学位論文要旨



No 212256
著者(漢字) 平泉,光一
著者(英字)
著者(カナ) ヒライズミ,コウイチ
標題(和) 圃場条件が水田農業の生産性に及ぼす影響に関する実証的研究
標題(洋)
報告番号 212256
報告番号 乙12256
学位授与日 1995.04.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12256号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 和田,照男
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 藤田,夏樹
 東京大学 助教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 八木,宏典
内容要旨

 農地の零細圃場分散が我が国の農業の生産性向上の桎桔になっていることはこれまでたびたび指摘されてきた。たとえば、水稲作において、たかだか10haにも達しないうちにコスト低減の限界を迎えてしまうような現象が指摘されているが、農地の零細圃場分散はその原因の一つと目されてきた。しかしながら、農地の零細圃場分散がどの程度、また、どのように生産性を制約しているかについては、実証的な調査研究はごく少数にとどまっている。零細圃場分散が農業経営の私経済的な発展にとってどの程度深刻な問題であるか、どういう段階・局面で問題となるか、零細圃場分散の克服形態としての「農場制農業」の意義はなにかといった諸点に正当な評価・位置付けを与えるためには、そうした実証的な調査研究の間隙を埋めていかなければならない。本研究は、1990年代における稲作を中心とした日本の水田農業について、農業経営が直面する圃場条件が生産性に及ぼす影響を生産技術構造との関連をふまえて実証的に追求した。

 本論文の本論は3つの章から構成されている。第1章「圃場条件と作業能率」および第2章「圃場条件と作物単収」では、労働生産性および土地生産性に関する技術的効率性としての作業能率ならびに単収に対して、区画面積、通作距離といった圃場条件が及ぼす影響を分析した。第3章「圃場条件と生産原価」では、前2章の結果をふまえて、圃場条件を総合的に規定する圃場整備水準が経済的効率性の指標としての単位生産物当たりの生産原価に及ぼす影響を分析した。

 第1章では、零細圃場分散によって水田機械化作業の作業能率はどれだけ低下するかという問題を取り上げ、今世紀初頭のテーラーの「科学的管理法」以来発展をとげている作業研究の手法を導入し、技術的なレベルでの生産性としての作業能率に着目して、生産管理論的立場から特定の圃場条件(区画面積・形状、圃場配置)が機械化作業の効率に及ぼす影響の分析をおこなった。具体的には、第1節では、実際の圃場作業の観察と測定に基づいて畦沿いの低速化を考慮した圃場内作業時間の推定式を改良し、トラクタによるロータリ耕について区画面積と長短辺比の差異が圃場作業量に及ぼす影響を機械のサイズ別に試算・推定した。第2節では、コンバインによる収穫作業について、作業能率に対する区画面積および圃場配置(近接した圃場群である団地までの移動時間と団地内の移動時間により表現される)の影響を解析した。OR手法を導入してコンバインによる収穫作業について圃場の分散程度に応じた所要時間の推定式を新たに考案し、籾運搬での手待ち時間を考慮することによって圃場の分散程度の増大が比例的に作業時間を増加させるよりも一層時間を増加させる現象を再現した。第2節では、さらに、現時点の機械化段階での機械化作業の効率に対する圃場条件の規定性の評価も行った。近年、水田用機械の大型化が進んでいるが、同一の圃場分散の条件では、小型(低速)機械より大型(高速)機械の方が機械が本来発揮できる能力に対して非効率になり、大規模経営の方がより不利になる状況を解明した。近年土地利用型の水田農業において乗用機械化が進行したことにより、農業機械の高速化・大型化が可能となった現在の状況では、以前の機械段階に対応した現状の土地基盤の陳腐化がすでに始まっていることを指摘した。

 第2章では、零細圃場分散によって水稲収量はどれだけ、またどのようなメカニズムで低下するかという問題を取り上げ、特定の圃場条件(距離、団地数、圃場枚数、これらの組み合わせ)が水稲単収に及ぼす影響の分析を行った。具体的には、第1節では、農家のおかれた自然的・経済的立地条件の地域差を捨象するために、気候条件や土壌条件が近い同一地区内で規模階層別無作為抽出によって選定した栃木県宇都宮市内の水稲作付農家86戸を対象にした調査の結果を用いて、圃場の分散程度が相対的に大きな農家群と小さな農家群の水稲単収を比較した。比較にあたっては、できる限り圃場分散だけの影響を取り出せるように、農家間の土地の質の差を圃場整備の有無のかたちで考慮して単収を補正し、さらに、規模別単収格差の消失点に達した作付面積の農家を比較対象とした(品種構成の違いによる単収格差を捨象するために作付けの多い1品種のみの分離も行っている)。これより、両農家群の単収差は30〜40kg水準であること、かかる現象が相対的な上層農に限って起きること、その上層がたかだか4ha以上層にすぎないこと、圃場分散が追肥回数を低下させ粗放化を伴うこと等が判明した。この単収低下は、土地の受容力の低下に基づく技術的な効率の低下と考えられた。明らかに大規模借地経営では、地代負担力の点で実際の営農上問題視される大きさであって、それゆえに、圃場分散のダメージを小さくするような生産管理のプライオリティの高さが示唆された。第2節では、既存の全国的農家調査の個票を用いて零細圃場分散による集約度低下現象を技術構造の側面から検討を加えた。仮説としては、圃場の分散化にようて圃場で行うどの作業も必要労働時間が増加するが、一方で定型的な機械作業では実際の支出時間の増加に直結するのに対して、他方で非定型的な肥培管理作業では実際の支出時間に直結するとは限らず、栽培技術のありかたや肥培管理の技能をもつ労働力の事情から、実際の実質的な支出時間は減少してしまうことを想定した。観察データでは、機械化作業と肥培管理作業を比較すれば、圃場分散が進むほど、機械化作業(コンバイン収穫)では作業時間が着実に増加するのに対して、肥培管理作業(追肥)では実質的に減少傾向であった。稲作の機械化作業と肥培管理作業とでは、圃場の分散化に対して、投下時間に関して逆行する傾向の存在を確認した。

 第3章では、圃場整備による土地基盤条件の違いが稲作における規模の経済の発現をどのようにどれだけ規定しているかという問題を取り上げ、稲作経営にとって土地基盤条件(区画面積・距離・排水性等の総合的な圃場条件)が米の生産原価に及ぼす影響を分析した。具体的には、圃場整備水準において両極端な状況におかれた、相対的にみて経営規模の大きな2つの水田作経営を対象にケース・スタディを行った。第1節では、千葉県における整備不良水田(明治時代の旧整備地区)で零細圃場分散に直面している8ha規模の家族経営の稲作の技術構造と生産費を調査し、旧式の土地基盤条件により規模の経済性が「萎縮」している実態を解明した。土地基盤条件が小区画(10a程度)で地耐力がないと、規模拡大しても能率的な乗用機械への採用に障害があった。また、老朽化した水田の豊度が耕作者の管理水準で異なっており、自作地の単収水準と借地の単収水準との大きな格差があって、借地を拡大すると単収が低下する傾向がみられた。旧整備田では、借地で規模拡大にしても経済的メリットが小さく、むしろ、稲作専業下限規模よりはるか手前の5ha未満で緩やかながら規模の不経済さえ発生しているとみなされた。整備不良水田では大規模借地経営の成立は土地基盤条件から強く制約を受けている実態が判明した。第2節では、滋賀県において大区画圃場整備事業を実施した地区で団地的土地利用を行っている協業方式の地域営農集団(集落農場)の稲作における生産費を要因分解し、大区画化・団地化による生産費の削減効果の発現形態とその大きさを解明した。事例としたのは、1ha程度の大区画水田をもつ協業形態の集落農場である。この農場は、ほぼ完全な連担団地化を達成して93年現在で約60ha規模の水稲作を営農しており、移植栽培で16.5時間、直播栽培で11.5時間という省力的な農業を実現している。注目すべきは、圃場条件の改善により、機械化作業だけでなく、水管理等の肥培管理作業の省力化もみられたことである。水田の大区画化・団地化による圃場条件の改善によるコスト低減効果は10%程度(うち労働費分が約6%、農機具費分が約4%)とみこまれた。10a当たり費用合計では、約1万円削減に相当する。調査事例では、機械装備や労働力編成をみなおせば、圃場条件の改善によるコスト削減はさらに大きくできるはずである。以上の2事例の分析から、総合的に圃場条件を変更する圃場整備の水準は、稲作における規模の経済の発現を決定的に規定しており、前節の事例の10a区画の老朽化した旧整備田では作付面積が5haも達しないうちにコスト低減は限界になってしまうのに対して、標準1ha区画の圃場整備がなされてほぼ完全な連担団地化が実現している場合は、1経営体で60haもの作付け規模に達してもなおコストは低減し続けている。前者の家族経営と後者の協業形態の地域営農集団では労働編成等が異なるにせよ、区画面積・圃場配置・排水性等に関する圃場条件の改善が規模の経済を促進して大規模経営の成立を容易にすることは明らかである。

 以上、零細圃場分散は労働生産性だけでなく土地生産性にも技術的な非効率性をもたらして「規模の経済のぐずつき」の有力な原因になりうることを確認し、さらに、零細圃場分散の克服等の圃場条件の改善が規模の経済を促進して経営規模の外延的拡大による経営成長の展望を拓くことを実証した。「規模の経済のぐずつき」はまさしく上層農の相対的有利性の消滅による農業経営の上向発展の抑制要因である。したがって、本研究は、生産力視点から、現段階における生産技術の発展段階において、農業経営が有する土地資源の「質」が農業生産構造における農民層の分化・分解を制限する構造の存在を明示的に立証したといえる。

審査要旨

 農地の零細分散が、わが国農業の生産性向上の桎桔になっていることはこれまでたびたび指摘されてきた。たとえば、水稲作において、わずか経営面積が10haにも達しないうちにコスト低減の限界を迎えてしまうような現象が指摘されているが、農地の零細分散はその1つの原因とされてきた。しかしながら、農地の零細分散がどの程度の量で、また、どのように生産性を制約しているかについての実証的な調査研究報告は、これまでごく小数にとどまっている。零細圃場分散が農業経営の私経済的な発展にとってどの程度問題になるのか、どういう局面で問題となるのか、零細圃場分散の克服形態としての「農場制農業」の意義は何かといった諸点に正当な評価・位置づけを与えるためには、そうした実証的な調査研究の積み重ねが必要とされる。本論文は、このような問題意識のもとに、圃場条件が生産性に及ぼす影響を生産技術構造との関連をふまえて実証的に解明したものである。

 第1章では、零細圃場分散によって水田機械化作業の作業能率がどれだけ低下するかという問題を取り上げ、テーラーの「科学的管理法」以来発展をとげてきた作業研究の手法を導入し、技術的なレベルでの生産性としての作業能率に着目して、特定の圃場条件(区画面積、形状、圃場配置)が機械化作業の効率に及ぼす影響の分析を行った。

 まず、実際の圃場作業の観察と測定に基づいて畦沿いの低速化を考慮した圃場内作業時間の推定式を改良し、トラクタによるロータリ耕について、区画面積と長短辺比の差異が圃場作業量に及ぼす影響を、機械のサイズ別に試算・推定した。また、コンバインによる収穫作業について、作業能率に対する区画面積および圃場配置の影響を解析し、同一の圃場分散の条件では、小型(低速)機械より大型(高速)機械の方が本来発揮できる能力に対して非効率になり、大規模経営の方がより不利になる状況を明らかにした。そして農業機械の高速化・大型化が可能となった現在の状況では、以前の機械化段階に対応した現状の土地基盤の陳腐化がすでに始まっていることを指摘した。

 第2章では、零細圃場分散によって水稲収量がどれだけ、またどのようなメカニズムで低下するかという問題を取り上げ、特定の圃場条件(距離、団地数、圃場枚数、これらの組み合わせ)が水稲単収に及ぼす影響の分析を行った。まず、気候条件や土壌条件が近い水稲作付農家86戸を対象に、圃場の分散程度が相対的に大きな農家群と小さな農家群における水稲単収を比較した。これにより、単収低下が相対的に上層な農家に限って起きること、その上層がわずか4ha以上層にすぎないこと、そして圃場分散が追肥回数を低下させ、栽培技術の粗放化を伴うこと等を明らかにした。

 次に、全国規模で実施された農家調査の個票を用いて、零細圃場分散による集約度低下を技術構造の側面から検討した。この結果、圃場分散が進むほど、機械化作業(コンバイン収穫)では作業時間が着実に増加するのに対して、肥培管理作業(追肥)では実質的に減少するなど、圃場の分散化にともない、投下時間に関して逆行する傾向のあることを確認した。

 第3章では、圃場整備による土地基盤条件の違いが稲作における規模の経済の発現をどのように、またどれだけ規定しているかという問題を取り上げ、稲作経営の圃場条件が、米の生産原価にどのような影響を及ぼすかについて分析した。まず、整備不良水田で零細圃場分散に直面している8ha規模の家族経営の技術構造と生産費を調査し、整備不良水田では、大規模借地経営の成立が、土地基盤条件から強く制約を受けている実態を明らかにした。次いで、大区画圃場整備事業を実施し団地的土地利用を行っている地域営農集団(集落農場)の稲作生産費の要因分析を行い、水田の大区画化・団地化によるコスト低減効果は10%程度(うち労働費分が約6%、農機具費分が約4%)であることを明らかにした。

 以上、要するに本論文は、零細圃場分散が労働生産性だけでなく土地生産性にも技術的な非効率性をもたらす有力な原因になっていることを確認し、さらに、大区画化・団地化など圃場分散の克服等の圃場条件の改善が、規模の経済を促進して経営規模の外延的拡大による経営成長の展望をひらくことを実証したものであり、学術上、応用上寄与するところ少なくない。

 よって審査委員一同は、本論文は博士(農学)を授与するに価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50934