1.本論文の内容の概略は以下の通りである。 序章では、本論文の主題として1920年代を中心とする「科学的管理法」の日本への導入過程が設定され、著者の問題関心が、「日本的経営」論、「科学的管理法」自体の歴史的位相の把握についての従来の諸見解、ならびにレーニンから宇野理論・レギュラシオン理論にいたる「段階論」の問題点に対する批判の形で表明されている。日本資本主義の前近代性や後進的未熟性を強調して戦間期の経済成長を過小評価し1920年代を慢性不況期とする見解に対し、著者は第1次大戦期の本格的工業化と20年代の国際水準を抜く高成長の達成を評価し、その基礎に早期的積極的な「科学的管理法」導入の過程があると主張する。「科学的管理法」は世界史的には金融資本段階に対応し、世界恐慌後の国家金融資本段階におけるフォーディズム的大量生産過程への労働力の馴化過程を意味するというのが著者の展望である。 第1章では、大正・昭和初期における「科学的管理法」の導入過程を、1910年から1916年の工場法施行までの第1期と、1916年から1922年にかけての第2期、以後1930年の産業合理化政策に継承されるまでの第3期に区分し、各種の啓蒙普及活動とその各企業での具体化、ならびに政策上の能率増進政策の展開が検討される。ついで、この能率増進運動を推進した組織について、官公庁と民間の推進組織、各地の能率研究会の活動をとりあげ、1922年における農商務省能率課の設置、大阪府による能率増進研究費の計上、上野陽一の産業能率研究所設立、大阪・東京・愛知の能率研究会発足などにはじまる第3期の能率増進運動の組織的推進が検討される。 第2章は各事業所への「科学的管理法」の導入を対象として、東洋紡績・神戸製鋼所・新潟鉄工所・中山太陽堂・福助足袋・日本ノート・日本橋梁・赤線検査器・王子製紙・造幣局・石川島重工業・海軍火薬工廠など「科学的管理法」導入に積極的であった各事業所における導入契機が、工場法・労使協調化・生産力発展・企業合理化・啓蒙活動などの諸要因との関連に即してあらためて整理される。ついで各事業所における「時間研究」・「動作研究」の導入過程が上記諸事業所のほか安川電機・名古屋鉄道局浜松工場・呉工廠・ライオン歯磨・金門商会・陸軍被服廠・満鉄鞍山製鉄所・精版印刷などの事例も加えて検討されたのち、「科学的管理法」導入と設備機械の改善拡充や工程管理の合理化との関連、さらにライン・アンド・スタフ組織への移行など組織の合理化との関連が検討される。 第3章では、呉・広両海軍工廠における「科学的管理法」の導入が主題とされ、呉工廠では伍堂卓雄に主導されて「科学的管理法」が積極的に導入されたが、これは八八艦隊建造という軍備拡充計画への対応として艦艇の大量生産のため民間造船所をも動員する必要に迫られて採用されたものであり、とりわけ大小二つのゲージの差により篏合程度を機械的に決定するリミット・ゲージ・システムの採用は、民間工業力の利用を可能とし工費の節減・工期の短縮・製品精度の向上を実現するうえて大きな意義をもったこと、同時に「時間研究」の適用や工程管理組織の改革も行われ、軍縮期に入ってからも「科学的管理法」は頓挫することなく全廠に普及し、リミット・ゲージ・システムと時間研究・動作研究を結合することによって大量生産方式の工作法的基礎が追求され、軍縮下でも消極的な節約型の合理化のみならず積極的合理化が推進された点が高く評価されている。「科学的管理法」はそれにつづく産業合理化の時代におけるコンベア・システムの導入による大量生産への移行の前段階をなすものであるが、世界と日木では産業合理化の導入には約10年の時間差があり、世界的には1920年代の「相対的安定期」をささえた合理化政策が、世界恐慌期に入って導入された日本では緊縮政策への即応を余儀なくされた。そのため合理化のもつ本来のイノベイティブな性格を全うできず、「日本的合理化」といわれる人員整理・経費節約という消極的節約的合理化の側面のみが目立ったが、その側面のみを強調するのは誤りであり、規格統一・標準化・単純化など大量生産の前提となる諸政策も推進された。 第4章は[科学的管理法」の効果について、数量的に効果を算定することは困難であるが、労働生産性の上昇や工期の短縮、コストダウン効果、さらに労使協調化について、鉄道省工作局・川崎造船所・三菱電機神戸製作所・大阪電器分銅・帝国人絹岩国工場・日本電気化学工業・マツダ電球・東洋製缶・大同燐寸その他紡績業・織物業・石炭鉱業など各種の事例は「科学的管理法」が本格的に導入された1920年代に大きな成果をあげており、1920年代における日本の国際水準を抜く高い成長にたいして積極的な役割をはたした点に[科学的管理法」導入の意義があると結んでいる。 2.本論文は、上記のように1920年代を中心に日本企業における[科学的管理法」の導人過程に光をあて、それを積極的に評価する方向で数々の新しい知見を加えることに成功している。とりわけ、従来は主として軽工業部門での事例の紹介が多かった「科学的管理法」の導入過程について、重工業部門である呉海軍工廠における能率増進運動に重点をおいて検討し、これを新しく発見した資料にもとづき詳細に解明して研究水準を格段に高めた点は、本論文の中でもっとも価値の高い部分であり、学界に対する大きな貢献として評価できる。 また、従来知られていた各事業所の事例についてもあらためて再検討を加え、個々の事例を単独に紹介する形をとらず、著者の関心に従って整理しなおして位置付けをおこない、新たな資料と分析を加えて研究史の水準を一段と前進させた点も評価される。著者の作業によって、これまで十分に吟味されてこなかった大阪府立産業能率研究所の『会報』や『能率研究』『産業能率』などに示された諸事例にあらためて照明があてられており、本論文全体として豊富な事例が史料に即して克明に検討され、多くの新事実が精力的に発掘されている。 「科学的管理法」を「産業合理化」の前段階と位置付け、大量生産の発展の歴史的展望にたって総合的に論旨を展開した「科学的管理法」導入過程に関する史的分析はこれまでに示されておらず、この意味で本論文は貴重であり、今後の研究にとって重要な基本文献となるであろう。また、従来の諸研究に対して強い批判的精神をもって対峙し、通説批判を試みた点や、問題を狭い技術的な問題のみに限定せず、広い視野から日本資本主義の段階的発展との開連で位置付けけようとする意欲的な態度も評価されよう。 3.本論文は以上のような成果をあげているが、構成上で序論に対応する明示的な結論が示されていないという大きな問題点をもっている。序論では[新しい資本蓄積様式への移行」との開連で「科学的管理法」の歴史的位相を問題としながら、終章ではその論点に立ちかえっていない。また、[新しい資本蓄積様式」について、それが「国家金融資本」段階とよびうるものであるとの言及はあるが、その具体的内容は展開されていない。序章では「日本的経営」について前近代的特質を強調する見解を強く批判しているが、「科学的管理法」から恐慌期の産業合理化の時期を経て戦後の1950年代に本来的に遂行されたという大量生産化の全過程が「日本的経営」の形成過程といかなる関連を持ったかについては展開されていない。すでに著者が発表した産業合理化の分析とより緊密に結合させて論旨の展開をはかればより明快な理解がえられたと思われる。 呉海軍工廠における「科学的管理法」導入を分析して、官営工廠が導入の先端にあったことが資本蓄積様式変化の方向に示唆を与えるとその意義を強調しているが、官営であったことがいかなる意味をもったかについては必ずしも明らかではない。著者のいう国家金融資本段階とは、株式会社形式による金融資本的蓄積方式が限界を迎えて国家の介入ぬきでは資本蓄積が成立しないという含意であると判断されるが、官営の軍工廠とそれに結び付いた民間軍事工業が、全体としての「新しい資本蓄積様式」のなかでいかなる位置を占めているかについての見解は意識的には展開されていない。国家資本のなかでも軍工廠と鉄道その他各種の官営部門とではコスト意識や民間産業との関連のありかたにおいて大きな差異があり、「科学的管理法」導入のもつ意味も相当に異なることに留意する必要があろう。 「科学的管理法」の日本への導入にあたって、いかなる部分が意識的に取捨選択されたかについての検討も必要であろう。テイラー式の賃金制度と日本企業の賃金制度とは相当の差異があるが、本論文では賃金制度への言及が少ない。「科学的管理法」の重要なポイントが、タスクを確定してそれを賃金・労務管理の基礎に置くことにあるとすれば、タスクによる管理が実際にどの程度までなされたかについての検討が必要であろう。軍縮期「科学的管理法」が挫折したとの従来の見解を著者は批判するが、労務管理の実態に「科学的管理法」がどこまで浸透したかの実証が示されない限りこの批判は十分な説得性をもっていない。 著者はコンベア・システムによる大量生産方式を現代資本主義の特徴として重視し、その前段階として「科学的管理法」をベルト・コンベアぬきのコンベア・システムと表現し、労働力のコンベア・システムへ向けての馴化過程として捉えているが、現代資本主義ないし国家金融資本段階の特質をコンベア・システムのみに集約して強調することには問題があろう。「科学的管理法」は企業組織全体の管理方式や予算管理・原価管理との関連において捉える必要がある。 4.これらの問題点がなおいくつも残されてはいるが、そのことは本論文のもつ研究史上の意義を損なうものではない。これまで経済史家によって十分に取り上げられてこなかった1920年代の「科学的管理法」の導入過程を主題として、その啓蒙紹介運動から各事業所における具体化の過程、とりわけ従来非常に分析が薄かった軍工廠部門におけるその積極的展開過程を詳細に解明し、総合的な分析を提示したことは学界に対する大きな貢献であり、「科学的管理法」に関する研究が実証的に一段と前進したことは疑いなく、審査委員会は全員一致で本論文の著者が博士(経済学)の称号を授与されるに値するとの結論に達した。 |