学位論文要旨



No 212252
著者(漢字) 榊,啓二
著者(英字)
著者(カナ) サカキ,ケイジ
標題(和) 超臨界流体クロマトグラフィーによる脂質の分離に関する研究
標題(洋)
報告番号 212252
報告番号 乙12252
学位授与日 1995.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12252号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古崎,新太郎
 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 中尾,真一
 東京大学 講師 関,実
内容要旨

 超臨界流体クロマトグラフィー(SFC)は移動相に超臨界状態のCO2等を用いる分離分析手法であり、液体クロマトグラフィー(LC)とガスクロマトグラフィー(GC)を補う手法として期待されている。超臨界流体は溶解力を持つため、GCで分離不可能な高沸点物質や熱不安定物質の分離に適用できる。また、超臨界流体の溶解力は温度あるいは圧力によって連続的にかつ広範囲に変化するため、分離条件の設定がLCよりも容易である。

 充填カラムのSFCは、多環芳香族やポリスチレン等の有機化合物の分離に用いられてきたが、脂質などの天然物への適用はまだほとんど行われていないのが現状である。この理由として、まだSFC装置が広く普及するに至っていないこと、従って応用例が少なく、どのような物質に適用できるか、どのような充填剤が使えるのか良く分かっていないことが挙げられる。そこで本研究では、脂質の分離にSFCを適用し、その分離挙動と分離メカニズムを明かにし、さらにSFCに適する充填剤を開発した。

1)SFCの分離メカニズム

 非極性充填剤のオクタデシル基結合(ODS)シリカにおける保持は、移動相の溶質に対する溶解力と相関があり、移動相がCO2、N2Oにかかわらず保持比の対数は溶解度の対数に対して一本の直線となる。この場合SFCは分配クロマトグラフィーに近い分離機構であり、また固定相の特性が移動相に影響されないという仮定が成立している。

 また、SFCおよびLCの溶質保持の理論において、移動相の保持に及ぼす影響には、溶質分子-溶媒分子間相互作用に基づく引力項と溶媒分子-溶媒分子間相互作用に基づく斥力項があり、後者は移動相中に溶質サイズの空間を作るエネルギーに関与している。通常のSFCの圧力条件(圧力30MPa以下)では溶質に対する斥力項は小さくなり、溶質分子-溶媒分子間相互作用の方が支配的となるため、SFCの保持は移動相密度の上昇によって低下する。一方、逆相LCのように移動相に極性液体が用いられる場合、溶媒分子間相互作用が大きいため、移動相中に溶質サイズの空間を作るエネルギーが保持の重要なdriving forceとなる。

 このことは、溶解パラメーターの概念を用いて半定量的に説明できる。溶解パラメーターは、単位体積当たりの凝集エネルギーの平方根として定義されており、溶解パラメーターの大きい物質ほど分子間相互作用が大きいことになる。ステアリン酸メチル(C19H38O2)について、溶解パラメーターとSFC及びLCにおける保持の関係を図1に示す。油脂を対象とするSFC分離の場合、超臨界CO2の溶解パラメーターが油脂の溶解パラメーターよりも小さい範囲で操作される。油脂の凝集エネルギーの方が超臨界流体の凝集エネルギーよりも大きいため、油脂が移動相に解けにくく固定相の方に保持される。移動相密度の増大によって超臨界流体の溶解パラメーターは油脂の溶解パラメーターに近付き、その結果、溶質の溶解度が増大し保持が低下する。一方、逆相LCでは、移動相液体の溶解パラメーターが溶質の溶解パラメーターよりも大きいところで操作される。移動相液体は凝集エネルギーが大きく油脂が溶けにくく、そのため固定相の方に保持される。このようにSFCと逆相LCでは移動相の保持への寄与が異なっている。

図1 SFC及びLCにおけるステアリン酸メチルの保持比k’移動相溶解パラメーターの関係。カラム:MTHV(ODS)、温度:313K(SFC),303K(LC).

 極性充填剤を用いたSFCの保持機構は、非極性充填剤における保持機構とは根本的に異なっており、一種の順相LCと捉えることができる。溶質が溶媒分子と吸着剤活性部をめぐって競合するというモデルを考慮すると、保持に重要となる移動相の特性は溶解力だけではなく、固定相への移動相分子の吸着性が重要になってくる。

2)SFCにおける脂肪酸エステルの分離挙動

 脂肪酸エステルの分離はその炭素数と二重結合数に依存する。極性充填剤のアミノプロピル基結合(NH2)シリカを用いたSFCでは、炭素数が大きく二重結合の多いものほど溶出が遅れる。一方、非極性のODSシリカ充填剤では、炭素数が大きく二重結合の少ないものほど溶出が遅れる。図2に魚油由来の脂肪酸メチルエステルの分離挙動を示す。NH2充填剤では、アミノプロピル基の結合量が大きくなると充填剤の極性が低下し、それと共にエステルの炭素数に対する選択性は増大し、一方二重結合数に対する選択性は減少する。このことから、二重結合数に対する選択性は充填剤の極性に依存し、炭素数に対する選択性はリガンドのプロピル基に由来すると考えられる。

図2 魚油由来の脂肪酸メチルエステルのSFCによる分離(10MPa,313K)。(A)カラム:Inertsil ODS(150×4.6mmI.D.)、移動相:CO2,2.4g/min。(B)カラム:Cosmosil NH2(150×4.6mmI.D.)、移動相:CO2,2.5g/min。

 また、温度313K、圧力10〜30MPaの範囲では、炭素数1個に対する選択性はNH2シリカで1.0〜1.05、ODSシリカで1.15〜1.2である。一方、二重結合1個に対する選択性はNH2シリカで1.2〜1.3、ODS結合シリカで1.15〜1.18である。ODSカラムを固定相、アセトニトリルを移動相とする逆相LCの場合、二重結合数に対する選択性は1.5以上となり、SFCの場合よりも大きくなる。これは、アセトニトリル、メタノール等の極性溶媒はその極性相互作用または水素結合性相互作用のために、二重結合による溶質の僅かな極性の違いを捉え、高い選択性を示すためである。一方、CO2は非極性のため溶質との相互作用は分散力だけであり、溶質の不飽和度の違いに基づく極性の差に対して選択性をほとんど示さない。

3)SFCにおけるトリグリセリドの分離挙動と充填剤の開発

 トリグリセリドは、ODSシリカを充填剤とするクロマトグラフィーで相互分離することが出来る。しかしSFCの場合、移動相の極性が小さいため、充填剤表面に残留するシラノール基の吸着作用が保持に大きく影響し、ピークのテーリング、不溶出が観察されることが多い。そこで、トリグリセリドのシャープな分離が可能な、SFC用ODS充填剤の開発を行った。ODSシランによる反応の後、ゲルをトリメチルクロロシランで処理し、さらに気相のヘキサメチルジシラザンを用い573Kで24時間不活性化処理を行った。こうして得られたODSシリカでは、通常行われている液相での不活性化処理法と比べ飛躍的に吸着性が減少し、SFCにおいてシャープなトリグリセリドのピーク形状が得られた。糸状菌から抽出された油脂の分離例を図3に示す。また、比較のためLCでのクロマトグラムを合わせて図3に示す。

 天然の中性脂質には、構成脂肪酸の異なる多数のトリグリセリドが含まれている。図3で分離されたピークにはさらに分子種の異なるトリグリセリドが含まれており、規則的な溶出が見られる。トリグリセリドの溶出位置を示すため、ECN(equivalent carbon number)を導入した。飽和トリグリセリドのECNはそのアシル基の総炭素数で表され、不飽和トリグリセリドのECNは、その保持の大きさに対応する飽和トリグリセリドの炭素数として定義される。LCによる分離では、ECNが約2の間隔でピークが現れた。これは、糸状菌油脂、植物油脂の構成脂肪酸の多くは偶数の炭素数を持ち、また二重結合1個当たりのECNへの寄与が2に近いためである。SFCによる分離では、ピーク間隔はECNにして0.8〜1.0になる。短い間隔で溶出するのは、二重結合数のECNへの寄与が小さいためである。SFCとLCでは溶出挙動が異なることから、両者を組み合せることによって、トリグリセリドの高度の分子種分析が可能になると期待できる。

図3 糸状菌中性脂質のLC、SFCによる分離。カラム:ITHV(ODS)。LC:移動相acetone/acetonitrile(4:1),1.0mL/min。温度303K,RI検出器。SFC:移動相CO2,1.8g/min。温度313K,圧力25MPa,UV検出器(210nm)。
審査要旨

 超臨界流体クロマトグラフィー(SFC)は移動相に超臨界流体を用いる分難分析手法であり、液体クロマトグラフィー(LC)と比較して迅速な分離が可能であること、脱溶剤が容易であることから天然物中の有用成分の分取法として期待されてきた。しかしながら、SFCの歴史はLCと比べて浅く、天然物への適用はまだほとんど行われていないのが現状である。本研究では脂質を分離対象に取り上げ、SFCの分離メカニズムをLCと対比することによって明確にし、またその知見を基に分離条件の設定基準の確立、充填剤の開発を行うことを目的としており、「超臨界流体クロマトグラフィーによる脂質の分離に関する研究」と題して全7章から成っている。

 まず第1章において、緒論として現在までの天然有機物へのSFCの応用例をまとめ、分離カラム、分離条件、移動相の種類、検出方法および分離の特徴について概説した。さらに、SFCにおける溶質の保持を表す式、順相LC、逆相LCにおいて提出されている保持モデルを紹介している。

 第2章において、菌体油脂の超臨界流体による抽出を行い、脂質の溶解度と流体の種類、温度圧力の関係を調べた。亜酸化窒素、二酸化炭素が脂質に対して高い溶解力を示したが、フロン-23(CHF3)、六フッ化硫黄には油脂はほとんど溶解しない。この結果を溶解パラメーターで整理し、油脂と流体の溶解パラメーターが近い値となる時に溶解度が上昇することを示した。

 第3章では、-カロテンをプローブ分子としてSFCの分離メカニズムについて考察した。非極性充填剤における溶質の保持は、移動相の種類にかかわらず溶質の移動相への溶解度によって相関され、この場合SFCは分配クロマトグラフィーに近い分離機構であることが分かった。一方、極性充填剤を用いた場合、溶質の保持は溶解度だけで整理することは出来ず、移動相分子の固定相への吸着性が保持に大きく影響することが示された。

 第4章では、結合基密度の異なるアミノ基結合シリカゲルを調製し、脂肪酸エステルの分離挙動と充填剤特性の関係を調べた。エステルの分離挙動は、炭素数に対する選択性と不飽和度に対する選択性で表され、充填剤のアミノ基結合密度が大きくなると、前者は増太し、一方後者は減少した。炭素数に対する選択性は移動相の溶解力に依存しており、ヘキサン系混合溶媒を移動相とした場合には、炭素数による分離は困難になった。さらに、多成分のエステル混合物の分離にはSFCの方がLCより適していることを示した。

 第5章では、オクタデシル基結合シリカを充填剤として脂肪酸エステルの分離を行った。溶解パラメーターを導入することでSFCとLCを同一基準で比較することができた。その結果、保持の大きさに重要な影響を及ぼす移動相特性は、SFCでは溶質と移動相分子の間の相互作用であり、逆相LCでは、さらに液体分子同士の相互作用が寄与するようになることが分かった。また、SFCでは逆相LCよりも不飽和度に対する選択性が小さくなる。これは移動相の二酸化炭素分子が非極性なことに由来しており、拡張溶解パラメーターを用いて定量的に説明できることを示した。

 第6章では、オクタデシル基結合シリカゲルを充填剤とするSFCによるトリグリセリドの分離について検討した。充填剤特性として最も重要なことは、シリカ表面の残留シラノール基を少なくすることであった。高温での気相不活性化処理によってシリカ表面は飛躍的に吸着性が減少し、トリグリセリドはテーリングのないピーク形状で溶出した。また、トリグリセリド間の選択性は充填剤の炭素含量、移動相の温度圧力に依存しており、多分子種から成る天然トリグリセリドの分離には、これらの操作条件の設定が重要であることを示した。

 第7章では、本研究全体の総括および今後の展望を記述した。

 以上本論文において、SFCの分離メカニズムの解明を行い、またSFCにおける脂質の分離挙動をLCでの分離挙動と対比するための方法を提案することによって、SFCの分離分析手法としての位置付け明確にした。さらに脂質分離に適した充填剤の特性の解明と開発を行った。以上の成果は、従来SFCで分離を行う際に試行錯誤的に行われていた分離条件の設定、充填剤の選定に対して有益な指針を与えるものであり、分離工学、脂質化学の分野に貢献することが大である。よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50932