学位論文要旨



No 212195
著者(漢字) 谷野,陽
著者(英字)
著者(カナ) タニノ,アキラ
標題(和) 農村計画の史的展開に関する研究
標題(洋) A Study on the History of Rural Planning in Japan
報告番号 212195
報告番号 乙12195
学位授与日 1995.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12195号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 和田,照男
 東京大学 教授 田中,学
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 助教授 山路,永司
 東京大学 助教授 八木,宏典
内容要旨 (課題と視角)

 農村計画は、その重要な部分をなす空間の基本的構造が長期にわたって維持されることから、農村計画学においてはレビューと史的展開の研究は特別の重要性をもっている。農村計画の事績は、古くは條里制から武蔵野新田開発、北海道開拓、昭和の農村経済更生運動、さらに戦後の諸政策にいたるまで多くのものが指摘されている。また、歴史地理学を含め種々の視点からとりあげられているが、個別事例についての研究や事績の紹介が中心となっているものが多い。

 農村計画の史的展開に関する研究については、古い時代の事績はその成果も長年の変遷のなかで消滅しているものが多いこと、計画のレビューについては地元関係者への配慮が必要であること、また、長期にわたる史的展開をあとずけるにあたっては、主として文献的資料に頼らざるを得ないという問題がある。このような制約のもとで、この研究では、(1)日本の国土と農村の計画の史的展開を概観するとともに、(2)農村計画に関する顕著な事例をとりあげ、それが成立した背景とその後の生産、生活技術の展開、経済社会の発展のなかで、それらの計画が、どう機能したか、しなかったかを分析し、(3)農村の空間構造と生産、生活技術の変化との関係に注目して、空間計画の評価視点を提起するとともに、現代における農村計画の展開について考察することを課題としている。

 農村計画の史的展開に関する事実の記述にあたっては、対象とする農村計画の範囲を広くとっているが、考察についてはとくに次の諸点に注目している。

 第1は、農業技術、生活技術と農村の空間構造計画との関係である。地域の空間構造は一定の技術や活動の規模を前提として計画されるが、時間の経過とともに、農業技術や生活の変化によって、住民の生産、生活との間に空間的矛盾が生ずる。この問題は空間計画の宿命ともいうべきものであるが、また、計画評価の重要な視点でなければならない。

 第2は、農村計画は如何なる経済、社会条件のもとで政策の重要課題となるかという問題である。農村計画が、それぞれの時代において食料、農業、農村を取りまく如何なる経済社会条件のもとで政策課題となったか、また、現在及び近い将来において、如何なる展開を遂げつつあるか、という視点である。

 日本の農村計画は、歴史的にみると、これら二つの要素が時代の局面によって、相互に絡みあいながら展開してきているが、現代においては、これら二つの要素が同時に起こり、密接に関連しているところに特徴がある。

(構成と概要)

 第1章と第2章は、近代国家成立以前の農村計画について概観し、條里制のほか、近世におけるいくつかの事例をとりあげる。

 第3章と第4章では、明治から戦前までを取り扱う。明治政府による国土関係諸制度の整備、都市整備と農村との関係のほか、耕地整理、北海道の開発、町村是、農山漁村経済更生運動などについて述べている。

 第5章では、戦後の緊急開拓、都市の戦災復興から経済が安定し、国土計画への動きが本格化するまでの時期を取り上げる。「新農山漁村建設事業」は高度成長期との間の過渡期のものとして位置づけられる。

 第6章は、わが国最大の農村開発計画である八郎潟干拓について、章を起こして述べる。八郎潟干拓の農村計画については、計画段階でかなりの期間をかけて総合的な検討が行われた。この研究では、その検討の経緯をあとずけ、現段階でのレビューを行っている。

 第7章では、1955年以降の高度経済成長時代の政策展開について述べる。1955年の豊作と、「もはや戦後ではない」とした1956年の経済白書の表現にみられる経済復興の完成以降、経済と農業政策の基調は大きく変化する。ここでは、累次の経済計画と全国総合開発計画を軸に国土政策を概観し、農業基本法、農業構造改善事業と圃場整備事業の展開、根釧の新酪農村建設などについて、農村計画の視点からあとずけ、評価する。

 第8章は、高度成長路線が本格化するなかで、1960年代に土地利用の混乱を回避しようとして一連の政策努力がなされたことをとりあげる。1959年の農地転用許可基準の制定は、その出発点であり、1968年の新都市計画法と1969年の農業振興地域の整備に関する法律は現行の土地利用規制法の基本をなすものである。

 第9章では、日本経済の拡大・高密度化のなかで、土地利用の混乱、環境問題が生じ、一方、直線的な経済の拡大路線が頓挫する時代を取り上げる。1972年の公害対策立法と環境庁の設置につづき、1974年には国土利用計画法が制定され国土庁が発足する。本章では、このような事実を踏まえ、国土利用計画法と土地利用基本計画、第3次全国総合開発計画と定住構想について整理している。

 第10章は、1960年代末からの米の過剰問題を契機とする新しい農業・農村政策の模索のなかでの農村整備ビジョンの展開、さらに、農村総合整備パイロット事業、農村総合整備モデル事業など整備施策の本格化を取り上げる。また、この時代に欧米諸国でも農村整備政策が展開されていることにもふれる。

 第11章は、1980年代以降の経済のソフト化のなかの問題を扱う。農村計画についても物財や計量容易なサービス以外の要素を含む「アメニティ」という概念が語られるようになる。一方、事業面でも、農業構造改善事業や農業基盤整備事業が、1990年前後には、農業・農村基盤整備事業のように、農業の他に「農村」の名を冠したものとなる。

 第12章は、これらの事実を踏まえ、空間計画としての農村計画について、主として、生産、生活技術との関係を視点として、考察を整理する。

 終章では、農村整備政策展開のもう一つの重要な背景として、経済社会の変化について注目し、農村計画の課題にふれる。

(考察の要点)

 農村の空間構造計画と生産、生活技術に関する考察にあたっては、まず、條里の圃場区画基準は、明治から1960年代までの耕地整理の基準とほぼ同一のものであり、1,000年を経て同じ圃場区画基準が用いられていることに注目する。このことは條里のフィジカルプランへの積極的評価とともに、この間に稲作の圃場作業体系に大きな変化がなかったことを含意する。1970年代以来、稲作への機械導入と自動車、電気製品の普及など、生産、生活技術の変化が進み、條里以来の圃場区画基準、江戸時代以来の集落プランというハードウエアとの間に空間的矛盾が高まったことが農村計画への動きの背景となっている。

 八郎潟干拓計画における検討の経緯は、農林水産省が作成している累次の稲作経営指標の推移と酷似している。八郎潟干拓計画では、当初、1戸当り2.5ha、農家戸数4,700戸、10集落の計画が、最終的には1戸当り15ha、農家戸数580戸で1集落に集中するものとなった。圃場の単位区画は1.25haである。農林水産省の経営指標では、農業基本法当時の1戸当り2.5haから、1990年には個別経営で水稲、畑作各8.4ヘクタール、圃場区画1ヘクタール目標とされるに至った。

 農林水産省の稲作経営の目標は、もし、それが広範に実現し、兼業がないとすれば人口密度は10分の1以下になり、八郎潟干拓地の検討過程で生じたと同じ問題が、人口の移動をともなって生ずることになる。八郎潟の計画経緯と農村一般の問題を重ね合わせて考えることには、慎重でならなければならない。しかし現実の農村でも潜在的には同種の問題が生じており、空間計画としての農村計画の主要な課題の要因となっている。

 先進諸国において農村計画が重要な政策課題となってきたのは、農産物生産を通ずる所得によって既存の農村居住者すべてに対して生活水準の均衡を確保することが困難となった事実と深く関連している。また、農村の計画は、明治以来、主として「むら」の計画調整機能に依拠して行われてきたが、近年の農村社会の変化にともなって「むら」の調整機能を前提とした方式の問題点が次第に表面化する。このような事実は、今後の食料・農業・農村政策のなかで総合的な農村計画の重要性が高まることを示唆すると同時に、農村計画も過去の手法とは不連続な要素を含むものどなることが求められていることを示すものである。

審査要旨

 農林水産省は1992年6月「新しい食糧・農業・農村政策の方向」を発表した。この文書は21世紀における農政の基本方向を明らかにしたものであるが、それ以前の農政審議会の答申が「農業」「農政」の表題を付していたのに対して、初めて「農村」が食料、農業と並び掲げられている。もちろん、それ以前の政策において、農村が対象にならなかったわけではない。しかし、農林水産省の政策全般に関する公式文書の表題に農村を掲げたのは戦後初めてといってよい。

 一方、事業の面では、すでに1956年から実施された新農山漁村建設事業において名称自体に「農山漁村」が掲げられており、さらに昭和初期には農村経済更生運動が政府の重要施策として実施され、それ以前についても多くの農村計画に関わる事蹟の存在が指摘されている。

 これらの事蹟を踏まえた、わが国農村計画の史的展開に関する研究の重要性は、これまでも度々指摘されてきた。その背景には、事業により地域空間の基本的構造が数世紀にもわたって維持されるため、時間的概念をも含んだ農村計画の史的研究が特別の重要性を持つとの認識があった。

 本論文は、このような事情を踏まえて、わが国の国土と農村の計画に関する史的展開の体系的な解明を初めて行ったものである。

 以下、論文の構成に即して評価を加えながらその内容を簡潔に述べる。

 第1章と第2章では、近代国家成立以前の農村計画について概観し、條里制のほか、近世における農村計画の事例を分析している。続く第3章と第4章では、明治政府による国土関係諸制度の整備、都市整備と農村との関係、耕地整理、北海道開発、町村是、農山漁村経済更生運動などについて農村計画の視点から論点を整理している。

 第5章では、戦後の緊急開拓、都市の戦災復興から、国土計画への動きが本格化するまでの時期を取り上げてその流れを整理し、第6章では、わが国最大の農村開発計画である八郎潟干拓について分析している。

 第7章では、累次の経済計画と全国総合開発計画などわが国の経済政策と国土政策を概観し、農業基本法、農業構造改善事業、根釧の新酪農村建設などについて、農村計画の視点から検討、評価している。また、第8章では、高度経済成長路線が本格化する中で、土地利用の混乱を回避するための一連の政策努力がなされた時期をとりあげている。すなわち、1959年の農地転用許可基準の制定は、その出発点であり、1968年の新都市計画法と1969年の農業振興地域の整備に関する法律は、現行の土地利用規制法の基本をなすものであると位置づけている。

 第9章では、直線的な経済の拡大路線が頓挫し、土地利用の混乱、環境問題等の生じた時代を取り上げ、国土利用計画法と土地利用基本計画、第3次全国総合開発計画と定住構想等の意義を整理し、第10章では、米の過剰問題を契機とする新しい農業・農村政策の模索の中での農村整備ビジョンの展開、さらに、農村総合整備パイロット事業、農村総合整備モデル事業などを取り上げ検討している。

 第11章では、1980年代以降の経済のソフト化のなかでの問題を扱っている。農村計画についても物財や計測容易なサービス以外の要素を含む「アメニティ」という概念が語られるようになり、一方、施策の中にも1990年前後には、農業の他に「農村」の名を冠したものがあらわれている。

 第12章では、空間計画としての農村計画について、主として、生産、生活技術との関係を視点として、これまでの問題を整理し、終章では、農村整備政策展開の背景である経済社会の変化について分析している。この中で先進諸国に於いては、食料、農業をめぐる経済状況の変化の結果、農村政策が過去と不連続な対応を求められていること、また、農村社会の変化が農村計画の主体や手法に対しても影響を与えていることなどを明らかにしている。

 以上、要するに本論分は、詳細な資料分析に基づき、わが国に於ける国土と農村の計画に関する史的展開過程を体系的に解明したものであり、学術上、応用上寄与するところ少なくない。

 よって審査委員一同は、本論文は博士(農学)を授与するに価値あるものと認めた。

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