審査要旨 | | 近年,産業動物の改良増殖の見地から生殖細胞の高度利用技術の重要性が指摘されているが,哺乳類では使用できる卵子の数が少なく,研究開発の制約要因となっている。本論文は,従来は利用価値がないものとして屠畜場で廃棄されていた牛卵巣から卵子を採取し,それを用いて子牛を生産するための実用的な技術の構築を目的として行った研究をまとめたものである。論文は,7章から構成され,その内容は以下のように要約できる。 第1章で研究の背景および意義について述べた後に,第2章では牛卵巣からの未成熟卵子の採取方法について検討している。屠畜場で得られた黒毛和種成雌牛の卵巣を用い,卵巣表層に点在する直径2〜5mmの卵胞より注射器を用いて吸引採取する従来の方法(吸引法)と,著者が考案した器具を用いて卵巣の表裏を縦横に切開し,卵巣実質内の卵子をも併せて採取する方法(切開法)とを比較した結果,1卵巣からの採取卵子数は,切開法では吸引法に比べ約3倍に増加し,その平均値は31.6個に達した。さらに,採取された卵巣卵を卵丘細胞の付着程度によってA(6層以上),B(5〜2層),C(1層)およびD(裸化卵子)ランクに分類したところ,吸引法ではAランクの卵子の比率が41.3%であったのに対し,切開法では84.6%に上昇した。以上の結果より,切開法は,卵丘細胞層に与える損傷が少なく,卵巣内卵子の高度利用に有効な採卵方法であると考察している。 第3章では,卵巣卵の体外における成熟誘導および体外成熟卵の受精能の検討を行っている。切開法および吸引法で採取されたAおよびBランク卵子を,5%牛胎児血清を添加したTCM-199培地中で2%CO2,98%空気,38.5℃の条件下で培養を行った後に共焦点レーザー走査顕微鏡を用い卵子の表層粒の分布を観察し,卵細胞質全体に塊状に分布する1型から,卵細胞質表層に顆粒状に分布する2型,さらに卵細胞質表層に均一に分布する3型への推移を認め,卵成熟に伴って表層粒が卵内部から表層に移動し,均一に分布することを観察している。次いで,採取されたA,B,CおよびDランク卵子をそれぞれ21時間の体外成熟培養後,後代検定済の黒毛和種の凍結融解精子を用いて体外受精を試みた結果,それぞれ86.3,79.7,66.4および45.0%の卵子が48時間後に2細胞期へ発生することを観察し,高い受精能の卵子を得るためには,卵丘細胞を保存した状態で採取することが重要であると考察している。 第4章では,体外受精由来胚の発生培養方法の検討を行い,牛卵巣卵の体外受精後の発生には2%CO2,98%空気,38.5℃の条件下で卵丘細胞との共培養を行うことが有効であり,この条件下で切開法により卵巣から採取した卵子の約35%が胚盤胞に達することを明らかにしている。また,吸引法と切開法で採取したAおよびBランク卵子を体外受精に供し,胚盤胞への発生率を比較した結果,両者間に有意差は認められなかったが,後者は前者に比べ1卵巣当たりの胚盤胞の発生個数が3.8倍に増加することを認めている。 第5章では,体外受精由来胚の発生におよぼす品種および季節の影響について検討している。黒毛和種(JB),褐毛和種(JBr),日本短角種(JB)および無角和種(JP)の成雌牛の卵巣からそれぞれ採取した卵子を,同品種の精子を用い体外受精されたときは,発生率に差を認めなかったが,JBr,JBおよびJPの体外成熟卵とJBの精子を用いた異品種間の体外受精の結果,F1胚の胚盤胞への発生割合はJBr×JB,JS×JBおよびJP×JBでそれぞれ67.2,62.0および58.3%に達し,品種内(JB×JB)の発生率(39.2%)に比較し有意に高く,胚発生の初期における雑種強勢現象の存在を推測している。さらに,2年間に渡り,毎週採卵を行い体外受精を継続した結果,胚盤胞への発生割合が7月から9月にかけて有意に低下すること,および,この時期に一致して透過光下で細胞質が炎黄色を示す卵子が出現し,8月中旬には約20%を占めることを見い出した。このような卵の体外受精後の分割および胚盤胞への発生割合はそれぞれ31.5%および7.8%と非常に低かったことから,夏期の飼育環境または輸送中のストレスが卵巣内卵子の受精能および発生能の低下の一因となり得るという興味深い成績を得ている。 第6章では,体外受精由来胚の子牛への発生能について検討している。まず,切開法および吸引法で採取した卵子を体外受精に供し,発生した胚盤胞をそれぞれ37および36頭の受胚牛に一胚ずつ移植した結果,20頭(54%)および18頭(50%)が正常な産子として分娩されたことを確認している。次いで,体外成熟卵子をガラス化凍結保存し,融解後の体外受精により得られた胚盤胞を移植して,4頭の正常な子牛の出産を確かめ,卵巣卵由来の体外成熟卵の凍結保存が可能であることを実証している。 第7章では,本論文の成果を総括し,本研究によって卵巣卵を用いた実用的な子牛生産技術が確立されたと結論している。 以上要するに,本論文は,新たに考案した切開法により牛卵巣から多数の未成熟卵子の採取が可能であることを示し,それらの卵巣卵の成熟能,受精能および発生能を詳細に検討して,卵巣当たりの子牛の生産率を飛躍的に向上させることに成功したものであり,学術上,応用上,貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は,本論文は,博士(獣医学)の学位論文として十分に価値あるものと判定した。 |