学位論文要旨



No 212208
著者(漢字) 松山,茂実
著者(英字)
著者(カナ) マツヤマ,シゲミ
標題(和) マクロファージによるラット黄体機能のパラクライン調節
標題(洋) Paracrine regulation of rat luteal function by macrophages
報告番号 212208
報告番号 乙12208
学位授与日 1995.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12208号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 舘,隣
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 佐藤,英明
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨 はじめに

 感染症や外傷によるストレスが負荷され免疫系の機能が亢進すると、生殖機能の低下がもたらされること、また性腺の自己抗原に対する免疫反応による生殖能力欠損症が知られていることなど、免疫機能が生殖機能に対して、いわば競合的に、あるいはマイナスの効果をもって作用しているという観点からの研究が従来から数多くなされてきた。しかしながら、最近、免疫系細胞が分泌する生理活性物質(サイトカン)が数多く単離され、その中のいくつかは、少なくとも培養条件下では性腺細胞の機能発現を促進する作用を有することが報告されている。一方、生理的条件下でも、免疫系細胞が性腺内組織に常在することが明かとなっている。これらのことは、免疫系細胞が、生体防御のみならず、性腺機能発現調節という生理学的役割を有している可能性を示唆している。本論文では、ラットを用い、性腺組織として黄体に着目し、また、免疫系細胞としてマクロファージに着目して、免疫系細胞による性腺機能調節機構の存在を証明した研究成績をまとめた。

第1章脾臓摘出が黄体機能へ及ぼす効果

 排卵は、卵胞壁の破裂という一種の生理的外傷を引き起こすものであり、排卵前の卵胞周辺には多数の免疫系細胞の集積することが知られている。そのため、排卵後の黄体形成には、外傷に伴う炎症反応の結果生じる肉芽腫形成と類似の現象が引き起こされると考えられている。しかしながら、このようにして排卵後に侵入する免疫系細胞が、黄体形成とその後の黄体機能発現にどのように関与しているのかは未解明のままであった。そこで、まず、これら免疫系細胞の黄体に対する作用の存在を、in vivoの実験系で確認することを目的として、末梢免疫系細胞の主たる供給源の一つである脾臓の摘出を行い、その卵巣機能に対する効果を検討した。成熟雌ラットの性周期の各時期に脾臓摘出を行ったところ、発情休止期第一日の午前7時から10時の時期に脾臓摘出を行ったラットのみに、一日の排卵遅延が誘起されることが見出された。ラット黄体の機能的退行は、プロゲステロンを20ダイハイドロプロゲステロン(OHP)に代謝する20-hydroxysteroid dehydrogenase(HSD)活性が黄体内で上昇し、黄体からのプロゲステロン分泌が減少するとともに、生理活性のない20OHPの分泌が増加することによって生じる。排卵遅延を示すラットの血中プロゲステロン及び20OHP濃度を2時間おきに性周期を通じて測定したところ、黄体の機能的退行が約1日遅延していることが明らかとなった。黄体の機能的退行が遅れ、プロゲステロン濃度の低下が遅れると、排卵誘起に必要な黄体形成ホルモン(LH)サージの出現が遅れることが知られており、脾臓摘出による排卵遅延はこのことが原因となっていることが考えられた。また、黄体のプロゲステロン合成能の指標とされる、総プロゲスチン濃度(プロゲステロンと20OHPの総和)が、脾臓摘出後2日間にわたり低下することも見出され、脾臓の存在が、黄体の機能的退行のみならず、黄体のプロゲステロン合成、即ち機能維持に対しても促進的意義を持つことが示唆された。さらに、脾臓摘出により生じた排卵遅延は、発情休止期第1日および発情期のラットの脾臓内免疫系細胞、あるいは、それより単離した脾臓マクロファージの移植により消失することが示された。これらの結果から、脾臓が黄体機能調節に関与するマクロファージの起源の一つとしての働きを有していること、そして、脾臓マクロファージの機能は性周期の回帰に応じて変動していること、さらに、脾臓を起源とする黄体組織内マクロファージは、黄体の機能亢進と退行促進の両面の作用を有している可能性が考えられた。また、少なくとも性周期黄体の機能的退行を促進する脾臓マクロファージは、排卵後約一日を経た発情休止期第一日の午前中に黄体内へ侵入する可能性が考えられた。

第2章培養黄体細胞のプロゲステロン分泌能に対する脾臓マクロファージの作用

 内分泌学的には、ゲッ歯類黄体のプロゲステロン分泌は、プロラクチン(PRL)がプロゲステロンの異化酵素である20HSDの活性発現を抑止して黄体の機能的退行を抑制する一方、LHがプロゲステロン合成の上流の酵素系(P450側鎖切断酵素,3HSD)を刺激することにより維持されていることが知られている。第2章では、脾臓由来のマクロファージによる黄体プロゲステロン分泌調節が、PRL・LHの作用とどのように関連づけられるかを検討することを目的として、黄体細胞と、脾臓マクロファージとの共培養実験を行った。黄体細胞は偽妊娠中期のラットの黄体より、マクロファージは性周期各時期のラットの脾臓より採集した。発情前期および発情休止期のラットから採取した脾臓マクロファージが、PRLおよびLHによる黄体プロゲステロン分泌促進作用の発現を最も強く促進することが明かとなった。このように、第1章でin vivoの実験系において示唆された、性周期の時期に応じた脾臓マクロファージの機能の変動が、細胞培養系を用いた実験により再確認されるとともに、脾臓マクロファージには、少なくともPRL・LHの作用を促進する能力が存在することが明らかとなった。脾臓摘出により黄体機能に異常が生じることが示された第1章の結果とあわせると、性周期の回帰に応じて黄体機能調節能を獲得したマクロファージが黄体内へ侵入し、PRL・LHによる黄体機能維持を促進していること可能性が考えられた。

第3章PRLの黄体機能維持作用を仲介するパラクライン因子、形質転換成長因子(TGF)

 マクロファージは、成長因子、インターロイキンなど様々な生理活性ペプチド(サイトカインと総称されている)を分泌することが知られており、マクロファージ由来のこのような物質が、黄体機能調節作用発現に関与している可能性が高いと考えられた。第3章では、マクロファージ由来のサイトカインのひとつである、TGFに着目して、その黄体プロゲステロン分泌調節能を検討した。その結果、TGFが、PRL,と相同な作用、即ち20HSD活性発現抑制作用を有していることが明らかとなった。TGFは、20HSD以外のプロゲステロン代謝系の酵素には有意な影響を与えないこと、また、黄体細胞の増殖や蛋白質量などにも有意な影響を与えなかったことから、TGFは、黄体の20HSDに対し特異的にその活性発現を抑制していると考えられた。さらに、抗TGF抗体存在下では、培養黄体細胞に対するPRL作用が消失することが示され、TGFが、PRL作用発現を仲介する黄体内細胞間情報伝達物質(パラクリン因子)としての機能を果たしていることが示された。

第4章PRLによる黄体TGFの産生調節とマクロファージによるTGF産生

 TGFには、type1からtype6までのサブタイプが存在することが知られているが、ラット卵巣においては、主にtype1とtype2が発現していることが報告されていた。第4章では、ウエスタンブロット解析により、PRLは黄体におけるtype2のTGFの産生を促進することを見出す一方、免疫組織化学により、機能黄体内のTGF産生細胞は、マクロファージであることを明かとし、マクロファージが、PRLによる黄体機能維持に必須な構成細胞として黄体組織に組み込まれているとを示した。つまり、黄体内に存在するマクロファージは、TGFという細胞間情報物質を産生することにより、PRLの作用を仲介するというパラクリン調節を行っていると解釈された。一方、退行黄体には多数のマクロファージの存在が確認されたが、これらのマクロファージは、免疫組織化学的にはTGF陰性であった。このことは、マクロファージのTGF産生の消失が黄体退行に関与していることを示唆している。退行期の黄体では、マクロファージの分泌するサイトカインの一つである腫瘍壊死因子(TNF)の産生が増加することが報告されており、マクロファージの産生するパラクリン因子がTGFからTNFへと変化することが黄体退行を決定づけているのかも知れない。

おわりに

 性腺機能が、視床下部・下垂体・性腺という3つの要素によって構成されるフィードバックシステムにより調節されていることはよく知られている。本論文では、下垂体ホルモンによる卵巣機能調節には、脾臓などの卵巣以外のリンパ組織由来の免疫系細胞(マクロファージ)が重要な役割を果たしていることを示す研究成果をまとめた。また、卵巣機能調節に関与するマクロファージの起源と考えられる脾臓マクロファージは、性周期の回帰に応じて脾臓内で分化している可能性も、本論文により示された。このことは、脾臓マクロファージの卵巣に対する作用が、生殖内分泌系の影響の下に組み込まれていることを意味している。今後、性腺機能の調節システムを考える上では、視床下部・下垂体・性腺の従来の3要素に加えて、新たに、性腺へ細胞を供給する脾臓などの免疫系組織を4番目の要素として捉えていく必要があるように思われる。

審査要旨

 最近免疫系細胞が分泌する生理活性物質が数多く単離され,その中のいくつかは正常細胞の機能な促進する作用を有することが報告されている。さらに生理的条件下でも,免疫系細胞が正常な組織内に常在することが示されるようになり,免疫系細胞が生体防御のみならず,正常組織での機能発現調節の役割を有している可能性が考えられるようになった。本論文はラットの性腺組織の黄体と,免疫系細胞のマクロファージに着目して,免疫系細胞による性腺機能調節機構の存在を他に先躯けて証明したものである。

 論文は4章からなり,第1章では脾臓摘出が黄体機能へ及ぼす効果を論じている。排卵は卵胞壁の破裂を伴ない,排卵前の卵胞周辺には多数の免疫系細胞が集積し,炎症反応と類似の現象が見られるが,この時に新生黄体内に侵入する免疫系細胞の機能は未解明であった。そこで性周期を回帰する成熟雌ラットを用い,末梢免疫系細胞の主たる供給源である脾臓の摘出な行ったところ,特定時期での摘出が1日の排卵遅延を誘起することを見いだした。この理由が黄体の機能的退行が遅延しているためであることを証明し,排卵期に脾臓から黄体に侵入するマクロファージには黄体機能を退行させる働きがあると結論した。また同時に,黄体の性ステロイド合成能が,脾臓摘出後2日間にわたり低下することも見いだされ,黄体に侵入するマクロファージは黄体の機能的退行のみならず,黄体のプロゲステロン合成,即ち機能維持に対しても促進的意義を持つことを見いだした。

 第2章では培養黄体細胞のプロゲステロン分泌能に対する脾臓マクロファージの作用を検討している。ゲッ歯類黄体のプロゲステロン分泌は,プロラクチン(PRL)がプロゲステロンの異化酵素である20HSDの活性発現を抑止して黄体の機能的退行を抑制する一方,LHがプロゲステロン合成の上流の酵素系を刺激することにより維持されている。そこで脾臓由来のマクロファージによる黄体のプロゲステロン分泌調節が、PRL・LHの作用とどのように関連づけられるかを検討することを目的として,黄体細胞と,脾臓マクロファージとの共培養実験を行っている。共培養系による詳細な検討の結果,発情前期および発情休止期のラットから採取した脾臓マクロファージが,PRLおよびLHによる黄体プロゲステロン分泌促進作用の発現を最も強く促進することが明らかにされた。この結果は第1章の生体内実験の結果とあわせて,性周期の回帰に応じて黄体機能調節能を獲得したマクロファージが脾臓から黄体内へ侵入し,PRL・LHによる黄体機能維持作用を増強していると考察されている。

 第3章ではPRLの黄体機能維持作用を仲介する因子の同定を行なっている。マクロファージは様々なサイトカインを分泌することが知られており,そのうちのどれかが黄体機能調節作用発現に関与している可能性を考え,形質転換成長因子(TGF)に着目して,このものの黄体プロゲステロン分泌調節能を検討している。その結果,TGFは黄体細胞に対してPRLと相同な作用,即ち20HSD活性発現抑制作用を有していることを明らかにし,さらに培養黄体細胞に対するPRL作用が抗TGF抗体によって消失するという重要な発見をしている。そしてTGFがPRL作用発現を仲介する黄体内の細胞間情報伝達物質であるとの推論に達している。

 第4章では,PRLにより黄体TGFの産生調節が可能か否かの検討と,マクロファージが発現するTGFサブタイプの同定を行なっている。TGFにはタイブ1から6までのサブタイプが知られているが,ウエスタンブロット解析により,PRLは黄体におけるタイプ2のTGFの産生を促進することを見いだす一方,免疫組織化学により,機能黄体内のTGF産生細胞はマクロファージであることを明らかにし,マクロファージが,黄体機能維持に必須な構成細胞として黄体組織に組み込まれていることを示した。

 一方,退行黄体に認められる多数のマクロファージは免疫組織化学的にはTGF陰性であるという極めて興味のある結果を得て,TGF産生能の消失が黄体退行に直接関与していること,さらにマクロファージの産生するパラクリン因子がTGFから腫瘍壊死因子(TNF)へと変化することが黄体退行を決定づけているのかも知れないとの興味ある推論を述べている。

 以上要するに,本論文は性腺機能の調節に脾臓などの卵巣以外のリンパ組織由来の免疫系細胞が重要な役割を果たしていることを初めて実証したものであって,この成果は獣医学,医学分野における生殖生物学の基礎研究,さらには獣医臨床等の応用技術に対しても大きな貢献をしたものと評価される。よって審査委員一同は申請者に対して博士(獣医学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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