学位論文要旨



No 212162
著者(漢字) 石原,敬夫
著者(英字)
著者(カナ) イシハラ,ユキオ
標題(和) 膵液トリプシノーゲンの十二指腸内における部分的活性化と胆汁の影響
標題(洋) PARTIAL ACTIVATION OF PANCREATIC JUICE TRYPSINOGEN IN THE DUODENUM AND THE ENHANCING EFFECT OF BILE
報告番号 212162
報告番号 乙12162
学位授与日 1995.03.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12162号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊田,衛
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 助教授 菅野,健太郎
 東京大学 講師 三木,一正
内容要旨

 膵液中の各種消化酵素は,アミラーゼ.リパーゼ等の少数例を除いて,殆んどが不活性のチモーゲンとして分泌され,十二指腸内ではじめて活性化される。この際トリプシノーゲン(TG)以外のチモーゲンはTGから活性化されたトリプシン(T)によって活性化されるので,TGの活性化反応は膵液活性化現象の鍵反応といえる。TGは十二指腸粘膜から分泌されるエンテロキナーゼ(EK)によりTに活性化される。またTGは試験管内で少量のTと反応させると,Tへの活性化と同時に,不活性蛋白に容易にdegradateすることが知られている。このdegradation反応は温度が高く,TG濃度が高く,pHが高いと促進し,Ca2+によって抑制される。生体の十二指腸内の条件(37℃,pH4〜8,TG濃度1〜40M,Ca2+濃度0.1〜3mM)を考慮すると,十二指腸内ではTGは活性化と共にdegradationをうけて,一部分のみがTに活性化される可能性がある。しかしこれまでの知見では,TGは全量が完全に活性化されると一般に了解されており,その証左として,腸内T活性値が膵外分泌機能の指標として採用されている。

 本研究では膵液TGの十二指腸内活性化に関して,1)完全活性化か,あるいはdegradationを伴なう部分的活性化か,2)その際の胆汁の影響の二点に的を絞り,第1編ではin vitro混合実験で十二指腸内の現象を再現して検討し,第2編では臨床例について検討した。

方法及び結果第1編:in vitro実験(1)ウサギ膵液・胆汁・十二指腸液の分泌量とcalcium濃度

 ネンブタール麻酔下にウサギを開腹し,膵液,胆汁,十二指腸液を別個に採取した。最大分泌量はCCK-PZ刺激下で各々,0.6,4,2ml/15分であった。Calcium濃度は各々,0.7〜1.5,2.5〜5.8,1.2〜1.3mMで,特に濃縮胆汁中で著しく高いことが特長的である。

(2)ウサギ膵液・胆汁・十二指腸液の混合実験

 膵液単独,または膵液と胆汁の混合液を37℃でincubateしてもTGは活性化されない。膵液,胆汁,十二指腸液を各々の分泌量比(9:61:30vol%)で混合し,37℃でincubateし,T活性(TAME活性),残存TG量(Ca2+10mM,4℃下で精製したEKによりTに完全活性化後,T活性を測定)の変動を2時間にわたり測定した。T活性は直後より急増したが,同時に残存TG量も急激に減少し,30分後には初期TGの57%がTに活性化し,残存TGは0となった。以後T活性は徐々に減少した。胆汁の一部をトリス緩衝液(0.04M,pH8)で置換し,胆汁濃度を61vol%から,30,15,6,0vol%に減じると,最大T活性は初期TG量の57%から,54,47,39,28%に減少した。同様に十二指腸液量の影響をみると,12vol%以上でT活性度はほぼ一定となり,その値は胆汁濃度に規定された。なお膵液アミラーゼ(A)活性はincubation中で殆んど変化しなかった。

(3)T活性に対する胆汁の影響

 精製Tのトリス緩衝液(0.04M,pH8)溶液(0.1mg/ml)を37℃でincubateすると,Tは急速に失活し,1時間後に初期の10%に減少した。胆汁を添加すると失活は抑制され,胆汁濃度70vol%で初期の58%が残存した。CaCl2の添加でも同様の効果がえられた。

(4)TG活性化におけるEKおよびTの作用とcalcicem濃度の影響

 精製TG,EK,Tを用いてcalcium濃度0,1,5,10,100mM下,37℃で混合実験を行った。TG(0.2mg/ml)-EK(0.2mg/ml)反応系では,calcium濃度5mM以下で活性化とdegradationが同時進行し,活性化度はcalcium濃度に依存して増加し,5mMで63%に達した。10mM以上では両反応は抑制された。一方TG(0.2mg/ml)-T(0.05mg/ml)反応系では,活性化はcalcium濃度10mM以下で著明に抑制され,100mMではじめて促進された。degradationはTG-EK系と同様に進行した。すなわち生理的条件下(calcium 5mM以下)ではTGはEKにより活性化され,Tによる活性化(ceutoactioation)は起らないことが判明した。

 以上のin vitro実験から,膵液TGは十二指腸内で活性化とdegradationを同時にうけて,初期TGの一部(最大で60%)がTに活性化され,その際,胆汁はそのcalciumの作用により,活性化を促進することが推定された。

第2編:臨床例における観察

 パンクレオザイミン・セクレチン試験(PS試験)で得られる十二指腸採取液中のT活性はTGの部分的活性化の終末値であり,この値からTGの活性化度は推定できない。しかし,in vitro混合実験では,膵液TGの部分的活性化に際し,膵液A活性は常に一定であり,したがって,T/A活性比はTG活性化度の指標となり得た。同様の関係は臨床の十二指腸採取液についても成立すると考えられる。

(1)十二指腸採取液中のT/A比と純粋膵液中のTG/A比

 外傷後膵体部膵瘻症例にPS試験を施行,十二指腸内容と膵瘻膵液を同時採取した。後者中のTG/A比は一定であるのに対し,前者中のT/A比は胆汁混入度に依存して変動し,TG/A比の5〜52%であった。更に術中に膵管膵液を採取した総胆管結石の二症例では,術前に採取した十二指腸内容のT/A比は膵管膵液TG/A比の20〜30%であった。

(2)十二指腸採取液中のT/A比と胆汁濃度,calcium濃度の関係

 健常18例のPS試験時の十二指腸採取液98検体中のT/A比は,胆汁およびcalcium濃度に依存して増加し,ある濃度以上(MG>150,calcium 1.2mM)でplateauに達した。胆汁濃度とcalcium濃度は正の相関を示した(=0.93)。

(3)TG活性化に対する胆道機能の影響

 膵外分泌能が正常でかつ胆嚢の濃縮および収縮能が正常な18例,胆嚢機能低下群(胆摘後,慢性胆嚢炎)10例,胆道閉塞群5例について,PS試験時の十二指腸採取液中膵酵素排出量を比較すると,総A排出量は三群間に差がないのに対し,総T排出量は胆道機能低下群,胆道閉塞群で正常群の各々61%,28%と有意に低下していた。

 以上のごとく,in vitroで認められた十二指腸内でのTGの部分的活性化と胆汁の影響は臨床例でも確認された。

考察

 胆汁は従来からリパーゼの作用を増強することが知られていたが,TGの活性化も同時に促進することが明らかになった。摂食後の十二指腸内環境を考えると,消化管ホルモンを介して,膵液の分泌が亢進すると共に,濃縮胆汁が流入し,更に腸液分泌,腸管蠕動が亢進し,TG活性化の至適条件が成立する結果,分泌されたTGの約60%がTに活性化すると考えられる。これに対し,非摂食時や摂食後期,更に病的状態として胆摘後,慢性胆嚢炎,胆道閉塞等では,腸内胆汁混入度が減じるために,TG活性度は低下する。また膵頭十二指腸切除後の膵管空腸吻合部では,EK濃度,胆汁混入度が減じるために,TG活性化度が低下すると考えられる。

 ところで,膵液中に分泌される酵素量は,摂取食物の消化に要する量の100倍以上に達することが,動物実験や臨床の回腸瘻の観察から指摘されている。また血中アミノ酸組成は絶食や食餌組成に影響されず,ほぼ一定であり,これには腸内アミノ酸プールの関与が大きいとされている。すなわち,小腸内には脱落腸上皮や各種消化液中の酵素より成る内因性蛋白が,外因性の食餌蛋白量に匹敵する量で存在し,これが分解されて一定組成の腸内アミノ酸プールが成立している。腸内アミノ酸は吸収されて蛋白合成に供せられ,一部は腸上皮や消化酵素に再合成される。このように消化酵素には本来の消化作用の他に,内因性蛋白としての意義が認められる。TGは膵酵素の約30%を占める。したがって,TGの部分的活性化,換言すればTGが分解され易いことには,蛋白代謝の面で一種の合目的性があると考えられる。

 急性膵炎の発症過程には,TGの膵内活性化が重要視されている。しかし膵管内は腸内と異なり,アルカリ性でcalcium濃度が低く,TGは高濃度のため,TGにとって活性化よりもdegradationに適している。その結果,何等かの機序でTGが一部活性化しても,大半のTGは不活性化され,病変の進行は阻止される。すなわちTGのdegradation反応は膵炎発症機構に対する,生体の防禦機構の一つと解釈できる。

 本研究の成果は外科臨床において,膵瘻や腸瘻の処置に応用できる。膵尾側切除後の膵瘻は純粋膵液瘻であり,チモーゲンは活性化されておらず,消化能に乏しいため,重篤化することは少ない。これに対し,膵空腸吻合部の縫合不全や,上部消化管縫合不全による膵瘻あるいは腸瘻では,膵液が腸液と接触しているためにチモーゲンは活性化されており,消化能が高いために局所の消化が進行し,やがて手術時の動脈切離端より大出血を来すことが少なくなく,極めて重篤な合併症といえる。この際に胆汁をT-tube等で消化管外に誘導すると,瘻液中のTGの活性化度を低下させることにより,良好な治療効果が期待できる。

結論

 十二指腸における膵液トリプシノーゲン(TG)のトリプシン(T)への活性化機序をin vitro実験および臨床例について検討した。膵液TGは十二指腸内でエンテロキナーゼ(EK)によるTへの活性化反応と共に,Tによる不活性蛋白へのdegradation反応を同時にうけて,結果的に一部分が活性化される。胆汁はそのcalciumの作用により,活性化を促進し,degradationを抑制する結果,一定の胆汁混入度(MG>150,calcium 1.2mM)以上では,TGの活性化度は最大となり,初期TGの約60%が活性化される。胆道機能低下時や胆道閉塞時等ではTGの活性化が低下する。TGの部分的活性化の生理学的ならびに病態生理学的意義を考察した。

審査要旨

 本研究は膵液トリプシノーゲン(TG)の十二指腸内での活性化機序とその際の胆汁の役割を明らかにするために、ウサギの膵液・十二指腸液・胆汁のin vitro混合実験と各種精製蛋白のin vitro混合実験を行い、更に種々の病態時におけるパンクレオザイミン・セクレチン(PS)試験の十二指腸採取液の分析を試みたもので、下記の結果を得ている。

 1.ウサギの膵液、十二指腸液、胆汁の種々の組成よりなる混合液を37℃でincubateし、トリプシン(T)および残存TGの量を経時的に測定した結果、TGはTへの活性化と不活性蛋白へのdegradationを同時にうけて、初期TGの一部分(最大で60%)がTに活性化されること、またその際に胆汁はそのcalcium(Ca)の作用により活性化を促進し,degradationを抑制することが明らかになった。

 2.生体の十二指腸内の条件下(37℃,pH4-8,TG濃度1-40M,Ca0.1-3mM)では、TGは十二指腸液中のエンテロキナーゼ(EK)により活性化され、生成したTによる活性化(auto-activation)は起らず、TはTGおよび生成したTのdegradationを惹起することが判明した。

 3.1のincubation実験において、混合液中のアミラーゼ(A)濃度は変化しないことから、混合液中のT/A比はTGの活性化の程度を示す指標となりうることが判明した。

 4.ヒトで純粋膵液が採取できた症例で、そのTG/A比(ほぼ一定)と十二指腸採取液中のT/A比とを比較すると、T/A比は胆汁の混入度に依存して変動し、TG/A比の5-52%であり、ヒトにおいてもTGの部分的活性化と胆汁の増強効果が証明された。

 5.PS試験時の十二指腸採取液中のT/A比は胆汁混入度、Ca濃度に比例して増加し、一定の濃度(MG値>150、Ca>1.2mM)以上でplateauに達した。

 6.PS試験におけるT排出量は胆嚢機能低下群(胆摘後、慢性胆嚢炎)、閉塞性黄疸群では正常群の61%、28%と有意に低下しているが、A排出量には差がなく、胆汁の排池障害時にTGの活性化度が低下していることが判明した。

 以上、本論文はin vitro混合実験によって、生体十二指腸内では膵液TGがEKによるIへの活性化とTによる不活性蛋白へのdegradationを同時にうけて、結果的にその一部分(最大で60%)が活性化され、その際に胆汁はそのCaの作用によりTGの活性化を促進し、degradationを抑制することを明らかにし、臨床例でもTGの部分的活性化を証明し、胆嚢機能低下時や閉塞性黄疸時にTGの活性化度が低下することを明らかにした。本研究はこれまで十分に解明されていなかった膵液TGの十二指腸内活性化機序の生理的ならびに病態時の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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