学位論文要旨



No 212175
著者(漢字) 福原,潔
著者(英字)
著者(カナ) フクハラ,キヨシ
標題(和) ニトロ多環芳香族炭化水素の酸化と還元 : 毒性発現機構の解析
標題(洋)
報告番号 212175
報告番号 乙12175
学位授与日 1995.03.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12175号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣部,雅昭
 東京大学 教授 岩崎,成夫
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
内容要旨

 ニトロ多環芳香族炭化水素(以下ニトロアレーンと略す)は、有機化合物の燃焼過程で生成する多環芳香族炭化水素がNOxによってニトロ化されることによって生成し、強力な発がん性及び変異原性を有することから人への影響が注目される化合物である。ニトロアレーンは、酸化代謝活性化を必要としない直接変異原性物質であり、ニトロ基がヒドロキシルアミノ体に還元代謝活性化後、DNAと付加体を形成することにより発現する。しかし、最近、ニトロアレーンは芳香環が酸化代謝されると変異原性が増強することから、生体内での毒性発現には酸化代謝反応も関与している可能性が指摘されている。

 本研究は、ニトロアレーンの毒性発現に影響を与える構造化学的因子を明らかにし、毒性発現機構の解析を行なうことを目的として、新規ニトロアレーン及びニトロアザアレーンを合成し、還元代謝活性化に影響を与えるニトロ基の還元特性と立体効果を検討した。また、水酸化代謝反応の酸化活性種を明らかにし、水酸化反応の特徴と反応機構の解析をした。さらにニトロアレーンによるスーパーオキシドの生成と消去反応を明らかにし、キノンと比較した。

1.ニトロ基の還元特性と変異原性

 1,6-および3,6-ジニトロベンツ[a]ピレン(図1)を新規に合成し、変異原性の強さを化学的に解析した。ジニトロベンツ[a]ピレンはTA98およびTA98ニトロレダクターゼ欠損株(TA98NR)でモノニトロベンツ[a]ピレンと比べて強力な変異原性を示した(表1)。化学的には二電子還元性が増加し、ニトロソ体へ還元され易いことが明らかとなった。ニトロ基の化学的な還元性を増加させる目的で合成した、1-および3-ニトロベンツ[a]ピレンの6位シアノ置換体も強力な変異原性を示したことから(表1)、変異原性の強さはニトロ基の化学的な還元され易さと相関していると考えた。1-ニトロピレンのシアノ誘導体を合成し、還元特性と変異原性との相関をより詳細に検討した。その結果、ニトロアニオンラジカルへの還元され易さ(第一還元電位)がTA98での変異原性の強さと相関すること、ニトロソ体への還元され易さ(第二還元電位)がTA98NRでの変異原性と相関することを明らかにした。

図1 ジニトロベンツ[a]ピレンの構造式
2.ニトロ-6-アザベンツ[a]ピレンの合成と変異原性

 含窒素多環芳香族炭化水素(アザアレーン)のニトロ体は、母核の窒素の電子効果によってニトロ基の化学的な還元性が増加し、強力な変異原性が予測される。1-及び3-ニトロベンツ[a]ピレンの6-アザ体、及びそのN-オキシド体(図2)を新規に合成し、変異原性と還元特性を明らかにした(表1)。その結果、これらの化合物は1-及び3-ニトロベンツ[a]ピレンと比べてTA98およびTA98NRで非常に強力な変異原性を示した。また化学的な一電子、及び二電子還元特性は母核がN-オキシド>6-アザ体>ベンツ[a]ピレンの順で増加していることが明らかとなった。

表1 ジニトロベンツ[a]ピレン及びニトロ-6-アザベンツ[a]ピレンの変異原性と還元特性図2 ニトロ-6-アザベンツ[a]ピレンの構造式

 環境中濃度を検討した結果、これらの新規化合物は大気中に存在していることが明らかとなった。

3.ニトロ基の立体効果と変異原性

 フェナンスレンのジニトロ体11種(1,5-、1,6-、1,10-、2,6-、2,9-、2,10-、3,5-、3,6-、3,10-、4,9-、4,10-ジニトロ体)、及びトリニトロ体10種(1,5,9-、1,5,10-、1,6,9-、1,7,9-、2,5,10-、2,6,9-、2,6,10-、2,7,9-、3,5,10-、3,6,9-トリニトロ体)を新規に合成し、ニトロ基の立体構造により変異原性を解析した。その結果、ニトロ基とフェナンスレン骨格との間の二面角(Dihedral Angle)の大きさは、変異原性の強さに大きく影響し、Dihedral Angleが小さくニトロ基がフェナンスレン骨格と同一平面に近いニトロ体は強力な変異原性を示すことが明らかとなった。また、Dihedral Angleが同程度のニトロ体の変異原牲の強さは、一電子還元性と相関することが明らかとなった。

4.ニトロアレーンの水酸化代謝反応の化学的解析

 活性酸素種とニトロアレーンとの反応を行い、ニトロアレーンの母核の水酸化代謝反応の酸化活性種の予測を行なった。その結果、スーパーオキシドがニトロアレーンの水酸化反応に有効であることが明らかとなり、1-ニトロピレンはKO2/18-クラウン-6の系で、母核の直接水酸化とニトロ基の水酸基への置換反応が進行した。スーパーオキシドによる水酸化反応はニトロアレーンに特徴的な反応であり、ニトロ基が付加していない芳香環では反応は進行しない。モノ、及びジニトロナフタレンを用いて水酸化反応の特徴、及び反応機構の解析を行なった結果、スーパーオキシドによる直接水酸化はニトロ基の共鳴効果によって電子が欠損している位置へ選択的に進行した。また、直接水酸化反応機構は、化合物の一電子還元電位に依存し、スーパーオキシドが直接求核的に付加する場合、及びスーパーオキシドによる一電子還元後、生成したアニオンラジカルに酸素分子が付加する場合の2種類の反応機構が推定された。

5.ニトロアレーンによるスーパーオキシドの生成と消去反応の解析

 電気化学的手法を用いてニトロアレーンがキノンと同様にスーパーオキシドの生成と消去反応を触媒することを明らかにした。キノン及びニトロアレーンのアニオンラジカルから酸素分子への電子移動反応(スーパーオキシドの生成、図3)、及びスーパーオキシドからキノン及びニトロアレーンへの電子移動反応(スーパーオキシドの消去)をポテンシャルステップクロノクーロメトリー法により解析した。その結果、スーパーオキシドの生成、及び消去能は化合物に固有の一電子酸化電位(Epa1)と一電子還元電位(Epc1)にそれぞれ依存していることが明らかとなった。また、この電子移動反応は、酸化還元電位のギャップを乗り越えて進行し、酸化還元サイクルを形成することによりスーパーオキシドの生成と消去反応を触媒的に活性化していることが示された。

図3 ニトロアレーンによるスーパーオキシドの生成反応

 以上、ジニトロベンツ[a]ピレン、ニトロアザベンツ[a]ピレン、ジ、及びトリニトロフェナンスレンを新規に合成し、ニトロ基の還元代謝反応の化学的な解析を行なった結果、変異原性の強さは、ニトロアニオンラジカルとニトロソ体への化学的な還元され易さ(第一及び第二還元電位)、及びニトロ基と母核の芳香環との平面性(二面角)と相関することを明らかにした。また、活性酸素種によるニトロアレーンの化学的な酸化反応の検討を行い、水酸化代謝反応と同様の反応がスーパーオキシド(KO2/18-クラウン-6)により進行することを明らかにした。さらに、スーパーオキシドの生成と消去能をPSCC法を用いて解析し、ニトロアレーンはキノン系化合物と同様に酸化還元サイクルを形成してスーパーオキシドを生成または消去することを明らかにした。本研究で得られた結果は、ニトロアレーンの毒性発現機構の解析と予測に有効な知見を与えると考える。

審査要旨

 ニトロ多環芳香族炭化水素(以下ニトロアレーン)は、有機化合物の燃焼過程で生成する多環芳香族炭化水素がNOxによってニトロ化されることによって生成し、、強力な発がん性及び変異原性を有することから人への影響が注目されている化合物である。ニトロアレーン類は、酸化代謝活性化を必要としない直接変異原性物質であり、ニトロ基がヒドロキシルアミノ体に還元代謝活性化後、DNAと付加体を形成することにより発現する。しかし最近,ニトロアレーンは芳香環が酸化代謝されると変異原性が増強することから、生体内での毒性発現には酸化的代謝反応も関与している可能性が指摘されている。

 本研究は、このような背景の中でニトロアレーン類の毒性発現に影響を与える構造化学的因子を明らかにし、毒性発現機構の解析を行なうことを目的として、まず新規ニトロアレーン及びニトロアザアレーンを合成し、還元代謝活性化に影響を与えるニトロ基の還元特性と立体効果を検討した。次に水酸化代謝反応の酸化活性種を明らかにし、反応の特徴と反応機構の解析を行った。さらにニトロアレーンによるスーパーオキシドの生成と消去反応についても検討しキノンとの比較を行ったものである。

 まずベンツピレンの1、6-及び3、6-ジニトロ体、6-アザベンツピレンとそのN-オキシド体の1-及び3-ニトロ体を新規に合成し、変異原性とニトロ基の還元特性の解析を行った。その結果、これらの化合物は1-及び3-ニトロベンツピレンと比べて、TA98及びTA98ニトロレダクターゼ欠損株(TA98NR)で非常に強力な変異原性を示すこと、ニトロ基の化学的な一電子及び二電子還元性が増加していることが示された。また1-ニトロピレンのシアノ誘導体を合成し、還元特性と変異原性との相関をより詳細に検討した結果、ニトロアニオンラジカルへの還元され易さ(第一還元電位)がTA98での変異原性の強さと相関すること、ニトロソ体への還元され易さ(第二還元電位)がTA98NRでの変異原性と相関することを明らかにした。

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 次にフェナンスレンのジニトロ体11種及びトリニトロ体10種を新規に合成し、ニトロ基の立体構造から変異原性の解析を行った。その結果、ニトロ基とフェナンスレン骨格との間の二面角の大きさは、変異原性の強さに大きく影響し、二面角が小さくニトロ基がフェナンスレン骨格と同一平面に近いニトロアレーン類は強力な変異原性を示すこと、また、二面角が同程度のものの変異原性の強さは、一電子還元性と相関することを明らかにした。

 近年、ニトロアレーンは芳香環が酸化代謝されると変異原性が増強することから、生体内での毒性発現に酸化代謝反応の関与が指摘されている。そこで活性酸素種とニトロアレーンとの反応を行い、母核の水酸化代謝反応の酸化活性種の予測を行なった。その結果、スーパーオキシドがニトロアレーンの水酸化反応に有効であり、1-ニトロピレンはKO2/18-クラウン-6の系で、母核の直接水酸化とニトロ基の水酸基への置換反応が進行することを明らかにした。スーパーオキシドによる直接水酸化はニトロ基の共鳴効果によって電子が欠損している位置へ選択的に進行し、ニトロ基が付加していない芳香環では反応は進行しない。また、直接水酸化反応機構は、化合物の一電子還元電位に依存し、スーパーオキシドが直接求核的に付加する場合、及びスーパーオキシドによる一電子還元後、生成したアニオンラジカルに酸素分子が付加する場合の2種類の反応機構を推定した。

 次にキノン及びニトロアレーンのアニオンラジカルから酸素分子への電子移動反応(スーパーオキシドの生成)、及びスーパーオキシドからキノン及びニトロアレーンへの電子移動反応(スーパーオキシドの消去)を電気化学的手法(ポテンシャルステップクロノクーロメトリー法)により解析した。その結果、ニトロアレーンはキノン系化合物と同様に酸化還元サイクルを形成してスーパーオキシドを生成または消去すること、また、スーパーオキシドの生成及び消去能は、化合物に固有の酸化・還元電位にそれぞれ依存していることを明らかにした。

 以上本研究で得られた成果は、ニトロアレーン類の毒性発現機構の解析と予測に有効な化学的知見を与えるもので、環境化学、生物有機化学分野への貢献は極めて大きく、博士(薬学)の学位を受けるに十分な内容を有するものと認定した。

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