学位論文要旨



No 212237
著者(漢字) 丹波,澄雄
著者(英字)
著者(カナ) タンバ,スミオ
標題(和) 人工衛星リモートセンシングデータに基づいた海表面温度の推定に関する研究
標題(洋)
報告番号 212237
報告番号 乙12237
学位授与日 1995.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12237号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,幹雄
 東京大学 教授 廣澤,春任
 東京大学 教授 坂内,正夫
 東京大学 教授 石塚,満
 東京大学 助教授 喜連川,優
 東京大学 助教授 柴崎,亮介
内容要旨

 地球表面の約7割を占める海洋は大気との相互作用を通して地球環境と密接な関係を持ち、特に海表面温度の分布は重要な情報の一つであり、人工衛星による観測によってのみ得ることができる。NOAA衛星のAVHRRセンサのデータはその計測仕様から海表面温度の観測に適したものとなっている。

 従来より人工衛星データから海表面温度を求める上での問題点として大気効果地表面から放射された熱赤外波長域の輝度の途中大気による減衰)と海表面効果(衛星で観測する海面表皮部分の温度とブイなどで実測される水深1mの水温に温度差が生じること)の存在が認識されていた。

 最も大きな影響を及ぼす大気効果に関しては大気中の放射伝達理論に基づいて研究が進められていた。大気効果の補正方法の一つであるSplit Window法(熱赤外波長域の2波長で観測された輝度を用いる)は簡便な方法であることから広く用いられており、Split Window法に基づく多くの補正式が提示されてきている。補正式の係数を求める方法には、実測水温を用いるもの及び大気モデルを用いたシミュレーションによるものがある。これらの補正式はそれぞれ対象とする海域や時期が係数を求める方法に依存しているため、日本周辺に対して十分な精度を持って適用できる保証はない。

 一方、海表面効果に関しては、現象自身が複雑であることから主に海洋物理的興味からの理論的な研究が行なわれていたが、また実際に測定する場合に非常な困難が伴うことも理由の一つと考えられる。海表面効果が問題視され始めた背景には、大気効果の補正精度の向上と測定器の性能向上によって、従来無視することができた海表面効果の影響が無視できなくなってきた現状がある。

 本研究では、このような背景から、まず前処理として位置づけられるNOAA/AVHRRの生のデータから輝度温度を算出する手順において、較正データに含まれるノイズなどの特徴を踏まえた処理手順の改善を行い、輝度温度に混入する誤差を縮小する方法を提案した。また温度分布図の作成においては大量の画像データを処理することになるため、較正データの特性に基づいて輝度温度に新たな誤差を含むことなく算出処理を高速化する手法についても提案した。実際の計算量としては2桁程度減少させることができている。

 NOAA/AVHRRデータから得られた海表面温度の精度を検証するために、陸奥湾に設置されている海況自動観測ブイシステムの水深1mの水温測定値を実測水温として用い、衛星データから得られる輝度温度と実測水温を組合わせたmatch-upからなる検証データセットを作成した。match-upは、実測水温の品質が高いこと、衛星による観測と実測水温の測定が時間的には30分以内で空間的には約1km程度のずれに収まっており、従来行われてきた検証に比べて時間的・空間的一致性は非常に良いこと、から信頼性は高い。また、このデータセットには気象・海象測定データが補助データとして用意されており、誤差発生の原因究明のための有益なデータとなっている。

 検証データセットを用いてSplit Window法による大気効果補正を行った場合の海表面温度の推定精度の検証を行った。NOAA/AVHRRデータから海表面温度を推定する場合の精度は、通年を通して陸奥湾においては0.6℃であったが、残差が特に大きなものが含まれていた。これらのmatch-upに対して気象・海象データを参照した解析を行ったところ、海表面効果が発生していることが推測できた。海表面効果が発生していると判断された気象状況は、

 (1).春夏の日中に強い日射があり、気温が水温より高く、風が弱い

 (2).秋冬の夜間で、気温が水温より低く、風が弱い

 の2ケースであった。

 気象・海象データから海表面効果が発生していると推測できたmatch-upを除外したデータセットを用いた結果では標準誤差0.35℃が得られた。この結果は、本来大気効果補正を主目的として開発されたSplit Window法では海表面効果の影響補正できないことを示している。

 従来公表されている他の地域のための大気補正式との比較を検証データセットを用いて行ったところ、ばらつき誤差には同程度のものも見られたが大半は大きくなる傾向にあった。しかしながらバイアス誤差はほとんどのものが05℃以上の大きさを持っていることから、他の大気補正式を陸奥湾に適用した場合、主にバイアス誤差が生じると言える。

 精度検証では気象・海象データを参照することで海表面効果の発生を推測したが、実際にはどの程度の温度差が生じており、海表面効果はどの様な挙動を示すものであるか、などについて明らかにしておくことは、画像データを判読する上でも有益な情報となる。この目的のために特殊な計測ブイの開発を行い、長期間(延べ約1年間)の海表面付近の温度の鉛直分布及び風速、日射などの気象・海象項目の測定を陸奥湾において実施した。得られたデータでは、春、夏の日射が強く風が無い場合には表面付近の水温は急激に上昇し、水深1mの水温に比べて約5℃もの温度差が生じた例が観測され、海表面効果の影響が海表面温度推定における大きな誤差の要因となることが示された。測定されたデータの解析から、日中に海表面効果が発生するための気象条件として、

 (1).季節は春夏期であること、

 (2).日射が強いこと、

 (3).風速が小さいこと、

 が明らかになった。風速の具体的な上限値は、海表面効果の大きさに依存するものとなる。大きな温度差が発生したときに同期して得られたサングリッタの発生している衛星画像から、観測地点は無風状態で部分的に温度の上昇した領域にあること、海表向効果は陸奥湾では十キロ四方程度から湾の半分程度の広さの範囲で発生することも明らかになった。この結果は従来あまり考慮されてこなかった海表面効果の影響は気象状況に依存するものの衛星からの海表面温度観測における大きな誤差要因となることを実測データに基づいて示したものである。

 陸奥湾検証データから得られた大気補正式は従来のものとは係数が異なっていた。この原因は検証地域として選定された陸奥湾周辺の大気と他の検証地域における大気の構成が異なることが原因の一つと考えられた。そこで陸奥湾を代表する大気モデルを三沢ラジオゾンデデータから作成して、大気放射伝達シミュレーションプログラムとして広く知られ用いられているLOWTARN7とこれより詳細な計算を実施しているFASCODE3Pを用いて、シミュレーションデータセットを作成して大気補正式を求めた。

 LOWTARN7に月別の平均大気モデルを適用して得られた結果は従来報告されている大気補正式に近いものであったが、晴天大気モデルを適用して得られた結果は陸奥湾検証データセットから得られた補正式と従来の補正式の中間程度の係数となっていた。

 FSCODE3Pに晴天大気モデルを適用した結果では陸奥湾検証データセットから得られた補正式に非常に近い係数値が得られた。定数値には差が見られたが、これは放射率を考慮することで説明が可能である。シミュレーションの結果から、陸奥湾検証データセットから得られた補正式は陸奥湾の大気の下では必然的に得られるものであり、他の海域で得られた補正式と一致しないことに問題はないことが判った。

 2つのシミュレーションプログラムの結果の比較を行ったところ、FASCODE3Pによる結果の方がより実際の結果を良く説明していることから、少なくとも赤外域での放射伝達シミュレーションではFASCODE3Pを用いた方が高い精度が得られるとの知見が得られた。

審査要旨

 本論文は「人工衛星リモートセンシングデータに基づいた海表面温度の推定に関する研究」と題し,地球環境の解明に重要な役割を演じている気象衛星NOAAに搭載されている改良型高解像度放射計の熱赤外データから海表面温度を精度良く推定することを目指して行った一連の研究を纏めたもので,7章よりなっている。

 第1章は「序論」で,本研究の背景について述べ,研究の目的を明らかにすると共に,本論文の構成について述べている。

 第2章「AVHRRセンサの温度較正の改善と高遠化」では,NOAA衛星とAVHRRセンサの概要を述べ,輝度温度算出の問題点を指摘し,度温度を正確に求めるための温度較正データの取扱方法の改善と輝度温度算出の高速化について検討している。輝度温度の較正データに混入する雑音が輝度温度に及ぼす影響を調べ,雑音の影響を低減するための較正データの処理方法を考案すると共に,この改善方法に基づいた輝度温度算出処理の高速化を提案し,性能の評価を行っている。

 第3章「海表面温度推定のための精度検証データセットの作成」では,AVHRRデータから得られる海表面温度推定精度の検証を行うために,品質の高い実測水温と輝度温度の組を多数集めた精度検証用データセットを作成している。精度検証では雲の混入は大きな誤差となるため,雲域除去の手法を開発し,得られたデータセットの統計量を示している。

 第4章「NOAA/AVHRRによる海表面温度推定の精度検証」では,前章で得られた精度検証データセットに基づいて,大気補正方法として広く用いられているSplit Window(SW)法による海表面温度の推定精度を検証した結果について述べている。先ず,精度検証データセットに回帰分析を用いて海表面温度推定式の係数と推定精度を求め,併せて気象記録データから海表面効果の発生の可能性のあるデータを除外した精選データセットを作成し,これを用いて,海表面温度推定式の係数と推定精度を求め,従来から報告されている海表面温度推定式を評価し,海表面温度推定式の適用限界を示している。

 第5章「海表面効果の影響の解明」では,従来測定が困難であった海表面効果について,その発生機構を把握するために,海表面付近の詳細な温度の鉛直分布および海表面効果の発生に関与すると考えられる日射量を測定する海表面鉛直温度分布測定ブイを開発し,測定されたデータを解析した結果から得られた海表面効果の特徴について検討している。

 第6章「シミュレーションによる海表面温度推定式の検討」では,陸奥湾地域の大気モデルとしてラジオゾンデデータを基に,月別平均大気モデル,月別平均晴天大気モデル,,奥湾晴天大気モデルを作成し,放射伝達プロゲラムとして,LOWTRAN-7及びFASCODE3Pによるシミュレーションから海表面温度推定式の係数を求め,実測データに基づいて得られた海表面温度推定式の係数と比較検討し,その妥当性を示している。

 第7章は「結論」であって,本研究の意義と到達点及び今後の問題について纏めている。

 以上これを要するに,本論文は気象衛星NOAAにより観測される熱赤外データから海表面温度を精度良く推定するために,温度較正手法の改善,精度検証のためのデータセットの作成,衛星データによる海表面温度推定の精度検証を行い,海表面効果の影響を明らかにすると共に,大気モデルを用いたシミュレーションと比較する等,衛星データを用いた地球環境の研究の進展に寄与するところが多大であり,電気・電子工学に貢献するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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