学位論文要旨



No 212202
著者(漢字) 今井,真介
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,シンスケ
標題(和) 微生物由来の動物細胞増殖促進物質に関する研究
標題(洋)
報告番号 212202
報告番号 乙12202
学位授与日 1995.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12202号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 教授 森,謙治
 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 助教授 早川,洋一
内容要旨

 動物細胞の成長因子は、細胞生物学の研究や有用物質の効率的な生産に欠かせないものであり、これまでにも多くの因子が発見されている。しかし、その殆どは生体由来の不安定な高分子化合物であり、しかも非常に高価で、特異的な細胞にしか作用しない。

 そこで著者らは、安定性、価格及び特異性の面で改善が期待できる低分子性の増殖促進物質を想定し、微生物代謝産物から幅広く探索研究を実施することにした。

 本論文は低分子性の増殖促進物質の探索方法の構築、ならびに探索によって見い出されたエキソフォリアゾン、ラバンドシアニン、レゾルシニン、及びミサキマイシンの化学的、生物学的研究に関するものである。

 増殖促進活性を評価する細胞としては肝切除後の再生促進薬への応用を期待してRLN-8細胞を、細胞の増殖機構の解明への応用を期待してNIH 3T3細胞をそれぞれ選定した。また、探索は検定用細胞の増殖に対して促進的に作用する物質が添加された場合に、その活性が十分に引き出せる低血清状態(血清添加量1%)で行なった。なお、TPAは本スクリーニング系で全く活性を示さなかった。

 このようにして構築した探索法に従い、約1万株の土壌微生物の培養液についてスクリーニングを行なった。

 エキソフォリアゾンは、RLN-8細胞に対する増殖促進物質としてBT-38株の培養液から見い出された。BT-38株は微生物学的性状によりStreptomyces exfoliatusと同定された。エキソフォリアゾンを単離し、NMRを中心とする各種スペクトルデータによる解析と類縁化合物との比較からその構造を2-acetamido-8-hydroxymethyl-3-H-phenoxazine-3-one(Fig.1)と決定した。

Fig.1.エキソフォリアゾンの構造

 エキソフォリアゾンの細胞増殖促進活性は血清濃度に依存し、低血清状態でより顕著な効果を示したが、無血清状態では全く活性を示さなかった。

 エキソフォリアゾンは0.004〜0.1g/mlの濃度範囲において増殖促進活性を示したが、この濃度範囲の上限を越えると細胞毒性を示した。エキソフォリアゾンの活性は母核である3-H-phenoxazine-3-oneに由来した。しかし同じフェノキサジン骨格を持つ化合物でも、細胞毒性が強いアクチノマイシンDには増殖促進活性は認められなかった(Fig.2)。

Fig.2.エキソフォリアゾンと類縁化合物のRLN-8細胞に対する細胞増殖促進活性

 ラバンドシアニンは、エキソフォリアゾンと同じくRLN-8細胞に対する増殖促進物質としてStreptomyces aeriouviferと同定されたCL-190株の菌体アセトン抽出物から見い出された。ラバンドシアニンを単離し、NMRを中心とする各種スペクトルデータによる解析から構造決定を行なった結果、本化合物は、シクロラバンジュロール側鎖を持つ新規のフェナジン系化合物であることが判明した(Fig.3)。

Fig.3.ラバンドシアニンの構造

 ラバンドシアニンのRLN8細胞に対する増殖促進活性は0.0001〜0.06g/mlの濃度範囲で観測され(Fig.4)、エキソフォリアゾンより低濃度で活性を示し、有効作用濃度範囲も広いことが明かとなった。

 また、ラバンドシアニンの活性発現には、フェナジン部分の構造が重要であり、シクロラバンジュロール部分は化合物の安定性や細胞の取り込みに関与し、より低濃度で活性を発現するために役立っていることが類縁化合物であるビオシアニンとの比較より判明した(Fig.4)。

Fig.4.ラバンドシアニンと類縁化合物のRLN-8細胞に対する細胞増殖促進活性

 ラバンドシアニンとエキソフォリアゾンは、RLN-8細胞を除く15細胞株中3〜4細胞株に活性を示したが、予期に反して低分子化合物でも増殖促進活性を示す細胞種は限定されていた。しかし、細胞の種類によるがラバンドシアニンとエキソフォリアゾンをng/mlオーダーからg/mlオーダー添加するだけで、培養に使用する高価な血清の濃度を大幅に減らせる可能性がある。従って血清使用量を減じるための添加剤としての利用が今後期待される。

 ラバンドシアニンとエキソフォリアゾンは、構造的ならびに細胞増殖促進活性に共通点が多く、類似の作用を通して活性を発現していると推測された。

 レゾルシニンはAJI30株の菌体アセトン抽出物よりNIH 3T3細胞の増殖促進物質として発見さた。AJI30株は微生物学的性状より滑走細菌Cytophaga johnsonaeと同定された。レゾルシニンを単離し、NMRをはじめとするスペクトルデータを解析することにより、構造を2-isoundecyl-5-isohexylresorcinolと決定した(Fig.5)。

Fig.5.レゾルシニンの構造

 NIH 3T3細胞に、0.2〜2g/mlのレゾルシニンを加えると低血清条件下でも細胞増殖が顕微鏡下で観察され、[3H]チミジンの取り込み量は0.2g/ml添加時、コントロールの約25倍に上昇した(Fig.6.)。

Fig.6.レゾルシニンと類縁化合物のNIH 3T3細胞に対する細胞増殖促進活性

 レゾルシニンの細胞増殖促進活性の発現に関しては、アルキル側鎖の存在とその長さが特に重要であり、母核であるレゾルシノールはフェノールでも置換が可能であった。

 ミサキマイシンは、NIH 3T3細胞増殖促進物質としてCD-90株の菌体アセトン抽出物から発見された。CD-90株は、微生物学的性状によりStreptomyces misakiensisと同定された。ミサキマイシンを単離し、NMRを中心とする各種スペクトルデータの解析により、その構造を5-hydroxy-2,7-dimethoxy-6-methyl-1,4-naphtoqinoneと決定した(Fig.7)。

Fig.7.ミサキマイシンの構造

 1%の血清存在下におかれたNIH 3T3細胞に対し0.04〜1g/mlのミサキマイシンを加えると増殖の抑制は解除され[3H]チミジンの取り込み量は0.1g/ml添加時にコントロールの約35倍にまで増大した(Fig.8)。ミサキマイシンの母核に当たるナフトキノン骨格を持つ化合物は数多く報告されているが、細胞の増殖促進活性に関する報告はない。従って、各種のナフトキノン誘導体について、構造活性相関を検討することは大変興味が持たれる。

Fig.8.ミサキマイシンのNIH 3T3細胞に対する細胞増殖促進活性
審査要旨

 近年高分子性の増殖因子が多く発見され,レセプターを介した増殖についての研究が精力的に行われている。しかしレセプター以下の増殖シグナル伝達に関しては,今なお不明な点が多く残されており,低分子性の細胞増殖促進物質が未解明のシグナル伝達経路に関し有益な情報をもたらすツールとなると考えられる。また,この様な新しいタイプの増殖促進物質は実用面でも有用であり,医薬品としての利用が期待できる。さらには動物細胞を用いた物質生産において,血清の代替物として役立つ可能性もある。

 本論文は,このような背景に基づき,従来の増殖因子とは異なる低分子性の増殖物質の探索を行った結果,エキソフォリアゾン,ラバンドシアニン,レゾルシニン,ミサキマイシンの4種の化合物を見い出し,それらの単離と構造決定ならびに増殖促進活性について明らかにしたものであり,5章から成る。

 第1章は,スクリーニング方法について説明したものである。使用する細胞株としては,肝再生促進効果を期待してラットの肝細胞由来の樹立株であるRLN-8株を,また細胞増殖機構の解明が進んでおり,得られた化合物の作用機作の研究に適していると考えられるNIH 3T3株を選択した。これらの細胞の培養条件を検討した結果,低血清条件下におくことで細胞の増殖を抑制し,この抑制を解除することを指標とする効率の良い探索系を確立した。

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 第2章では,RLN-8細胞を用いた探索系で発見したエキソフォリアゾンの単離と構造決定,ならびに増殖促進活性について述べている。Streptomyces exfoliatusと同定した生産菌の培養液より,エキソフォリアゾンを単離し,主としてNMRによる構造解析によりその構造を図に示すように決定した。また合成による構造の確認を行った。エキソフォリアゾンは0.004〜0.1g/mlの濃度範囲において増殖促進活性を示した。

 第3章では,RLN-8細胞を指標にした探索系で発見したラバンドシアニンの単離と溝造決定,ならびに増殖促進活性について述べている。Streptomyces aeriouviferと同定した菌株の菌体アセトン抽出物からラバンドシアニンを単離し,その構造を図示するように決定した。ラバンドシアニンの増殖促進活性は0.0001〜0.06g/mlの濃度範囲で観測され,比活性が高く有効作用濃度範囲も広いことが明かとなった。類似化合物との比較により,その活性発現にはフェナジン核が重要であり,シクロラバンジュリル部分は活性の増強に役立っていることも判明した。ラバンドシアニンとエキソフォリアゾンは,構造ならびに活性面での共通性を有し,類似の作用機構を通して活性を発現していると考えられる。またTPAが本スクリーニング系で全く活性を示さないことから,これら両物質の作用は発癌プロモーターとは異っていることが判明した。

 第4章では,NIH 3T3細胞を用いた探索系で発見したレゾルシニンの単離と構造決定,ならびに増殖促進活性について述べている。Cytophaga johnsonaeと同定した滑走細菌の菌体アセトン抽出物よりレゾルシニンを単離し,構造を図示するように決定した。レゾルシニンの増殖促進活性は,0.2〜2g/mlの濃度範囲で見られること,ならびに活性発現には,フェノール基とアルキル側鎖の両方が必要であることを明らかにした。

 第5章では,NIH 3T3細胞を指標にした探索系で発見したミサキマイシンの単離と構造決定,ならびに増殖促進活性について述べている。Streptomyces misakiensisの菌体アセトン抽出物からミサキマイシンを単離し,その構造を図示するように決定した。ミサキマイシンの増殖促進活性は,0.01〜0.4g/mlの濃度範囲で観測された。

 以上本論文は,微生物由来の低分子性細胞増殖促進物質であるエキソフォリアゾン,ラバンドシアニン,レゾルシニン,ミサキマイシンの単離,構造決定定と,その生物活性を明らかにしたものであって,学術上,応用上寄与するところが少なくない。よって,審査員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判断した。

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