学位論文要旨



No 212150
著者(漢字) 山形,誠一
著者(英字)
著者(カナ) ヤマガタ,セイイチ
標題(和) 大腸腫瘍性病変のK-ras codon 12の点突然変異
標題(洋)
報告番号 212150
報告番号 乙12150
学位授与日 1995.02.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12150号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大原,毅
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 助教授 菅野,健太郎
内容要旨

 【緒言】大腸癌の発癌過程におけるadenoma-carcinoma sequenceは広く認められているが、1987年以降、Vogelsteinらによって分子生物学的な解析がなされてきた。そしてこれまでに、APC,K-ras,P53,DCC,MCC,HNPCC geneらの多数の遺伝子異常が発見され、これらの異常の蓄積により、大腸癌の発癌、発育、進展がなされると推測されるに至っている。これらの解析において、K-ras遺伝子変異は発癌過程の比較的早期に起こるとされてきたが、浸潤癌における変異頻度が高度異型腺腫に比較して低率であることから、このモデルとは異なる、K-ras遺伝子変異を伴わない発癌経路の存在も想定されている。特に、表面平坦〜陥凹型の早期癌においてK-ras変異が全く認められないという報告がなされるに至り、通常の隆起型病変におけるadenoma-carcinoma sequenceとは異なる発癌経路の存在が強く示唆されるようになった。

 flat adenomaは1984年武藤らの報告以来、重要な前癌病変として注目を集めてきた。しかし、これまでに前癌病変として分子生物学的な解析のなされた対象は、全てpolypoid adenomaであり、flat adenomaにおける解析はほとんどなされていない。そこで、本研究ではflat adenoma,polypoid adenomaそして、浸潤癌についてのK-ras codon 12の点突然変異を解析し、主に形態学的な側面との比較検討から、大腸癌発生の経路について考察を加えた。

 【対象と方法】東京大学第一外科および関連病院において、外科手術あるいは内視鏡的に切除された非遺伝性大腸腫瘍264病巣(248症例)を対象とした。その内訳は、polypoid adenoma 95病巣、flat adenoma 62病巣、浸潤癌101病巣(sm癌39病巣、pm癌33病巣、ss以上の癌29病巣)、および、潰瘍性大腸炎に合併した癌6病巣である。いずれもパラフィン包埋ブロックを使用した。

 病理組織学的検索:各ブロックから3mのH.E.染色切片を作成し、WHOの異型度判定基準に基づいて、組織学的異型度を分類した。flat adenomaは割面において、病巣の粘膜高が正常粘膜の2倍を超えないものとし、さらにその形態を胃癌取扱規約に準じて、IIa(n=27),IIb(n=17),IIc(n=8),IIc+IIa(n=7),IIb+IIa(n=3),に分類した。polypoid adenomaも割面よりIp(long stalk),Isp(short stalk),Is(broad base,sessile)に分類した。sm癌およびpm癌については、隆起型病変をType Iとし(Type I:sm癌16、pm癌9)、その他の潰瘍型、平坦型(1例)を発育形態により下田らの分類に準じて、Polypoid growth群(PG群:sm癌4、pm癌11)とNon-polypoid growth群(NPG群:sm癌17、pm癌13)に分類した。sm癌の2例(IIa,IIa+Is)は分類困難群とした。ss以上の進行癌については、発育形態の判定が難しいため隆起型(Type I)と潰瘍型にのみ分類した。以上の形態分類とK-ras変異の関連性について検討した。

 DNA抽出:5〜10mの隣接切片から鏡検下に病巣を確認しながら、adenomaにおいては最も異型の強い部分を、浸潤癌にあいては浸潤部を中心に腫瘍細胞が密に増殖している部分を、約10mm2切り出した。それぞれの標本には104〜105の細胞が含まれ、その80%以上が組織学的に異型細胞と考えられた。切り比した標本は、脱パラフィン、酵素処理によりDNAを抽出精製し、抽出したDNAの1/10量を使用して、2-step-PCR-RFLPによりK-ras codon 12の変異を解析した。

 大腸進行癌におけるK-ras mutationのheterogeneityの検討:大腸進行癌の病巣内における部位によるheterogeneityを調べる目的で、浸潤部において変異陽性の11病変、変異陰性の4病変それぞれについて辺縁部2〜5箇所からDNAを抽出し、K-ras codon 12の変異を解析した。

 【結果及び考察】

(1)polypoid adenomaとflat adenomaの比較検討(Table 1)

 polypoid adenomaにおけるK-ras codon 12の点突然変異は67%(64/95)に認められたのに対して、flat adenomaにおいては21%(13/62)と有意に低率で、この傾向は各異型度別、各大きさ別に見ても変わらなかった。polypoid adenomaは、mild atypiaでも60%(25/42)、5mm以下の小さなものでも57%(8/14)にK-ras変異が認められ、異型度、大きさが増すに連れてさらに高率となる傾向が認められた。この結果は従来の、polypoid adenomaの大きさ、異型度が増加するときにK-ras変異が関与するという推測と若干異なるが、その原因としては、K-ras変異検出方法の感度の差をあげることができる。本研究では小さな病巣から抽出した少量のDNAからも確実に、しかも高感度で変異を検出できることから2-step-PCR-RFLP法を用いた。本法の感度は、従来用いられてきたPCR-ASO、1-step-PCR-RFLP、PCR-direct sequenceに比べておよそ5〜10倍高感度である。このことをあわせて考えると、小さなadenoma、低異型度のadenomaには従来の方法では検出し難い少数のmutantが存在し、大きさ、異型度の上昇につれてadenomaの中での割合が増加するのではないかと推測された。polypoid adnomaのなかで、villous/tubulo-villous adenomaとtubular adenomaの間でK-ras変異頻度に差は認められなかったが、severe atypiaあるいは20mm以上のvillous/tubulo-villous adenomaには、そのほとんどに変異が認められた(9/9、11/12)。また、4cm以上のvillous tumorでは、90%にK-ras codon 12の変異がみられ、villous tumorが発育する上でK-ras変異は重要な役割を果たしているものと考えられた。

(2)形態とK-ras変異頻度との関係

 i)adenomaについて(Table 2):adenomaの形態との関係では、polypoid adenomaのIp、Isp、Isの各形態間にK-ras変異頻度の差は認められなかった。一方、flat adenomaでは、隆起を示すIIaとIIb+IIa型腺腫においては10/30(33%)と、平坦、陥凹型のIIb、IIc型腺腫(2/25:8%)に比べて有意に高率であった。このように、polypoid adenoma、IIa,IIb+IIa、IIb,IIcと隆起傾向が減少するに従って、K-ras変異頻度が低下する傾向が認められた。特にIIb、IIc病変はK-ras変異の上からpolypoid adenomaとは異なる範疇の病変であると考えられた。

 ii)浸潤癌について(Table 3):浸潤癌におけるK-ras変異頻度は、sm癌33%、pm癌45%、ss以上の癌で62%であった。sm癌の各発育形態におけるK-ras変異の頻度は、Typel56%(9/16)、PG群50%(2/4)、NPG群6%(1/17)と、TypeIとNPG群の間で著明な差がみられた。NPG群のsm癌はその形態から表面型病変由来であることが推測されているが、K-ras変異頻度も、flat adenomaとりわけIIb、IIcと同様に低率であり、平坦陥凹型病変かつK-ras変異の関与が小さいpathwayがあると考えられた。一方、Type Iのsm癌は、K-ras変異頻度が高率でありpolypoid adenoma由来と考えられた。pm癌においても、各発育形態におけるK-ras変異の頻度は、Type I 78%(7/9)、PG群45%(5/11)、NPG群23%(3/13)と、NPG群はType Iに比べて低率であり、NPG-pm癌の多くは平坦陥凹型病変のpathwayをたどってきた事が推測された。Type Iのpm癌のK-ras変異は78%と高率で、Type Iのsm癌からの進展が想定された。PG-pm癌、PG-sm癌のK-ras変異は約半数に認められたが、K-ras変異からこれらの由来を推定することは困難であった。ss以上の潰瘍型進行癌においては59%と比較的高率に変異が検出されPG型由来のものがかなり含まれているのではないかと推定された。

図表Table1.Frequencies of K-ras codon 12 mutations relative to histological grade of atypia in colorectal tumors. / Table2.Morphological type and K-ras mutation in adenomas / Table3.Growth type and K-ras mutation in invasive cancers
(3)K-ras変異のheterogeneityについて

 進行癌におけるK-ras変異のheterogeneityを調べたところ、変異陽性例11病変の内、5病変では解析した部位全てに、2病変で3/5、3/4に変異が見られたのに対して、4病変では腫瘍の深部でのみ変異が認められた。heterogeneityを認めた4病変はいずれも4cm以上の腫瘍であった。浸潤部における変異陰性例4例は、辺縁部においてもK-ras変異は検出されなかった。heterogeneityの存在については様々な解釈があると考えられるが、腫瘍の深部にしか変異が見られなかったことから、腫瘍が深部へ浸潤していく過程においてK-ras変異を獲得した可能性を示唆していると考えられた。

(4)潰瘍性大腸炎癌化例におけるK-ras変異について

 潰瘍性大腸炎の癌化例におけるK-ras変異は、通常の大腸癌に比べて頻度が低いことが従来より報告されており、我々の検討においても6症例中polypoid growthを示すvillous tumorの1例のみに変異を認め、non-polypoid growthの5例には変異を認めなかった。一般に潰瘍性大腸炎の癌化例は通常の大腸癌と異なり、non-polypoid growthを示す浸潤型が多いことが知られているが、遺伝子変化においても隆起型腺腫を介した発癌経路と異なる事が考えられた。

 【結論】K-ras変異に関して大腸腫瘍は一様ではなく、villous tumor、polypoid adenoma、Type I浸潤癌において変異頻度が高率であるのに対して、NPG-sm/pm癌、IIb、IIc型腺腫、潰瘍性大腸炎癌化例では変異頻度が低率であることが明らかになった。また、同一腫瘍内で、K-ras変異のheterogeneityが存在する場合があることも示唆された。大腸癌の発癌過程としては、Vogelsteinらの提唱したK-ras変異が密接に関与するpolypoid adenomaを介する経路とは別に、K-ras変異を伴わない平坦・陥凹型病変を介する経路が存在すると考えられた。

審査要旨

 本研究は、大腸癌の発癌過程について明らかにするために、非遺伝性大腸腫瘍263病巣(flat adenoma 62,polypoid adenoma 95,浸潤癌100,潰瘍性大腸炎癌化例6)の切除標本パラフィン包埋ブロックよりDNAを抽出し、2-step-PCR-RFLP法によりK-ras codon 12における点突然変異を解析し、形態学的な所見と比較検討したものであり、以下の結果を得ている。

 1)polypoid adenomaにおいて67%(64/95)にK-ras変異が認められたのに対して、flat adnomaにおいては21%(13/62)と有意に低率であった。polypoid adenomaのうち、villous tumorのK-ras変異頻度は90%と極めて高率であった。

 2)flat adenomaのなかでも平坦・陥凹型(IIb,IIc type)のK-ras変異は8%と、IIa,IIb+IIa typeの33%に比して低率であった。

 3)sm癌、pm癌のK-ras変異頻度は、Type I:(sm癌:56%,pm癌:78%)、polypoid growth群:(sm癌:50%,pm癌:45%)、non-polypoid growth群:(sm癌:6%,pm癌:23%)、とType Iとnon-polypoid growth群の間に差が認められた。

 4)ss以上の進行癌においては62%にK-ras変異を認めた。

 5)K-ras変異陽性の進行癌11例について、腫瘍内の3〜6箇所のK-ras変異を調べたところ、4例においては腫瘍の深部にしか変異がみられないという同一腫瘍内におけるheterogeneityを認めた。

 6)潰瘍性大腸炎の癌化例6例のうちK-ras変異を認めたのは、villous typeの隆起型病変1例のみであった。

 以上、本論文は、大腸腫瘍がK-ras変異に関して一様ではなく、villous tumor、polypoid adenoma、Type I浸潤癌において変異頻度が高率であるのに対して、NPG-sm/pm癌、IIb、IIc型腺腫、潰瘍性大腸炎癌化例では変異頻度が低率であることを明らかにし、このことから、大腸癌の発癌過程としては、Vogelsteinらの提唱したK-ras変異が密接に関与するpolypoid adenomaを介する経路とは別に、K-ras変異を伴わない平坦・陥凹型病変を介する経路が存在することを想定した。本研究は大腸癌の発癌過程の解明に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53883