琉球列島という空間に充填している文化はきわめて多彩である。 琉球列島文化の多様性を理解するために、本論文では一貫して、琉球列島文化が多元的な構成を持つとする立場から検討した。すなわち、琉球列島文化を、ひとまず出自=系統の異なるいくつかの文化複合に解体し、さらにそれら文化複合間の相互作用を明らかにすることによって、文化的多様性がいかに形成されたか、という歴史的形成過程を復元することが、本論文での基本的な議論である。 こうした議論は、同時に、琉球列島文化を、いくつかの異質な文化を含み込んだ、ひとつのまとまりのある構成体として把握しようとする試み、換言すれば、琉球列島文化という個性的な文化の成り立ちを包括的に解明する試みにほかならない。 日本文化を対象に、それを文化複合に解体する試みは、一部の文化人類学者によってなされてきたが、琉球列島文化を対象とするものはまったく存在していない。しかも、文化人類学者による議論においては、あくまでも文化複合に解体することに主眼があり、文化複合間の相互作用に関する議論を欠いていることを指摘しておきたい。一個の構成体としての日本文化、あるいは琉球列島文化という視点を欠いているのである。 琉球列島文化は、面積的には比すべくもないが、日本文化に占める比重においては、言うまでもなく、ヤマト文化に匹敵するものである。 以上の琉球列島を対象とする文化地理学的課題にこたえるために、本論文では、ふたつの研究上の戦略をとった。琉球列島全域をくまなく視野に収めて上記の課題にこたえることは、現実的に不可能であるからである。 第一に、文化複合という概念には、あらゆる文化要素が包摂されるが、ここでは、文化複合の構成部分である祭祀複合に限定した。文化の問題の核心にあるのは、宗教表象を軸とする要素群であると考えるからである。いくつかの祭祀複合を抽出、設定し、それらの相互作用を明らかにするとともに、それぞれの祭祀複合が、いかなる文化複合-ことに、農耕文化-に結びつくかについて検討した。 祭祀複合を分析するにあたって、それぞれの祭祀複合を基礎として成立している「マレビト祭祀」を指標として選定した。それは、マレビト祭祀が、それぞれの祭祀複合のあり様を簡潔に表現しており、指標として最も適切なものと考えられるからである。「マレビト祭祀」とは、異郷からの神秘の訪問者が、人々を祝福し、去ってゆくことを演劇的に表現する祭祀である。 第二に、祭祀複合を設定するにあたって、とりあえず、沖縄本島南東方に位置する久高島の祭祀世界に対象を限定して、その祭祀世界を充分に検討することによって祭祀複合を設定し、そこを定点にして視野を琉球列島へと広げてゆく、という方法をとった。定点と琉球列島全域の間をつねにフィード・バックしながら祭祀複合を確定しつつ、それらの相互作用を見きわめるという手続きを採用した。 本論文で、「文化複合」、あるいは「祭祀複合」という場合、それらはあくまでも「理念型」として設定され、分析概念として用いられるものであることを強調しておきたい。 琉球列島文化は、南方の熱帯島嶼系の文化、中国華南から台湾を経て流入したとみられる文化、それに朝鮮半島から九州西海岸を経て琉球列島にいたるルートを通じて流入したとみられる文化など、さまざまな文化が堆積、融合した結果、生みだされた文化と考えられる。琉球列島文化、ことにその祭祀世界の多様性形成に関与した祭祀複合の概略とそれらの相互作用について簡潔に要約すれば、以下のようになる。 (1)地下他界・「人類の始祖」観念・男子結社 この祭祀複合は、「土中からの始祖」神話を基礎にする。現在、復元することのできる限りにおいて、琉球列島の最古層にあったと考えられる仮面仮装のマレビト祭祀は、この複合に基づく。八重山諸島のアカマタ・クロマタ祭祀はその典型的な例であるが、その痕跡は、琉球列島のほぼ全域において認められる。 少なくとも、八重山諸島において、この仮面仮装のマレビト祭祀に結びつくニーラスク、ニーローなどのニライ系の名称を持つ他界は、本来、男女二神の始祖が出現した地下他界を意味していた。 仮面仮装のマレビトは、従来、祖先あるいは祖霊を表現するものと、一般的には考えられてきたが、宇宙創世時の人類の始祖としての性格を持ち、祖先、祖霊の観念との間には大きな断絶がある。 このマレビト祭祀を大きく特徴づけているのは、《死と再生》のモチーフであり、それは八重山諸島のマレビト祭祀において顕著に認められる。時として、《死と再生》のモチーフは、スデ水(若返りの水)との結びつきを持つ。 検討の余地を残すが、「土中からの始祖」神話は、熱帯系のタロ(2倍体のオヤイモ群)と結びついて流入したと考えられる。 (2)海上他界・蛇霊信仰(蛇トーテム的観念)・女性シャーマン 神女に海神が憑依する形式のマレビト祭祀の基礎をなしていたとみられる祭祀複合である。神女たちが海上他界に関連する祭祀で、蛇を頭に巻く事例は、奄美、南部琉球など琉球列島の周辺地域においてみられる。それは、この祭祀複合が、琉球列島全域において分布していたことを示唆する。 琉球列島に深く根ざしているシャマニズムの主たる部分は、この祭祀複合によってもたらされた。 この祭祀複合が蛇霊信仰、あるいは蛇トーテム的観念を構成要素としていたとすれば、海のはるか彼方から訪れる神とは、祖先=蛇霊であったと考えられる。現在の海神が憑依する形式のマレビト祭祀からみて、あくまでも水平的な海上他界が、東方洋上にイメージされていた。この祭祀複合においても、(1)と同様に、シマ(村落共同体)の甦り-《死と再生》-が、マレビト祭祀の主たるモチーフである。 当初からこの祭祀複合の構成要素がセットを成して、華南から台、湾を経て琉球列島に導入されたモチ粟と結びついて琉球列島に流入した可能性がある。この場合、モチ粟は、すでに台湾東海岸南部地域で熱帯系のヤムと複合をなして琉球列島に流入した。 この祭祀複合は、(1)の複合に大きな影響をおよぼした。第一に、人類の始祖=蛇とする観念を派生させた。第二に、仮面仮装のマレビトが出現する地下他界を、海底などを含む水平的な方向へと変移させる場合があった。 (3)御嶽・始祖神〜オボツ神・ノロ=神女組織 御嶽の構成要素として、開拓始祖、あるいはノロなどの始祖神(霊)が存在する場所としての要素、天上の神が降臨する場所としての要素、ヤマトの山岳信仰であるタケとしての要素、の三つをあげることができる。これらの三つの要素が重層し、琉球列島における御嶽の多様性が形成された。 この祭祀複合に基づく典型的なタイプのマレビト祭祀として、御嶽の始祖神(霊)が神女に憑依し、その神女がマレビトとして集落を訪れるという形式を持つ宮古島の狩俣のウヤガン祭祀をあげることができる。このウヤガン祭祀の場合、その儀礼構成において、天上から降臨する神の観念が重層している。 この祭祀複合は、琉球王府の文配体制確立のために利用され、琉球列島祭祀世界の中心的部分を形成することになった。 御嶽を構成する三つの要素群は、いずれも朝鮮半島から九州西海岸を経て琉球列島にいたる海上のルートとのかかわりを示す。ことに、天上から降臨する神の要素は、樹上葬、鍛冶(鉄器)、三機能体系神話など北方的文化要素群とともに、このルートを通って、稲、麦をともなって12世紀ころに奄美・沖縄諸島北部地域に流入したとみられる。 この複合によって、(2)の複合は変容する場合があった。たとえば、海上他界からの神の降臨する御嶽が形成され、また祭祀形態もそれにともなって変質した。 これら三つの基本的祭祀複合に加えて、近世にヤマトからの龍宮信仰が濃密に浸透した沖縄諸島、宮古諸島においては、海上他界(龍宮)、漁撈神、男性年齢階梯組織を構成要素とする第四の祭祀複合が形成された。龍宮信仰の浸透度の弱い八重山諸島などにおいては、これに類似する祭祀複合が存在せず、仮面仮装のマレビト祭祀に深く結びつく男子結社が存在していることから推定すれば、この祭祀複合は、(1)の男子結社を社会的基盤とする祭祀複合を母体に形成されたものと考えられる。新たに形成された祭祀複合においても、仮面仮装のマレビト祭祀は継承された。龍宮信仰の浸透によって、(2)の祭祀複合を構成する水平的な海上他界も、実体はかわらないままに、龍宮という名称に置き換わり、神女組織が、龍宮祭祀を行う場合が生じた。 |