学位論文要旨



No 212163
著者(漢字) 中原,賢一
著者(英字)
著者(カナ) ナカハラ,ケンイチ
標題(和) 障害血管の再構築過程における血管壁PDGF系およびアンギオテンシン系の遺伝子発現
標題(洋) Gene Expression of the PDGF and Angiotensin Systems in the Arterial Wall during Vascular Remodeling
報告番号 212163
報告番号 乙12163
学位授与日 1995.03.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12163号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野々村,禎昭
 東京大学 教授 矢崎,義雄
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 助教授 多久,和陽
 東京大学 講師 大内,尉義
内容要旨

 【はじめに】動脈硬化巣や経皮的血管形成術後の再狭窄病変の形成に平滑筋細胞増殖が大きく関与している。平滑筋細胞の増殖には血小板やマクロファージ由来のサイトカインだけでなく、平滑筋細胞自身が自己分泌する増殖因子が関与している可能性が指摘されてきた。その最も代表的な例として血小板由来増殖因子(PDGF)が挙げられる。PDGFは当初血小板顆粒から抽出精製された増殖因子であるが、1985年Nilsonらは、平滑筋細胞の培養上清中に抗PDGF-A抗体で中和される増殖因子(PDGF様物質)が存在することを報告した。しかしながら平滑筋細胞自身がPDGF-A鎖を産生していることを、実際にcDNAクローニングによって直接的に証明した報告はない。

 PDGF以外にも平滑筋増殖を促進する因子としてアンギオテンシンIIが注目されている。アンギオテンシンIIの前駆体であるアンギオテンシノーゲンは肝臓で産生されるが、平滑筋細胞もアンギオテンシンIIを産生、自己分泌することが指摘されている。

 最近、抗PDGF抗体やアンギオテンシン変換酵素(ACE)阻害薬を用いてそれぞれの作用を阻害すると、機械的な動脈内皮剥離(バルーニング障害)によって引き起こされる内膜平滑筋増殖が抑制されることが示された。このことはPDGFとアンギオテンシンIIが共に血管障害時の平滑筋増殖に重要な役割を果たしていることを示している。しかしながらバルーニング障害時の血管壁内で両者の遺伝子発現がどのように変化しているかは必ずしも明らかでない。

 本研究は、血管平滑筋が産生ずるPDGF様物質が従来知られているPDGF-A鎖と同一であるか否かをcDNAクローニングによって解析し、これが平滑筋細胞の増殖や血管の発生段階でどのような動態を示すか、さらにPDGFとアンギオテンシン系の遺伝子発現が障害後の血管壁再構築過程でどのように変化するかを明らかにすることを目的としたものである。

<実験1>

 ウサギ血管平滑筋における3種類のPDGF-A鎖アイソフォームの同定と発現の解析

 PDGFは、血小板顆粒内ではA鎖とB鎖のホモあるいはヘテロダイマーとして存在する。ヒトにおいてPDGF-A鎖には2種類のアイソフォーム(以下PDGF-A1、PDGF-A2)が存在する。両者は同一遺伝子からスプライシングの差によって生じ、カルボキシル末端構造が異なる。PDGF-A2はエクソン6の69塩基を含むのに対し、PDGF-A1はエクソン6を含まない。その結果、PDGF-A1は3個、PDGF-A2は18個のアミノ酸からなる特異的なカルボキシル末端を持つ。

 実験1においては、血管平滑筋由来のPDGF様物質と従来知られていたPDGF-A鎖との異同を明らかにし、さらに平滑筋の分化、増殖に伴って遺伝子発現がどのように変化するかを検討した。

【結果】1)クローニングした2種類のPDGF-A鎖cDNAのうちの一つは全く新しい構造を持っていた。

 ウサギ胎児血管cDNAライブラリーを、PDGF-A鎖のコーディング部分をプローブとしてスクリーニングを行い、1.1kb(PA1)と2.3kb(PA3)の2種類のクローンを単離した。PA1はコーディング配列の全てを含み、基本的にPDGF-A1と同一構造を持っていたが、PA3はPDGF-A2のエクソン6の69塩基とはホモロジーが全くない110塩基が挿入された構造を持ち、その結果カルボキシル末端に38個の特異的アミノ酸配列を有することが判明した(以下PA3がコードする蛋白質をPDGF-A3とする)。

2)ウサギ血管平滑筋は3種類のPDGF-A鎖アイソフォームを産成する。

 はたしてPDGF-A3が、ウサギにおいてPDGF-A2に代わるものか、あるいは新たな3番目のアイソフォームであるか否かを明らかにするために、PCRを用いてウサギ血管壁におけるPDGF-A2の有無を検討した。血管平滑筋より抽出したtotal RNAからcDNAを作製し、エクソン6を挟む位置のプライマーを用いてPCRを施行した。その結果3種類のDNA断片が増幅され、それらは塩基配列からPDGF-A1、-A2および-A3と判断された。この結果より血管平滑筋は3種類のPDGF-A鎖アイソフォームを産生すること、またPDGF-A3は全く新しいPDGF-A鎖アイソフォームであることが明かとなった。

3)PDGA-A3はPDGF-A1と同様に増殖活性を持つ。

 PDGF-A1および-A3のcDNAを発現ベクターに組み込み、NIH3T3細胞にトランスフェクト後、その培養上清をヘパリンカラムで部分精製した。ポリクローナル抗ヒトPDGF-A抗体を用いたウェスタンブロットにてPDGF-A1および-A3は還元条件下で、それぞれ13kDおよび17kDの大きさのバンドとして検出された。

 次にPDGF-A1および-A3の増殖活性についてNIH3T3細胞における3H-チミジンの取込みにて検討したところ、PDGF-A1および-A3をトランスフェクトしたNIH3T3細胞の上清は強い増殖活性を示した。

 この結果よりPDGF-A3は蛋白レベルで増殖活性を持つと結論された。

4)PDGF-A鎖アイソフォームは胎児期動脈および平滑筋細胞の増殖に伴って発現が亢進する。

 血管の各発生段階、および培養平滑筋細胞の増殖時におけるmRNAの発現をRNase protection assayにて検討した。PDGF-A1 mRNAは血管の発生が進むに伴い漸減した。PDGF-A3 mRNAの発現量は少量だが全ての発生段階で認められた。平滑筋細胞の増殖期には、PDGF-A1および-A3 mRNAは共に強く発現したが、コンフルエント状態では共に減少した。

5)アンギオテンシンII刺激により平滑筋細胞におけるPDGF-A3 mRNAレベルは選択的に増加する。

 アンギオテンシンIIの平滑筋細胞に対する増殖活性はPDGF-A鎖を介することが示された。そこでいずれのPDGF-A鎖アイソフォームのmRNAがアンギオテンシンII刺激で増加するのかを培養平滑筋細胞を用いて検討した。その結果10-9MのアンギオテンシンII刺激でPDGF-A3のmRNAが選択的に増加することが判明した。PDGF-A1のmRNAレベルに変化は認められなかった。

 <実験2>バルーニングによって惹起された内膜平滑筋細胞増殖に対する血管壁PDGF系と血管壁アンギオテンシン系の役割の比較

 実験2の目的は、バルーニング後の平滑筋細胞増殖時の血管壁が産生するPDGF系とアンギオテンシン系の遺伝子発現を解析し、いずれがより重要な役割を演じているかを明らかにすることにある。

【結果】1)RNase protection assayに用いるtemplateの開発。

 サンプル量が限られるために、高感度にmRNAを検出できるRNase protection assayを最初に開発した。RNAプローブの鋳型となるcDNAの多くは、PCR法でクローニングした。実験2では、ウサギのPDGF-A鎖、PDGF-a受容体、PDGF-b受容体、アンギオテンシノーゲン、ACE、アンギオテンシンII受容体(AT1A)、平滑筋ミオシン(胎児型及び成体型を識別可能)およびラットのアンギオテンシノーゲン、アンギオテンシンII受容体(AT1A)mRNAを本法により測定した。

2)バルーニング障害により血管平滑筋は脱分化し、胎児型ミオシンを強く発現する。

 バルーニングが内膜肥厚の刺激として作用していることを確認する目的で、平滑筋細胞の胎児型への形質変換の有無を検討した。バルーニング血管においては成体型ミオシンmRNAの発現量が減少すると共に胎児型ミオシンmRNAが増加し、胎児型への形質変換が確認された。また組織学的にも著しい内膜肥厚が認められた。

3)バルーニング障害によって血管壁のPDGF系はup-regulateされる。

 バルーニング障害によってPDGF-A鎖、PDGF-a受容体およびPDGF-b受容体mRNAの発現は著しく増加し、血管壁のPDGF系はup-regulateされた。

4)バルーニング障害によって血管壁のアンギオテンシン系はdown-regulateされる。

 バルーニング障害によってウサギ頚動脈のACE、アンギオテンシンII受容体(AT1A)の発現は減弱し、血管壁のアンギオテンシン系はdown-regulateされた。アンギオテンシノーゲンmRNAは、ウサギ頚動脈ではその発現を検出できなかった。またラットの大動脈においてもアンギオテンシノーゲン、アンギオテンシンII受容体(AT1A)mRNAの発現はバルーニングによって減弱した。

 【考察】本研究において血管壁は3種類のPDGF-A鎖の遺伝子を発現すること、バルーニング障害後の血管壁再構築においては、血管壁のPDGF系の遺伝子発現がアンギオテンシン系よりもよりダイナミックに活性化されることが明らかにされた。

 3種類のPDGF-A鎖の機能は現在不明である。PDGF-A2は長いカルボキシル末端の陽性荷電によって細胞外マトリックスに付着して長期間作用することが報告されているが、PDGF-A3も同様の作用メカニズムを持つ可能性がある。またアンギオテンシンII刺激でPDGF-A3が選択的に増加することは3種類のPDGF-A鎖に機能的な相違がある可能性があり、今後の解析が必要と考えられる。

 現在バルーニング障害血管における血管局所のアンギオテンシン系の動態については、定説がない。最大の理由は、mRNAの発現量が少なく、ノーザンブロット法では検出が困難であり、一方RT-PCR法では定量性に難点が残されているからである。本研究ではRNase protection assay法を用いることで、発現量の少ないmRNAをより正確に検出することが可能になったが、障害後の血管壁ではPDGF系の遺伝子発現がするのに対しアンギオテンシン系は明らかに低下しており、血管壁再構築における前者の重要性が示された。

 障害血管におけるアンギオテンシン系全体の発現量の減少という結果は、ACE阻害剤による内膜平滑筋増殖抑制が、従来推測されているような血管壁アンギオテンシン系の産生抑制によるものではないことを強く示唆する。全身循環系におけるアンギオテンシンIIの生成阻害、あるいはACE阻害剤のもう一方の作用であるキニンの不活性化抑制が平滑筋増殖抑制の機序として重要であると考えられる。

審査要旨

 本研究は、血管平滑筋が産生するPDGF様物質が従来知られているPDGF-A鎖と同一であるか否かをcDNAクローニングによって解析し、これが平滑筋細胞の増殖や血管の発生段階でどのような動態を示すか、さらにPDGFとアンギオテンシン系の遺伝子発現が障害後の血管壁再構築過程でどのように変化するかを明らかにすることを目的としたものであり、下記の結果を得ている。

<実験1>

 実験1においては、血管平滑筋由来のPDGF様物質と従来知られていたPDGF-A鎖との異同を明らかにし、さらに平滑筋の分化、増殖に伴って遺伝子発現がどのように変化するかを検討している。

 1)ウサギ胎児血管cDNAライブラリーを、PDGF-A鎖のコーディング部分をプローブとしてスクリーニングを行い、1.1kb(PA1)と2.3kb(PA3)の2種類のクローンを単離した。PA1は基本的にPDGF-A1と同一構造を持っていたが、PA3は、従来知られている、スプライシングの差によって生じるもう一つのアイソフォーム(PDGF-A2)とは異なる構造を持ち、その結果カルボキシル末端に38個の特異的アミノ酸配列を有することが判明した(以下PA3がコードする蛋白質をPDGF-A3とする)。

 2)PDGF-A3が、ウサギにおいてPDGF-A2に代わるものか、あるいは新たな3番目のアイソフォームであるか否かを明らかにするために、スプライシング部分をはさんでPCRを施行した。その結果3種類のDNA断片が増幅され、それらは塩基配列からPDGF-A1、-A2および-A3と判断された。この結果より血管平滑筋は3種類のPDGF-A鎖アイソフォームを産生すること、またPDGF-A3は全く新しいPDGF-A鎖アイソフォームであることが明かとなった。

 3)次いでPDGF-A3の蛋白レベルでの活性を検討した。PDGF-A1および-A3のcDNAを発現ベクターに組み込み、NIH3T3細胞にトランスフェクト後、その培養上清を部分精製し、ウェスタンブロットにてPDGF-A1および-A3は還元条件下で、それぞれ13kDおよび17kDの大きさのバンドとして検出した。さらにPDGF-A1および-A3の増殖活性を3H-チミジンの取込みにて検討したところ、PDGF-A1および-A3をトランスフェクトしたNIH3T3細胞の上清は強い増殖活性を示した。

 この結果よりPDGF-A3は蛋白レベルで増殖活性を持つと結論された。

 4)血管の各発生段階、および培養平滑筋細胞の増殖時におけるmRNAの発現をRNase protection assayにて検討した。PDGF-A1 mRNAは血管の発生が進むに伴い漸減した。PDGF-A3 mRNAの発現量は少量だが全ての発生段階で認められた。平滑筋細胞の増殖期には、PDGF-A1および-A3 mRNAは共に強く発現したが、コンフルエント状態では共に減少した。

 5)アンギオテンシンIIの平滑筋細胞に対する増殖活性はPDGF-A鎖を介することが示された。そこでいずれのPDGF-A鎖アイソフォームのmRNAがアンギオテンシンII刺激で増加するのかを培養平滑筋細胞を用いて検討した。その結果10-9MのアンギオテンシンII刺激でPDGF-A3のmRNAが選択的に増加することが判明した。

 <実験2>実験2の目的は、バルーニング後の平滑筋細胞増殖時の血管壁が産生するPDGF系とアンギオテンシン系のmRNAの発現を解析し、いずれがより重要な役割を演じているかを明らかにしている。

 1)RNase protection assayに用いるtemplateの開発。

 サンプル量が限られるために、高感度にmRNAを検出できるRNase protection assayを最初に開発した。RNAプローブの鋳型となるcDNAの多くは、PCR法でクローニングした。実験2では、ウサギのPDGF-A鎖、PDGF-受容体、PDGF-受容体、アンギオテンシノーゲン、ACE、アンギオテンシンII受容体(AT1A)、平滑筋ミオシン(胎児型及び成体型を識別可能)およびラットのアンギオテンシノーゲン、アンギオテンシンII受容体(AT1A)mRNAを本法により測定した。

 2)バルーニングが内膜肥厚の刺激として作用していることを確認する目的で、平滑筋細胞の胎児型への形質変換の有無を検討した。バルーニング血管においては成体型ミオシンmRNAの発現量が減少すると共に胎児型ミオシンmRNAが増加し、胎児型への形質変換が確認された。また組織学的にも著しい内膜肥厚が認められた。

 3)バルーニング障害によってPDGF-A鎖、PDGF-受容体およびPDGF-受容体mRNAの発現は著しく増加し、血管壁のPDGF系はup-regulateされた。

 4)バルーニング障害によってウサギ頚動脈のACE、アンギオテンシンII受容体(AT1A)の発現は減弱し、血管壁のアンギオテンシン系はdown-regulateされた。アンギオテンシノーゲンmRNAは、ウサギ頚動脈ではその発現を検出できなかった。またラットの大動脈においてもアンギオテンシノーゲン、アンギオテンシンII受容体(AT1A)mRNAの発現はバルーニングによって減弱した。

 以上、本研究において血管壁は3種類のPDGF-A鎖の遺伝子を発現すること、バルーニング障害後の血管壁再構築においては、血管壁のPDGF系の遺伝子発現がアンギオテンシン系よりもよりダイナミックに活性化されることが明らかにされた。本研究は現在臨床的に問題となっている動脈硬化性病変形成機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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