学位論文要旨



No 212243
著者(漢字) 松村,克之
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,カツユキ
標題(和) 石油地下備蓄基地の建設における意志決定について
標題(洋)
報告番号 212243
報告番号 乙12243
学位授与日 1995.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12243号
研究科 工学系研究科
専攻 地球システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,圭二
 東京大学 教授 正路,徹也
 東京大学 教授 藤田,和男
 東京大学 教授 山冨,二郎
 東京大学 助教授 登坂,博行
内容要旨

 日本で始めての原油地下備蓄基地の建設について、そのルーツである石油業法の成立過程から始めて、石油の国家備蓄の開始とその様々な態様を述べた。次に地下石油備蓄の最初の段階である実証プラントの建設を経て、新会社の設立と基地の建設、およびその完成に至るまでを、その時々の基本的な課題について論じた。

 また直面した多数の課題について、その時に行った「技術的判断」を、それぞれの章において設問、情報、判断基準、判断、行為決定基準、行為、検証の項目に分けて分析した。またその分析を最終章にまとめ、若干の考察を加えた。

 第一章においては、最初に、第二次大戦後のわが国における急激な石油需要の伸びと、それが他の競合エネルギー産業に及ぼした影響を概観し、またその当時の海外、国内の石油をとりまく情勢を分析した。次に、そのような情勢のもとで、原油輪入の自由化に対処する政策として石油業法の策定が選択された経緯と、現在からみた石油業法の功罪について論じた。

 次に、その石油業法によって備蓄義務を課せられた民間石油業界にとっては、90日分の備蓄がその企業力の限界であり、第一次石油危機をへて更に大幅な備蓄の増量が要請されるに及んで、国家が自ら備蓄を行わざるを得なくなっていった過程を明らかにした。

 つづいて、立地難の中でスタートした国家備蓄は、タンカー備蓄という奇手に始まり、在来型陸上基地、地中式基地、出島式基地、洋上基地と多様化の道を歩いた流れを論じ、その評価を行った。

 第二章では、石油備蓄基地立地に対する地域社会の強い拒否反応にあって、国家備蓄の実現に危機感を持った当局が、地下備蓄の道を模索し始めた経緯を辿った。

 続いて、その後実証プラントの建設を行った過程とその評価について論じた。

 次に実証プラントの実績を基に、本格基地を三か所に建設することを決定するまでの経緯とその理由を分析した。

 第三章では、最初に、これまでの石油国家備蓄会社が何故に第三セクターの形を取る事になったのかを論じた。

 次にその第三セクターの枠の中で地下備蓄会社の特徴を生かした最適な会社構成がいかに有るべきかを検討し、設立に至ったことを簡単に述べた。三基地を有すること、地下工事が主である事、日本で始めての工事であることなどに対して、どのように対処していったかを新会社の設立までの段階について、総括的に分析した。

 第四章では、新会社の設立直後から設計完了、着工直前までの間に直面した多くの課題について、各論的にそれぞれ論じた。

 設計段階について、日本で始めての工事であることから、多くの学者、技術者の方々に参加を願って、委員会を設置したことをまず説明した。

 次に設計主体、工事業者の選定についてこれも新しい工事であることにより必要となった幾つかの配慮について述べた。中核となる企業の選定は譲らないが、その他の部分についてはある程度の妥協も必要であった点を分析する。

 次に一点係留ブイの型式選定にあたって、予備設計において決められた型式を変更した問題を分析し、予備設計の段階での情報の確実性の問題、設計思想の重要性について論じた。

 その後、地下備蓄の長所である保安上、公害上の安全性を生かすための工夫として、基地のDry化に成功した事、それによって基地の安全、無公害が更に強化されると共に、人員、設備の合理化に大きく貢献した点を論じた。

 続いて、三基地の簡単な説明と、実証プラントを菊間基地に取り込んだ経緯とその根拠を説明した。

 又、新しい工事を行うため、乏しいスタッフをやりくりして海外調査を頻繁に行ったことを述べた。

 第五章では、いよいよ建設に着工してから完成に至るまでに直面した諸問題について述べた。

 まず最初に建設の簡単な工程を各基地について示した。

 次には、建設に当たっての最初の大問題だった久慈基地の湧水の抑制について、通常のセメントグラウトに加えて、粘土グラウトという日本で最初め工法を実験的に採用した経緯をやや詳細に述べた。慎重な準備段階を経て現地での実施に至るまでの考え方、進め方、その際の判断の基準について分析した。

 又この工法を他の二基地にも一部分で採用したことと、これらを通じてこの極めて日本的な技術の確立を促したことを論じた。

 次に、串木野基地における一部オイルインの問題を取り上げた。この基地の一部分の地下タンクの下に断層による高透水層があり、そのためにこの部分の地下水が系外に流出し、部分的に地下水位が極度に低下して水封機能が働かなくなっている事が発見された。

 その水位の回復と、その後の湧水の増加を抑制する対策工事のために、基地全体の工程が大幅に遅れた。予定された完成時期を尊重しなければならない第三セクターとしての立場と、地下工事であり水封式という日本で始めての工事であることからくる情報の不足の間で、地下タンク10本のうち2本だけに先にオイルインするに至った判断の一連の流れと、その結果の成功をやや詳細に述べた。

 次に、地下備蓄の宿命ともいえる、水封孔に発生する目づまりの主要原因であるバクテリアの問題にどのような準備対策を採ってきたかを述べた。

 更に地下備蓄の特性である地域コミュニティとの強い近接性に対処し、併せて従業員の活性化を図る目的で計画した展示館施設の成功を述べた。

 最後に第三セクターのこれも宿命ともいえる低成長性と、特殊な社内人員構成の中でどのような角度から従業員教育を行ってゆくべきかを論じた。

 第一章から第五章までは、前述のように、地下石油備蓄基地の建設のルーツともいえる石油業法の成立から、基地の建設の成功に至るまでについて、その時々の課題を取り上げてきた。そのそれぞれの課題の記述の中で、重要なポイントについては、課題の提出(設問)、その時の情勢(情報)、わが社としての判断の源泉となる基準(判断基準)、それによる判断といった一連のフォームによって分析してきた。

 最後の第六章では、これらの「設問-情報-判断基準-判断-論証」として各章の中で括り出した部分を抽出して、それら建設中に実際に行われ、結果を生じている意思の決定の例の中から、意思決定における思考と行動の過程について簡単な分析の試みを行った。

 その後、情報の収集にあたっての問題点、、判断基準のよってきたる各種の経験とその利用にあたって心得ておかねばならない事項、創造的発想の重要性とそのひらめきの生ずる過程などについて、常に今回の建設時の経験を材料として論じ、分析した。

 また最後にこれらの結果を総合して、今回の建設にあたって特徴的であったのが、第三セクターとしての立場、地下工事の情報量の少なさ、日本で始めての工事であるための問題などであったことを明らかにして、全体の総括としている。

審査要旨

 石油を地下に備蓄するための岩盤タンクは、対象地域岩盤の地下水位以下に空洞を掘削し、内張りなどせず素掘に近い状態で石油を貯蔵する方式であり、その際地下水圧によって液密、気密が保たれる水封システムを採用することを最大の特徴とする。これをわが国に建設するのは、始めての経験であり、独自に解決すべき種々の重要な課題が予想された。

 本論文は、基地の建設の成功に至るまでに、直面した多数の課題について、その時々に行った「技術的判断」を分析し、意思決定における思考と行動の過程はどうあるべきかを論じたものである。

 論文は六章よりなり、第一章では、第一次石油危機をへて更に大幅な備蓄の増量が要請されるに及んで、国家が自ら備蓄を行わざるを得なくなっていった過程を明らかにしている。

 続いて、立地難の中でスタートした国家備蓄は、タンカー備蓄に始まり、在来型陸上基地、地中式基地、出島式基地、洋上基地と多様化の道を歩いた流れを論じ、その評価を行っている。

 第二章では、石油備蓄基地立地に対する地域社会の強い拒否反応にあって、地下備蓄の道を模索し始めた経緯を明らかにしている。

 続いて、実証プラントの建設を行った過程とその評価について論じ、この実績を基に、本格基地を三か所に建設することを決定するまでの経緯とその理由を分析している。

 第三章では、これまでの石油国家備蓄会社が何故に第三セクターの形を取る事になったのかを論じ、次にその第三セクターの枠の中で地下備蓄会社の特徴を生かした最適な会社構成がいかに有るべきかを検討し、どのように対処していったかを総括的に分析している。

 第四章では、新会社の設立直後から設計完了、着工直前までの間に直面した多くの課題について、各論的にそれぞれ論じている。

 設計段階について、委員会を設置したこと、次に設計主体、工事業者の選定について必要となった幾つかの配慮について述べ、その分析を行っている。

 次に一点係留ブイの型式選定にあたって、予備設計において決められた型式を変更した問題を分析し、設計思想の重要性について論じている。

 その後、地下備蓄の長所である保安上、公害上の安全性を生かすための工夫として、基地のDry化に成功した点を論じている。

 又、新しい工事を行うため、海外調査を頻繁に行ったことを述べている。

 第五章では、建設に着工してから完成に至るまでに直面した諸問題について述べている。

 まず久慈基地の湧水の抑制について、通常のセメントグラウトに加えて、粘土グラウトという日本で最初の工法を実験的に採用した経緯と、実施に至るまでの考え方、進め方、その際の判断の基準について分析している。

 又、これらを通じてこの極めて日本的な技術の確立を促したことを論じている。

 次に、串木野基地における一部オイルインの問題を取り上げている。この基地の一部分の地下タンクの下に断層による高透水層があり、部分的に地下水位が極度に低下して水封機能が働かなくなっている事が発見され、その対策工事のために、基地全体の工程が大幅に遅れた。予定された完成時期を尊重しなければならない第三セクターとしての立場と、地下工事であり水封式という日本で始めての工事であることからくる情報の不足の間で、地下タンク10本のうち2本だけに先にオイルインするに至った判断の一連の流れと、その結果の成功をやや詳細に述べている。

 以上、第一章から第五章までは、基地の建設の成功に至るまでについて、その時々の課題を取り上げ、重要なポイントについては、課題の提出(設問)、その時の情勢(情報)、責任者としての判断の源泉となる基準(判断基準)、それによる判断といった一連のフォームによって分析を行っている。

 最後の第六章では、意思の決定の例の中から、意思決定における思考と行動の過程について「設問-情報-判断基準-判断-論証」として一般化の試みを行っている。

 また最後にこれらの結果を総合して、今回の建設にあたって特徴的であったのが、第三セクターとしての立場、地下工事の情報量の少なさ、日本で始めての工事であるための問題などであったことを明らかにして、全体の総括としている。

 以上が本論文の要旨であるが、石油地下備蓄基地建設を完成させるに欠くことのできなかった「技術的判断」について分析し、とくに、意思決定における思考と行動の過程は、情報量の少ない自然の岩盤相手のプロジェクトを進める上で重要であり、資源開発や一般公共事業にも応用できるものであり、今後の地下開発技術の発展に寄与するところが少なくない。

 よって、本論分は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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