学位論文要旨



No 212207
著者(漢字) 濱野,晴三
著者(英字)
著者(カナ) ハマノ,セイゾウ
標題(和) 牛卵巣卵を用いた子牛生産技術に関する研究
標題(洋)
報告番号 212207
報告番号 乙12207
学位授与日 1995.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12207号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊田,裕
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 澤崎,徹
 東京大学 助教授 東條,英昭
 東京大学 助教授 佐藤,英明
内容要旨

 哺乳動物の体外受精は、本来卵管内で行われる雌雄生殖細胞の出合と受精を体外で行い、受精現象や発生のメカニズムについての生理的機構を解明するための研究手段として用いられてきた。近年、産業動物の改良増殖への実用的見地からその重要性が指摘され、牛卵巣卵を用いた体外受精は繁殖技術の一手段として発展しつつある。しかしながら、1卵巣より採取できる卵子数の少なさは研究開発の遂行に制約を科していると考えられる。そこで、本研究では牛卵巣から採取した卵巣卵を利用した子牛生産の実用的な手法を開発する目的で、牛卵単卵の効率的な採取方法の開発、卵巣卵の体外成熟培養と体外受精後の発生培養の諸条件の検討および胚移植後の子牛への発生能について検討を行った。

1.牛未成熟卵子の採取方法の検討

 屠畜場で得られた黒毛和種成雌牛の卵巣を用い、卵巣表層に点在する直径2〜5mmの卵胞より注射器を用いて吸引採取(吸引法)した場合、1卵巣当たり平均11個の未成熟卵子が採取できた。一方、卵巣を間膜縁から半分に開き、2mm間隔で10枚束ねたカミソリで卵巣表裏を縦横に切開し、卵巣実質内の卵子を併せて採取(切開法)した結果、1卵巣からの卵子数は吸引法に比べ2.9倍の平均31.6個と有意に多い値であった。また、長期間肥育され長径が2cm以下と萎縮した卵巣から採取した卵子数は吸引法での平均5個に比較し切開法では平均14.4個と有意に多い値であった。

 採取された卵巣卵を卵細胞質実質が均一で卵丘細胞の付着程度で6層以上(Aランク)、5〜2層(Bランク)、1層(Cランク)および裸化卵子(Dランク)に分類すると、吸引法ではそれぞれ41.3、34.8、16.8および7.1%であったのに対し、切開法ではそれぞれ84.6、9.0、5.0および1.4%であり、卵丘細胞が多層付着した卵子は切開法で有意に多く採取できた。以上の結果より、切開法は卵巣実質内卵子の高度な利用に有効な採卵方法であることが示された。

2.卵巣卵の体外における成熟および受精能の検討

 切開法および吸引法で採取されたAおよびBランク卵子を、5%牛胎児血清を添加したTCM-199培地中で2%CO2、98%空気、38.5℃の条件下で培養を行った後にパラフォルムアルデヒドで固定、FITC標識penauts agglutininで染色後、共焦点レーザー走査顕微鏡を用い卵子の表層粒の分布を観察した結果、表層粒が卵細胞質全体に塊状に分布(I型)、卵細胞質表層に顆粒状に分布(II型)、卵細胞質表層に均一に分布(III型)および表層粒が分布していない(IV型)の4種類に大別できた。培養開始後11時間で1型が最も多く観察され、全体の65〜83%を占め、次いでII型は17〜35%の卵子に観察された。しかし、21時間ではIII型が57〜64%を占め、卵成熟に伴って表層粒が卵内部から表層に放出され、均一に分布していくことが観察され、成熟過程における表層粒の分布は採取方法の違いによる影響を受けなかった。

 採取されたA、B、CおよびDランク卵子をそれぞれ21時間の体外成熟培養後、後代検定済の黒毛和種の凍結融解精子を用いて媒精し、48時間後における2細胞期以上への分割率を比較した結果、それぞれ86.3、79.7、66.4および45.0%の卵子が受精卵と判定され、採取時の卵丘細胞の付着程度が体外成熟卵子の受精能に影響をおよぼすことが示された。このことより、高い受精能の卵子を得るためには、卵丘細胞を保存した状態で採取することが重要であることが明らかにされた。

3.体外受精由来胚の発生培養方法の検討

 未成熟卵子を2%CO2、、98%空気、38.5℃の条件下で21時間の成熟培養を行った後に媒精に供し、媒精後5時間に1%CO2-99%空気、2%CO2-98%空気、3%CO2-97%空気、4%CO2-96%空気および5%CO2-95%空気の気相条件下で卵丘細胞との共培養を行ったところ、それぞれ20.5、35.4、32.0、26.7および26.8%の割合で胚盤胞への発生が観察され、体外受精由来胚の発生におよぼす気相の重要性が明らかにされた。

 吸引法と切開法で採取したAおよびBランク卵子を体外受精に供し、2%CO2、98%空気、38.5℃の条件下で培養して胚盤胞への発生割合を比較した結果、両者の間に有意差は認められなかった(36.4vs 39.3%)が、後者は前者に比べ1卵巣当たりの胚盤胞の発生個数が3.8倍となった。また、長期間肥育した牛の卵巣から同様に採取した卵子の体外受精後の胚盤胞への発生率は、切開法が吸引法に比べ有意に高い値であり(13.9 vs 5.3%)、1卵巣当たりの胚盤胞の発生個数は20倍になった。

 以上の結果より、牛卵巣卵の体外受精後の発生には2%CO2、98%空気、38.5℃の条件下で卵丘細胞との共培養を行うことが有効であり、この条件下で切開法により卵巣から採取した卵子の約35%(卵巣当たり約10個)の胚盤胞が得られることが明らかにされた。

4.体外受精由来胚の発生におよぼす品種および季節の影響

 屠畜場へ出荷される黒毛和種(JB)、褐毛和種(JBr)、日本短角種(JS)および無角和種(JP)の成雌牛の卵巣からそれぞれ卵子を採取し、同品種の精子を用い体外受精および体外培養を行った結果、1卵巣からの採卵成績、成熟率受精率および胚盤胞への発生率にはいずれにおいても品種間に差は認められず、培養に供した卵子の34.6〜39.2%が胚盤胞へ発生した。しかし、JBr、JSおよびJPの体外成熟卵にJBの精子を用いた異品種間の体外受精の結果、F1胚の胚盤胞への発生割合はJBr×JB、JS×JBおよびJP×JBでそれぞれ67.2、62.0および58.3%に達し、品種内(JB×JB)による発生率(39.2%)に比較し、有意に高い発生率が観察され、雑種強勢が胚の時期から存在することが示唆された。

 2年間に渡り、毎週採卵を行い体外受精を継続した結果、分割および胚盤胞への発生割合は、7月から9月に他の月と比べ有意に低下することが観察された。一方、7月下旬から透過光下で細胞質実質が淡黄色を示す卵子が出現し、8月中旬には約20%を占めることが観察された。このような卵の体外受精後の分割および胚盤胞への発生割合はそれぞれ31.5%および7.8%と非常に低く、卵の受精能および発生能の低下が夏季の受胎率低下の一因となっていることが示唆された。

5.体外受精由来胚の子牛への発生能

 切開法および吸引法で採取した卵子を体外受精に供し、発生した胚盤胞の一部をそれぞれ37および36頭の受胚牛に一胚移植した結果、移植後60日の直腸検査でそれぞれ22頭(59%)および19頭(53%)に受胎が確認され、20頭(54%)および18頭(50%)が正常な産子として分娩された。

 体外成熟卵子を2M DMSO、1M アセトアミト’および3Mプロピレングリコールを添加した199溶液中に浸漬し、直ちに液体窒素中に投入してガラス化保存した。融解後の形態的正常な卵子の割合は92.6%と高かったが、媒精後の分割率は27.3%と低値で、残りの卵子は萎縮退行したことが観察された。しかし、10.2%が胚盤胞へと発生し、この胚盤胞の一部を10頭の受胚牛に一胚移植した結果、5頭に受胎が成立し、4頭の正常な子牛が得られた。

 支持細胞の無い環境で体外受精由来胚を発生させることを目的として、媒精後24、48および72時間の2、8および16細胞期胚を種々の濃度の-メルカプトエタノール(-ME)を添加した培地中で培養した結果、胚のステージにより至適濃度は異なるものの、還元剤の添加は胚の発生に有効であることが認められ、加えて8および16細胞期胚を-ME添加培地中で36時間培養した後に無添加培地へ移し替えても、それぞれ48.0および66.7%が胚盤胞へ発生することが観察された。これらの胚盤胞の一部を20頭の受胚牛に一胚移植した結果、11頭に受胎が成立し、10頭の正常な子牛が得られた。

 以上の研究より、切開法で牛卵巣から多数採取した卵巣卵は体外で成熟および受精能を有していることが示され、体外受精後に得られる1卵巣当たりの胚盤胞数を従来の吸引法で採取した場合と比較すると、飛躍的に向上したことが明らかにされた。また、胚盤胞への発生に対し卵丘細胞の付着状態と培養時の気相の重要性が明らかにされた。

 同一品種および異品種間では体外受精後の胚発生に差があることおよび胚発生に対し季節的な影響が存在することが示された。さらに、採取された卵子を体外成熟後保存し、融解後体外受精に供することにより、低率ながら胚盤胞へと発生することが観察され、胚の一部を受胚牛に移植して正常な子牛が得られることが示された。

 卵巣卵の高度利用技術は、家畜の品種改良速度の向上や特定品種の増産、並びに優良な遺伝資源の保存に貢献すると思われる。

審査要旨

 近年,産業動物の改良増殖の見地から生殖細胞の高度利用技術の重要性が指摘されているが,哺乳類では使用できる卵子の数が少なく,研究開発の制約要因となっている。本論文は,従来は利用価値がないものとして屠畜場で廃棄されていた牛卵巣から卵子を採取し,それを用いて子牛を生産するための実用的な技術の構築を目的として行った研究をまとめたものである。論文は,7章から構成され,その内容は以下のように要約できる。

 第1章で研究の背景および意義について述べた後に,第2章では牛卵巣からの未成熟卵子の採取方法について検討している。屠畜場で得られた黒毛和種成雌牛の卵巣を用い,卵巣表層に点在する直径2〜5mmの卵胞より注射器を用いて吸引採取する従来の方法(吸引法)と,著者が考案した器具を用いて卵巣の表裏を縦横に切開し,卵巣実質内の卵子をも併せて採取する方法(切開法)とを比較した結果,1卵巣からの採取卵子数は,切開法では吸引法に比べ約3倍に増加し,その平均値は31.6個に達した。さらに,採取された卵巣卵を卵丘細胞の付着程度によってA(6層以上),B(5〜2層),C(1層)およびD(裸化卵子)ランクに分類したところ,吸引法ではAランクの卵子の比率が41.3%であったのに対し,切開法では84.6%に上昇した。以上の結果より,切開法は,卵丘細胞層に与える損傷が少なく,卵巣内卵子の高度利用に有効な採卵方法であると考察している。

 第3章では,卵巣卵の体外における成熟誘導および体外成熟卵の受精能の検討を行っている。切開法および吸引法で採取されたAおよびBランク卵子を,5%牛胎児血清を添加したTCM-199培地中で2%CO2,98%空気,38.5℃の条件下で培養を行った後に共焦点レーザー走査顕微鏡を用い卵子の表層粒の分布を観察し,卵細胞質全体に塊状に分布する1型から,卵細胞質表層に顆粒状に分布する2型,さらに卵細胞質表層に均一に分布する3型への推移を認め,卵成熟に伴って表層粒が卵内部から表層に移動し,均一に分布することを観察している。次いで,採取されたA,B,CおよびDランク卵子をそれぞれ21時間の体外成熟培養後,後代検定済の黒毛和種の凍結融解精子を用いて体外受精を試みた結果,それぞれ86.3,79.7,66.4および45.0%の卵子が48時間後に2細胞期へ発生することを観察し,高い受精能の卵子を得るためには,卵丘細胞を保存した状態で採取することが重要であると考察している。

 第4章では,体外受精由来胚の発生培養方法の検討を行い,牛卵巣卵の体外受精後の発生には2%CO2,98%空気,38.5℃の条件下で卵丘細胞との共培養を行うことが有効であり,この条件下で切開法により卵巣から採取した卵子の約35%が胚盤胞に達することを明らかにしている。また,吸引法と切開法で採取したAおよびBランク卵子を体外受精に供し,胚盤胞への発生率を比較した結果,両者間に有意差は認められなかったが,後者は前者に比べ1卵巣当たりの胚盤胞の発生個数が3.8倍に増加することを認めている。

 第5章では,体外受精由来胚の発生におよぼす品種および季節の影響について検討している。黒毛和種(JB),褐毛和種(JBr),日本短角種(JB)および無角和種(JP)の成雌牛の卵巣からそれぞれ採取した卵子を,同品種の精子を用い体外受精されたときは,発生率に差を認めなかったが,JBr,JBおよびJPの体外成熟卵とJBの精子を用いた異品種間の体外受精の結果,F1胚の胚盤胞への発生割合はJBr×JB,JS×JBおよびJP×JBでそれぞれ67.2,62.0および58.3%に達し,品種内(JB×JB)の発生率(39.2%)に比較し有意に高く,胚発生の初期における雑種強勢現象の存在を推測している。さらに,2年間に渡り,毎週採卵を行い体外受精を継続した結果,胚盤胞への発生割合が7月から9月にかけて有意に低下すること,および,この時期に一致して透過光下で細胞質が炎黄色を示す卵子が出現し,8月中旬には約20%を占めることを見い出した。このような卵の体外受精後の分割および胚盤胞への発生割合はそれぞれ31.5%および7.8%と非常に低かったことから,夏期の飼育環境または輸送中のストレスが卵巣内卵子の受精能および発生能の低下の一因となり得るという興味深い成績を得ている。

 第6章では,体外受精由来胚の子牛への発生能について検討している。まず,切開法および吸引法で採取した卵子を体外受精に供し,発生した胚盤胞をそれぞれ37および36頭の受胚牛に一胚ずつ移植した結果,20頭(54%)および18頭(50%)が正常な産子として分娩されたことを確認している。次いで,体外成熟卵子をガラス化凍結保存し,融解後の体外受精により得られた胚盤胞を移植して,4頭の正常な子牛の出産を確かめ,卵巣卵由来の体外成熟卵の凍結保存が可能であることを実証している。

 第7章では,本論文の成果を総括し,本研究によって卵巣卵を用いた実用的な子牛生産技術が確立されたと結論している。

 以上要するに,本論文は,新たに考案した切開法により牛卵巣から多数の未成熟卵子の採取が可能であることを示し,それらの卵巣卵の成熟能,受精能および発生能を詳細に検討して,卵巣当たりの子牛の生産率を飛躍的に向上させることに成功したものであり,学術上,応用上,貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は,本論文は,博士(獣医学)の学位論文として十分に価値あるものと判定した。

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