特異的プライマーとして、ヒトやマウスの性決定遺伝子のホモローグなどが候補として考えられるが、このような単一コピーでは特異的という面では優れているが、PCRに用いることができる胚の細胞数が限られているので検出感度の面では不利であり、雄特異的かつ反復性の高い塩基配列が有利である。また、ごく微量のサンプルを扱うことから確実に反応が進行しているかを確認するためにも、内部対照として雌雄共通のバンドをあたえるプライマーの利用が有効的である。本研究では、Kudo et al.(1993)によってクローニングされた反復性の雄特異的塩基配列p7-1-aおよび雌雄共通塩基配列pMF-3から各20merの雄特異的プライマー(5’-TGGACATTGCCACAACCATT-3’,5’-GCTGAATGCACTGAGAGAGA-3’)および雌雄共通プライマー(5’-GCCCAAGTTGCTAAGCACTC-3’,5’-GCAGAACTAGACTTCGGAGC-3’)をそれぞれ合成した。これらのプライマーによってそれぞれ226および102bpのPCR産物が得られる。PCRの反応条件は、94℃、60℃、72℃各1分間を1サイクルとして50回反応を繰り返した。雌雄の精製DNAおよび体細胞(肝臓由来)をテンプレートとして検出限界を検討したところ、精製DNAでは10pg、体細胞では10細胞以上で雄特異的なバンドが得られ、性判別が可能であった。牛胚を用いた最初の実験として、胚細胞成分によって反応が阻害されることなくPCR産物が正確に得られるかを脱出胚盤胞1個ごとを用いてPCRを行った。30個の胚を調べたところ、18個の胚で雄DNAと同じように雄特異的および雌雄共通のバンドがみられ、12個の胚では雌DNAと同じように雌雄共通のバンド1本しか認められなかった。次いで、27組の2分割胚および33組のバイオプシーされた胚とサンプルとの性判別結果が一致するかを検討した。2分割胚ではすべての組で性判別結果は一致し、雄胚15個、雌胚12個判定された。バイオプシーでは1組を除いて32組で両方の結果が一致し(97.0%)、雄胚17個、雌胚15個であった。一致しなかった1組ではバイオプシーされた胚で雄、サンプルで雌と判定された。雄特異的塩基配列の特徴としてFISH法による染色体マッピングを行った結果、Y染色体の短腕上、その中間と動原体との間に位置していた。

 PCR以外の方法による性判別結果の確認として、性判別胚の染色体検査および胚移植実験を行った。染色体検査では良好な染色体標本が作製できれば特定自体は確実であり、胚移植実験では言うまでもなく性判別の結果を確認するだけでなく、胚の最終的な発生能の証明になりもっとも有効である。42組の2分割胚をPCRおよび染色体検査で性を決定した。PCRでは全例で性を判定することができ、雄胚20個、雌胚22個であった。一方、染色体検査では19個(45.2%)でしか性を判定できず、雄胚10個、雌胚9個であった。染色体検査で判別可能であった19個の胚の性はPCRの結果とすべて一致した。19個の胚をバイオプシー後、サンプルはPCRで、バイオプシーされた胚は染色体検査で性を判定した。PCRを行ったすべてのサンプルで性を判定することができ、雄胚10個、雌胚9個であったが、バイオプシーされた胚の染色体検査では10個(52.6%)でしか性を判定できず、雄胚4個、雌胚6個であった。染色体検査で判別可能であった10個の胚の性は、2分割胚と同様、PCRの結果とすべて一致した。胚移植実験では、14頭の受容雌に移植したが、移植時の胚のPCRによる判定は雄胚8個、雌胚6個であった。これらのうち8頭の受胎を確認したが(PCRによる判定では雄5頭、雌3頭)、1頭が妊娠71日に流産した。残りの7頭は正常に分娩し、産仔の性はPCRによる性判別の結果とすべて一致し、雄5頭、雌2頭であった。

 上記のPCRによる性判別システムを用いて体外受精由来胚の着床前期における性比について検討した。媒精後248時間までに得られた脱出胚盤胞の性判別を行ったところ、全体での性比(雄胚数/検査胚数)は51.9%であった。これらを透明帯からの脱出時間によって発生の早い(媒精後188〜200時間)、中間(212時間)および遅い(224〜248時間)の3群に分けると、性比はそれぞれ59.4,47.1および49.1%となった。そこで、第1卵割を指標として媒精後22,26,30および44時間に卵割した胚を集めて4群に分けて培養した結果、それぞれの群での脱出胚盤胞への発生率は56.5,40.1,21.6および4.6%となり、第1卵割時期が早いほど脱出胚盤胞への発生率が高くなった。これらは媒精後120時間までのヘキスト33342染色による卵割期胚の構成細胞数の検査から、媒精後96時間以降の8-細胞期以上への発生と関係していた。一方、性比は全体で51.5%であり、第1卵割時期に関連した性比の変動はなかった。透明帯からの脱出時間よって先の実験と同じように胚を3群に分けると、性比はそれぞれ60.3,46.8および45.9%と先の実験と同様な傾向がみられた。これら2つの実験を合わせると性比は59.8,47.0および47.4%となり、例数の増加に伴い発生速度の早い群と期待値(雄:雌=1:1)との間に有意な差がみられ(p<0.05)、着床前期というきわめて発生の初期段階においても性差が存在することが明らかとなった。

 このように、本研究では雄特異的塩基配列を用いたPCRにより10個程度の細胞での性判別が可能となり、内部対照として雌雄共通プライマーを同時に使用することによって判定結果をより確実にすることができ、これらの判定結果は2分割やバイオプシーした同一胚での一致や染色体検査により確認した。胚操作においても簡略化を計るとともに、栄養外胚葉の一部をバイオプシーすることによってPCRに必要な細胞数を採取しても胚への生存性を損ねることはなく、移植により性判別通りの産仔が作出できた。また、本研究における性判別システムが産仔の作出という産業的利用ばかりでなく、着床前期中における胚の性分化の検討などにも有効であることが示された。

審査要旨

 家畜の生産において,目的に適った性の産仔を得ることによる経済的効果は大きく,特に,牛においては改良増殖の新しい手段として胚移植が実用化されて以来,胚の性支配に強い関心がもたれてきたが,いまだ十分に実用に耐えうる方法は確立されていない。本論文は,PCR(polymerase chain reaction)による雄特異的塩基配列の検出に基づく着床前期牛胚の性判別法の確立を目的として行った研究をまとめたものである。論文は4章で構成され,その内容は以下のように要約できる。

 第1章では,まず体外受精由来胚の安定した作出のための培養条件の検討を行っている。その結果,屠場より入手した卵巣より卵胞内卵子を採取し,0.5mMピルビン酸ナトリウムおよび抗生物質を含む25mM HEPES緩衝TCM-199で24時間成熟培養を行い,媒精後5時間で発生用培地に移し換え,39℃,5%CO2の気相下で10日間卵丘細胞と共培養する方法で,体外受精に供した卵子(1210個)の70.6%が卵割し,媒精後8日までに35.0%が胚盤胞期以上に,また媒精後10日には26.8%が脱出胚盤胞まで発生することを確認している。次いで,拡張胚盤胞を用いて胚を2分割する方法と栄養外胚葉の約10%を採取するバイオプシー法について比較し,バイオプシーされた胚は,その生存率(86.3%)および構成細胞数(153.1±53.2)のいずれにおいても,対照胚と比べて有意な差はなく,バイオプシー法が,胚の生存性を低下させずに性判別に必要な細胞を採取するための手段として優れていることを示している。なお,バイオプシーによって胚から採取した細胞数は11.8±5.8個であった。

 第2章では,胚の性判別に用いる雄特異的プライマーの有効性について検討している。PCRに用いることができる胚の細胞数が限られていることから,雄特異的かつ反復性の高い塩基配列が有利であると考え,反復性の雄特異的塩基配列p7-1-aおよび雌雄共通塩基配列pMF-3から各20merの雄特異的プライマー(5’-TG GACATTGCCACAACCATT-3’,5’-GCTGAATGCACTGAGAGAGA-3’)および雌雄共通プライマー(5’-GCCCAAGTTGCTAAGCACTC-3’,5’-GCAG AACTAGACT-TCGGAGC-3’)をそれぞれ合成して,94℃,60℃,72℃各1分間を1サイクルとして50回反応を繰り返し,それぞれ226および102bpのPCR産物を得た。まず雌雄の精製DNAおよび体細胞(肝臓由来)をテンプレートとして検出限界を検討し,精製DNAでは10pg,体細胞では10細胞以上で雄特異的なバンドを得て性判別が可能であることを確かめた後に,27組の2分割胚および33組のバイオプシーされた胚を用いて,各組の性判別結果が一致するか否かを検討した。その結果,バイオプシーされた1例を除き,すべての組で性判別結果が一致し,精度の高い判定法となりうることを示した。また,用いた雄特異的塩基配列はFISH法による染色体マッピングにより,Y染色体の短腕上に位置していることも確認している。

 第3章では,PCRによる性判別結果をさらに確かめるために,19個の胚をバイオプシー後,サンプルはPCRで,バイオプシーされた胚は染色体検査で性の判定を試みている。その結果,PCRを行ったすべてのサンプルで性の判定が可能で,雄胚10個,雌胚9個と判定されたが,染色体検査では標本作製上の制約から雄胚4個,雌胚6個においてのみ判定可能であった。しかし,これらの胚では,両者の判定結果はすべて一致し,判定の正確さが裏付けられた。次いで,性判別の最終的な証明として胚移植実験を行っている。14個のバイオプシーされ,性判別された胚を,14頭の受容雌に移植した結果,8頭の受胎を確認し,1頭が流産したが,残りの7頭は正常に分娩し,産仔の性はPCRによる性判別の結果とすべて一致し,雄5頭,雌2頭であった。

 第4章では,バイオプシーを必要としない非侵襲的な性判別システムの可能性を求めて体外受精由来胚の着床前期における発生速度と性比との関係について検討している。媒精後248時間までに得られた脱出胚盤胞の性判別を行ったところ,全体での性比(雄胚数/検査胚数)は51.9%であったが,これらを透明帯からの脱出時間によって発生の早い,中間,遅い,の3群に分けると,性比はそれぞれ59.8,47.0および47.4%となり,発生速度の早い群において期待値(雄:雌=1:1)との間にわずかながら有意差を認めた。また,第1卵割の時期を指標として4群に分けて培養した結果,第1卵割時期が早いものほど脱出胚盤胞への発生率が高く,この結果は媒精後96時間以降8細胞期以上への発生率と関係していた。これらの結果から,着床前期において牛胚の発生に性差が存在することを推測し,本研究における性判別システムが産仔の作出という産業的利用ばかりでなく,着床前期における胚の性分化の機構解明にも有効な手段となり得るものと考察している。

 以上要するに,本論文は,少数の細胞での性判別を可能とする雄特異的塩基配列を設計してその有効性を着床前期の牛胚について確かめ,性別予知胚の移植により予測通りの性の産仔が生産できることを実証したものであり,学術上,応用上,貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として十分価値あるものと判定した。

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