学位論文要旨



No 212158
著者(漢字) 鈴木,宏志
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ヒロシ
標題(和) 透明帯除去胚の発生に関する研究
標題(洋)
報告番号 212158
報告番号 乙12158
学位授与日 1995.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12158号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊田,裕
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 舘,鄰
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 佐藤,英明
内容要旨

 哺乳類卵子の透明帯は、多精子受精の拒否に働き、さらに、着床前の胚の割球の分離や卵管壁への接着防止といった保護作用を担っている。従って、透明帯は、胚の卵管下降に必須な構造物であり、コンパクション以前の透明帯除去胚を卵管に移植して産仔を得ることは、困難であることが知られている。また、体外における透明帯除去胚の培養に関する検討は、早い時期から行われてきたが、産仔への発生率は極めて乏しいものであった。このため、産仔を得るには、透明帯への帰納が必要であると考えられ、その後、透明帯除去胚の体外培養に関する研究は、充分になされていなかった。しかしながら、透明帯除去胚の発生が極めて困難な状況は、初期胚の発生を支配する要因解析が、いまだ不充分であることに起因すると考えられる。

 また、近年の発生工学の興隆に伴い、透明帯除去胚の利用は、キメラ胚作製に不可欠の技術となっており、その初期発生過程を制御することの意義は大きいと考えられる。そこで本研究では、まず、培養条件下および受容雌への移植後における透明帯除去胚ならびに透明帯除去2分離胚の発生能を検討し、次いで、透明帯除去胚の発生能と割球配列との関係について検討した。さらに、透明帯除去胚のコンパクションの有無が、胚性幹細胞(ES細胞)とのキメラ胚形成能、およびその後の発生能に、いかに影響するかについて検討を加えるとともに、サイトカラシン処理によって4倍体とした透明帯除去胚とES細胞とのキメラ胚から完全にES細胞に由来する産仔が作出し得るか否かについて検討した。

1、体外における透明帯除去胚の発生能と移植後の産仔への発生

 前核期で透明帯の除去を施したマウス体外受精卵の体外培養および産仔への発生能について検討した結果、精子添加後96時間における胚盤胞への発生率は、透明帯の除去を施さない対照区と差のない値であり、さらに、胚盤胞を構成する細胞数についても、透明帯除去胚と対照胚との間に差を認めなかった。また、透明帯除去胚の移植後、低率ながら正常な産仔を得ることに成功した。さらに、2細胞期において透明帯を除去後、ピペッティングにより胚を2分離して胚盤胞まで培養し、偽妊娠雌に移植した結果、移植ペア胚の22%に相当する6組の一卵性双仔を得ることに成功した。これらの成績は、体外培養条件下における透明帯の存在は、胚の着床前の発生に必須のものではないことを明瞭に示している。しかしながら、胚盤胞への発生率に比して低率であった産仔への発生能についての要因解析が必要であると考えられた。

2、透明帯除去マウス胚の発生能と割球配列との関係

 体外培養条件下における透明帯除去胚の発生においては、透明帯の欠如により、4細胞期において、特徴的な幾つかの形態を呈する。これらは、割球間の接着点の数によって4タイプに分類することができる。すなわち、割球が直鎖状に配列した接着点数が3のタイプAから、ほとんどの透明帯非除去胚(対照胚)で観察されるものと同一な形態であるテトラポット様の接着点数6のタイプDの4種類である。対照胚では、タイプDが約90%を占め、タイプAは全く観察されなかった。しかしながら、透明帯除去胚および2分離胚の割球配列は、タイプDがそれぞれ、15%および8%しか観察されず、代わりにタイプAが、透明帯除去胚で14%、透明帯除去2分離胚で32%出現した。この4細胞期における割球間の接着点数と胚盤胞への発生率との関係を透明帯除去胚を用いて観察した結果、タイプAからDの4者間に有意な差は認められず、また、最も接着点数の少ないタイプA、最も接着点数の多し1タイプDおよび対照胚の胚盤胞を構成する細胞数も、3者間に差のないものであった。しかし、胚盤胞を構成する細胞数に占める内部細胞塊の細胞数の割合は、タイプAが17%であったのに対し、タイプDおよび対照胚では、それぞれ24%および27%であった。透明帯除去胚の4細胞期からの発生を倒立顕微鏡下で継時的に観察した結果、クイプAではタイプDに比べ、8細胞期において表面積が大きい、いわゆる’open 8-cell’を呈するものが多く、胚の深部に位置する細胞数が少ないことが示唆され、このことが、内部細胞塊を構成する細胞数の減少および移植後の産仔への発生能の低下を惹起させるものと考えられた。さらに、胚の移植成績は、これらの細胞学的解析を裏付けるものであった。すなわち、タイプDおよび対照胚では、それぞれ移植胚の42%が生存産仔に発生したのに対し、タイプAの産仔への発生率は23%と、それらの成績より有意に低いものであった。以上の成績は、透明帯除去胚の4細胞期における割球配列が、着床前後の胚発生に影響を及ぼすことを明確に示しており、正常な割球配置が確保されれば、透明帯除去胚であっても対照胚と変わらない発生成績が保たれることが明らかとなった。

3、ES細胞とのキメラ形成能に及ぼす透明帯除去胚のコンパクションの影響

 透明帯除去胚とES細胞とのキメラ胚作出は、今後、汎用され得る胚操作技術のひとつであるが、キメラ形成能およびキメラ胚の発生能に関する解析は十分ではない。そこで、透明帯除去胚のコンパクションの有無が、キメラ作出効率に関与するか否かを、コンパクション前(8C)およびコンパクション開始後(8-M)の胚と凍結融解ES細胞とを共培養し、その後の発生を比較検討した。その結果、8-Mの胚盤胞への発生率(32%)は、8Cの発生率(5%)に比べ、有意に高いものであったが、産仔におけるキメラ形成率は、胚盤胞の移植から得られた産仔よりも、一晩培養後に桑実胚を呈している胚から得られた産仔の方が高いという成績を得た。また、この現象は、8Cでより顕著に認められた。そこで、胚に接着したES細胞の数と胚盤胞への発生率との関係について検討したところ、共培養開始後1時問および3時間の観察においては、8Cと8-Mとの間でES細胞の接着数に差は認められなかったが、8Cでは接着細胞数が多いと胚盤胞の発生率が有意に低下することが観察された。この結果から、ES細胞の接着が、コンパクション開始後の胚に比べ、コンパクション前の胚の発生により強い影響を及ぼすこと、また、多数のES細胞の接着は、胚の発生を遅延させるものの、少なくともその一部は、キメラ個体へと発生することが知られた。また、このことが、桑実胚の移植で寄与率の高いキメラ個体へと発生する理由のひとつと考えられた。

4、サイトカラシン処理4倍体透明帯除去胚との共培養によるES細胞由来産仔の作出

 人為的に作成した4倍体胚の一部は着床後の発生を認めるものの生存産仔に至ることはない。しかし、ES細胞とのキメラ胚にあいては、4倍体胚の胚体外組織への分化によりES細胞由来の胎仔の発生が支持され、産仔が得られることが期待できる。前核期の体外受精卵にサイトカラシンB処理を行って4倍体とした胚をコンパクション期まで培養し、EDTA処理によってデコンパクションを誘起後、透明帯の除去を行った。次いで、透明帯除去4倍体胚を1個あるいは2個凝集させてES細胞と共培養し、一晩培養後に移植した結果、眼の色素および毛色から判定して、完全にES細胞に由来すると考えられる5例の雄の産仔を得ることに成功した。これらの雄マウスは、次世代にもっぱらES細胞の遺伝形質を伝達した。

 以上の結果から、透明帯の欠如による産仔への発生率の低下は、胚の分化が最初に検出される発生段階より以前、すなわち、4細胞期における割球配列に起因していることが明らかとなった。この異常な割球配列は内部細胞塊への分化に影響を及ぼし、産仔への発生能を低下させると考えられた。また、透明帯除去胚とES細胞との共培養によるキメラマウス作出において、共培養後の発生に遅延が認められる胚が、ES細胞の寄与率の高いキメラマウスに発生することを見い出すとともに、この現象は、コンパクション前の透明帯除去胚の発生が、コンパクション開始後の胚に比べ、ES細胞の接着により強い影響を受けることに起因するものであることを示した。また、本研究の最後には、サイトカラシンで誘起された4倍体胚が、ES細胞の胚発生を支持し、完全にES細胞に由来する産仔が作出可能であることを示した。

 透明帯除去胚の発生に関する研究は、胚の細胞系譜に関する新たな知見を与えるのみならず、発生工学の進展にも大きく貢献するものと考える。

審査要旨

 哺乳類卵子の透明帯は,受精に際し多精拒否に重要な役割を演じ,さらに,受精後は着床前の胚を保護する役割を担っている。従って,透明帯除去胚を卵管に移植して産仔を得ることは,困難であることが知られているが,近年の発生工学の発展に伴い,透明帯除去胚の利用はキメラ胚作製に不可欠の技術となっており,その発生過程の制御が重要な課題となっている。本論文は,培養条件下および受容雌への移植後における透明帯除去マウス胚の発生能の制御について検討したものであり,4章から構成されている。その内容は,以下のように要約できる。

 第1章では,前核期で透明帯を除去したマウス体外受精胚の体外培養および産仔への発生能について検討している。まず,個々の透明帯除去胚を微小滴の培地内に静置する培養方式を考案し,対照胚と差のない胚盤胞への発生率を得ることが可能であることを示し,透明帯除去胚の移植後,少数ながら正常な産仔を得ることに成功した。さらに,2細胞期において透明帯を除去後,2分離した胚を胚盤胞まで培養し,偽妊娠雌に移植して,移植ペア胚の22%に相当する6組の一卵性双仔を得ることにも成功した。これらの成績から,体外培養条件下では透明帯は胚発生に必須のものでないことを示すとともに,胚盤胞への発生率に比して著しく低率であった産仔への発生能についての要因解析が必要であると考察している。

 次いで第2章では,透明帯除去マウス胚の発生能と割球配列との関係について検討している。まず,体外培養条件下における透明帯除去胚の発生においては,透明帯の欠如により,4細胞期において,特徴的な幾つかの形態を呈することを見出し,割球間の接着点の数によって胚を4型に分類した。すなわち,割球が直鎖状に配列した接着点数が3のタイプAから,ほとんどの透明帯非除去胚(対照胚)で観察されるものと同一の形態であるテトラポット様の接着点数6のタイプDまでの4種類である。この4細胞期における割球間の接着点数と胚盤胞への発生率との関係を透明帯除去胚を用いて観察した結果,胚盤胞を構成する細胞数に占める内部細胞塊の細胞数の割合は,タイプDおよび対照胚では,それぞれ24%および27%であったのに対して,タイプAでは17%と有意に低く,また4細胞期からの発生を倒立顕微鏡下で継時的に観察した結果,タイプAではクイプDに比べ,胚の深部に位置する細胞数が少なく,このことが,内部細胞塊を構成する細胞数の減少および移植後の産仔への発生能の低下を引き起こすと考察している。さらに,透明帯除去胚の移植実験を行い,タイプDおよび対照胚では,それぞれ42%の胚が胎子に発生したのに対して,タイプA胚の発生率は23%と有意に低いという結果を得て,この推論が正しいことを確かめている。

 第3章および第4章では,透明帯除去胚と胚性幹細胞(ES細胞)とのキメラ胚の形成について検討している。まず,第3章では正常2倍体胚の8細胞期に生じる割球間接着構造の発達による胚の収縮(コンパクション)とキメラ胚の形成能との関係に注目し,コンパクション前(8C)およびコンパクション開始後(8-M)の胚とES細胞との共培養を行い,キメラ胚作出の効率を比較検討した。その結果,胚盤胞への発生率は,8-Mの場合(32%)が,8C胚の発生率(5%)も比べ,有意に高いものであったが,産仔におけるキメラ形成率は,胚盤胞に発達した胚よりも,桑実胚に留まっていた胚から得られた産仔の方が高く,この現象は,8C胚でより顕著に認められた。そこで,胚に接着したES細胞の数と胚盤胞への発生率との関係について検討したところ,8C胚では接着細胞数が多くなるに従い胚盤胞の発生率が有意に低下することが観察された。この結果から,コンパクション前の胚へのES細胞の接着は,胚の発生を遅延させるものの,それはキメラ個体への発生の可能性を示す兆候として捉えることができると考察している。この結果は,キメラ個体作製のためのより効率の高い方法の開発に貴重な示唆を与えるものとして評価できる。

 第4章では,サイトカラン処理4倍体透明帝除去胚との共培養によるES細胞由来産仔の作出について述べている。この目的は,単独では胎子への発生能を持たない4倍体胚と体外の組織への分化能力の低いES細胞とのキメラ胚を作製することによって,ES細胞由来の胎仔の発生が支持され,産仔が得られることを期待するものである。前核期の体外受精卵にサイトカラシンB処理を行って4倍体とした胚をコンパクション期まで培養し,EDTA処理によってコンパクションを一過性に解除した後に,透明帯の除去を行い,透明帯除去4倍体胚を1個あるいは2個凝集させてES細胞と共培養し,一晩培養後に移植した。その結果,眼の色素および毛色から判定して,完全にES細胞に由来すると考えられる5例の雄の産仔を得ることに成功し,これらの雄マウスが,次世代にもっぱらES細胞の遺伝形質を伝達することも確認した。

 以上要するに,本論文は,透明帯の欠如による産仔への発生率の低下が,4細胞期における異常な割球配列に起因していることを見出し,正常な割球配置を確保することにより,透明帯除去胚であっても対照胚と変わらない胎仔への発生能を有することを明らかにするとともに,透明帯除去胚とES細胞との共培養によるキメラマウス作出においても貴重な知見を得たものであり,学術上,応用上,貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として十分な価値を有するものと判定した。

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