学位論文要旨



No 212206
著者(漢字) 坂本,研一
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,ケンイチ
標題(和) アフリカ馬疫の遺伝子診断に関する研究
標題(洋)
報告番号 212206
報告番号 乙12206
学位授与日 1995.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12206号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 教授 小野寺,節
内容要旨

 アフリカ馬疫は,国際獣疫事務局(OIE)の危険度分類により,リストAに指定され,馬の伝染性疾患の中でも最も恐れられている節足動物媒介性の致死率の極めて高いウイルス性疾病である。この発生は,サハラ砂漠以南のアフリカ諸国で常在的に認められるが,近年,スペイン,ポルトガルにおいて,本病の大規模な再流行がみられ,国際的に注目されるようになった。

 この疾病の病原体であるアフリカ馬疫ウイルス(AHSV)は,レオウイルス科,オルビウイルス属に分類され,9種類の血清型が存在することが知られている。AHSVのウイルス粒子は,オルビウイルスの原型とされるブルータングウイルス(BTV)と同様に,10分節の2本鎖RNAと7種類の構造蛋白質から構成されている。現在までに,ノーザンブロットハイブリダイゼーション法等により、各血清間での分節RNAの相同性についての報告がなされている。しかしながら,各分節RNAの構造及び機能については,塩基配列が決定されておらず,不明な点が多い。

 この疾病の診断には,従来,組織培養細胞及び乳のみマウスの脳内接種によるウイルスの分離と補体結合反応及びゲル内沈降反応などによるAHSVに対する抗体の検出実施されているが,この疾病の病勢から考え,迅速診断には抗体の証明より病原体の検出の方がさらに重要であり,迅速で感度の高い病原体証明のための診断法の確立が望まれている。この目的を達成するため,著者は,本ウイルスの遺伝子RNAに対するcDNAの合成及びcDNAクローニングを行うと共に,主要な分節RNAの塩基配列を決定し,その構造及び機能を解析した。さらに,これらの知見を基に,RT-PCR法による本ウイルス遺伝子の検出を試み,以下の成績を得た。

 第1章においては,AHSVのウイルスRNAの抽出,cDNAの合成及びcDNAクローニングについて述べた。すなわち,AHSV-4(ワクチン株)感染Vero細胞からフェノール及び塩化リチウムを用いて2本鎖RNAを抽出精製し、1%アガロースゲル電気泳動により,各分節RNAを単離した。さらに,それぞれの分節RNAに対し,Purdyらの方法に従い,cDNAを合成した。そのcDNAをpBR322ベクターに組換え,大腸菌HB101に形質転換させクローニングを実施した。作成された多数のトランスフォーマントからアルカリ法にて組換えプラスミドを抽出精製し,PstI制限酵素切断によりクローニングされた各分節RNAに対するcDNA断片を得て,1%アガロースゲル電気泳動を実施し,そのサイズを調べた。表1に各分節RNAに対するクローニングされた最大長のcDNAの大きさを示した。

表1 AHSV-4(vaccine strain)各分節RNAに対する最大長cDNA

 1%アガロースゲル電気泳動で同一のバンドとして移動する第7,8,9分節RNAに対しては,200クローン以上のcDNAがクローニングされ,そのうちの10クローンが完全長であることが電気泳動により予想された。さらに,PCR法を用い,そのうちの2クローンが第7分節RNAに対する完全長cDNAクローンであることが確認されたことから,第8分節及び第9分節RNAに対しても完全長cDNAがクローニングされているものと推測された。よって,表1に示すように,第1,2分節以外はすべて完全長のcDNAがクローニングされていると考えられた。しかし,第1分節,第2分節RNAに対しても多数のcDNAクローンが作成されており,それらクローンをつなぎ合わせることにより,完全長のcDNAの作成は可能であると考えられた。

 第2章においては,これらクローニングされたcDNAのうち遺伝子診断に有用となる主要な遺伝子の構造及び機能を解析するため,10個のウイルスの分節RNAのうち,第2,3,4,5,6分節RNAの塩基配列の決定を行ない,その構造及び機能の解析について述べた。

 第2分節RNAの総塩基数は,3,229塩基対で,1,060アミノ酸残基から成る1つのオープンリーディングフレーム(ORF)を有し,BTVとの遺伝子の比較等により中和抗体を誘導するウイルス外殻蛋白質(VP2)をコードしていた。しかしながら,塩基配列においては,BTVとの間では際だった相関は確認できなかった。AHSV-4の強毒株との間では塩基配列に9%もの相違が認められた。

 第3分節RNAの総塩基数は,2,789塩基対で,905アミノ酸残基から成る1つのORFを有していた。このORFは,各血清間でよく保存されているウイルス内殻蛋白質であるVP3をコードしており,BTVの第3分節RNAと58%の相関が認められた。ハープロット解析において、両者の遺伝子の5’近傍及び3’近傍の数カ所に塩基配列の一致しない領域が確認された。

 第4分節RNAの総塩基数は,1,978塩基対で,642アミノ酸残基数から成る1つのORFを有し,ウイルス内殻蛋白質をコードしていた。ノーザンハイブリダイゼーションの結果では,この分節RNAは,各血清間で比較的よく保存されていた。しかし,その反応のシグナルは,血清型5,6及び8で弱かった。一方,BTVとの塩基配列の比較においては,55.4%の相同性を示した。

 第5分節RNAは,総塩基数が1,751塩基対で,548アミノ酸残基から成る1つのORFを有していた。しかし,BTVの第5分節RNAとの相同性が認められず,BTVの第6分節RNAとの間で相関が示され,AHSVも第5分節RNAがウイルス非構造蛋白質(NS1)をコードしていることが示された。また,ハイブリダイゼーションにより、各血清間でよく保存されていることが確認された。BTVとの間では,塩基配列で49.2%の相関が示された。

 第6分節RNAは,総塩基数が1,566塩基対で,ウイルスの外殻蛋白質(VP5)をコードする505アミノ酸残基から成るORFを有していた。BTVとの塩基配列の比較により,58%の相同性が認められた。さらに,遺伝子の機能解析の結果,この遺伝子が2種類のウイルス蛋白質(VP5,VP6)をコードしていることが示唆された。

 AHSVにおける5’及び3’末端の塩基配列は,オルビウイルスのプロトタイプとされるBTVの共通配列である(5’GTTAAA・・・・ACTTAC3’)ではなく,5’GTT(A or T)A(A or T)・・・・(A or C)C(A or T)TAC3’であった。

 第3章では、第2章のウイルス遺伝子の構造及び機能解析の結果,AHSVの各血清型でよく保存されている主要なウイルス遺伝子である第3分節RNAと第5分節RNAに焦点を当て,RT-PCR法による遺伝子診断の開発を試み,以下の成績を得た。

 それぞれの分節RNAに対し,BTVとの遺伝子の比較等により,プライマーを作成し,RT-PCR法によりこれらプライマーの特異性をAHSVの各血清型及び10種類の他の同属のオルビウイルスで調べたところ,AHSVの各血清型で目的とするウイルス遺伝子の増幅され,同属のオルビウイルス及びウイルス非感染細胞ではDNAの増幅は認められなかった。

 このRT-PCR法の感度は,ウイルス培養上清で100-101TCID50であり,数個のウイルス感染細胞からも目的の遺伝子の増幅が可能であった。

 この方法を用いて,ウイルス感染マウスの組織及び血液材料からウイルスの遺伝子を検出したところ,表2に示すようにウイルス感染後1日目から脳及び血液材料においてウイルスの遺伝子断片が増幅された。一方,同一材料を用いて,ウイルス分離を試みた結果,表2に示すように,脳ではウイルス接種後2日目からウイルスが分離されたが,白血球や赤血球ではほとんどウイルスが分離されなかった。

表2 ウイルス感染マウスの脳及び血液材料からのウイルス分離とRT-PCR法によるウイルス遺伝子の検出

 さらに,この方法の迅速性については,血液材料を用いた場合,血液からのRNAの抽出のための時間を含めても8時間以内であった。しかし,従来からの病原体検出方法である乳のみマウスの脳内接種及び組織培養細胞からのウイルスの分離では10日以上の日数を要することに比べ,圧倒的に有利であることが示された。

 以上のことより,AHSVの各血清型で相同性が高い第3分節及び第5分節RNAの領域の一部に他のオルビウイルスと塩基配列の異なるAHSVの血清型共通のユニークな領域が存在することが示された。さらに,これら領域に対するRT-PCR法によるAHSV遺伝子の検出は,特異性,感度及び迅速性の点で従来法に比べ,極めて優れた方法であることが確認された。また,感染動物の組織及び血液材料からもウイルス遺伝子の検出が可能であることから,今後,輸入の増加が見込まれる馬の検疫時または流行国における新たなる本病の発生の早期迅速診断法として応用できることが示唆された。

審査要旨

 アフリカ馬疫は,節足動物媒介性の致死率の極めて高い馬のウイルス性疾病である。この発生は,サハラ砂漠以南のアフリカ諸国で常在的に認められるが,近年,スペイン,ポルトガルにおいて,本病の大規模な再流行がみられ,国際的に注目されるようになった。アフリカ馬疫ウイルス(AHSV)は,レオウイルス科,オルビウイルス属に分類され,9種類の血清型が存在することが知られている。その診断には,ウイルスの分離と血清反応による抗体の検出が実施されているが,この疾病の病勢から考え,迅速で感度の高い病原体証明のための診断法の確立が望まれている。本研究は,本ウイルスRNAの主要な分節RNAの塩基配列を決定し,その構造及び機能を解析するとともに,RT-PCR法による本ウイルス遺伝子の検出を試みたもので,論文は3章より構成される。

 第1章においては,AHSV-4(ワクチン株)感染Vero細胞から2本鎖RNAを抽出精製し,1%アガロースゲル電気泳動により各分節RNAを単離し,cDNAを合成した。さらに,pBR322ベクターに組換え,大腸菌HB101に形質転換させクローニングを実施した。その結果,第1分節及び第2分節RNAに対するクローニングされた最大長のcDNAの大きさは,2100bpと1800bpであり,完全長のcDNAは得られなかったのに対し,他の分節RNAに対しては完全長のcDNAがクローニングされた。

 第2章においては,これらクローニングされたcDNAのうち遺伝子診断に有用となる主要な遺伝子の塩基配列を決定し,その構造及び機能を解析した。

 第2分節RNAの総塩基数は,3,229塩基対で,1,060アミノ酸残基から成る1つのオープンリーディングフレーム(ORF)を有し,BTVとの比較により中和抗体を誘導するウイルス外殻蛋白質(VP2)をコードしていた。AHSV-4の強毒株との間では塩基配列に9%もの相違が認められた。第3分節RNAの総塩基数は,2,789塩基対で, 905アミノ酸残基から成る1つのORFを有していた。このORFは,各血清間でよく保存されているウイルス内殻蛋白質であるVP3をコードしており,BTVの第3分節RNAと58%の相関が認められた。第4分節RNAの総塩基数は,1,978塩基対で,642アミノ酸残基数から成る1つのORFを有し,ウイルス内殻蛋白質をコードしていた。ノーザンハイブリダイゼーションの結果では,この分節RNAは,各血清間で比較的よく保存されていた。第5分節RNAは,総塩基数が1,751塩基対で,548アミノ酸残基から成る1つのORFを有し,BTVの第5分節RNAとの相同性が認められず,BTVの第6分節RNAとの間で相関が示され,ウイルス非構造蛋白質(NS1)をコードしていることが示された。また,各血清型間でよく保存されていることが確認された。第6分節RNAは,総塩基数が1,566塩基対で,ウイルスの外殻蛋白質(VP5)をコードする505アミノ酸残基から成るORFを有していた。BTVとの塩基配列の比較により,58%の相同性が認められた。さらに,この遺伝子は2種類のウイルス蛋白質をコードしていることが示唆された。

 第3章では,AHSVの各血清型でよく保存されている第3分節と第5分節RNAに焦点を当て,RT-PCR法による遺伝子診断の開発を試みた。

 RT-PCR法の特異性をAHSVの各血清型及び10種類の他の同属のオルビウイルスで調べたところ,AHSVの各血清型で目的とするウイルス遺伝子の増幅され,同属のオルビウイルス及びウイルス非感染細胞ではDNAの増幅は認められなかった。また,このRT-PCR法の感度は,ウイルス量で100-101TCID50であり,数個のウイルス感染細胞からも目的の遺伝子の増幅が可能であった。この方法を用いて,ウイルス感染マウスの組織及び血液材料からウイルスの遺伝子を検出したところ,ウイルス感染後1日目から脳及び血液材料においてウイルスの遺伝子断片が増幅された。一方,同一材料を用いて,ウイルス分離を試みた結果,脳ではウイルス接種後2日目からウイルスが分離されたが,白血球や赤血球ではほとんどウイルスが分離されなかった。さらに,この方法の迅速性については,血液材料を用いた場合,血液からのRNAの抽出時間を含めても8時間以内であった。

 以上のことより,AHSVの第3分節及び第5分節RNAの領域の一部に血清型共通の領域が存在することが示され,この領域に対するRT-PCR法によるAHSV遺伝子の検出は,特異性,感度及び迅速性の点で,極めて優れた方法であることが確認された。これらの知見は,今後、輸入の増加が見込まれる馬の検疫時または本疾病の流行国における新たな発生に対する早期迅速診断法として応用できることが示唆したもので学術上,応用上寄与することが少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として十分価値あるものと認めた。

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