学位論文要旨



No 212198
著者(漢字) 徳田,博美
著者(英字)
著者(カナ) トクダ,ヒロミ
標題(和) 果実需給構造再編下における果樹産地の再編方向に関する研究 : 東山型果樹農業の展開と再編
標題(洋)
報告番号 212198
報告番号 乙12198
学位授与日 1995.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12198号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 荏開津,典生
 東京大学 教授 藤田,夏樹
 東京大学 助教授 八木,宏典
 東京大学 助教授 岩本,純明
内容要旨

 わが国の果樹農業は、1960年代には農基法の選択的拡大政策の下で飛躍的な発展を遂げるが、70年代に入ると果実輸入の拡大、過剰な生産の増加、果実消費の低迷を主な要因として、果実の構造的供給過剰に陥り、果樹経営の収益性の低下、果樹生産の縮小へと転換した。その状況は、根本的に改善されないまま現在に至っている。しかし、70年代以降も果樹産地の多くでは、果実需給構造の変化に対応して産地の発展を目指して積極的な産地戦略が展開されてきた。その主要な方向は、果実価格の低迷、需要の停滞の下で、需要拡大、価格上昇を狙った果実品質の向上、すなわち品質指向型産地戦略の展開であったと考えられる。本論文では、果樹産地の産地戦略が果実需給構造と関連しながら、果樹農業構造に大きな影響を及ぼしているのではないかという視点から、70年代以降の果実需給構造の特徴を整理した上で、果樹産地の産地戦略と果樹農業構造との関連を実証的に分析した。

 まず70年代以降の果実需給構造の変化を統計分析によって整理した。果実生産における特徴は、品質指向型生産の展開にあった。70年代以降の果実価格の上昇率は大きいが、それ以上に生産費の上昇率は大きくなっている。生産費の上昇の主な要因は労働費の増加にあり、その背景となる労働時間は全体としては緩やかに減少しているが、結実管理作業での労働時間の比率が拡大している。果実品質の向上を狙った結実管理の集約化が労働時間の減少を抑制し、生産費の上昇率を高めたと考えられる。果実の高品質化を進めた結果、高い価格水準を実現することはできたが、それ以上に生産費が上昇したために果樹農業の収益性は低下した。果樹農業の収益性の低下は、農産物全体でみられる価格水準の低迷によるのみでなく、果樹産地の産地戦略として高品質化をはかったことによる生産費の上昇も重要な要因となっている。一方、果樹農業においても他の農業部門と同様に農業労働力は弱体化しており、生産面での高い労働集約性を求める品質指向型生産の展開と農家の実態との矛盾が深まっている。それが果樹産地における産地戦略の見直しを迫る大きな要因となっている。

 70年代以降の果樹農業の展開を規定した果実需給構造の特徴として見逃すことのできない点に果実輸入の拡大と果実消費構造の変化がある。果実輸入は量的に拡大する中で、次第に低価格の大衆果実として定着し、大衆果実市場で大きなシェアーを占めるようになった。そのために国産果実は、高級果実市場に生き残りの道を求めて高品質化を進めたのである。また果実の消費構造は、60年代には果実生産の拡大と歩調を合わせて、所得階層間の格差を解消しながら消費量を拡大し、消費の大衆化を進めた。一方、70年代以降には消費量の減少が、所得階層、年齢階層間の格差を拡大させながら進行し、同時に購入価格も上昇しており、消費の高級化も進んだ。それは生産面での高品質化と相互規定的な消費構造の変化である。

 果樹産地の実証分析は山梨県を対象としたが、それは山梨県を含む東山地域が品質指向型産地戦略が最も典型的に展開した果樹生産地域であるからである。東山地域は、70年代以降に果樹園面積、果樹農家、果実生産量ともに全国シェアーを拡大した相対的果樹農業発展地帯である。その要因は、労働と資本を集約的に投入し、施設化や高級品種への転換などを進め、さらに積極的な販売戦略を展開することにより、高い価格上昇を実現することで、収益性を維持してきたことにある。すなわち、品質指向型の産地戦略が東山地域の果樹農業の展開を支えてきたのである。また東山地域は地域労働市場が発達し、賃金水準の高い地域であるため、農業労働力の流出も激しく、品質指向型生産と農業労働力の弱体化の矛盾も先鋭的に現れている地域である。

 実証分析は、品質指向型産地戦略が展開した代表的な果樹産地として山梨県白根町西野を主要な対象とし、それを補完する果樹産地として農業労働力の弱体化に対応した産地戦略を展開させている韮崎市穂坂を対象とした。西野では、70年代後半から高価格の実現を狙って、高級ぶどう「甲斐路」の導入・銘柄産地化とおうとうの施設栽培が進められた。この2つの産地戦略の分析から品質指向型産地戦略の特質は以下の6点に整理できる。(1)生産過程における労働および資本の集約性が高い。(2)流通過程においても価格上昇を狙って集約的な品質管理、商品化作業が行われている。(3)高い価格水準が高い収益性をもたらしており、また高い価格水準は高い参入障壁によって維持されている。(4)品質指向型産地システムは農業労働力の充実した一部の農家にしか受け入れられず、農業労働力の弱体な農家階層との間の違いを拡大する結果となっている。(5)先駆的な導入であり、生産技術体系が未確立なため、不安定な生産を強いられ、農家間の格差も大きい。(5)高価格の果実のために需要量が小さく、供給過剰に陥る危険性が高く、また消費の減少を促進する可能性もある。西野では80年代に「甲斐路」および施設おうとうの販売金額を大きく伸ばしており、品質指向型産地戦略は専業的農家の所得を拡大し、産地の果樹農業の発展に貢献している。しかし、品質指向型産地戦略は全ての農家に安定して高い所得をもたらすものではなく、農業労働力が弱体化している農家のいっそうの農業からの離脱を止めることにはほとんど効果はなかった。西野では高い経済的蓄積に基づき、農家子弟の高学歴化が進行しており、その結果として農家労働力が有利な労働市場に包摂され、農業労働力の弱体化が進行していた。そのために品質指向型生産と農家の実態との矛盾が顕在化してきたのである。。

 80年代末になると、西野の産地戦略に明らかな違いが現れてきた。この時期の代表的な産地戦略は、ももの糖度センサーを利用した産地戦略とおうとうでの観光果樹園の開設であったが、この2つの産地戦略の特徴は以下の4点に整理できる。(1)より多くの農家で対応できるように、産地のほとんどの農家が栽培している品目・品種を対象として産地システムに一定の改良を加えるものである。(2)省力化が産地システム再編の中心的な課題となっている。(3)流通過程での新たな取り組みが中心となり、生産過程での変革を促進している。(4)従来の品質指向型産地戦略と比べて、より組織的に進められている。新たな産地戦略は、従来の品質指向型産地戦略では取り込めなかった農業労働力が弱体化した農家も含めたより広範な農家を取り込み、産地を維持し、さらに発展させていくことを狙いとしている。同時に80年代末からの産地戦略の特徴としておさえておくべきことは、「甲斐路」や施設おうとうの導入という従来の品質指向型産地戦略が放棄されたのではなく、品質指向型産地戦略と合わせて広範な農家を対象とした新たな産地戦略が展開しているのである。農業労働力の弱体化による農家の多様化に対応した多様な産地システムの形成が産地戦略の基本となっていると考えられる。

 もう一つの実証分析の対象地である穂坂においては、農業労働力の弱体な農家でも対応でき得る省力的な果樹生産技術体系確立の可能性を検証した。穂坂においては、農業労働力の弱体化に対応して醸造用ぶどうの産地化をはかってきた。醸造用ぶどうは外観の向上をはかる必要がないために、生食用ぶどうと比べて大幅な省力化が可能となる。穂坂では、高齢者や女性が果樹生産の主体となっている農家が大多数を占め、専業的な農家でも少人数の労働力で果樹生産が行われている。しかし、弱体な農業労働力構成の下でも栽培管理の大きな粗放化はみられず、産地総体としては醸造用ぶどうでは優等産地の地位を確立している。また全体としては農家の収益水準は低位にとどまっているが、事例的には基幹男子農業専従者1人を中核的労働力とする農家で1千万円を超える農業粗収益を実現している農家があり、農業内で自立し得る可能性が確認された。しかし、果樹生産の省力化は需要形態を加工用に転換することで、外観向上などを目的とした結実管理作業を大幅に簡略化したことによって実現されたものであり、機械化や生産の組織化はほとんどみられない。この点にいっそうの省力化をはかる上での課題が残されている。

 以上の実証分析により、果樹農業における品質指向型産地戦略の成果と限界が明らかにされたとともに果樹産地における新たな産地戦略の展開が確認された。具体的に現れた品質指向型産地戦略の限界とは、高い労働集約性を必要とする品質指向型生産は増加しつつある農業労働力が弱体化した農家には受け入れられず、それらの農家のいっそうの農業からの離脱を止められないことである。そのために新たな産地戦略では農業労働力の弱体な農家でも対応可能な省力的な生産技術体系の導入がはかられたのである。それは産地の条件に対応した多様な産地システム形成として評価できるものである。また果実消費との関連からみると、従来の品質指向型生産が消費の減少および高級化と軌を一にするものであったが、新たな果樹生産の動きは果実消費の変化をせまるものとなる。さらに生産面においては、これまで果樹生産は機械化が遅れており、それが高い労働集約性の大きな要因の一つとなっていたが、省力化のために外観向上を主な目的とした結実管理を簡略化することにより、機械化の条件を広げ、いっそうの省力化を進め、生産の組織化、専業的経営の規模拡大の条件整備にもつながるものである。

審査要旨

 ガットウルグアイラウンドの妥結とWTOの発足によって、米を除く全ての農産物の輸入自由化体制が完成した。数年来、農産物輸入が急潮化し、外圧が一段と強まるとともに、農業労働力の脆弱化が急速に進行し、日本農業は文字通り存亡の危機に立たされている。こうした中で日本農業の構造再編の達成可能なシナリオの作成が求められている。

 本論文は、農業基本法の下で選択的拡大作物に位置づけられ、需要と供給が著しい増加を示したものの、70年代からいち早く構造的過剰に到達し、先行的な自由化攻勢に抗しながら再編を遂げてきた果実をとりあげ、果樹産地再編戦略と果樹農業構造の変化との関連を実証的に分析したものであり、日本農業の今後の再編戦略に重要な示唆を与えるものである。全体はIからVIで構成されている。

 Iにおいては、(1)70年代以降の需要低迷局面では産地戦略が産地間の明暗を分ける重要な要因になりつつあり、果樹農業の展開地域では品質指向型産地戦略が採られてきたこと、(2)しかし、80年代後半以降は果実輸入の進展と農家労働力の脆弱化に対応して、果実需給構造は再編期に入っており、新たな産地戦略の建て直しが課題になってきていることが指摘され、生産・流通・消費を通じたトータルな視野からの果樹農業への接近という本論文の意義が総括的に述べられている。

 IIでは70年代以降の果実需給構造の詳細な統計分析を通じて、(1)品質指向型果実生産という新たな展開方向が確認され、果実価格の上昇を上回る生産費の上昇が主として労働費の上昇によってもたらされ、結実管理作業での労働時間割合の増加が労働費の減少を抑制し、結果として収益性の低下を招いた問題状況が明らかにされた。そして労働力の脆弱化の進行の下で、高い労働集約性を一面的に求める品質指向型生産の矛盾が、80年代後半からの産地戦略の見直しの背景にあること、(2)生産面での高品質化は、増加した輸入果実が低価格の大衆果実として定着し、国産果実は高級果実市場に生き残りの道を求めた市場構造の変化に対応するものであったことが指摘されている。

 続くIIIでは、60年代に果樹農業をリードした愛媛のミカン(近畿型)、青森のリンゴ(東北型)に代わって、70年代からは山梨・長野の東山地域が相対的果樹農業発展地域の地位を獲得するに至ったこと、それが品質指向型産地戦略を最も典型的に展開した結果であることを統計的に解明した。大都市周辺地域という有利な農産物販売条件、労働市場の発展によって促迫された高い労働報酬の要求水準を背景として析出された東山型果樹農業という新たな位置づけは注目に値する。

 IVとVでは、70年代以降の果樹農業の展開を最も先駆的に実現してきた山梨県の白根町西野地区(高級ブドウ「甲斐路」と施設桜桃)と韮崎市穂坂地区(醸造用ブドウ)を取り上げ、濃密な実態調査を踏まえて、品質指向型産地における産地再編の実態を克明にトレースしており、本論文の白眉をなす部分である。

 両地区の分析を通じて定式化された品質指向型産地戦略の特質は、(1)生産における高い労働・資本集約性、(2)流通における集約的な品質管理・商品化、(3)高い価格水準、高い収益性、高い参入障壁、(4)参加可能農家の限定性、(5)先駆的技術導入と生産の不安定性、(6)高価格による需要の限定性、供給過剰の危険性、である。しかし、この産地戦略では農業労働力の脆弱化に応じた農家の脱落を防ぐことはできなかった。そこで、西野地区では糖度センサーを利用したモモの栽培と桜桃の観光果樹園の開設を通じて、穂坂地区では生食用に比べて省力化が可能となる醸造用ブドウの優等産地化を通じて、新たな産地戦略が模索されている。その戦略は、(1)産地の大部分の農家が栽培する品目・品種の産地システムへの編入、(2)省力化、(3)流通過程での革新が生産過程での変革を促進していること、(4)一層の組織的対応、を特徴としており、従来の品質指向型産地戦略では取り込めなかった農業労働力が脆弱化した農家も含めた産地全体の維持・発展が課題とされている。新たな産地戦略は品質指向型産地戦略を前提としつつ、それに接ぎ穂される形で展開しており、一方では果実消費のありかたに変更を加えるとともに、他方では省力的な生産技術体系の確立をめざしている点で果樹農業の今後の発展の礎石をなすものであるとされた。

 以上、要するに本研究は従来の近畿型・東北型に加えて、新たに東山型という果樹農業の典型地域を析出し、そこでの品質指向型産地戦略形成とその変容のありかたを克明に分析したものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位にふさわしいものと認めた。

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