学位論文要旨



No 212194
著者(漢字) 笛木,昭
著者(英字)
著者(カナ) フエキ,アキラ
標題(和) 日本農業の担い手と土地・農地問題に関する研究
標題(洋)
報告番号 212194
報告番号 乙12194
学位授与日 1995.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12194号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 和田,照男
 東京大学 教授 田中,学
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 助教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 八木,宏典
内容要旨 I新しい担い手層(産業型自立経営)の形成1自作小農経営の展開

 農地改革が創出した自作小農経営が歴史的な生産力発展段階を画したのは1955〜65年であった。それは、農地改革と自作小農の維持政策に作用した、国民の下からの要求を上から取り込んで支配体制を築いた戦後二つの道の対抗関係に根差すものであった。具体的には、過剰就業、低農産物価格等の抑圧に対する農民経営の自立化(中農化)の闘いであり、それは当時の農民的高農地価格にも反映した。

2自作小農経営の解体

 戦後二つの道体制のスパイラル展開たる高度経済成長を通じて農地改革自作小農は、70〜75年を画期として基本的に解体への道を歩み、その社会的存立条件を喪失してくる。国際化の進展と相俟っての新しい担い手層形成の立ち遅れは農業危機を招来した。

3中農化から産業型自立経営へのパラダイムシフト

 (1)前史-法人化・共同化運動、借地型請負耕作の拡大、格差是正意識の高まり等を見た。

 (2)産業型自立経営の展開-自作小農経営の解体の中から、新しい担い手層(産業型自立経営)が形成され一定の地歩を占めてくる。その形質は農家労働力価値(所得・家計費)上昇と自立化、農地流動化の進展などを踏まえた新技術(機械化等)とそれを実現する機能資本、経営者マインドの役割の増大であり、近代的な家族経営を基本としながらもその延長上に農業生産法人と一部企業経営を含むものである。この変化は70〜75年を画期とする自立経営構造の高度化に示される。複式簿記と生産法人化はこの経営構造の変革を経営管理と社会・制度の面から裏ずけるものである。

 (3)産業型自立経営の展開条件-(イ)客観的条件…農業の技術革新に基ずく規模の経済の貫徹、過剰就業の解消など農民層両極分解を促すわが国資本主義経済のキャパシテーの拡大。

 (ロ)主体的条件…経済発展(客観条件)からの動機ずけ(小農的ルーチンを飛躍する経営目標の設定)とそれを実現する実践努力(初度的資本形成を含む)、その過程で避けられない経営危機克服等が培うヒューマンキャピタル(意識改革と経営者マインド)の形成・蓄積。

 (4)産業型自立経営をめぐる諸問題-(イ)所得補充(兼業)農業、高齢者や都市住民の生きがい、ホビー、国土保全や防災、景観、教育等の農業の多面的な担い方の位置ずけが必要。(ロ)産業型自立経営の確立にむけて必要な経営者組織運動の役割(他の多面的農業の担い手についてもそれぞれ社会的発言力を形成すべき)。(ハ)行政、制度、団体、地域社会、慣習等の民主的改革。(ニ)農業者の主体的な意欲・自立対応を損なわない財政の後方支援。

 (5)産業型自立経営の歴史的意義-日本農業の担い方の国民的確立の今日的課題をなしている。それは戦後"民主主義"の国民的再変革の一環をなす。それはまた、効率一辺倒の経済社会の在り方を反省した環境問題の解決等オルタネーテプな在り方に変えて行くに必要な経過点をなすものである。

4複式簿記による経営確立運動

 フローの損益追及オンリーから.資産と資本のありょう即ちストック面からの経営確立の課題が重要になっており、現場で実践運動が進みつつある。

5新農政プランと農業経営の展開

 国の新農政プランによる稲作等の"経営体"は、産業型自立経営と同じ変革的内容を有している。然しその実現方途は上からの総動員体制であり、農業者と地域の自主的、主体的成長の後方支援手法との間に大きな溝がある。稲作以外の他部門の経営体の方向ずけについては、机上の空論に流れている。

II長期農業投資を危うくする土地・農地問題と農用地を確保する政策展開1異常な土地・農地価格形成

 60年代末までの農民的高農地価格は戦後二つの道の対抗の農業内論理に依るものでった。然しその後は、都市の膨張と開発の広がりによる都市的土地利用等にともなう土地資産価値につよく影響されて来た。

 今日の農地問題の1つは以上の都市的土地資産価値の農地への侵入の広がりによる農業採算を度外視した異常な農地価格の形成であり、純農地平均においても農地純収益の農地価格利回りは著しく低下している。関東、北陸以西の平坦地を中心に大半の農地価格は農業採算を大きく上回っている。

 バブル経済崩壊後は大都市の宅地価格が急低落した。然しその水準はなお異常の域にあり農地価格の動向は、全体としては都市の宅地等資産価値との超絶的格差に引っ張られて高水準のまま横ばえとなっている。地帯的には、遠隔地(北海道、東北、南九州や山間地)の80年代前半から農業危機の深化を反映し下落している農地、バブル崩壊後の宅地価格下落につられて低下した大都市近郊農地、平坦部の高水準横ばえ農地価格の三つのデイメンジョンを持つ。

2危うい将来の農用地確保

 以上に伴い、農地のスプロールと転用切り売り指向が強まり、将来にわたる農用地の確保とともに農業経営への長期にわたる人的、資本的投資が困難になっている。

3土地・農地問題の構造

 (1)土地問題の特殊性-労働の生産物でない、動かせない、増殖できない、地球表面の分割、占有による土地所有が自らを実現する経済形態たる地代(差額地代、絶対地代、独占地代)と地価の形成。

 (2)我が国の土地・農地問題の特殊性-欧米に比して狭い利用可能地での富と人口の急速かつ著しい増大、それらの都市への集中による都市の過密と膨張及び都市と農村の混在化、用水・交通・土木技術などの面での都市的土地利用の農村・農地へのアクセスの良さ(農地の非農業利用への汎用性の高さ)、土地所有権絶対の土地商品化(土地市場)、戦後土地改革の農地への限定、農地法の限界と後退、以上を克服できない土地法制(土地基本法体系の限界)。

 また農地改革自作小農民の農業生産者資格(能力)の喪失(単なる小地主化)、地方自治体の地域エゴにたった開発指向もまた、全国民的(ナショナル)な土地利用の適正配分(農地と緑、環境の確保・保全)を不可能にしている。

 (3)土地市場と社会的利用の矛盾拡大-異常な地価高騰とその拡散をもたらしたわが国の土地市場は、生存権の確保や社会的公正、社会的効率を期す土地利用の適正なな社会的配分を不可能にしている。

4以上の土地・農地問題の解決方向(3つの座標軸)

 その元凶(大都市の土地・地価問題)に踏み込んだ次ぎの土地政策が必要になっている。

 (1)先進市町村に見る開発規制、計画利用、移動規制-自治体独自の条例と農地・農振法、都市計画法等各種土地法制を統一的に実施しての厳しい開発、取引(移動)等の公的規制による農地と環境の守り方、住民協定による農地や緑を含む民主的計画利用の確保。但し、国法を超えた規制と利用形態(農地か宅地か)による土地資産価値格差の矛盾を超えられない。

 (2)西洋先進国に見る徹底した開発規制と計画利用等公共規制-所有は利用に従い、利用は計画に従う強い公共的土地利用規範の形成。

 (3)農地改革・農地法の理念を貫く土地法の敷衍-生存権と社会的公正に立っての農地だけで無い、都市の土地と林野にも及ぶ土地市場の公的管理。

 (4)土地市場の民主的統制-土地利用計画を要件にした土地の取引、地価、保有、開発・利用等の民主的統制の実施が不可欠になっている。

III農業構造変動と農地管理システム

 1 耕作離脱する農家の農地の権利を体制と権能を整備・強化した県段階公的機関が預かりプールして担い手への農場的集積(再配分)や経過的な保全管理を市町村段階の農業委員会農地銀行を軸に農業者や地域、農委、農協、市町村公社等に実施させる。

 2 産業型自立経営だけでなく地域調整による利用区分を通じてその先の不適性利用を防止する制度的担保措置を取ったうえでレジャー・ホビー農園、教育、景観、国土保全など多面的な農地利用にも正面から道をひらく。

 3 県段階農地管理機関の農地ファンドを形成するため農地証券の発行に道を拓く。

審査要旨

 わが国の農業とりわけ土地利用型農業の今後の担い手については、近代的家族経営たる自立経営から大規模企業経営あるいは小農的有機生産農業、さらに生産共同体や集団的な組織経営、そして第3セクター、農協営農論まで実に様々な考え方が展開されている。これは、日本の土地利用型農業がいまダイナミックな転換期にあることの反映でもあると見られるが、同時に現代社会の価値観の多様化をも反映したものでもある。このため、現在、様々な新しい動きや事例を貫く歴史展開の内容とその展開論理を明らかにする事がきわめて重要な課題になっている。

 本論文は以上のような事情をふまえ、戦後の自作小農経営の終焉と新しい担い手たる産業型自立経営の形成をめぐる実態分析とその展開論理の整理を行い、あわせてわが国の土地・農地の基本問題を、詳細な統計資料の分析をベースに解明したものである。

 第I部(5つの章で構成)では、わが国に於ける新しい農業の担い手層(産業型自立経営)の形成について分析している。

 まず、戦後の農地改革により創出された自作小農経営の展開と解体について、以下のように整理している。すなわち、農地改革が創出した自作小農経営が歴史的な生産力発展段階を画したのは1955〜65年であり、それは、農地改革と自作小農の維持政策に関わる国民の下からの要求と上からの支配との、2つの道の対抗関係に根差すものであった。具体的には、過剰就業、低農産物価格などの抑圧に対する農民経営の自立化(中農化)であり、それは当時の高農地価格にも影響した。しかし、戦後の高度経済成長を通じて、自作小農経営は70〜75年を画期として基本的には解体への道を歩み、その社会的存立条件を喪失した。

 このような自立小農経営の解体の中から、しかし、新しい担い手層(産業型自立経営)が形成され一定の地歩を占めている。その形質は農家労働力費用(所得・家計費)の上昇と自立化、農地流動化の進展などを踏まえた新技術(機械化等)の導入とそれを実現する機能資本、経営者マインドの役割の増大であり、近代的な家族経営を基本としながらも、その延長上に農業生産法人と一部企業経営を含むものである。なお、複式簿記の普及と生産法人化は、この経営構造の変革を経営管理と社会・制度の面から裏づけるものである。数が少ないとはいえ、このような産業型自立経営の形成は、日本農業の担い手の国民的確立の今日的課題をなしている。

 続く第II部(5つの車で構成)では、わが国の土地・農地問題と農用地確保に関する政策展開について分析している。

 このなかで、今日の農地問題は都市的資産観念の農地への侵入による農業採算を度外視した異常な農地価格の形成にあり、関東、北陸以西の平坦地の大半で農地価格は農業採算価格を大きく上回って推移していると分析している。

 また、バブル経済崩壊後に大都市の宅地価格は急落したが、農地価格は5市の宅地価格との絶対格差に引きづられて高水準に止まっており、地帯別には、遠隔地(北海道、東北、南九州や山間地)の80年代前半から下落している農地、バブル崩壊後の宅地価格下落につられて低下した大都市近郊農地、平坦部の高水準横ばい農地という3つのデイメンジョンを持つと分析している。

 以上のような土地・農地問題の解決方法として、次のような土地政策の必要性を指摘している。

 (1)開発規制、計画利用、移動規制-自治体独自の条例と農地法、農振法、都市計画法等の土地法制を統一的に実施した開発、取引(移動)等の公的規制による農地と環境の保全。(2)西欧先進国に見る徹底した開発規制と計画的土地利用-所有は利用に従い、利用は計画に従う強い公共的土地利用規制。(3)農地改革・農地法の理念を貫く土地法の敷えん-生存権と社会的公正に立つ、都市の土地と林野にも及ぶ土地市場の公的管理。

 以上、要するに本論文は、詳細な統計資料の分析を通じて、わが国農業に於ける新しい担い手の形成とその成長論理及びそれに密接に関連する土地・農地の基本問題について解明したものであり、学術上、応用上寄与するところ少なくない。

 よって審査委員一同は、本論文は博士(農学)を授与するに価値あるものと認めた。

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