学位論文要旨



No 212200
著者(漢字) 龍味,哲夫
著者(英字)
著者(カナ) タツミ,テツオ
標題(和) 実験用サル類における生理・行動指標の日内変動ならびに保定馴化に関する研究
標題(洋)
報告番号 212200
報告番号 乙12200
学位授与日 1995.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12200号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 森,裕司
内容要旨

 医薬品の研究開発において、実験動物からヒトへの外挿を的確に行う上で、ヒトに近縁な実験用サル類が果たす役割は大きい。とくに最近のバイオプロダクト医薬品の開発においては、実験用サル類から得られる薬効試験や免疫原性、抗原性試験の成績が、その開発の成否を左右するといっても過言ではない。

 しかしながら、実験に使用されるサル類は生育環境や疾病に関する統御が不十分な野生由来動物が大半を占めることに加え、大脳皮質がよく発達した情動性、運動性、攻撃性に富む中型動物であるから、実験を行うにあたっては種々の角度から実験条件について十分吟味する必要がある。すなわち、これらサル類の生理値に関しては血液生化学値、心電図、血圧、体温等に関する多くの報告がみられるが、とくに無麻酔条件下で実験が行われた例では、捕獲、保定などのハンドリングや実験条件への馴化程度の違いに起因すると思われるデータのパラツキが顕著である。

 そこで本研究では、まず、実験用サル類のうちから分類学的位置づけの異なるツパイ、リスザルおよびアカゲザルを選び、自由行動下における体温および自発活動量の日内変動の実態を明らかにするために、テレメトリー法による観察を行った。ついで、これらの基礎データを考慮に入れながら、医薬品の研究開発において一般的に用いられているマカク属のアカゲザルに対象をしぼり、無麻酔条件下の実験で繁用されているモンキーチェア保定が各種生理的指標に及ぼす影響について単回および反復適用の面から詳細に検討した。最後に、薬物の体内動態試験ならびに発熱性試験にモンキーチェア保定を導入し、これに馴化させることが実験精度の向上を図る上できわめて重要であることを実証しようとした。

1.サル類の自由行動下における体温および自発活動量の日内変動

 次章以下のモンキーチェア保定に関する基礎資料を得るために、実験用サル類のうち代表的な3種(ツパイ、リスザルおよびアカゲザル)を対象に、テレメトリー法を応用して自由行動下における体温ならびに自発活動量の日内変動を詳細に検討した。

 その結果、いずれの種においても体温は点燈とともに上昇し、アカゲザルで38℃、ツパイで39℃、リスザルでは37℃に達した後、昼間は小さな変動を繰り返しながら高体温状態を維持した。消燈後はいずれの種においてもすみやかに下降し、夜間は35〜36℃の低体温状態となり、3〜4℃の比較的大きな日内変動幅がみられた。自発活動は昼間に集中し、典型的な昼行性パターンを示した。これらの体温および自発活動量の日内変動はマーモセット類やヒヒ等、他のサル類とも類似した結果であった。さらに時系列解析法によりサーカディアンリズムおよびウルトラディアンリズムに関する周期解析を行った結果、いずれの種においても体温上昇経過および昼間の高体温持続は、自発活動量と密接に相関していることが明らかとなった。

2.モンキーチェア初回適用時にみられるアカゲザルの各種生理的指標の変化

 実験対象をアカゲザルに限定し、モンキーチェア保定(8時間)の初回適用が、体温、心電図、保定下体動量ならびに血漿酵素活性値に及ぼす影響について検討した。

 その結果、保定による影響は心電図記録において最も顕著にみとめられた。すなわち、心拍数は自由行動下では100〜150bpmであったが、保定を行うことでその直後から200bpmに増加し、保定期間中その値を持続した。また、自由行動下でしばしば認められる呼吸性不整脈も不明瞭になった。一方、保定下の体動量が増加したことから、体温は自由行動下と同様昼間の高体温状態にあった。以上の成績から、初めてモンキーチェアに保定されたことで保定から逃れようとする精神的、身体的興奮状態が心拍数増加と体温上昇をもたらしたものと考えられた。

 また、血漿CK、GOT、GPT、LDH酵素活性値も保定開始3時間後から上昇し、その影響は保定解除後も1〜2日間持続した。これらの結果は保定から逃れようとする全身の筋肉運動ならびに代謝機能亢進に伴う酵素逸脱を反映したものと考えられた。しかし、一方では血漿酵素活性値については影響をほとんど受けなかった個体も一部存在したことから、モンキーチェア保定に対する生体反応には個体差が存在することも明らかとなった。

3.モンキーチェア反復適用時にみられるアカゲザルの各種生理的指標の変化

 モンキーチェア保定の初回適用が心電図や血漿酵素活性値に大きく影響を及ぼすという上述の結果を踏まえ、1日8時間のモンキーチェア保定を連日反復適用することで、保定に対する馴化効果がみられるか否かについて検討した。

 保定馴化のスケジュールとしては、サル類の実験に際してよく用いられる休薬をはさんだクロスオーバー法を想定し、月曜日から金曜日までの5日間と、その後に通常ケージ内飼育期間9日間をはさみ、再び翌々週の月曜日から金曜日までの5日間の計10日間にわたり各々1日8時間づつモンキーチェアに保定するという条件を設定した。指標とした生理値には非観血的血圧測定器で測定した血圧と心拍数、2チャンネルテレメーターで測定した体温と心電図、レーダー式運動量測定装置で測定した保定下体動量、ならびに血漿コルチゾール値・各種酵素活性値をとりあげた。

 その結果、保定の初回適用により大きく上昇した血圧、心拍数ならびに血漿コルチゾール値、一部の酵素活性値は、保定の適用回数を増すに従い漸次減少し、スケジュールの後半では無保定時のレベルにまで回復し、保定下にもかかわらず自由行動下に近い生理的状態の作出が可能なことが明らかとなった。しかし、LDHのように常に保定の影響を鋭敏に受ける生理値があることや、CK、GOTのように影響に個体差が大きくみられるものがあることも示された。また、心電図、体温の観察においても、保定の適用回数の増加に従い保定下体動量の減少とともに心拍数の減少、呼吸性不整脈の出現、体温の低下が観察され、保定の反復適用による馴化効果とみなされる成績が得られた。

4.アカゲザルにおけるモンキーチェア保定の有用性

 モンキーチェアの反復適用が各種の生理的指標を自由行動下のレベル近くまで回復させる上で有効であるという結果を踏まえ、薬効判定、安全性試験に必要とされる薬物の体内動態試験ならびに発熱性試験を反復保定下のアカゲザルで実施し、それらの試験成績と反復適用による馴化との関係について検討した。

 薬物(CCA)の体内動態試験においては、過去に10回保定を経験した反復適用群と未だ保定経験のない初回適用群を比較した結果、静脈内投与、経口投与いずれの投与経路においても反復適用群では初回適用群に比べて、より速やかな吸収・排泄動態が観察された。とくに、初回適用群では静脈内投与で投与直後にCCAの異常な血漿中濃度の推移が観察され、初めての保定経験から生じる生体の恒常性維持機構の乱れが、背景要因になっていることが考えられた。一方、薬物投与に先だって投与手技(経鼻胃内カテーテル挿入)そのものが心拍数に与える影響について検討した結果、実験手技についても反復運用の効果がみられたことから、反復適用群の薬物の体内動態にはモンキーチェア保定とともに投与や採血等の実験手技の反復実施に対する馴化効果も重畳する可能性が推測された。

 また、LPSを用いた発熱試験における用手法による通常の体温測定では、同様の反復適用スケジュール下で、反復保定の有効性を実証する成績が得られた。すなわち、モンキーチェア保定下で用手法による体温測定を初めて経験するアカゲザルにおいては、低用量のLPS0.1g/Kg投与によって発熱を認めなかったのに対し、反復適用のアカゲザルにおいては同用量においても0.5〜0.7℃の明瞭な発熱性を示した。この成績は反復回数の相違によるストレス負荷度の違いが発熱性の差に反映しているものと推測され、とくに前項で明らかになった血漿コルチゾール値の反復適用に伴う低下なども関与することが考えられた。また、これらのことはテレメトリーシステムを用いて保定下ならびに自由行動下におけるLPS発熱を連続的に観察、比較した結果においても裏づけられ、保定条件下においても反復適用による馴化によって生体の発熱作用を適正に観察することが可能であることが明らかになった。

 以上の結果から、アカゲザルをモンキーチェア保定下で実験に供する場合には、保定によるストレス負荷に十分留意する必要があり、その際、心電図、血圧、体温、保定下体動量ならびに血漿コルチゾール値、各種酵素活性値(CK、GOT、GPT、LDH)を測定することが、実験成績を適正に評価する上で重要であると考えられた。また、モンキーチェア保定は当初生体の恒常性を著しく乱すものであるが、保定経験を重ねることで保定下にもかかわらず自由行動下に近い生理的状態を作出することが可能であり、各種の基礎生理学的研究をはじめ医薬品の研究開発における薬効判定や安全性試験においては保定ならびに実験操作に対する馴化がきわめて重要であることが実証された。

審査要旨

 医薬品の研究開発において,実験動物からヒトへの外挿を適確に行う上でヒトに近縁な実験用サル類が果たす役割は大きい。しかしながら,一般に実験に使用されるサル類は生育環境や疾病に関する統御が不十分な野生由来の動物が大半を占めるばかりでなく,大脳皮質がよく発達して情動性,運動性,攻撃性に富む性質を有するから,実験を行うにあたっては種々の角度から実験条件について十分吟味する必要がある。すなわち,とくに無麻酔条件下で実験が行われる場合には捕獲,保定などのハンドリングや実験条件への馴化程度の違いに起因すると考えられるデータのパラッキが大きいからである。

 そこで,本研究ではまず,実験用サル類の中から分類学的位置づけの異なるツパイ,リスザルおよびアカゲザルを選び,自由行動下における体温および自発活動量の日内変動の実態を明らかにするために,テレメトリー法による観察を行い,ついで,これらの基礎データを考慮に入れながら,医薬品の研究開発に汎用されているマカク属のアカゲザルに対象をしぼり,無麻酔条件下の実験でよく用いられるモンキーチエア保定が各種生理的指標に及ぼす影響について単回および反復適用の面から詳細に検討している。さらに,薬物の体内動態試験ならびに発熱性試験にモンキーチエア保定を導入し,これに馴化させることが実験精度の向上を図る上で極めて重要であることを実証している。研究の内容は4部に大別される。

 まず,テレメトリー法を用いて自由行動下における体温ならびに自発活動量の日内変動を詳細に検討した結果,いずれの種においても体温は点燈とともに上昇し,アカゲザルで38℃,ツパイで39℃,リスザルで37℃に違した後,昼間は小さな変動を繰り返しながら高体温状態を維持するが,消燈後はすみやかに下降して夜間は35〜36℃の低体温状態となり,3〜4℃の比較的大きな日内変動を示すこと,自発活動は昼間に集中し,典型的な昼行性パターンを示すこと,体温上昇経過および昼間の高体温持続は自発活動量と密接に相関していることなどを明らかにしている。

 つぎに,実験対象をアカゲザルに限定し,モンキーチエア保定の8時間初回適用が体温,心電図,保定下体動量ならびに血漿酵素活性値に及ぼす影響について検討した結果,自由行動下では100〜150回/分であった心拍数が,保定によりその直後から200回/分まで増加し,保定期間中その値を持続すること,血漿CK,GOT,GPT,LDH酵素活性値も保定開始3時間後から上昇し,その影響は保定解除後も1〜2日間持続することなどを認め,初めてモンキーチエアに保定された場合に各種生理的指標が受ける影響の大きいことを実証している。

 ついで,1日8時間のモンキーチエア保定を連日反復適用した場合に,保定に対する馴化が認められるかどうかについて,非観血的血圧測定器による血圧と脈拍数,テレメーターによる体温と心電図,レーダー式運動量測定装置による保定下体動量および血漿コルチゾール値ならびに各種酵素活性値を指標として詳細に検討している。その結果,保定の初回適用により大きく上昇した血圧,心拍数および血漿コルチゾール値,一部の酵素活性値は保定の適用回数を増すに従い漸次減少し,スケジュールの後半では無保定時のレベルまで回復し,保定下にもかかわらず自由行動下に近い生理的状態の作出が可能なことを明らかにしている。

 最後に,モンキーチエアの反復適用が各種の生理的指標を自由行動下のレベル近くまで回復させる上で有効なことをふまえ,薬効試験や安全性試験に必要とされる薬物の体内動態試験ならびに発熱性試験を反復保定下のアカゲザルで実施し,それらの試験成績と反復適用による馴化との関係について検討を直ねている。その結果,ある条件下でモンキーチエア保定および薬物投与,採血などの実験操作にサルを十分馴化させておくことにより,モンキーチエア保定経験のない個体では決して得られない,適正な薬物の評価が可能となることな実証している。

 以上を要するに,本論文は,実験用サル類における生理,行動指標の日内変動を明らかにした上で,モンキーチエア保定は当初生体の恒常性を著しく乱すものであるが,保定経験を重ねることで保定下にもかかわらず自由行動下に近い生理的状態を作出することが可能なこと,保定ならびに実験操作に対する馴化は各種の生理学的研究を初め医薬品の開発研究に関わる動物実験において極めて重要であることを実証したものであり,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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