学位論文要旨



No 212211
著者(漢字) 山田,秀一
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,シュウイチ
標題(和) 体外における犬卵子の成熟と受精に関する研究
標題(洋)
報告番号 212211
報告番号 乙12211
学位授与日 1995.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12211号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊田,裕
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 助教授 西原,真杉
 東京大学 助教授 佐藤,英明
内容要旨

 犬卵子の成熟過程は、哺乳類の中できわめて例外的であり、排卵卵子は大きな卵核胞を有し、排卵後2〜3日内に卵管内で第一成熟分裂を再開し第一極体を放出し、一般的な哺乳動物の排卵時期である第二成熟分裂中期に移行する。一方、精子は発情期の雌性生殖道内では6〜11日間生存可能であり、未熟な排卵卵子と精子が遭遇する機会が十分に想定される。従来の体内での受精卵の観察では、卵子への精子侵入が卵子成熟のどの段階で起こるが、さらに排卵卵子が卵管内で成熟する過程で卵子の受精能および発生能にどの様な変化が生じるのかについては十分に知られていない。この様な現象を解明するためには、直視下で精子-卵子の相互作用を観察可能な体外受精の技法は、まさに最適と考えられる。犬の体外受精は、1976年Mahi & Yanagimachiによって発情周期とは無関係に得られた卵子を射出精子と共培養後、卵子への精子の侵入が卵子の成熟ステージに関係なく起こる事を確認しているが、受精の完了、すなわち2細胞期への発生を見届けていない。

 そこで本研究では、発情誘起を行い排卵直前卵胞から回収した犬卵子の体外成熟、体外受精方法の確立を試み、卵核胞期で排卵される卵子の排卵前および排卵後の成熟が、その後の受精および発生にどの様な影響を及ぼすかを追究した。

 第1章では、発情誘起・過排卵処置法を検討し、交配試験で産仔が得られるか検討した。ついでこのホルモン処置による排卵時期を調べた。第2章では、過排卵処置犬の卵胞から排卵直前卵子を採取し、体外での卵子の成熟誘起法を検討した。第3章では、犬精子の体外での受精能獲得誘起を検討し、体外成熟卵子との体外受精を試みた。第4章では、体外成熟、体外受精卵の発生能を体外培養によって検討した。

1.過排卵の誘起および排卵時期の検討

 犬の過排卵誘起は種々考案されているが、交配したものの妊娠に至らないケースが多く、過排卵処置後の排卵時期に関しては殆ど知見が得られていない。そこで本章では、第2章以降での材料入手の為に過排卵処置法の確立を試み、さらに排卵時期について検討した。

 1〜7才のビーグル犬を用い、血中プロジェステロン濃度が10ng/ml以上の個体には、プロスタグランジン類縁化合物(クロプロステノール)の投与によって血中プロジェステロン値を基底レベルに下げ、次いでエストロン(E1)を100mg×3日、200mg×3日,400mg×3日の最高9日間、外陰部から出血が出現するまで連続筋肉内投与をおこなった。出血確認から3日後に妊馬血清性性腺刺激ホルモン(PMSG)400i.u.とヒト絨毛性性腺刺激ホルモン(hCG)200i.u.を混合皮下投与し、3日間間隔をおいてエストラジオール(E2)を2日間筋肉内投与後、スメア像が明確な発情期を示した日にヒト絨毛性性腺刺激ホルモン(hCG)1000i.u.を静脈内投与し排卵を促した。ホルモン処置によって排卵された卵子の正常性を知る目的で交配実験を行ったところ、正常な産仔が得られ、さらに得られた子犬の発育ならびに生殖能力も正常であることが確かめられた。発育卵胞数および排卵時期を把握するため最終hCG投与後48,72および96時間で開腹手術を施して、過排卵の状態ならびに排卵の状況を観察した結果、hCG投与後およそ72時間で排卵が開始され96時間までに終了することが明らかになった。さらに発育卵胞は、自然発情時の卵胞数をはるかに上回る過排卵状態であることが知られた。

2.卵子の体外成熟の誘導

 最終hCG投与後72時間に過排卵処置個体を開腹し、排卵直前の成熟卵胞から卵子・卵丘複合体を回収し卵子の体外成熟を試みた。培養は、マウス体外受精用培地の組成を一部修正し牛胎児血清を10%添加した培地を用い、37℃、5%CO2、95% 空気の気相下で行った。培養開始時の成熟状態を観察したところ回収した全ての卵子が卵核胞期であった。成熟培養では、培養後72時間に約32%が第二成熟分裂中期に達した。一方、非発情期の無処置個体から採取した卵子では、培養72時間までに第二成熟分裂中期達していた卵子の割合は、約8%に止まり、その後144時間まで継続培養しても有意な増加は示さなかった。

3.体外成熟卵の体外受精

 繁殖能力が明確な雄ビーグル犬から精液を用手法で採取し、精漿成分を除いた後、修正マウス体外受精用培地で精子を洗浄し、体外での受精能獲得誘起を検討した。前培養開始後0〜6時間まで1時間間隔で運動性、精子の凝集、生存性、超活性化運動および三重染色法よる先体反応を指標に観察をおこなった結果、最適前培養時間はおよそ4時間であると推察された。そこで、4時間前培養精子を用いて卵子への精子侵入試験を行った結果、媒精後2時間以内に卵細胞質へ精子侵入が開始することが確認された。過排卵処置後の排卵直前卵胞から得られた卵子と無処置個体の未成熟な卵胞から得られた卵子をそれぞれ72時間成熟培養後、体外受精を行った結果、精子が侵入した卵子の割合は、両群間に差は見られなかった。しかし、精子侵入卵における雄性前核形成率は、前者の37%に対して後者は2%と前者の雄性前核形成率は明らかに高かった。この違いは、成熟培養終了時点において第二成熟分裂中期に達していた卵子の割合とほぼ一致しており、雄性前核形成には卵胞内での成熟と排卵後の成熟の両者が極めて重要な要因であることが示唆された。なお、精子侵入から雄性前核形成までに要する時間は、6時間以内であることが推定された。

4.体外受精卵の発生能の検討

 体外受精卵子を媒精後20時間で発生用培地に移し換え、96時間まで培養した結果、媒精後48時間で培養卵の15%が2細胞期胚に発生し、また96時間では培養卵の32%が2細胞期を越へ発生し、最も発生が進んだものでは8細胞期に達していた。

 以上の結果から、過排卵処置による排卵時期は、最終hCG投与後およそ72時間で開始される。排卵直前の成熟卵胞から回収された卵子は、全て卵核胞期に止まっているが、72時間の体外培養によって第二成熟分裂中期まで成熟誘導が可能であり、この変化は、正常な受精能発現に必須であること、さらに雄性前核の形成には卵胞内での成熟と排卵後の両者が重要な要因であることが明らかにされた。

審査要旨

 犬は,人類の歴史の中で最も古くから家畜化された動物であり,実験動物として数多く用いられているにもかかわらず,その特殊な生殖器の構造と独特な性周期の故に,排卵直後の受精卵の採取が難しく,初期発生に関する研究が十分に行われていない。本論文は,従来,極めて知見に乏しかった排卵の前後における卵子成熟の過程および卵子成熟と受精との関連を明らかにすることを目的として行われた研究をまとめたものである。論文は,7章で構成され,その要点は以下のように要約できる。

 第1章は序論で,研究の背景および意義について述べている。そのなかで,特に,犬の卵子が未熟な第1次卵母細胞として排卵され,そのような卵子への精子侵入像が観察されているが,その後の発生過程が明らかにされていないこと,および,犬卵子の体外受精については,未熟卵子への精子侵入を観察した報告が一つあるのみであることを指摘している。

 第2章では,雌犬に対する発情誘起および過排卵誘導法について検討している。犬の性周期は単発情型と呼ばれる特殊なものであり,繁殖季節の中で一回だけ複数の卵子を自然排卵した後は,交尾および受胎の有無にかかわらず黄体が活性化され,6ヵ月以上に及ぶ無発情期に入る。1〜7才のビーグル犬を用い,血中プロジェステロン濃度が10ng/ml以上の個体には,プロスタグランジン類縁化合物の投与によって血中プロジェステロン値を基底レベルに下げ,次いでエストロン(E1)を100mg×3日,200mg×3日,400mg×3日,の最高9日間,外陰部から出血が出現するまで連続筋肉内投与し,出血確認から3日後に妊馬血清性性腺刺激ホルモン(PMSG)400i.u.とヒト絨毛性性腺刺激ホルモン(hCG)200i.u.を混合皮下投与し,3日間隔をおいてエストラジオール(E2)を2日間筋肉内投与後,スメア像が明確な発情期を示した日にヒト絨毛性性腺刺激ホルモン(hCG)1000i.u.を静脈内投与し排卵を促す方法を開発した。ホルモン処置犬に対して最終hCG投与後48,72および96時間に開腹手術を施して,排卵の状況を観察した結果,発育卵胞は,自然発情時の卵胞数をはるかに上回る過排卵状態であり,排卵はhCG投与後72時間に開始し,96時間までに終了することを明らかにしている。

 第3章では,卵子の体外成熟の誘導について検討している。最終hCG投与後72時間に過排卵処置個体を開腹し,排卵直前の成熟卵胞から卵子・卵丘複合体を回収し,まず全ての卵子が卵核胞を有する第1次卵母細胞であることを確認した後に,卵子の体外成熟を試みている。マウス体外受精用培地の組成を一部修正した培地を用い、37℃,5%CO2,95%空気の気相下で成熟培養後72時間に,約32%の卵子が成熟分裂第二分裂の中期に達することを見出している。一方,無発情期の無処置個体から採取した卵子では,培養72時間までに第二分裂中期に達していた卵子の割合は,約8%に止まり,その後144時間まで継続培養しても有意な増加は示さなかったことから,犬においても,他の哺乳類と同様に卵子成熟の誘導には性腺刺激ホルモンの作用が必要であると考察している。

 第4章では,体外成熟卵の体外受精について検討している。まず,繁殖能力の明確な雄ビーグル犬から精液を用手法で採取し,精漿成分を除いた後,修正マウス体外受精用培地で精子の受精能獲得誘起を試み,最適前培養時間はおよそ4時間であると推定している。次いで,前培養精子を用いて,媒精後2時間以内に卵細胞質へ精子侵入が開始することを確認し,過排卵処置後の排卵直前卵胞から得た卵子と無処置個体の未成熟卵胞から得た卵子をそれぞれ72時間の成熟培養後,体外受精に供試した結果,精子侵入卵の割合は両群間に差は見られなかったが,精子侵入卵における雄性前核形成率は,前者の37%に対して後者は僅か2%に止まることを見出し,この違いは成熟培養終了時点において第二分裂中期に達していた卵子の割合とほぼ一致していることから,雄性前核形成を伴う正常な受精の進行には卵胞内での卵子成熟と排卵後の卵子成熟の両者が重要な要因であると考察している。

 第5章では,体外受精卵の発生能を検討し,媒精後48時間に培養卵の15%が2細胞期胚に発生し,96時間には培養卵の32%が2細胞期を越え発生し,最も発生が進んだものでは8細胞期に達することを確かめている。

 第6章では,以上の結果を総括し,本研究によって犬における卵子成熟および受精の過程を体外培養の条件下に制御することが可能になったものと結論している。第7章は全体の要約である。

 以上要するに,本論文は,哺乳類の生殖生物学において不明確な部分の一つであった、犬の卵子成熟誘導と受精に関して興味ある新知見を与え,その実験的解析を可能にしたのもであり,学術上,応用上,貢献する所が少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として十分な価値を有するものと判定した。

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