学位論文要旨



No 212141
著者(漢字) 水野,清義
著者(英字)
著者(カナ) ミズノ,セイギ
標題(和) アルカリ金属蒸着によって誘起される基盤原子の移動
標題(洋) Displacements of Substrate Atoms Induced by Alkali-Metal Deposition
報告番号 212141
報告番号 乙12141
学位授与日 1995.02.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12141号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村田,好正
 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 田中,虔一
内容要旨

 金属表面上のアルカリ金属蒸着の研究はこれまで数多く行われてきた。容易にイオン化するというアルカリ金属原子の特徴が表面においても興味深い現象を引き起こしたためである。構造については、次の2つの現象がよく知られている。1つは、アルカリ金属の被覆率とともに六方格子を基本としたさまざまな構造が現れることである。これは分極したアルカリ金属原子間の反発と、基盤金属表面の凸凹の兼ね合いとして説明されている。もう1つは、fcc(110)表面における消失原子列の形成である。最近の走査型トンネル電子顕微鏡の実験により、K/Cu(110)の系ではカリウム原子が2〜3個の銅原子と置き換わることが観察されている。我々はCu(001)表面上にリチウム原子を蒸着したとき、これまでの常識とは全く異なる構造を形成することを見つけたので、その構造を決定するための研究を行った。

 表面構造の観察には低速電子回折(LEED)を用いた。図1にリチウムの被覆率に対して現れるLEEDパターンを示す。低温(180K)と室温(300K)とで全く異なる構造となった。低温で観察される構造はリチウムの吸着層として説明できる。リチウムの1原子層の吸着量を求めるにあたってはオージェ電子分光が有効であった。これに対して、室温で観察される構造は単純な吸着では説明することができない。

図1.リチウムの被覆率に対するLEEDパターンの変化

 室温で観察される(2×1),(3×3),(4×4)構造を解明するためにLEEDによる構造解析を行った。LEEDの構造解析においては実験で得たI(E)曲線を計算と比較する。計算は垂直入射の条件で行う。I(E)曲線は電子線の入射角度にたいへん敏感なため実験も垂直入射の条件で行う必要がある。しかし、現実には微小な傾きや残留磁場のために理想的な垂直入射の条件を得ることは困難である。我々は、微小な傾きが残っていても、I(E)曲線に与える影響が少ない’水平ビーム法’を考案した。この方法を使うと短時間に再現性のあるI(E)曲線を得ることができる。この方法の有効性をまず、低温で観察されるc(2×2)構造において実証した。次に(2×1)の構造決定を行った。図2にその結果を示す。モデルとしては基盤の銅原子が消失原子列を作っている場合(●)、リチウムが銅の窪み位置に吸着して(2×1)構造を形成している場合(○)、リチウムが銅の真上に吸着して(2×1)構造を形成している場合(△)を比較した。実験と計算の比較にはPendryの信頼因子を用いた。銅原子が消失原子列を作っているとしたモデルで、鋭い極小が現れ、信頼因子の値も十分小さくなった。この結果と、LEEDパターンに現れるstreaky spotから、図3の構造が正しいことがわかった。銅原子が一列おきになくなり、できた溝にリチウム原子が入っている。さらに、(2×1)構造の初期形成過程を調べるために角度分解紫外光電子分光によって銅の表面準位を調べたところ、図3の構造を支持する結果が得られた。

図表図2.構造パラメータに対するPendryの信頼因子 / 図3.(2×1)構造

 ごく最近、Li/Cu(111)系において(2×2)構造が、Li/Cu(001)系において(4×1),(5×1)構造が見つかっており、Li/Cu(001)系の(2×1),(3×3),(4×4)との関連も含めて、ますます興味深いテーマとなってきている。

審査要旨

 固体物性の研究にとって結晶構造の決定は研究の出発点であり、必須である。表面物性の研究にとってもこのことは例外ではなく、表面構造の決定は基本である。しかるに表面構造の決定には多くの困難を伴っていた。例えば、表面構造の決定に最も有力な手段である低速電子回折(LEED)の場合、多重散乱の効果が解析を困難にしていた。しかし超高真空技術の発展が信頼度の高いデータを得ることを容易にし、計算機の発達が表面構造の解析法を飛躍的に発展させた。本論文はその成果の一つの現れである。まずCu(001)表面にLiを吸着させたとき、基板のCu(001)表面の原子が移動を引き起こすことを見いだしたことを述べている。これらの構造にLEEDを用いて信頼度の高い強度曲線を測定し、多重散乱を取り入れた構造解析を進め、それらの表面構造を決定している。

 本論文は8章からなり、第1章では金属表面でのアルカリ金属の吸着についてこれまでの研究を概説している。第2章では室温と低温(180K)のCu(001)表面にLi原子を吸着させたとき、室温吸着のときに低温吸着とは異なる様々な表面構造がLEEDパターンで観測されることを述べている。室温吸着のときにはLiの被覆率の増加に伴って表面構造は2×1,3×3,4×4と変化する。また2×1構造ではストリークを伴っている。これらの構造は基板のCu(001)表面の原子移動によるものと判断できる。そして第3章では、LEEDの信頼度の高い散乱強度曲線を得るための簡便な観測法を提案し、既に構造解析がなされているCu(001)でその有用性を確かめている。

 第4章では低温で観測されたc(2×2)構造の解析を動力学的回折理論に基づいて行い、表面構造を決定している。この構造はLi吸着層の原子配列を示している。Li原子は4個のCu原子で囲まれた4回対称の位置に吸着し、Cu-Liの層間距離は1.96±0.08Aと求まった。第5章では室温で得た2×1構造の表面構造解析を同様に行っている。それは基板表面のCu原子列が[110]に沿って一列おきに消失し、その溝にLi原子が入って列を作る構造である。そしてストリークパターンより、Li原子の配置は隣合った列で位相が逆転した配列であると結論している。これらの二つの表面構造解析の特徴はR因子(信頼因子)が小さく、信頼度の高い結果を得ていることである。

 第6章では表面構造解析から得られたこれら二つの構造の妥当性を確かめるため、角度分解紫外光電子分光を測定している。Cu(001)清浄表面にはタム型の表面準位があり、それが顕著に観測されるM点で、Li吸着に伴うスペクトルの変化を観測している。表面準位からの光電子放出の強度はLiの吸着量の増加と共に直線的に減少する。その勾配から1個のLi原子に対する表面準位の消失量(原子数)が求まり、LEEDの構造解析から得たLi原子のCu原子への配位数と良い一致を見た。第7章ではCu(001)上のアルカリ金属原子の吸着構造につて、これまでに観測されている、しかし基板表面の吸着誘起構造相転移は観測されていない、NaとK吸着の場合との比較を論じている。第8章ではまとめが述べられている。

 このように本論文はLEEDの観測から、Cu(001)表面でLi原子による吸着誘起相転移が起きることを見いだし、信頼度の高い表面構造解析を行った結果について述べている。

 なお、本論文は共同研究の結果をまとめたものであるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53880