学位論文要旨



No 212155
著者(漢字) 二平,章
著者(英字)
著者(カナ) ニヒラ,アキラ
標題(和) 潮境域における回遊魚群の行動生態および生理に関する研究
標題(洋) Studies on the behavioral ecology and physiology of migratory fish schools in the oceanic frontal area.
報告番号 212155
報告番号 乙12155
学位授与日 1995.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12155号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 松宮,義晴
 東京大学 助教授 青木,一郎
 東京大学 助教授 中田,英昭
内容要旨

 潮境域は陸棚や湧昇域とともに回遊性浮魚類の重要漁場であり、これまでにも多くの研究がなされてきた。しかし、潮境の海洋構造と漁場の位置関係を示す事実記載的な研究がそのほとんどであり、魚群の行動生態学的あるいは生理生態学的な研究は皆無に近い。魚群の回遊行動や資源量変動に伴う回遊域の拡大・縮小の機構などの問題を、生物と環境の相互作用の面から解明し、また、これらの生態学的な知見を基礎とした漁場形成や漁況の予測手法を改良するためにも、魚群の回遊行動に対する生理生態学的な研究が必要である。

 本研究は、東北近海の潮境域に来遊するカツオKatsuwonus pelamisを対象として、主に標識放流と流し刺網調査および体温測定により、その回遊行動と生理および潮境環境との関連性を明らかにした。研究成果の大要は以下のとおりである。

1.日本近海に来遊するカツオの生物学的特性

 茨城県那珂湊港における1971〜1993年の体長測定データをもとに、カツオの資源構造、生物特性値(生殖腺指数、肥満度、内臓除去肥満度、肝臓重量指数、腸間膜脂肪量指数)の変化と潮境の位置関係を解析するとともに、標識放流調査によりカツオの回遊生態を検討した。その結果、以下のことが明らかになった。

 1)春・夏季に東北近海域に来遊するカツオには、来遊の時期と体長により冬季発生する群と夏季発生する群に由来するA〜Eの5つの群が存在する。A群は4月に出現しその時の平均体長は51〜54cm。B・C群は5〜6月に出現し、前者は45〜48cm、後者は42〜44cm、D・E群は8月以降に出現し、前者は41〜45cm、後者は30cm台の大きさである。北赤道海流域から赤道海流域で冬に生まれるE群は成長して翌年C群に、さらにその翌年の春A群になる。他方、主に亜熱帯反流域で夏に生まれるD群は翌年の春B群となる。

 2)カツオは体長45.0cm付近から成熟度を増加させることから、B群の一部とA群は春季に成熟過程に入る。そのため、これらの魚群は黒潮続流の南縁付近まで北上した後、Uターンして南下し産卵群となる。

 3)B群の一部とC群のほとんどは、黒潮前線を越えて北上する。北上するB・C群は未成熟個体のみである。また、それらの体長、肥満度、内臓除去肥満度、肝臓重量指数、腸間膜脂肪重量指数はいずれも黒潮前線を境に北側で不連続的に高くなる。

 4)北上したB・C群は秋・冬季に亜熱帯反流域および赤道海域まで南下するが、D,E群は南下しても黒潮周辺域どまりである。

2.標識放流調査からみた潮境域におけるカツオの行動生態

 潮境における魚群の行動調査のため、1981年8月に2次黒潮前線、1986年5,6月に黒潮続流の前線付近でカツオを標識放流し、放流時と再捕獲時の生物特性値を比較検討した。その結果、以下のことが明らかになった。

 1)春季に黒潮続流水域まで北上してきたカツオ魚群のUターン行動の決定は黒潮続流の最高水温帯の南縁付近で行われる。北縁の黒潮前線まで北上した個体は最終的にはすべて北上する。

 2)6月に黒潮前線から北にのびる暖水ストリーマに乗って北上する個体は、ストリーマの水温が約20℃以上になるまでは体長・肥満度の大きいものに限られる。

 3)9月に2次黒潮前線付近まで北上した群のうち、体長45cm以上の大型魚は潮境を通過し肥満度を高めながら北の低水温域側へ侵入するが、小型魚は潮境から高水温帯側に戻る。潮境域におけるこの体サイズ別の魚群のふるい分け現象を「サイズスクリーニング」と呼ぶことにした。

3.流し刺網調査からみた潮境域におけるカツオの分布と海洋環境

 潮境域におけるカツオ魚群の分布と海洋構造の関係を調べるために、1987年と1988年の6月に黒潮水域および暖水ストリーマ内において流し刺網調査と海洋調査を実施し、以下のことを明らかにした。

 1)黒潮前線南の暖水域では体長45cm以下と45cm以上の個体が混在するのに対して、北の冷水側では体長45cm以上の大型魚のみが分布し、サイズスクリーニング現象が認められる。

 2)暖水ストリーマ西縁部のフロント付近(表面水温20.4℃)におけるカツオはオキアミ類とカタクチシラス、低水温側(表面水温18.3℃)に分布したカツオはオキアミ類とマイワシを主に食べていた。ストリーマ内のカツオのうち、先端部付近の個体の胃内容物重量は中央部付近の個体の2〜5倍もあり、より活発に採餌していることがわかった。

4.温度生態学的視点からみた潮境域におけるカツオの行動

 黒潮と親潮の間の混乱水域に分布するカツオの部位別蓄積脂肪量の測定と、北西部太平洋全域のカツオの体温測定により、以下のことを明らかにした。

 1)カツオの脂肪蓄積量は、春季に魚群が黒潮前線を越えて混乱水域に北上した時と、秋季に暖水ストリーマ北縁の低水温域に侵入した時に増加する。体長45cm以上の大型個体は小型個体に比べて蓄積脂肪量が高い。この脂肪は主に皮下部と胃腸壁部に蓄積されており、低水温環境域に侵入するカツオの体温保持に有効であると考えられる。

 2)混乱水域に来遊する体長30〜55cmのカツオは、環境水温が低下しても、代謝のための最低体温22℃を保つ。体長45cm以下の小型個体は、断熱層としての脂肪蓄積量が少ないため、大型個体に比較して体温を高く保つ能力が劣るので、水温環境が20℃以下になると代謝活性が低下すると考えられる。このことが潮境におけるサイズスクリーニング現象の基本的な要因であると推察される。

 3)南下期のカツオのうち、大型個体は潮境通過前に体温を上昇させ、水温26〜27℃の亜熱帯反流以南の水域まで一気に南下する。一方、体温が大型個体ほど高くならない体長42〜43cm以下の小型個体は、南下しても黒潮周辺域にとどまる傾向がある。

 以上により、黒潮続流の潮境域におけるカツオ魚群の回遊に関わる生理生態学的特性と漁場形成の経年変動の機構に関して、以下のことが結論される。

 (1)黒潮続流の南縁ですでに成熟過程に入った魚群は南にUターンする。肥満度が高い魚群の一部は前線を越えて混乱水域に入るが、南側にUターンする個体の割合は肥満度の低い魚群に比べて高い。

 (2)混乱水域に来遊する魚群のうち、体長30〜45cmの個体は20℃以下の水温環境下では体温を高く保持する機構がないために、20℃以上の暖水域にとどまる。一方、体長45cm以上の索餌群は、皮下部に脂肪蓄積することにより体温保持機構を備え、潮境を越えて低水温域まで侵入する。その結果、サイズスクリーニング現象が生じる。

 (3)北に侵入した大型個体は親潮水域表層部に伸びる暖水ストリーマを利用してその先端付近まで侵入し、多量の栄養蓄積を行うことにより、亜熱帯反流以南の産卵域までの長距離南下回遊を可能にする。

 (4)資源量の水準が高い年は個体の成長と発育が遅れ、未成熟・低肥満度・小型魚の出現割合が増え、黒潮南縁域でUターンせずに北上する魚群量が増加する。さらに、前線付近でサイズスクリーニング現象のために滞留する魚群の量が増える結果、黒潮続流域の前線漁場形成は活発となる。資源の低水準年には逆の現象が生じ、前線漁場の形成は不活発となる。

審査要旨

 潮境域は回遊性浮魚類の重要漁場である。これまでの漁場形成機構研究の多くは,水温・塩分の構造と単位努力量当り漁獲量の分布の対応性から論じたものであり,魚群の行動生態あるいは生理生態学的な研究はまだ皆無に近かった。本研究は東北近海に来遊する潮境域のカツオを対象にして,標識放流と刺網による魚群の生物情報と海洋環境の調査を,北上回遊初期から南下回遊末期にわたり行った。そして,体長,肥満度,成熟度等の生物的指標を解析して,潮境域の魚群の回遊行動における環境選択,とくに体長,肥満度による前線乗り越えの差異と,潮境域漁況の資源水準による変化等の機構を明らかにした。研究成果の大要は以下の通りである。

1.日本近海に来遊するカツオの生物特性

 カツオの資源構造,生物特性値(生殖腺指数,肥満度,内臓除去肥満度,肝臓重量指数,腸間脂肪量指数)の変化と潮境の位置関係会解析するとともに,標識放流カツオによりカツオの回遊生態を検討した結果,1)春夏季に東北近海に来遊するカツオには,北赤道海流〜赤道海流域で冬に生れる群と,主に亜熱帯反流域で夏に生れる群があり,来遊の時期と体長により5群に分かれること,2)カツオは体長45cm付近から成熟度を増加させることから,2才魚の一部と3才魚は春季に成熟に入り,これらの群は黒潮続流の南縁付近でUターンして南下し産卵詳となること,3)黒潮前線を越えて北上した2才魚は秋冬季に亜熱帯反流および赤道海域まで南下するが,1才魚は南下しても黒潮周辺どまりであること,を明らかにした。

2.標識放流調査から見たカツオの行動生態

 黒潮続流の北縁および北の第2次黒潮前線付近でカツオを標識放流し,放流時と再捕時の生物特性値を比較検討した結果,1)春季に黒潮続流域まで北上してきたカツオ魚群のUターン行動の決定は黒潮続流の最高水温帯の南縁付近で行われ,黒潮前線北縁まで北上した個体は最終的にはすべて北上すること,2)第2次黒潮前線付近まで北上した群のうち,体長45cm以上の大型魚は潮境を通過し肥満度を高めながら北の低水温域に侵入するが,小型魚は潮境から高水温帯に戻り,体長別の振い分け現象を起こすことを明らかにした。

3.流し刺網調査からみたカツオの分布と海洋環境

 暖水ストリーマ内における流し刺し網と海洋調査からも,1)黒潮前線内の暖水域では体長45cm以下と以上の個体が混在するが,北の冷水側では体長45cm以上の大型魚のみで,サイズスクリーニング現象が認められること,2)暖水ストリーマ(細い帯状の暖水の流れ)内のカツオの中,先端付近の個体の胃内容物重量は中央部付近の数倍もあり,活発に採餌していること,を明らかにした。

4.温度生態学的視点から見た潮境域におけるカツオの行動

 黒潮と親潮の間の混乱水域に分布するカツオの部位別蓄積脂肪量の測定と,北西部太平洋全域のカツオの体温測定により、以下のことを明らかにした。

 1)カツオの脂肪蓄積量は,春季に魚群が黒潮前線を越えて混乱水域に北上した時と,秋季に暖水ストリーマ北縁の低水温域に侵入した時に顕著に増加し,大型個体は小型個体に比べて蓄積脂肪量が高いこと,またこの脂肪は主に皮下部と胃腸壁部に蓄積され,低水温域に来遊する体長30〜55cmのカツオは,環境水温が低下しても,代謝のための最低体温22℃を保つが,体長45cm以下の小型個体は,断熱層としての脂肪蓄積が少ないため水温20℃以下の環境では代謝活性が低下し,このことが潮境におけるサイズスクリーニング現象(潮境乗り越えの体長による違い)を起こす原因と判断されること,2)南下期のカツオのうち,大型個体は潮境通過前に体温を上昇させ,水温26〜27℃の亜熱帯反流以南の水域までの長距離を一気に南下すること。

5.黒潮続流潮境漁場の経年変動の機構

 資源量水準が高い年は個体の成長と発育が遅れ,未成熟・低肥満度・小型魚の出現割合が増え,黒潮南縁域でUターンせずに北上する魚群量が増加する。さらに,前線付近でサイズスクリーニジグ現象のために滞留する魚群の量が増す結果,黒潮続流の前線漁場形成は海発,資源の低水準年には逆の現象が生じ前線漁場は不漁となる。

 これらの成果は,カツオの回遊に関する生理・生態学的な基礎研究の面と,潮境漁場の形成・移動および豊度を予測する応用的研究の両面において大きな成果を収めたものと云える。よって,審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与する価値があるものと認めた。

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