学位論文要旨



No 212156
著者(漢字) 入来,規雄
著者(英字)
著者(カナ) イリキ,ノリオ
標題(和) 雪腐黒色小粒菌核病抵抗性良質コムギ品種の育種に関する研究
標題(洋)
報告番号 212156
報告番号 乙12156
学位授与日 1995.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12156号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,元吉
 東京大学 教授 松崎,昭夫
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 助教授 山下,修一
 東京大学 助教授 長戸,康郎
内容要旨

 北海道の道央多雪地帯における秋播コムギ栽培においては,長期間の積雪により雪腐病菌がコムギに感染し大きな被害をもたらす.雪腐病は数種の菌により引き起こされるが,そのなかで,雪腐黒色小粒菌核病菌(以下黒色小粒菌核病菌)は病原力が強く最も大きな被害をもたらす.雪腐病菌の感染は積雪下で起こるため,育種における雪腐病抵抗性の評価は圃場における観察が主体となるが,本研究を実施した北海道農試圃場は,育種の場としては,黒色小粒菌核病抵抗性育種に適している.また,現在のコムギ育種においてはめんとしての良質性の付与も大きな課題であるが,これまで,めん適性に関する育種,選抜法の蓄積は少なく,めん適性に関する初期〜中期世代における多数の材料に対するスクリーニング法の開発が必要であった.

 本研究では,黒色小粒菌核病抵抗性良質品種の育種を進めるにあたって必要な,同抵抗性および良質性の評価法と選抜法に関する知見を得ることを目的として,コムギ品種および近縁種における母材の検索をおこない,同抵抗性の発現の様相および遺伝母数の推定をおこなうとともに,良質性の選抜指標となる形質の検討をおこなった.

 なお,本研究における黒色小粒菌核病抵抗性は,従来の日本品種における最も高い抵抗性を従来型抵抗性,海外で見い出されたこれらを上回る抵抗性を高度抵抗性として表した.

1.雪腐黒色小粒菌核病抵抗性に関する遺伝資源の検索

 秋播コムギ品種については約700品種系統の黒色小粒菌核病抵抗性を検討した.全般的な傾向としては,抵抗性資源の分布に地域差が認められ,従来型抵抗性を示す品種はほとんどが北海道,旧ソ連,北欧および北米の多雪地域で育成されたものであった.しかし,高度抵抗性品種として認められたPI173438,CI14106,South Finland,SV35/2099 Lantvetefra’n Knutby,Strube’s Squarehead,Niederndorferberg,Haunsbergの来歴は,トルコ,北欧,ドイツ,スイスと広範囲にわたっていた.コムギ近縁種ではAe.cylindricaの系統が最も同菌に対する抵抗性が高く,コムギのPI173438と同等の抵抗性を示した.Ae.cylindricaはCDゲノムを有するが,Dゲノムを有するAe.squarrosaに抵抗性の高い系統が見られず,Cゲノムを有するAe.caudataには比較的抵抗性の高い系統が認められたことから,Cゲノムが黒色小粒菌核病抵抗性に関与していると考えられた.そこで,Cゲノムの抵抗性遺伝子のコムギへの導入により,新たな抵抗性遺伝資源が開発できる可能性が示唆された.

2.圃場における雪腐黒色小粒菌核病抵抗性の発現の様相

 自然発病による黒色小粒菌核病の被害は,播種量が高いと増大したが,窒素施用量とは関連がなかった.3か年の同菌による被害の分散分析では,年次と品種の交互作用が認められた.自然発病下では同菌に対する高度抵抗性が把握できない年次があるが,同菌生物型Aの圃場接種では高度抵抗性が常に明瞭に現れた.しかし,圃場接種試験では被害が大きすぎて高度抵抗性ではない品種間の差を判定できない場合があった.以上から,育種における黒色小粒菌核病抵抗性の圃場における評価法が次のように考えられた.

 1)育成初期の第1段階の抵抗性に関する選抜は,自然発病により系統育成圃場における複数年の黒色小粒菌核病被害の観察から選抜をおこなう.

 2)後期世代系統の抵抗性の評価では,自然感染下と,黒色小粒菌核病菌生物型Aの圃場接種による抵抗性検定を併用する.

 3)抵抗性検定に際しては,播種密度は低くする必要があるが,施肥量は慣行水準でよい.

3.雪腐黒色小粒菌核病抵抗性の遺伝

 農林10号/CI14106 F2の分離の観察から,黒色小粒菌核病抵抗性と稈長,穂型とに強い連鎖はないが,同病に対する高度抵抗性と倒伏抵抗性とを組合わせることに困難な要因がある可能性が考えられた.自然発病下におけるF1の同抵抗性の観察からは,高度抵抗性は罹病性に対し優性と思われた.同菌生物型A接種による抵抗性のF2ダイアレル分析では,抵抗性は部分優性で遺伝力は高かった.ダイアレル分析およびF3系統の分離状況から同菌に対する抵抗性に関与する遺伝子は少数であると推定された.同抵抗性の遺伝力が高く,抵抗性が部分優性と考えられることから,同菌生物型Aの接種試験による抵抗性の評価に基づく戻し交雑育種が有効と考えられた.

4.良質性に関する母本の検索と選抜法1)Eめん適性に関する母本の検索

 めん適性を評価するうえで大きな比重を占める,ゆでめんの粘弾性と色に関して検索をおこなった.粘弾性に関しては,国産コムギの中で最も優れるチホクコムギを上回るものはなかった.チホクコムギと同等の粘弾性を示した系統が7認められたが,それらは北見35号を除くすべてがチホクコムギを直接の交配親とするか,チホクコムギと系譜上つながりのある系統であった,色に関しては,Brever,Hyman,Bubak Sindの3品種が,チホクコムギより優れ,きわめて色の評価の高いASW(Australian Standard White:オーストラリアのコムギ銘柄)と同等のスコアを示し,今後のめん色に関する大幅な改良の可能性が示唆された.しかし,これら3品種は粒色が白であり,育種母本として活用する際は,穂発芽抵抗性の付与に留意する必要があると考えられた.また,ASWには及ばないがチホクコムギよりもめん色に優れている系統,品種が17認められ,白粒であるがある程度の穂発芽抵抗性を有するClark’s Creamはそのひとつであった.Clark’s Creamは穂発芽抵抗性を有するめん色に関する母本として有用と考えられた.

2)アミロース含量による選抜効果の検討

 アミロース含量はめんの粘弾性と相関があることが確認された.アミロース含量は少量のサンプルによる自動分析が可能であることから,初期〜中期世代における選抜指標として期待された.2組合せのF3穂別系統とその後代のF4系統の選抜実験から遺伝率を推定したところ,ひとつの組合せでは選抜効果が認められ集団内のアミロース含量の変異の1/3が遺伝的変異によると考えられたが,もう一つの組合せでは選抜効果が認められなかった.したがって,アミロース含量に関する初期〜中期世代における選抜は,複数年の評価によりおこなうのがよいと考えられた.

3)雪腐黒色小粒菌核病抵抗性とアミロース含量の関係

 雑種初期世代,および後期世代育成系統において,黒色小粒菌核病抵抗性とアミロース含量との間に有意な相関は認められなかった.したがって,初期世代〜中期世代において同抵抗性に関する選抜をおこなっても養成集団から良質性が失われる可能性は少なく,黒色小粒菌核病抵抗性育種の場として優れている北海道農試圃場を有効に利用できると考えられた.

5.雪腐黒色小粒菌核病抵抗性良質品種の育種戦略

 上記の結果,および実際に育成された黒色小粒菌核病抵抗性良質系統の育成経過を検討し,今後の育種戦略を以下のように提案した.

 1)初期世代〜中期世代における第1段階の選抜では,黒色小粒菌核病抵抗性,およびアミロース含量による良質性に関する選抜を複数年にわたる評価に基づいておこなう.雑種初期世代の集団の大きさは従来の育種における3000個体よりも可能な限り大きくする.

 2)初期〜中期世代の同抵抗性に関する選抜では,従来型抵抗性を目標とする場合は,自然感染下における系統育成圃場での評価によるが,高度抵抗性を目標とする場合は,同菌生物型Aの圃場接種試験を併用する.

 3)黒色小粒菌核病高度抵抗性系統の早期育成のため,戻し交雑育種を積極的におこなう.同抵抗性の評価は,同菌生物型Aの接種により,接種後80日〜100日に積雪下から掘り出しておこなう.

 4)後期世代系統の黒色小粒菌核病抵抗性の特性検定は,抵抗性の正確な把握のために,自然感染下における検定と,同菌生物型Aの圃場接種試験を併用する.

 5)黒色小粒菌核病抵抗性遺伝子の集積のため,同抵抗性に関与すると見られるCゲノムを有するAe.cylindrica,Ae.caudataから抵抗性遺伝子の導入をおこなう.

 本研究により,雪腐黒色小粒菌核病抵抗性に関する新たな母本および遺伝資源,抵抗性の発現の様相,遺伝様式,初期〜中期世代における選抜効果,さらに良質性の選抜に関する新知見を得ることができた.これらの新知見は,雪腐黒色小粒菌核病高度抵抗性良質品種の早期育成に資すること大である.

審査要旨

 北海道の道央地帯においては、長期間の積雪により雪腐病菌(おもに黒色小粒菌核病薗)が栽培コムギに感染し大きな被害をもたらす。また現在のコムギ育種ではめんとしての良質性の付与も大きな課題である。これらの課題に対応する適切な品種は育成されていない。また、雪腐病菌の感染は積雪下で起こるため、育種における抵抗性の評価は圃場における観察が主体となるが、本研究を実施した北海道農試圃場は評価の場として適している。本研究では育種を進めるために必要な雪腐病抵抗性および良質性に関する母材の検索を行い、さらに評価法と選抜法の検討を行った。得られた知見の概要は以下の通りである。

1.雪腐黒色小粒菌核病抵抗性に関する遺伝資源の検索

 ・世界各地由来の約700品種系統について検討したところ、従来型抵抗性(従来の日本品種における最高程度の抵抗性)については地域による分布差が認められた。さらに、従来型抵抗性を上回る高度抵抗性の7品種が海外の中から見いだされたが、これらの品種の来歴はトルコ、北欧、ドイツ、スイスなどの地域にわたっており、従来型抵抗性の場合と分布域が違っていた。

 コムギ近縁種について検討したところ、CDゲノムを有するAe.cylindricaの系統が最も高い抵抗性を示した。その他の結果も合わせて、Cゲノムにも抵抗性遺伝子が含まれていることが推測され、新しい抵抗性遺伝資源が開発できる可能性が示された。

2.圃場における雪腐黒色小粒菌核病抵抗性の発現の様相

 自然発病による黒色小粒菌核病の被害は年次変動が大きく、年次と品種の交互作用が認められた。コムギ種子の播種量が多いと被害が増大するが、窒素施用量とは関連がなかった。自然発病下では高度抵抗性が把握できない年次があるが、生物型A菌の圃場接種では高度抵抗性が常に明瞭に評価できた。しかし、圃場接種試験では被害が大き過ぎて高度抵抗性を持たない品種間の差異を判定できない場合があった。また、従来型抵抗性の評価については圃場試験では3反復が必要であると推定した。以上のことから、育種における黒色小粒菌核病の圃場評価法を考案した。

3.雪腐黒色小粒菌核病抵抗性の遺伝

 罹病性品種と高度抵抗性品種との交配実験から遺伝解析を行った。高度抵抗性と稈長、穂型との間に強い連鎖はないが、高度抵抗性と耐倒伏性とを組み合わせることに困難な要因があると推測された。高度抵抗性は、自然発病下では罹病性に対し優性、生物型A菌接種による評価では部分優性で遺伝率は高かった。また、黒色小粒菌核病抵抗性に関与する遺伝子数は少数であると推定された.

4.良質性に関する母本の検索と選抜法1)めん適性に関する母本の検索

 めん適性を評価する上で重要なゆでめんの粘弾性と色についての検索を行った。粘弾性ついては、国産コムギの中で最も優れるチホクコムギを上回るものはなく、チホクコムギと同等の粘弾性を示した系統は殆どチホクコムギと系譜上つながりのある系統であった。色については、極やで優れた外国3品種が選抜されたが、これらの品種は白粒で穂発芽性弱で品質が劣化することが懸念された。品種Clark’s Creamは白粒で、色についてはかなり優れており、その上若干の穂発芽性抵抗性が認められた。これらの品種系統は良質性についての母本として有用であると考えられた。

2)アミロース含量による選抜効果の検討

 アミロース含量はめんの粘弾性と相関があることが認められたが、年次変動が大きかった。アミロース含量は少量のサンプルによる自動分析が可能なので、品種育成初期〜中期世代に評価できるが、年次変動を考慮して複数年の評価が必要と思われた。

3)雪腐黒色小粒菌核病抵抗性とアミロース含量との関係

 雑種初期世代および後期世代育成系統において、育成上選抜の妨げとなる、抵抗性とアミロース含量との間の有意な負相関は認められなかった。

 上記の結果、および実際に育成された黒色小粒菌核病抵抗性良質系統の育成経過を検討し、今後の育種戦略を提案した。

 以上要するに本研究により、雪腐黒色小粒菌核病抵抗性と良質性を兼ね備えた新品種育成戦略確立のための、基礎的ないくつかの新知見を得ることができた。これらの成果は学術上、応用上寄与することが大きい。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を与える価値があることを認めた。

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