学位論文要旨



No 212190
著者(漢字) 吉成,直樹
著者(英字)
著者(カナ) ヨシナリ,ナオキ
標題(和) 琉球列島文化の多元的構成に関する文化地理学的研究
標題(洋)
報告番号 212190
報告番号 乙12190
学位授与日 1995.03.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12190号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田辺,裕
 東京大学 教授 米倉,伸之
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 助教授 荒井,良雄
 学習院大学 教授 諏訪,哲郎
内容要旨

 琉球列島という空間に充填している文化はきわめて多彩である。

 琉球列島文化の多様性を理解するために、本論文では一貫して、琉球列島文化が多元的な構成を持つとする立場から検討した。すなわち、琉球列島文化を、ひとまず出自=系統の異なるいくつかの文化複合に解体し、さらにそれら文化複合間の相互作用を明らかにすることによって、文化的多様性がいかに形成されたか、という歴史的形成過程を復元することが、本論文での基本的な議論である。

 こうした議論は、同時に、琉球列島文化を、いくつかの異質な文化を含み込んだ、ひとつのまとまりのある構成体として把握しようとする試み、換言すれば、琉球列島文化という個性的な文化の成り立ちを包括的に解明する試みにほかならない。

 日本文化を対象に、それを文化複合に解体する試みは、一部の文化人類学者によってなされてきたが、琉球列島文化を対象とするものはまったく存在していない。しかも、文化人類学者による議論においては、あくまでも文化複合に解体することに主眼があり、文化複合間の相互作用に関する議論を欠いていることを指摘しておきたい。一個の構成体としての日本文化、あるいは琉球列島文化という視点を欠いているのである。

 琉球列島文化は、面積的には比すべくもないが、日本文化に占める比重においては、言うまでもなく、ヤマト文化に匹敵するものである。

 以上の琉球列島を対象とする文化地理学的課題にこたえるために、本論文では、ふたつの研究上の戦略をとった。琉球列島全域をくまなく視野に収めて上記の課題にこたえることは、現実的に不可能であるからである。

 第一に、文化複合という概念には、あらゆる文化要素が包摂されるが、ここでは、文化複合の構成部分である祭祀複合に限定した。文化の問題の核心にあるのは、宗教表象を軸とする要素群であると考えるからである。いくつかの祭祀複合を抽出、設定し、それらの相互作用を明らかにするとともに、それぞれの祭祀複合が、いかなる文化複合-ことに、農耕文化-に結びつくかについて検討した。

 祭祀複合を分析するにあたって、それぞれの祭祀複合を基礎として成立している「マレビト祭祀」を指標として選定した。それは、マレビト祭祀が、それぞれの祭祀複合のあり様を簡潔に表現しており、指標として最も適切なものと考えられるからである。「マレビト祭祀」とは、異郷からの神秘の訪問者が、人々を祝福し、去ってゆくことを演劇的に表現する祭祀である。

 第二に、祭祀複合を設定するにあたって、とりあえず、沖縄本島南東方に位置する久高島の祭祀世界に対象を限定して、その祭祀世界を充分に検討することによって祭祀複合を設定し、そこを定点にして視野を琉球列島へと広げてゆく、という方法をとった。定点と琉球列島全域の間をつねにフィード・バックしながら祭祀複合を確定しつつ、それらの相互作用を見きわめるという手続きを採用した。

 本論文で、「文化複合」、あるいは「祭祀複合」という場合、それらはあくまでも「理念型」として設定され、分析概念として用いられるものであることを強調しておきたい。

 琉球列島文化は、南方の熱帯島嶼系の文化、中国華南から台湾を経て流入したとみられる文化、それに朝鮮半島から九州西海岸を経て琉球列島にいたるルートを通じて流入したとみられる文化など、さまざまな文化が堆積、融合した結果、生みだされた文化と考えられる。琉球列島文化、ことにその祭祀世界の多様性形成に関与した祭祀複合の概略とそれらの相互作用について簡潔に要約すれば、以下のようになる。

(1)地下他界・「人類の始祖」観念・男子結社

 この祭祀複合は、「土中からの始祖」神話を基礎にする。現在、復元することのできる限りにおいて、琉球列島の最古層にあったと考えられる仮面仮装のマレビト祭祀は、この複合に基づく。八重山諸島のアカマタ・クロマタ祭祀はその典型的な例であるが、その痕跡は、琉球列島のほぼ全域において認められる。

 少なくとも、八重山諸島において、この仮面仮装のマレビト祭祀に結びつくニーラスク、ニーローなどのニライ系の名称を持つ他界は、本来、男女二神の始祖が出現した地下他界を意味していた。

 仮面仮装のマレビトは、従来、祖先あるいは祖霊を表現するものと、一般的には考えられてきたが、宇宙創世時の人類の始祖としての性格を持ち、祖先、祖霊の観念との間には大きな断絶がある。

 このマレビト祭祀を大きく特徴づけているのは、《死と再生》のモチーフであり、それは八重山諸島のマレビト祭祀において顕著に認められる。時として、《死と再生》のモチーフは、スデ水(若返りの水)との結びつきを持つ。

 検討の余地を残すが、「土中からの始祖」神話は、熱帯系のタロ(2倍体のオヤイモ群)と結びついて流入したと考えられる。

(2)海上他界・蛇霊信仰(蛇トーテム的観念)・女性シャーマン

 神女に海神が憑依する形式のマレビト祭祀の基礎をなしていたとみられる祭祀複合である。神女たちが海上他界に関連する祭祀で、蛇を頭に巻く事例は、奄美、南部琉球など琉球列島の周辺地域においてみられる。それは、この祭祀複合が、琉球列島全域において分布していたことを示唆する。

 琉球列島に深く根ざしているシャマニズムの主たる部分は、この祭祀複合によってもたらされた。

 この祭祀複合が蛇霊信仰、あるいは蛇トーテム的観念を構成要素としていたとすれば、海のはるか彼方から訪れる神とは、祖先=蛇霊であったと考えられる。現在の海神が憑依する形式のマレビト祭祀からみて、あくまでも水平的な海上他界が、東方洋上にイメージされていた。この祭祀複合においても、(1)と同様に、シマ(村落共同体)の甦り-《死と再生》-が、マレビト祭祀の主たるモチーフである。

 当初からこの祭祀複合の構成要素がセットを成して、華南から台、湾を経て琉球列島に導入されたモチ粟と結びついて琉球列島に流入した可能性がある。この場合、モチ粟は、すでに台湾東海岸南部地域で熱帯系のヤムと複合をなして琉球列島に流入した。

 この祭祀複合は、(1)の複合に大きな影響をおよぼした。第一に、人類の始祖=蛇とする観念を派生させた。第二に、仮面仮装のマレビトが出現する地下他界を、海底などを含む水平的な方向へと変移させる場合があった。

(3)御嶽・始祖神〜オボツ神・ノロ=神女組織

 御嶽の構成要素として、開拓始祖、あるいはノロなどの始祖神(霊)が存在する場所としての要素、天上の神が降臨する場所としての要素、ヤマトの山岳信仰であるタケとしての要素、の三つをあげることができる。これらの三つの要素が重層し、琉球列島における御嶽の多様性が形成された。

 この祭祀複合に基づく典型的なタイプのマレビト祭祀として、御嶽の始祖神(霊)が神女に憑依し、その神女がマレビトとして集落を訪れるという形式を持つ宮古島の狩俣のウヤガン祭祀をあげることができる。このウヤガン祭祀の場合、その儀礼構成において、天上から降臨する神の観念が重層している。

 この祭祀複合は、琉球王府の文配体制確立のために利用され、琉球列島祭祀世界の中心的部分を形成することになった。

 御嶽を構成する三つの要素群は、いずれも朝鮮半島から九州西海岸を経て琉球列島にいたる海上のルートとのかかわりを示す。ことに、天上から降臨する神の要素は、樹上葬、鍛冶(鉄器)、三機能体系神話など北方的文化要素群とともに、このルートを通って、稲、麦をともなって12世紀ころに奄美・沖縄諸島北部地域に流入したとみられる。

 この複合によって、(2)の複合は変容する場合があった。たとえば、海上他界からの神の降臨する御嶽が形成され、また祭祀形態もそれにともなって変質した。

 これら三つの基本的祭祀複合に加えて、近世にヤマトからの龍宮信仰が濃密に浸透した沖縄諸島、宮古諸島においては、海上他界(龍宮)、漁撈神、男性年齢階梯組織を構成要素とする第四の祭祀複合が形成された。龍宮信仰の浸透度の弱い八重山諸島などにおいては、これに類似する祭祀複合が存在せず、仮面仮装のマレビト祭祀に深く結びつく男子結社が存在していることから推定すれば、この祭祀複合は、(1)の男子結社を社会的基盤とする祭祀複合を母体に形成されたものと考えられる。新たに形成された祭祀複合においても、仮面仮装のマレビト祭祀は継承された。龍宮信仰の浸透によって、(2)の祭祀複合を構成する水平的な海上他界も、実体はかわらないままに、龍宮という名称に置き換わり、神女組織が、龍宮祭祀を行う場合が生じた。

審査要旨

 本研究は、琉球列島文化が、南方の熱帯島嶼系の文化、華南から台湾を経て流入した大陸南部系の文化、朝鮮半島から九州西海岸を経て流入した大陸北部系の文化など、複数の文化が、一定の文化地理的分布領域を持ちつつ堆積・接触・融合して形成されたことを、祭祀複合の分析から明らかにしようとした野心的な試みである。

 個々の儀礼の象徴的な意味の分析や、琉球と他地域の儀礼の比較研究は、すでに優れた先行研究が蓄積されてきたが、本論文は、文化複合をいったん諸要素に分解し、そのなかで儀礼・祭祀、とくに「マレビト」祭祀を研究対象として現地調査を重ね、その複雑な個々の儀礼の描く分布を重層的文化圏としてとらえ、同時に文化の多様性の形成過程を文化複合の伝播による接触・融合として把握し、それぞれの文化圏を文化史的に東アジア世界全体との関係でまとめなおした点で、すぐれて文化地理学的研究である。

 全体は1-3章と序章・結章が加わり、5章からなっている。

 序章では、本研究の目的・方法を述べる。琉球列島文化をいくつかの出自の異なる文化の複合として、その文化複合の構成部分である祭祀複合、それを基礎として成立している「マレビト祭祀」を研究の主たる対象要素と規定すること、および久高島を基点とし、そこにみられる祭祀複合を琉球列島全体への広がりのなかに置きなおして、系統別に仕分けた文化圏の設定にと進むとする文化地理学的分布論・伝播論を展開すること、したがって文化要素の史的位置づけと、要素間の接触・融合の解明に地理学的手法を導入することを提示している点で、文化を地理学の側から研究する新境地を鮮明にしている。

 第一章では、対象となる「マレビト」祭祀に関する研究史をまとめている。岡正雄、大林太良、吉田敦彦などによる先行研究をまとめ、さらに近年の研究から、雑穀栽培文化、水稲栽培文化、漁労文化などの諸文化の文化複合を主題とする研究を紹介し、「マレビト」祭祀研究に視点を絞る。

 第二章は基点として選んだ久高島のマレビト祭祀の分析である。この島を基点としたのは、第一に豊富な儀礼が近年まで実践されてきたこと、第二に琉球列島のほぼ中央に位置し、多様な文化を受容・堆積させてきたこと、第三に先行研究が豊富であることが理由である。まず久高島の「祭祀複合」をノロ(神女組織)-御嶽祭祀複合、ソールイ(男性年令階梯組織)-竜宮祭祀複合、ムトウガミ(門中宗家神),-ニライ祭祀複合の三つの祭祀複合を抽出し、そこでマレビト祭祀がいかに存在しているのかを明らかにした。

 第三章は前章で明らかにした久高島の「御嶽祭祀」「竜宮祭祀」「ニライ祭祀」に対応する三つのマレビト祭祀を梃子にして、琉球列島のマレビト祭祀の多様性が生成されてきた歴史的過程を提示する。各マレビト祭祀に現れる仮面仮装が表現する対象、ヤマトや大陸など層辺地域にみられる祭祀との類似性、その地理的分布範囲、「ニライ」祭祀が新着の「竜宮」祭祀に置き換えられてきたことなど文化複合あるいは堆積にともなう変質にも言及しつつ、現地調査にもとづく記述は詳細を極めている。

 結章は以上の記述と分析から得られた知見のまとめである。第一の祭祀複合は、「地下他界・人類の始祖概念・男子結社」で,熱帯系のタロ栽培に基礎を置く文化と結びつき、最古層にあったと考えられる仮面・仮装することで人神に変換するマレビト祭祀に表現されている。第二は、「海上他界・蛇霊信仰・女性シャーマン」で、水稲耕作と漁労ばかりでなく、モチ粟・イモ作をも含む古代越系文化と結びつき、華南から台湾経由で伝播し、神が神女に憑依することによって神と一体となっている。第三は「御嶽・始祖神-オボツ神・ノロ=神女組織」で、北方的-支配的文化要素群とともに、朝鮮半島から九州西部の海路を経て琉球列島北部に12世紀ころにもたらされ、琉球王府の支配イデオロギーとして民間に浸透したとしている。第四は「海上他界(竜宮)・漁労神・男性年令階梯組織」で、ヤマトとの結びつきが強く、奄美諸島が空白地域となり、とくに最後の波は八重山諸島にはおよんでいない。これは薩摩藩の琉球支配と関係するもっとも新しい時代のものである。

 以上、本論文の提出者吉成直樹は、琉球列島、とくに久高島における豊富で実証的な地理学的現地調査・分析に基づいて、他地域における祭祀複合の比較・分析をおこない、琉球列島の儀礼・祭祀を東アジア全体の視点から位置づけ、きわめて独創性の高い知見を文化地理学にもたらし、さらに文化複合分析の手法の深化に寄与するところ大である。よって吉永直樹は、博士(理学)の学位を授与される資格があると認める。

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