学位論文要旨



No 212255
著者(漢字) 平藤,雅之
著者(英字)
著者(カナ) ヒラフジ,マサユキ
標題(和) 植物生長のモデリングに関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 212255
報告番号 乙12255
学位授与日 1995.04.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12255号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高倉,直
 東京大学 教授 瀬尾,康久
 東京大学 教授 石井,龍一
 東京大学 助教授 藏田,憲次
 東京大学 助教授 大下,誠一
内容要旨

 植物は,器官-組織-細胞の各階層における多数の非線形要素が結合した複雑なシステム(複雑系)である.環境変化に対して受動的あるいは適応的に応答しながら生長するため,形態や器官の大きさの変化するパターンは非常に複雑である.

 本研究では植物の生長を幾何学的構造と大きさの時間的変化として捉え,主に器官のレベルでモデル化する方法について考えた.このモデルをコンピュータプログラムで表現しようとすると,プログラムの大規模化が避けられない.そこで,形態モデルについては大規模プログラミングの観点からモデリング手法を開発しまた器官の量的変化はニューラルネットに似た方法でモデル化した.同時に,環境変化に対して植物がどのように応答しているのかを実験的に解析した.

 植物生長の形態変化のモデルリングでは.形態の構造をLシステムで表した.環境条件などによって形態変化のパターンは異なるため,Lシステムのルールは複数用意し,このルールの選択をメタルール(ルールのルール)で決定するようにした.環境や播種時期などにの影響には複雑な非線形関係があるため,ニューラルネットで表すのが便利である.しかし,複雑なメタルールを単一のニューラルネットで表すとニューラルネットが大規模となり,学習には大量のデータが必要となるという問題がある.通常,入手可能なデータは,測定項目が異なっていたり,欠測や測定誤差などによるあいまい性が伴ったものが多い.また,メタルールには論理的関係を記述する知識も含まれている.そこで,メタルールを内部の論理的関係を元に分割し,それぞれを比較的小規模なニューラルネット・モジュール(サブネット)で表現するようにした.サブネットの学習は,データのあいまい性に応じて打ち切り誤差を変化させ,確かなデータほど深く学習させるようにした.

 サブネットが増えてくると,サブネットの追加や削除,サブネット間の接続などが煩雑になる.そのため,これらを簡単に行うためのツールを開発した.このツールは,サブネットの入出力ユニットに名称(タグネーム)を付けて,サブネットを一つのデータベースとして管理する.そして,タグネームが一致するユニット間を自動的に接続し,大規模なニューラルネットを作る.この方法により,どのような情報でもサブネットに変換することで,メタルールに簡単に組み込むことができるようになった.

 以上の方法を用いて,文献から得たデータや経験的知識を組み合わせてダイズの形態モデルを作ったところ,非常に容易に作成することができた.

 生長における各器官の重量(大きさ)の変化パターンは非常に複雑である.ところが,変数が3つ以上ある非線形系は非常に複雑な運動をすることが知られており,植物の生長においては複数の器官の間の干渉によってこの複雑さが生み出されている可能性がある.その場合,この複雑な変化は単純な数学モデルで記述できる.そこで,多数の器官が相互に干渉しながら生長する過程をLotka-Volterra方程式を用いてモデル化した(以下,これをLVモデルと呼ぶ.).特定の条件でLVモデルを積分して得た代数方程式のモデルは,単純な入出力関数で表現された器官をユニットとするネットワーク(以下,器官ネットワーク)で表現できる.このモデルを少ない計算量で近似的に解くアルゴリズムと器官ネットワークに含まれる未知パラメータを最小2乗推定するアルゴリズムを開発した.この方法を用いて構築した4種の器官からなるタイズの器官ネットワーク・モデルは,3カ所の地域で4年間にわたって観測された70種の生長パターンをほぼ正確に表現することができた.また,観測データから同定されたこのモデルの器官間の干渉を表すパラメータは,器官の間のソースーシンク関係に対応していた.これらの結果から,LVモデル及び器官ネットワーク・モデルの方法は妥当であると考えられた.

 隠れユニット(自由に変化するユニット)を持つ器官ネットワークは特殊なケースとしてニューラルネット(Backpropagation Modelなど)を包含している.また隠れユニットを持つLVモデルも,任意の連続関数を近似する能力を有しており非線形系一般のモデルとして利用できる.しかも,LVモデルはニューラルネットよりも簡単な電子回路で構成することができるという特徴を持つ.そこで,高速に計算を行うハードウェアを設計した.

 植物生長の複雑さに関するデータを集めるため,光合成速度,及び生長速度の環境変化に対する応答を計測する実験を行った.

 最初の実験では,一個体の植物を使って,気温,相対湿度,CO2濃度,気圧を変化させた.この実験では,一定の時間内でできるだけ多くのサンプルを得るため,環境条件が安定したらすぐに次の実験を行うようにした.得られた光合成速度及び生長速度の応答は非常に複雑であった.この複雑さが生じた理由としては,植物そのものの複雑さ,あるいはカオスのいずれかが考えられた.そこで,この不規則な変化がカオスであるかどうかを複数の方法に基づいて解析したところ,カオスであると判定された.

 さらに,光合成速度については,非線形モデル(ニューラルネットを使用)による予測結果と線形モデル(重回帰モデルを使用)の予測結果を比較し,カオス性の検証とモデルによる予測可能性の検討を行った.使用したモデルは,現時点の環境条件と1ステップ前の光合成速度から現時点の光合成速度を予測する線形モデルと非線形モデル,現在の環境条件だけから光合成速度を予測する線形モデルと非線形モデルの4種である.未知のデータに対し正しく予測できたのは,現時点の環境条件と1ステップ前の光合成速度から現時点の光合成速度を予測する非線形モデルだけであった.この結果から,光合成速度の複雑な変化は,光合成系の履歴依存性と非線形性によって生み出されたカオスであると考えられた.

 以上の実験では,光合成速度のカオス性を全く予期せずに行ったため,実験条件が非常に複雑なものとなっていた.そこで,実験条件を単純にした3種の実験を行い,カオス性の検証と発生条件を調べた.最初の実験(1)では,気温(5時間周期),相対湿度(20時間周期),CO2濃度(80時間周期)を階段状に変化させた.また,実験(2)では,実験(1)の環境変化の周期を1/2にした実験を行い,実験(3)では実験(2)と同じ周期で温度だけを変化させた.いずれの実験でも,光合成の応答にはカオスが観測された.それぞれの実験で観測された光合成速度の相関次元は,2.7±0.9,1.7±0.4,1.5±0.5であった.自然条件では,これらの実験よりも,はるかに環境変化が複雑であるため,光合成速度は,常時,カオスになっていると推測される.

 興味深いことに,ゆっくり環境条件を変化させた実験(1)よりも,環境条件の変化が早い実験(2),(3)で観測された光合成速度の方が低次元のカオスとなり,予測しやすいことが分かった.複雑なカオスが観測された実験(1)のモデルの予測精度が悪いのは,ニューラルネットの過剰学習によるオーバフィッティングの影響と考えられた.カオス系のモデルは,推定誤差が時間とともに指数関数的に増大するため,最小2乗法によるシステム同定では時間間隔が離れたデータほどオーバーフィッティングになりやすい.そこで,データのサンプリング間隔に応じて誤差に重み付けする誤差評価法を提案した.

 生物の細胞,組織,器官,個体,生態系の各階層は相互に影響を与えているが,各階層ではそれぞれの階層においてカオスが発生していると考えられる.他の階層からの影響は急速に増大するため,生物系は各階層で秩序を保ちながら上下の階層の変動の影響を増幅して伝達するシステムになっている.LVモデルの汎用性を用いると各階層をすべてLVモデルで表現することができ,生物系全体は一つのLVモデルで表現することができる.

 しかし,細胞よりも小さなスケールでは,DNAやタンパク質などの巨大分子系(以下,量子系)における量子論的な相互作用が主要な役割を果たしている.上の階層がカオス的変化をしていると量子系の量子ゆらぎは増幅され,最終的にはマクロ的な変化になると考えられる.また,マクロ系から量子系への影響も存在すると考えられ,これがDNAの配列などの巨大分子の変化を引き起こすと,再びマクロ系の変化になる.

 この変化を,ポテンシャルエネルギーが量子系の状態に依存するシュレディンガー方程式で表したモデルを提案した.このモデルでは巨大分子系とマクロ系の相互作用による大域最適解の探索が可能であり,これは定向性突然変異(Directed Mutation)の一つのモデルになると考えられる.また,この大域最適化機能の有無によって,生物現象と非生物現象を区別することを提案した.

審査要旨

 植物は,器官-組織-細胞の各階層における多数の非線形要素が結合した複雑なシステムと考えられ,環境変化に対して受動的あるいは適応的に応答しながら生長するため,形態や器官の大きさの変化するパターンは非常に複雑である。

 本研究では,まず植物生長の形態構造をLシステムで表現した。環境条件などによって形態変化のパターンは異なるため,Lシステムのルールを複数用意し,このルールの選択をメタルールで決定した。環境や播種時期などによる影響には複雑な非線形関係があるため,ニューラルネットで表した。メタルールを内部の論理的関係を元に分割し,それぞれを比較的小規模なニューラルネット・モジュール(サブネット)で表現した。これにより,サブネットの追加や削除,接続が簡単になり,どのような複雑な情報でもメタルールに簡単に組み込むことが可能となった。

 以上の方法を用いて、文献から得たデータや経験的知識を組み合わせてダイズの形態モデルを作ったところ,非常に容易に作成することができた。

 生長における各器官が相互に干渉しながら生長する過程をLotka-Volterra方程式を用いてモデル化した。その結果,単純な入出力関数で表現されたユニットのネットワークで表現できた。またこのモデルを少ない計算量で近似的に解くアルゴリズムと器官ネットワークに含まれる未知パラメータを最小2乗法で推定するアルゴリズムを開発した。この方法を用いて構築した4種の器官からなるタイズの器官ネットワーク・モデルは,3ヵ所の地域で4年間にわたって観測された70種の生長パターンをほぼ正確に表現することができた。また,観測データから同定されたこのモデルの器官間の干渉を表すパラメータは,器官の間のソースーシンク関係に対応していた。

 植物生長の複雑さに関するデータを集めるため,光合成速度,及び生長速度の環境変化に対する応答を計測する実験を行った。植物を使って,気温,相対湿度,CO2濃度,気圧を変化させた。この実験をもとに,不規則な変化がカオスであるかどうかを複数の方法に基づいて解析したところ,カオスであると判定された。

 さらに,光合成速度については,非線形モデル(ニューラルネットを使用)による予測結果と線形モデル(重回帰モデルを使用)の予測結果を比較し,カオス性の検証とモデルによる予測可能性の検討を行った。未知のデータに対し正しく予測できたのは,現時点の環境条件と1ステップ前の光合成速度から現時点の光合成速度を予測する非線形モデルであった。この結果から,光合成速度の複雑な変化(ゆらぎ)は,光合成系の履歴依存性と非線形性によって生み出されたカオスであると考えられた。

 次に,カオス性の検証と発生条件を調べた。実験(1)では,気温(5時間周期),相対湿度(20時間周期),CO2濃度(80時間周期)を階段状に変化させた。また,実験(2)では,実験(1)の間期を1/2にした実験を行い,実験(3)では(2)と同じ周期で温度だけを変化させた。いずれの実験でも,光合成の応答にはカオスが観測された。自然条件では,これらの実験よりも,はるかに環境変化が複雑であるため,光合成速度のゆらぎは,常時,カオスになっていると推測される。

 以上,要するに,本論文はコンピュータモデル及び実験により,植物の複雑な成長過程におけるゆらぎのカオス性を解析し明らかにしたもので,学術上応用上貢献するところが極めて大きい。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として十分な価値を有するものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50933