ウルシ科は約60属600種をふくむ木本植物の一群で、世界の主に熱帯から亜熱帯にかけて分布している。したがって、熱帯・亜熱帯に広がるタイの植物相の重要な構成要素である。また、ウルシ科には、食用となるマンゴー、ピスタチオ、カシューナッツや樹脂を生産するウルシなど、多くの有用植物があり、資源としても重要である。東南アジアの植物相は最近地域的に再検討されており、ウルシ科に関しても、Flora Malesiana(1978)や中国植物誌(1980)でまとめられている。しかしタイにはこのようなまとまった研究がなかった。そこで本研究では、現地調査などで蓄積されてきた資料をもとにして、タイ産のウルシ科植物の分類学的再検討を行った。 さらに本研究では、rbcL遺伝子の塩基配列比較に基づく分子系統学的解析によって、タイ産ウルシ科属間レベルの系統解析を行った。そして、得られた分子系統樹をもとにして、100年以上も大きな改変を受けることなく使われてきたEngler(1883)の分類システムの妥当性を検討した。また、これまでウルシ科の分類をする上で重要視されてきた形質の進化も分子系統樹に基づいて考察した。 第1部タイ産ウルシ科植物相の再検討 [材料と方法]研究材料の収集のためタイ国の各地で現地調査を行い、生育状態や分布について調べるとともに、約1000点の押し葉標本を採集した。タイ産の標本がもっとも多く集積されているタイ農林局(BK)、タイ王立森林局(BKF)や、コペンハーゲン植物博物館・標本室(C)、キュー植物園(K)、京都大学理学部(KYO)、東京大学理学部附属植物園(TI)に所蔵される標本について、従来発表された文献等と比較検討しつつ、すべてを再同定した。ウルシ科の花は小さく、外見的にはどれもよく似ているので、煮もどして解剖して比較した。また走査型電子顕微鏡で花粉形態を観察した。 [結果と考察]本研究で検討した分類学的形質についての観察結果を、従来の報告とあわせて概説した。これらの形質について比較検討し、資料標本を同定した結果、タイには、今まで分布が知られていなかった15種を含む17属64種があることが明らかとなった。従来、花弁の重なり方が異なることなどで別属とされてきたSemecarpus属とHoligarna属は、詳しい比較検討の結果、花弁はどちらも瓦状に重なるなど、基本的な差が認められなかったので同属とした。そのため、タイ産の1種に新名Semecarpus appendiculatus Chayamaritを与える必要が生じた。また新種と考えられるSemecarpus nitidus ChayamaritおよびMangifera chamaoensis Chayamaritを発見した。検討の結果認めた17属とそれらに含まれる種の特徴や識別点に関する著者の見解を分類学的ノートにまとめた。タイのウルシ科植物相は周辺地域に比べほぼ同程度に豊富であるが、固有種は4種しか認められなかった。固有種および亜固有種には、石灰岩地に限って分布するものが多い。 第2部rbcLの塩基配列比較に基づく分子系統学的解析 近年の技術の進歩により、特定の遺伝子のDNAの塩基配列を決定・比較し、系統関係を調べることができるようになり、信頼性の高い系統樹が得られるようになった。本研究では植物の系統解析に広く用いられているrbcL遺伝子の塩基配列を用いてタイ産ウルシ科の属間の系統関係を調べた。 [材料と方法]タイに分布するウルシ科植物のうち、Engler(1883)のたてた4つの連、すなわちMangifereae,Spondieae,Rhoideae,Semecarpeaeを網羅するかたちで16属を選び、そのうちの各1種を用いて解析した。さらに外群としてカエデ科のイタヤカエデとチドリノキを材料に加えた。カエデ科がウルシ科の外群として使えることは、Chaseら(1993)の被子植物の科レベルの分子系統学的研究によって明らかにされている。それぞれの種の葉を液体窒素中で破砕した後、CTAB法で全DNAを抽出した。次に高等植物のrbcL用の万能PCRプライマー3組を使って、rbcLの約80%をカバーする領域を増幅した。それぞれ増幅した断片を、増幅に用いたのと同じ塩基配列の蛍光プライマーを用いて、DNAシークエンサーによりその塩基配列を決定した。さらに、得られた18種類のrbcLの塩基配列を系統解析プログラムPAUPを用いて解析し、最大節約法によって分子系統樹を作成した。 [結果と考察]得られた分子系統樹によれば、Engler(1883)の認めた4つの連はいずれも単系統群ではなく、彼の分類システムは支持されなかった。また、形態学的にはっきり区別できなかったHoligarnaとSemecarpusは分子系統樹の上で最も近縁であることが示され、属を分ける必要はないことが支持された。 ウルシ科の進化がどのように進んできたか調べるため、これまでウルシ科の分類をする上で重視されてきた個々の形態学的形質の進化を分子系統樹をもとにして考えてみた。 複葉はウルシ科を特徴づける重要な形質である。しかし、ウルシ科の中には単葉をもつものも知られている。器官発生の課程では単葉よりも複葉が後から形成されるため、複葉をもつものはより進化した群であると考えられやすい。ところが、今回得られた分子系統樹上にこの形質を乗せて形質間変化を最節約的に考えてみると、ウルシ科では複葉が原始的な状態であり、複葉から単葉への進化が1回起こり、さらにRhusとPentaspadonの共通祖先で単葉から複葉に戻ったことが示唆される。Engler(1883)のSpondieae連は、この複葉という原始的形質に基づいて定義された分類群ゆえに系統的にまとまりがなかったのである。 Engler(1883)のSemecarpeae連は花にHypanthiumが発達することで特徴づけられている。しかし、分子系統樹によれば、MelanochylaのHypanthiumとSemecarpusやHoligarnaが持つHypanthiumとは起源が異なることが明らかである。これらは花の時期にはよく似ているが、果実になると、SemecarpusやHoligarnaが持つHypanthiumは肉質のhypocarpに発達するのに対し、Melanochylaでは全く発達しないという点で明らかに異なっている。この違いは系統的な違いに一致している。 心皮の数は5から3、3から1個へと平行的に減少している。 性表現では雌雄両全、雌雄異花同株、雌雄異株の3型が知られている。また、雄しべの数には少ないもの(4-5本)と多いもの(7<)があることが知られている。全体的にみれば、性は雌雄異株から雌雄異花同株または雌雄両全性へと進化し、雄しべの数は多数(7<)から少数(4-5本)へと進化する傾向が認められるが、これらの形質は何回も平行進化したことが示唆されており、また逆転していることもあり、系統をよく反映してはいない。ただし、雌雄両全性への進化は3回とも雄しべ数の増加をともなっている。このことは、これら2つの形質が受粉に関して助け合っていることを示しているのかも知れない。 第3部タイ産ウルシ科の分類 第3部は、タイ産ウルシ科植物の集覧で、第1部で認めたすべての種類について、学名の出典、異名、記載、および同定のための検索表を完備している。 |