学位論文要旨



No 212193
著者(漢字) 浦園,宜憲
著者(英字)
著者(カナ) ウラゾノ,ヨシノリ
標題(和) 景気循環 : その市場社会的機構と意味
標題(洋)
報告番号 212193
報告番号 乙12193
学位授与日 1995.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第12193号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 侘美,光彦
 東京大学 教授 伊藤,誠
 東京大学 教授 小幡,道昭
 東京大学 教授 杉浦,克己
 東京大学 教授 柴田,徳太郎
内容要旨

 本研究では,景気循環を資本主義的市場社会そのものを構成する運動メカニズムと考え,その基礎機構と局面展開の過程を理論的にさぐる。現実の景気循環は,時々の資本主義の世界的編成と各国資本主義の特殊性との重なりのなかで,歴史性をはらんで実現している。しかし,いずれの景気循環も資本主義的市場社会の動態として,枠組みと推転の機構を共有する面がある。この相同性の面をまず理論的に確定することによって,それを分析基準として解明される現実の景気循環の歴史性・世界性・特殊性の絡み合いも,いっそう鮮明になると考えられる。

 景気循環の理論を再考するさいに,宇野弘蔵の提起した恐慌論の脱構築を手掛かりとし,基礎機構に,資本蓄積・資本間競争・信用制度をおく。景気循環過程は,これらの基礎機構を活動の枠組みとする,資本の増殖運動によって展開されてゆく。

 宇野の恐慌論さらにその基礎としての経済原論を見直すさいの核心は,ふたつある。第一に,宇野では,資本主義社会の基本矛盾が「労働力商品の特殊性」にもとめられていた。しかしその特殊性は,資本によっては,供給・増産できないという形式的な「無理」にとどまり,好況末の労働力不足に顕現するとみられている。この「無理」あるいは「特殊性」は,資本による社会的生産の編成にまつわる全領域に拡充深化すべきであり,労働力商品に限ってみても,労働者の労働過程・労働市場・生活過程にまで立ち入って再検討する必要があると考えられる。

 第二に,宇野では,貨幣の価値尺度機能の展開において,「幾度も繰り返される売買」が重視されていた。個別の売買は,商品の「命懸けの飛躍」が実現すれば完了するが,市場世界は,それらの「飛躍」の社会的反復によって構成されると解することができる。この視点を徹底し資本主義的市場社会の諸機構も,市場主体の活動の反復によって生成するかたちに再構成されるべきだと考えられる。

 以上の宇野原論・恐慌論の脱構築の視座から,本研究は,景気循環をめぐって,方法,資本蓄積,資本間競争,信用制度,景気循環過程に,それぞれ重点をおいた全5章よりなる。以下順に,要点を記したい。

 「第1章 景気循環論の方法」では,まず,宇野の「純粋資本主義社会」の想定にもとづく恐慌論・景気循環論の構想について,検討する。この想定によって,典型的な自由主義段階の周期的景気循環との開放的交流性が失われていること,さらに,資本を軸とした市場経済の論理が貫徹した構図のもとで景気循環が考察されざるをえず,そのため,資本による社会的生産包摂の「無理」も形骸化したこと,を指摘する。

 こうした制約を取り去るとき,市場要素と非市場要素の複合として,資本主義的市場社会を考えることができる。その動態たる景気循環の基礎機構もまた,両者の複合体である。基礎機構は,資本蓄積における資本賃労働関係を基層とし,資本間競争の様式を中層とし,資本間の信用の様式を表層とする。それぞれ,市場要素と慣習を軸とした非市場要素の複合からなる労働様式・生産価格・信用力が,機構の核にある。基礎機構〜枠組みの編成,その枠組みのもとでの順調な価値増殖,資本過剰と枠組みの融解,恐慌と不況による枠組みの再編を,景気循環単位と考えることができる。

 「第2章 資本蓄積と労働力商品」では,まず『資本論』体系の形成過程をふりかえり,『資本論』蓄積論の意義と限界を考える。「7冊のノート」以来の体系形成の経緯からみて,理論分析に現実分析(自由主義段階イギリスの)を混在させる余地があった。また流通形態として社会的生産に外来的な資本の性格が不明確なため,資本蓄積が,労働生産性の増進をもたらす新生産方法の導入に直結される傾向があった。これらの難点は,『資本論』の協業・分業・機械制大工業の関係にも見られ,それらが歴史的発展関係をもち,資本の原理が生産過程に一方的に貫徹されるように展開されがちなことより,蓄積論の困難が生まれた。

 『資本論』蓄積論の反省にもとづくと,資本主義的市場社会を資本の原理による包摂だけでなく,包摂と社会の原理による拘束との複合よりなるものと考える必要がある。そのとき資本の利潤動機による新生産方法の導入について,主客の両面から拘束による制約がうまれる。主軸となる主体要因の制約は,機械制大工業下での分業的協業の再編にかかわる。既存「労働様式」とそのネットワークが慣習的にできているとすると慣習の廃棄更新の困難による制約ともいえる。資本の労働力支配が容易なとき,労働者への新方法の強制は円滑である。新労働様式への習熟意欲が発揮されねば,失業が待っている。他方,労働力支配が困難な時,労働意欲が減退するのみか,習熟意欲も発現されない。一般に資本の労働力支配の難易は,労働市場の動向にかかっている。蓄積過程を抽象的にみれば,制約が解除された資本構成の激成的高度化と制約に拘束された緩慢な高度化の二面がある。この二面が労働市場の需給変動に依拠しつつ発現すれば,その交替運動は,景気循環過程で説かざるをえないことになる。

 「第3章価値尺度と資本間競争」では,冒頭に指摘した宇野の深化さるべき二面,(1)市場要素と非市場要素の交錯,(2)市場主体の反復的相互作用を軸に市場社会論を構想する。そのなかでまず抽象的な市場世界レベルの価値尺度の機構と意味を確定し,資本主義的市場社会での価値尺度の現実展開〜生産価格と市場価格の動態連関をさぐる。

 市場世界における貨幣の反復出動は,慣習要素を軸とした社会的要素をつむぎだし,市場要素と非市場要素の重なりのなかで,基準価格たる価値を生む。この論理を資本主義的市場社会に現実化するとき,価値は生産価格に,価格は市場価格に転化する。生産価格は,価値を当事主体たる個別資本の活動の反復の観点から,再解釈したものと解される。

 生産価格をめぐる市場価格変動のメカニズムが,資本主義的市場社会の価値尺度の要をなす。生産価格を市場価格変動の重心と解するとき,いくつかの仮定をおかなくては論証できない。結局こめメカニズムの必然的展開は,景気循環のなかでしか説きえない。景気循環は,資本の活動枠組みの再編〜固定資本の一般的更新によって始まる。この枠組みのもとでの好況期の競争によって,近似的に生産価格による市場価格変動の尺度が成立する。他方景気循環は,この活動枠組みが融解すると恐慌を引き起こし,枠組み再編の契機を与える。不況期の競争は新たな枠組み構築に帰結する。

 なお本章の2節では,市場社会における市場主体の活動の反復の意味について,ヒューム・ドゥルーズ・シュムペーターにそくし方法的考察をおこなっている。

 「第4章信用制度の組織的展開」では,まず『資本論』の信用制度論について再考する。当事主体たる個別資本が不明確な点,さらに銀行間組織にかんして,自由主義段階イギリスの金融構造が生のままとりいれられている点に難があるが,それらは,7冊のノート以来の「資本一般」の枠組みからの拘束と考えられる。これにたいし,当事主体たる個別資本を鮮明にし,その相互作用が,信用のネットワークをつくるとすれば新しい展開が可能になる。利潤動機による個別資本相互の活動が反復されるとき,受信希望資本の信用力が生まれ,それに依存して商業信用・銀行信用が成立する。

 商業信用では,現金売買の反復によって,受信希望資本の活動状態が与信資本に認知されることが,信用力の基盤になる。信用売買の決済の反復は,信用力をいっそう確かなものにする。銀行信用では,信用業務に専業化した銀行資本の信用力が核となる。信用調査費用の投下をともなう専門的な商業手形の選別と割引き,さらに割引手形への返済還流が,反復的に成功することによって,銀行の信用力が形成される。銀行間の関連も相互の信用力にもとづく。取引圏域の現実資本相互が,商取引を持続しているとそれにともなって発生する手形の割引・相殺・取り立てをめぐり,銀行相互間にコルレス関係ができる。この相互信用力に依拠して銀行間の資金融通が実現する。商取引は,一般に商業中心地を経由すると考えられるが,そうすると中心地の諸銀行が,資金融通の拠点たる上位銀行となる。この中心地諸銀行の決済準備銀行が,中央銀行となる。

 「第5章景気循環過程-信用制度の機能を中心に-」では,2・3・4章で展開した資本蓄積・資本間競争・信用制度を前提し,景気循環過程の諸局面と局面推移をみてゆく。蓄積を基層,競争を中層,信用を上層とする資本活動の枠組みの,構築から融解を経て再構築にいたる一循環を対象とし,とくに信用制度の立体的機能に重点をおき検討する。したがって,焦点は,a)好況期より好況末に至る信用膨張過程,b)好況末期がら恐慌期にかけての中央銀行の「最後の貸手」機能,c)恐慌終熄のメカニズムとその後の停滞の基本原因にある。これらのテーマを宇野とそれ以降の所説を批判的に総合しつつ解明している。

審査要旨

 [I] 景気循環は資本主義経済にとって不可欠の過程であり、それは市場社会のメカニズムを再生産し再構成する過程ともなっている。したがって、その解明は、資本主義的市場機構の全体像を分析するほどの広がりと意味をもつと考えられる。しかし、景気循環の形態は歴史的に大きく変化してきたのであるから、それを理論的に解明するときには、どうしても市場機構の一定の抽象化が必要となる。本論文は、そのような景気循環の理論を、宇野弘蔵による恐慌論の抽象化の方法を軸としながらも、より広い視点、すなわち、市場要素だけでなく非市場要素をも包みこむのが市場機構であるとみなす視点から、批判的に再構築した論文である。そのさい、景気循環の基礎機構として、資本蓄積、資本間競争、信用制度の三つをとりあげ、それぞれをこの視点から詳細に検討し、各機構についてのあらたな枠組みと積極的展開を示すことに考察の力点が置かれる。そして、この理論によって示された枠組みとその推転のあり方こそが、現実の歴史的景気循環を分析するさいの基準となることが主張される。

 したがって、全体の構成は、まず第1章「景気循環論の方法」において基本的方法が提示された後、ついで第2章「資本蓄積と労働力商品」、第3章「価値尺度と資本間競争」、第4章「信用制度の組織的展開」の順に、それぞれの三つの基礎的機構について考察され、最後に、第5章「景気循環過程-信用制度の機能を中心に-」において景気循環の全過程が総括される、という形になっている。なお、ページ数は、400字詰め原稿用紙に換算すると約800枚を超える労作である。

 [II] まず、「はしがき」および第1章「景気循環論の方法」では、宇野の・「純粋資本主義社会」の想定に基づく恐慌・景気循環論の限界が検討される。その主たる結論は次の2点である。すなわち、(1)宇野による資本主義社会の基本的矛盾は「労働力商品の無理」に求められているが、その「無理」は、好況末期における労働力不足という、労働市場の量的限界に絞られすぎている。というのは、資本を軸とする市場経済の論理と社会的原則とのあいだには、前者が後者を包摂する面と後者が前者を拘束する面との相互作用の論理があり、これを明確にしなければならないからである。この視点からすると、労働力商品の特殊性は、労働市場だけでなく、より広く、労働者による労働過程や生活過程にまで立ち入って分析する必要がある。(2)宇野による貨幣の価値尺度機能論の特徴は、「幾度も繰り返される売買」に基づいて商品価値が実現されるという点にあった。しかし、この視点をより徹底化し、さらに、必ず存在する市場要素と非市場要素との開連をも含めて考察すると、市場主体の反復的活動をとおして、能動的市場要素と受動的非市場要素との関連が、慣習的規則性をはらんだ社会的ネットワークとして形成され現実化される、という点まで明確にしなければならない。この点こそ、景気循環を構成する基礎的機構そのものの特徴であり、従来の理論が必ずしも充分には明確にしなかった点であった、と。

 したがって、本論文の課題は、景気循環の三つの基礎的機構、すなち資本蓄積、資本間競争、信用制度について、これらの点を具体的に検討し直すことである、と説明される。

 そこで、第2章「資本蓄積と労働力商品」では、まずマルクスの「7冊のノート」以来の体系形成の経緯を振り返りつつ、『資本論』の協業・分業・機械制大工業論および資本蓄積論における次のような限界が指摘される。すなわち、その体系形成の過程に一貫して見られるマルクスの限界は、社会的生産に外来的な流通形態としての資本の性格が不明瞭なため、主体としての資本が労働生産性増進的な新生産方法を容易に導入できるかのように展開したことであった。このため、資本の論理が労働者による生産過程に一方的に貫徹したり、資本蓄積の一般的様式が、たえざる固定資本の更新を含む有機的構成高度化の蓄積に求められたりした。この限界を克服するためには、資本が新生産方法を導入し定着させるときには、労働組織・様式の再編困難および既存固定資本の制約が存在する点、すなわち既存の労働様式や慣習を廃棄・更新するときには、必ず社会原則的要因によって拘束される点を明確にする必要がある、と。

 さらに、このような視点に立つと、次のような点も明確にてきると主張される。すなわち、労働力吸収的局面では、労働者間競争が緩和され、労働者の優位性が相対的に強まるので、構成高度化の革新的生産方法は一般的に採用されにくい。これに対して、労働力反発的局面では、資本の優位性が相対的に強まり、労働者も新生産方法に基づく労働組織・様式に適応することを強制される。したがって、このことが景気局面における二面的資本蓄積様式の存在、すなわち好況期における緩慢な構成高度化の傾向と不況期における激成的な構成高度化の傾向との交替を説明するものである、と。

 ついで、第3章「価値尺度と資本間競争」では、まずヒューム、ドゥルーズ、シュムペーター、等による、市場主体の反復活動と慣習的規則性形成の理論が丹念に考察される。その結果、経済原論の展開においても、周囲に配置されている非経済活動に対する経済主体活動の能動的関連、市場秩序に対する経済主体の慣習と投企の二面的対応、等が取り入れられなければならないことが強調される。

 そして、これらのことを考慮しつつ、いわゆる価値尺度論が再検討され、次のような結論が主張される。すなわち、市場世界における貨幣の反復活動は、慣習要素を軸とした社会的関連をつむぎだし、市場要素と非市場要素の重なりの中で基軸価格たる価値を生む。この価値を資本主義的市場社会に現実化すると、価値は生産価格に、価格は市場価格に転化する。しかし、市場価格変動の重心としての生産価格メカニズムは、景気循環の中にしか存在しない。つまり好況は、資本活動の枠組みの再編(固定資本の一般的更新)によって始まり、この枠組みの存在する限りにおいて、すなわち好況の一局面において、生産価格による市場価格変動の尺度が近似的に形成される。だが、この活動の枠組みが融解すると恐慌が起こり、次の不況期にその枠組みの再編成が試みられる。この過程には困難が伴うものの、それが一般化するとともに、次の好況が開始される。要するに、このような過程的循環の中で、資本主義的市場世界の枠組みに対する主体活動の慣習と投企の二面的対応が繰り返され、資本主義的価値尺度の形成と再編が繰り返されるのである、と。

 さらに第4章「信用制度の組織的展開」では、まず『資本論』の信用制度論が再考され、そこでは、個別資本の利潤動機にそくした当事者主体的競争機構が充分には展開されていないこと、この結果、分散性と集中性をもった信用組織も充分には構築されず、自由主義段階のイギリスの事実に依存した説明が多いこと、等が指摘される。

 そこで、これらの難点を克服する展開を試みると、次のようになると主張される。すなわち、まず商業信用では、受信希望資本の活動状態が与信資本によって認知されること、ついで銀行信用では、銀行が商業手形の選別と割引を専門的に行ないその資金の返済還流に繰り返し成功することが、信用力の基盤になること、そして、このような信用力に基づいて地方の取引圏域や商業中心地の取引圏域が形成され、銀行組織は、下位銀行、上位銀行、最上位(中央)銀行という三層の立体構造に抽象化可能であること、さらに、この銀行組織は、銀行券発行や保有支払準備の点において最上位銀行への集中化と下位銀行への分散化という二面をあわせもつこと、等である。

 かくして最後に、第5章「景気循環過程」では、以上の機構を総括しつつ、<好況→恐慌→不況>という循環過程が展開される。そのさい、不況期に、既述のような労働組織の再編を含む新生産方法の導入が一般化する点、このあらたな枠紐みを前提とした利潤率均等化(価値尺度の形成)は好況中期に現実化する点、等は繰り返すまでもないことであろうから、要約の焦点を、なぜ好況末期に激発的な恐慌が準備されるのか、という点に絞ると、とりわけ次のような点が本章で強調される点となる。

 好況末期には、労働力の枯渇化によって賃金が上昇し、「資本の絶対的過剰生産」が現れるが、これに伴って賃金支払いに必要な金貨幣の流通が増加し、中央銀行からの金流出が増加する。同時に市場価格の高騰を利用した投機活動の活発化・在庫形成も増加するが、そのための信用増加は基本的には中央銀行の与信維持によって保たれる。しかし、中央銀行を介する決済の可能な周辺圏域およびそれが不可能な疎遠圏域の取引も拡大し、疎遠圏域の銀行は決済に必要な金貨幣の引出しをいっそう増加させる。いわば信用制度の組織的構造の不均質な性質に由来する金流出が激化する。この結果中央銀行の金準備が減少するので、中央銀行は再割利率の引上げ・与信の絶対的削減を行なわざるをえない。このことが激発的な恐慌発生の直接的要因になる、と。

 [III]以上が本論文の要旨であるが、その特長は以下の点にあると考えられる。

 (1)従来の経済原論は、「純粋資本主義」の想定に基づき、周辺の非市場要素を排除することが多かったが、本論文は、それを積極的に取り入れつつ市場機構の論理を体系化するという点て一貫しており、この点についての理論的考察を深めている。とりわけ景気循環の各局面においてそれが無視できないことを指摘した点は貴重である。

 (2)この市場要素と非市場要素との関連の論理を明確にするため、ヒューム、ドゥルーズ、シュムペーター、ハイエク、等の理論を再検討し、経済主体の反復的活動によって形成される市場機構が慣習的規則性を包みこみ、固有のコミニュケーション・ネットワークを作りだすことを明確にした点は、独自の試みとして評価に値する。

 (3)より具体的には、革新的生産方法導入における労資間の緊張・労働組織の再編の問題、労働力商品の特殊性における労働市場以外の問題、信用制度における信用力概念を中心とする商業信用・銀行信用の再整理、その信用組織の立体的構成、等の指摘は、景気循環の基礎理論に関する従来の研究にあらたな視点からの議論をつけ加えたと考えられる。

 しかし、まだ次のような問題点や不明確な点も残されているように思われる。

 (1)『資本論』の限界を検討するとき、その形成史にまで立ち返った考察が行なわれているが、そのさい、比較的最近明らかにされたMEGAの新草稿にまで立ち入った分析が進められていない。また、全般に宇野学派以外の景気循環論の検討が充分には行なわれていない。

 (2)あらたに再規定された、景気循環における価値尺度の概念、信用制度論における信用力・取引圏域、等の概念に必ずしも明確でない点が残されている。たとえば価値尺度概念は、流通論の価値としてではなく、好況局面における生産価格として説明されているが、これと社会的労働時間との関連はどのようになるのかは説明されないままになっている。また、信用力という概念や取引圏域形成の根拠も理論的に厳密に明らかにされているとは言えない。

 (3)本論文の景気循環論を歴史的分析や現状分析に用いるとき、各循環における市場機構的枠組みの継続と再編という視点が、基準になることが強調されているが、本論文に示されているような自由主義段階的な景気局面における枠組みの循環的変化と、より大きな歴史的ないし段階論的市場機構の変化とを直ちに同列に論じることができるのか、問題である。たとえば、本論文の景気過程では価格水準の変化がほとんど論じられていないが、価格機構の動態に生じている歴史的に大きな変化は、上のような枠組みのみの変化として考察できるのか、疑問が残る。

 このような問題点は残るにせよ、本論文は、執筆者の自立した研究者としての資格と能力を充分に確認できるものであり、審査委員会は全員一致で学位授与に値するものと判定した。

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