審査要旨 | | 地下水は,自然生態系を特徴づける環境要素の一つであり,農業利用など人間活動にとって貴重な水源である。この地下水の流動は広域にわたる地下深層の探査という性格上なかなか把握しにくいところであり,とくに流速の正確な把握については,放射線障害防止法施行以後の放射性同位元業の野外におけるトレーサー利用制限もあって,困難を来たしてきたところであった。 本論文は,そこで,環境を汚染することのない,かつ速い地下水流速の探査が十分正確に行えるようなアクチバブルトレーサーを探索し,これをトレーサーとして用いた総合的な地下水流動の調査法を確立しようとしたものであり,9章より構成されている。 第1章は,序論であり,研究の目的や課題,それに既往の研究の評価を述べている。 第2章は,トレーサーによる地下水流動解析の理論について解析し,トレーサーを必要とする地下水流動は流速の大きい流れであり,そこでのトレーサーの移動は移流によるものが卓越しているが,拡散および水力学的分散によるものも重要な成分であり,また井戸へのトレーサーバルスの投与の仕方に依ってもトレーサー観測波形が影響をうけることを明らかにしている。 第3章では,アクチバブルトレーサーの利用が,他のトレーサーと比較して,安全性,追跡能,分析感度,取扱いの容易性,環境へのインパクト,経済性等のあらゆる点で秀でていると分析し,中でもシクロヘキサンジアミン4酢酸にスカンジウムを結合させたSc-CyDTAが水中で安定でありトリチウムと同様の挙動を示し,地層中での吸着損失が少なく,バックグラウンドも低く,適切な放射化特性を持ち,分析感度が0.03gという優れた性能を持つことを明らかにした。そして,投入量1ないし3g,放射化条件としてJRR-2炉気送管で5×1013n/cm2s,照射時間20分,冷却時間2日,測定条件としてGe半導体検出器で1,000秒,測定精度として計数誤差3.5%以下,計数率50cpmとした野外使用基準を提唱している。 第4章では,このトレーサー試験法を含む地下水調査法として,1)資料による水文地質情報収集,2)井戸群における測水調査,3)環境同位体測定による水系・滞留調査,4)物理探査による地下構造調査,5)試掘による地質検層調査,6)井戸における揚水・注水試験,7)トレーサーによる地下水流況調査,それぞれの意義と相互の関連を分析し,広域から局所的な地下水までを対象に,かつ水収支から実態の解明まで目的に応じた調査法の体系を組み立てている。 第5章では,上記の調査法の適用として,低平地の旧河道中に存在する深さ約3.6mの地下水を取り上げ,環境同位体測定による水系把握,電気探査による地下構造把握,2地点の試掘による地質把握をおこない,2gのSc-CyDTA投入による110m間のトレーサー試験を実施し、旧河道の流路を確認するとともに,この地下水の流速が時速11mという高速であり,これが汚染物質の地域的な拡散を早める物質輸送の主要経路となっていることを明らかにした。 第6章では,山地の花崗岩体の割れ目の中に存在する深さ約5mの地下水に適用し,地質踏査,電気探査,試掘調査をおこない,同様のSc-CyDTA投入による35m間の試験で流速65m/h,90m間の試験で流速4.3m/hを観測し,大きな割れ目中の流速は極めて大きなものであるが,平均化された花崗岩中の透水特性としては透水係数が0.035cm/sであり,その平均流路は岩体の2.6%を占める0.013cmの幅の割れ目であることを明らかにした。 第7章では,中山間地の地下構造が複雑な風化岩盤中の深さ約50mの深層地下水に適用し,約20mから170mの距離に散在する14の周辺観測井内の水位,水温,電気伝導度,ラドン濃度を観測する河川水注水試験と平行して,Sc-CyDTAトレーサー試験をおこない,Sc-CyDTAだけが明瞭な到達ピークを示し,これにより流向の把握が可能であったことをのべ,このトレーサーの優秀性について再確認している。 第8章では,トレーサーによる地下水流動の理論的解析の有効性と限界および実態調査法としての実用性を検討し,第9章は結論である。 以上を要するに,本論文は,地下水の流況を把握するためのアクチバブルトレーサとしてのSc-CyDTAの有用性を詳細に検証し,これを用いた地下水調査法の体系を新たに構築しながら特異な地下水の流動を解明したもので,農業地水学,農地工学,農業水利学,それに地下水学の学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判定した。 |