学位論文要旨



No 212254
著者(漢字) 水藤,真
著者(英字)
著者(カナ) スイトウ,マコト
標題(和) 絵画・木札・石造物に中世を読む
標題(洋)
報告番号 212254
報告番号 乙12254
学位授与日 1995.04.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第12254号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 青柳,正規
 東京大学 教授 河野,元昭
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 村井,章介
内容要旨

 従来、わが国における歴史研究は、紙に墨で文字を記した古文書・古記録などいわゆる文献史料をもとに行われてきた。文献史料には人間の行動の主体・客体・目的・様態さらにはその年月日が記され、過去の事実を探るうえで極めて有用である。しかし、人間の営みは多様であり、さまざまな行動の痕跡を刻した歴史史料は文献史料以外にも多く残存している。従って、文献史料とともに、絵画・木札・石造物など様々な歴史史料を含めて歴史研究を進めた時、その歴史像は従来にも増してより豊かなものになる。それは新たな中世史料論の模索であり、中世史研究の史料の大幅な拡大をも意味する。

 とはいえ、様々な史料を闇雲に手がけても混乱に陥るのみである。やはり一つ一つの史料群の特性を明らかにして行く必要がある。つまり、絵画・木札・石造物などを対象に、それぞれ、その特性は何か? その調査法は? それによって何が判明するか? などを確認して行くことから始める他ない。

 さて、本論文は以下の四章から構成されている。

 第一章 「洛中洛外図」を読む

 第二章 木札の用例と分類

 第三章 石造遺物と金石文

 第四章 絵図・地図と現地調査

 第一章の「『洛中洛外図』を読む」は、第一節「『洛中洛外図』のおもしろさ-町田本・上杉本の画面-」、第二節「『洛中洛外図』の成立と描写の意図」、第三節「『殿』と『様』-『洛中洛外図』の書き込みから-」の三節から成る。

 「洛中洛外図」は言うまでもなく、中世末の京都の様子を俯瞰的に描いた絵画である。一見して、そこには京都の市中や郊外の様子が描かれていることが判る。当然、誰が・何時・何のために描いたのか? 描かれた風景や事象は正確であるか否か? などが問題となる。これらの疑問に答えるべく、三節にわたって考察を展開した。第一節では、描かれた内容を分析する。例えば上杉本洛中洛外図には、約二五〇〇人の人物と一三〇〇棟の建物が描かれている。それは全体としては公家よりも武家、神社よりも寺院、農民よりも町人に主眼をおいた絵画で、当時=戦国時代の京都の様子を正確かつ詳細に描いたものであった。第二節では、同じ絵画史料である名所絵・四季絵・年中行事絵・職人絵など、さらには絵図・地図などとの比較検討を行う。その結果は、それが水墨画の風景画の延長上にあるのではないかと推論されること、併せて戦国社会の欲求を考察して、その描写の目的が「トータルな京都像」を描くことにあったと認められた。第三節では、「洛中洛外図」の書き込みに注目して、それが戦国時代の武家の用語と一致することから、描かれた年代は戦国時代、製作の依頼者は戦国大名であったとほぼ確定した。こうして、三節を通じて明らかになった、誰が・何時・何のために描いたのか?を論証して、次に、描かれた風景や事象は正確であるか否かの検討にはいる。ここでは、同時代史料との突き合わせを行い、種々の情景が全体に極めて正確であることを確認した。とすれば、今後、文献史料では明らかにならない事象の具体的な様子をこの図によって確認することが可能となり、また文献史料からは知ることができないことで、この絵画にのみ描かれた事象の解析がたいへん興味深いものになってくる、というのが当面の結論である。

 第二章の「木札の用例と分類」は、昨今しばしば各地の遺跡から発見される中世木簡を含めて、木札の在り方に分析を加えたものである。第一節「木に墨書すること-中世木簡の用例-」、第二節「札を打つ-掲示された木札の分類と機能-」、第三節「若狭小浜の寄進札」の三節から成る。第一節は、木札という史料群の広がりを確認することを目的に様々な文献史料から、可能な限りその用例を拾ったもので、この作業によって、中世の木札の特性と全体の把握が可能となった。即ち、木札は、持ち運びに便利であること、風雨に曝されてもなお、その意思を伝達し得ること、書き直しが出来ることなどの様々な特性がある。また、大小を始めとした外形、宛名の有無、移動する木札と移動しないもの、また紙との親疎など、様々な規準による分類の見通しができた。第二節は、表題の様に「掲示された木札の分類と機能」を考察したものである。それは領主支配の根幹に関わることが、衆知のためわざわざ掲示されたものである。それには衆知の度合いの広いもの・狭いもの、罰則規定をもつもの・もたないものなどがある。また木札の内容は紙の文書と同じようには相手方に伝わらない、それは伝わった筈だと認識される点が重要であった。そのために掲示されたのである。第三節は、具体的な一群の木札、即ち「若狭小浜の寄進札」を素材に紙と木の機能の違いを認めたものである。即ち、紙でなく木に記されたのはそれだけの意味があった、と。この場合は、たまたま若狭の四ヵ寺に残る寄進札を素材に考察したが、そこからは、この地域における信仰の在り方も垣間みることができた。

 第三章の「石造遺物と金石文」は、第一節「一乗谷の石塔・石仏」、第二節「備後国太田荘の石造物と現地調査」、第三節「金石文の史料的価値と調査法」から成る。

 第一節は、戦国大名越前朝倉氏の居城・城下の一乗谷に展開する石造遺物=石塔・石仏の調査報告である。個々のものの調査もさることながら、造立そのものが朝倉氏の領国支配の進展に対応していること、あるいは、その宗教政策の反映ではないかとしたことなど、遺物の残存自体が歴史的産物である点を明らかにした。第二節は、備後国太田荘の石造物の分布を追跡したものである。石造物の造立・設置は明らかに土地利用の一部である。つまり、そこを墓所として利用しているのである。その結果、中世の農民(名主)の屋敷・耕地・墓地が一体のものとして存在することが判った。また具体的な調査報告であるこの中で、石造物の調査・利用の史料批判も考察した。第三節は、金石文全体の分類を試みつつ、具体的には上野国新田荘の石造物を取り上げて、それが荘園研究に一定の寄与をなし得ることを認め、次にその具体的調査法を説いたものである。

 第四章の「絵図・地図と現地調査」は、第一節「村や町を囲うこと-中世における都市の発生・発達を考える-」、第二節「荘園絵図を読む-絵図は何を描こうとしたか-」、第三節「歴史的景観の復原」、第四節「もうこの瀬-中世都市-乗谷の伝承-」の四節から成る。

 第一節は、主に中世の在地領主の館を扱ったもので、その集落との関係における存在形態を考察した。その結果、館が、村とは無関係に存在するものと、一体化して存在するものの両様を認めた。また、その中間に様々な形態のあることを確認した。こうした館と村との存在の仕方は、それが村から町へと発展する姿の各々の断面であることが判明した。それは土地に刻まれた歴史そのものであった。第二節は、こうした中世村落の景観・立地を描いた荘園絵図を分析したものである。荘園絵図には、自然景観・人為的景観・概念的景観の十五項目にわたる共通の描写・記載項目がある。その一方で個々の荘園絵図はそれぞれの荘園に固有の個性的な側面をもっている。広く中世社会全体に共通した側面と個性的な側面の両方の性格をもつ一枚の荘園絵図からは、村落景観の一端を知ることができる。第三節の「歴史的景観の復原」は、素材は空間であって、当然、文献史料ではない。その調査・研究の成果の発表も論文のみではなく、映像・模型など多様な手段のあることを問題提起している。歴史研究の素材が、文献史料のみでなく、様々な史料をもとに行われるようになった今日、発表方法も論文一つに限るものではないことを論じた。第四節は、「もう、一つこの瀬を越えて対岸に渡ったならば、世俗の権力の追求から逃れ得る」という治外法権・アジールに関わる伝承を取り上げたものである。文字史料は文献史学者の守備範囲、伝承は民俗学者の守備範囲などとは言っておられない。伝承の消滅のスピードは早い。かつ、この伝承は文献にはよっては知ることができなかった。素材は何であれ、積極的に収集・活用が望まれる。その具体例を提示したものである。

 さて、こうして見るといかにも個々の素材をアットランダムに、たまたま考察したかに見えるかも知れないが、そうではない。

 洛中洛外図には、通りの出入口に木戸が描かれている。また、郊外の集落は村全体を堀や塀などで囲っていた。まさに村や町は囲われていたのである。村の生活は全てが自給自足という訳ではなかった。不足の物は遠隔地から運びこまれた。この際、送られた物資には荷札が括りつけられていた。また、村落生活の平和の維持のためには、掟が定められた。それは高札に記され掲示されたのである。年々歳々、赤子が生まれ、老人は亡くなっていった。故人は墓に葬られた。太田荘の各地に残存する石塔は、これに他ならない。これら人々は荘園という名の村々に居住していた。その世界は荘園絵図に描かれていた。一見、個々の、相互に関連を持たないかに見える、それぞれの史料群はすべて、村や町の生活の一断面を記した歴史史料なのである。これら史料群の総合的な理解こそは、中世社会の総体の把握に是非必要なのである。本稿はそのための、新たな中世史料論の模索である。

審査要旨

 中世日本史の研究はこれまで文献史料を中心にしてなされてきたが、本論文は文献史料以外の絵画や木札・石造物を利用していかに歴史研究を行うべきかを探ったものである。

 全体は「中世史料論の模索」と題する序論に続いて、四部から構成されており、第一部では「『洛中洛外図』を読む」と題して絵画関係の三つの論文を収録する。第二部では「木札の用例と分類」と題して、木札を扱った三つの論文を収めている。第三部では「石造遺物と金石文」と題して三つの論文を収録している。そして最後の四部は「絵図・地図と現地調査」と題して、絵図や地図の活用法について考える四つの論文を収録している。

 本書を貫く関心は野や建物の片隅に埋もれ、光りのあたらなかった文献以外の史料をいかに歴史研究にとりこんでゆくのか、そしてその調査はいかにあるべきか、という点にある。歴史研究において文献以外を利用することは最近では増えてきたが、まだ緒についたばかりであるだけに、今、最も求められている研究といえる。

 次に本論文の概略を紹介すると、最初の序論は、文献史料以外の史料の特質、「もの」史料が語る歴史の豊かさを説く。

 第一部の「『洛中洛外図』を読む」は、中世末に盛んに作成されるようになった『洛中洛外図』を取り扱って、そこからいかに歴史を読み取るかを考える。1「『洛中洛外図』のおもしろさ」は、図に描かれている人と建物に注目して、町田本と上杉本を比較し、上杉本が公家よりも武家に、神社よりも寺院に、農民よりも町民に比重をおいて描いており、戦国時代の京都という都市を正確に描いていることを指摘し、史料としての有効性を明らかにする。

 2「『洛中洛外図』の成立と描写の意図」は『洛中洛外図」成立の前提となる絵画を検討して、それが水墨画や風景画の延長上にあることを推測し、さらにトータルな都市図を表現しようという側面があったことを明らかにしている。3「「殿」と「様」」は上杉本に書き込まれている「殿」と「様」という表現を手掛かりにして、それが戦国時代の武家の用語に一致することから、戦国大名からの依頼により書かれたものであるとの指摘を確認する。

 こうして『洛中洛外図』に描かれた「もの」と、書き込まれた「ことば」とに注目して、その相互関係から図のトータルな意識と背後関係を明らかにしたのが第一部の大きな成果である。

 第二部の「木札の用例と分類」は様々な木札の史料論を展開する。1「木に墨書すること」は中世社会に見られる木札を収集・分類して、木札の特徴を指摘した基本的な作業である。古代史研究に遅れをとっていた中世木簡学研究の今後の進展の礎となるものである。2「札を打つ」は掲示された札にはどのような意味と用途があったのかを播磨国の荘園と奈良での事例を通じて探り、紙の文書とは違った機能を有していたことを指摘する。3「若狭小浜の寄進札」は若狭小浜の諸寺院で顕著に見られる寄進関係の木札を具体的に分析して、紙の寄進状との違いを一回限りの寄進という点に認めて、そこに民衆の信仰の在り方を指摘する。

 このような木札の分類と整理、分析法はこれまでの中世史研究ではあまり手がついていなかった分野であり、そこに鍬を入れ、分析の指針を示したことは、本論文が学界に寄与した最も大きな点であろう。

 第三部の「石造遺物と金石文」は、多様な石造遺物の調査と分類・整理・分析に関するものである。1「一乗谷の石塔・石仏」は、越前国の朝倉氏が本拠地としていた一乗谷に遺されている石塔や石仏の調査の報告であり、これらの造立に朝倉氏の領国支配が深く関わっており、その宗教政策にともなうものであることを指摘する。一乗谷を長年にわたって調査してきた著者の非文献史料学の出発点になったものである。2「備後国の太田荘の石造物と現地調査」は備後国の荘園に広く分布している石造物を調査してその立地条件を探り、中世農民の存在形態に迫ったものである。3「金石文の史料的価値と調査法」は上野国の新田荘を事例に、金石文の史料批判を試みつつ、荘園研究上でのその調査の意義を説いている。

 石造遺物の研究はこれまでにも深められてきていた分野であるが、その調査のレベルから、大名支配や荘園研究にいかに史料として役立つものかを具体的に示した点で注目される。

 第四部の「絵図・地図と現地調査」は、これまでに見てきた史料以外の非文献史料を扱って、その分析法を考える。1「村や町を囲うこと」は中世の在地領主の館を扱って、その館と村との関係を探り、村から町への展開の方向を見通す。2「荘園絵図を読む」は中世村落を描いた荘園絵図から、そこに描かれた「もの」を分類・整理して、絵図の特質を明らかにするとともに、中世村落がどう描かれているかを探っている。3「歴史的景観の復原」は広く行われている歴史的景観の復原の方法と問題点を指摘したもの。4「もうこの瀬」は、「もう一つ、この瀬を渡ったならば世俗の権力の追及から逃れることができる」というアジールに関しての伝承を探って、伝承が歴史研究にどう扱われるべきかを探っている。

 これらの論考はこれまで正面から分析されることのなかった史料に光をあてたことや、その分析方法や史料が内蔵する問題点を明らかにしたことで重要な成果をあげたものである。

 こうして本論文は広く非文献史料を取り扱って、その調査・分類・整理がいかになされるべきかを示したこと、さらにその調査された史料をいかに歴史研究において役立てるべきかを具体的に提示したことなどにおいて、大きな成果を残した。著者がこれまで広く現地調査や史料展示に関わってきたことがこうした業績を成し得たものといえよう。本論文を得て、中世史研究は非文献史料を積極的に扱う基礎が与えられたのである。

 しかし問題がないわけではない。多くの論文が具体的な調査研究から出発しているために、個々の論点は深められているが、体系的にそれらを深める作業がやや不足していること、文献史料への積極的な言及が少ないので、二つの史料の相互関係を通じて提示される歴史像が明確でないことなどの問題点は残されている。しかしそれらは今後の研究で補われるものであろう。

 かくして本論文は、中世史研究に不可欠な非文献史料についての今後の研究の基礎を築き、新たな非文献史料学への重要な一石を投じた点において、博士(文学)論文として妥当であると判断するものである。

UTokyo Repositoryリンク