学位論文要旨



No 212260
著者(漢字) 渡部,乙比古
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,クニヒコ
標題(和) バクテリアセルロースの構造、物性、及びその利用
標題(洋)
報告番号 212260
報告番号 乙12260
学位授与日 1995.04.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12260号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡野,健
 東京大学 教授 戸田,清
 東京大学 助教授 太田,正光
 東京大学 助教授 磯貝,明
 東京都立大学 助教授 甲斐,昭
内容要旨 第1、2章序論および本研究の背景

 セルロースは、植物ばかりではなく、微生物によっても生産されることが知られている。中でも、酢酸菌によって生産されるバクテリアセルロース(以下、BC)に関しては、約100年前に最初の報告がなされて以来、現在まで生合成、構造に関する研究が、主に植物セルロース研究のモデルとしての視点からなされてきた。このような状況の中で利用の観点から進められた研究は極めて少なかった。

 本研究では、このような背景を踏まえて、BCを新規の材料として考え、構造、物性に関して解析を行った。また、得られた知見を基に、BCの構造、物性上の特徴を行かした利用についても検討した。

第3章BCの生産3.1静置培養におけるBCの生産

 静置培養におけるBC生産について調べた。培養の時間の経過とともに、BCのゲル状シートの厚さは増加し、試験管を用いた培養では厚さ4cmに達した。このゲル状シートは、BCの細いリボン状フィブリルが複雑にからみあった網目構造を保持しており、その間隙にBCの約100倍程度の重量の液体を含んでいた。このような特異的な網目構造は、菌体増殖に伴う分裂と、連続的なリボン状BCの菌体外への排出とが並行しておこることにより形成されると推察された。

3.2静置培養における気相中酸素分圧のBC生産とその構造に対する影響

 静置培養において、気相中の酸素分圧を変化させると、BCの生産量が変化すると同時に、生産されるゲル状シートを構成するBCフィブリルの網目構造の密度が変化することが見いだされた。すなわち、大気中より低い酸素濃度では、粗な網目構造が形成されるのに対して、高い酸素濃度では密な網目構造が形成された。酸素濃度とBCの生産量、菌体の増殖などの関係を解析した結果、網目構造の密度と単位菌体当りのBC生産性の間に負の相関関係が認められた。この酸素濃度によって網目構造の密度が変化する現象は、BCの網目構造の形成モデルを用いることにより説明できた。

第4章BCの構造4.1培養方法によるBCの構造の変化

 BCは、その培養方法(静置、通気攪拌)による巨視的形態の変化に伴って、フイブリルの形態や網目構造には大きな変化はないが、結晶構造、重合度などのミクロ構造については変化していることがわかった。すなわち、通気攪拌培養で生産されるBCは、静置のそれと比較すると構造が乱れたものとなり、重合度、結晶化度などが低下していることが明らかとなった。今後、これらの知見は、培養条件(培養方法、生産菌株)によるBCの構造、物性の制御、またBCの利用にとって有益なものとなると考えられる。

4.2BCの乾燥シートの構造

 BCの乾燥シートの調製方法、得られたシートの構造的特徴を解析した。静置培養で生産されるゲル状膜から熱プレス乾燥で得たシート、および、この離解物から得たシートについてX線回折を行った結果、全てのシートにおいて、(110)結晶面が、乾燥後のシート面に対して平行に選択的に面配向していることが明かとなった。この結果は、この選択的面配向が乾燥の際に初めて形成され、乾燥の際の収縮方向に対して直角に面配向することを意味している。また、乾燥シートでは、乾燥前のゲル状シートと比較して、(110)結晶面の面間隔が圧縮された状態で、結晶が乾燥シートの中に固定されていることが認められた。電子顕微鏡観察による形態観察の結果、全ての乾燥シートに薄いシートからなる層状構造が形成されていることが明かとなった。このことから、結晶の選択的面配向と層状構造との間に密接な関連があると考えられる。またさらに、これらは、BCの(110)結晶面が相互に結合しやすいことに起因すると考えられる。このような特徴的な構造の形成は、乾燥シートの調製方法に依存した。特に抄造して乾燥シートを調製すると、BCのフィブリル間の結合が弱く、面配向き、層状構造形成の度合いの少ないものができることが判明した。

第5章BCシートの物性5.1静置培養のBCから調製したシートの物性

 静置培養で生産されるBCのゲル状シートから、プレス乾燥法を用いて得られる乾燥シートの静的引っ張り試験を行った。その結果、この乾燥シートが2次元無配向の約15GPa以上のヤング率を持つことが明らかとなった。このヤング率を、従来の2次元無配向の高分子材料のそれと比較した結果、最も高いものであることが明かとなった。この高いヤング率に代表される乾燥シートの特性は、BCや乾燥シートの製造条件によって大きく変化することがなく、BCの乾燥シートに普遍的なものであることがわかった。

5.2培養方法によるBC乾燥シートの物性の変化

 幾つかの菌株のつくるBCから得た乾燥シートのヤング率を測定した結果、菌株の違いによりシートのヤング率も異なることが明かとなった。さらに、静置培養、通気攪拌培養で得られたBCから調製したヤング率を比較した結果、通気攪拌培養のBCのシートの方が低いヤング率を持つことが明かとなった。これは、通気攪拌培養によって引き起こされるBCの構造の乱れに起因すると思われる。これらのサンプルのヤング率と第4章で明かとされた種々の構造とを関連を調べたところ、ヤング率と結晶化指数の間に相関が認められた。

5.3離解物から調製した乾燥シートの物性

 通気撹拌培養と静置培養で得られたBCから調製した離解物を原料として、種々の方法で乾燥シートを調製しヤング率を解析した。離解物から、抄造法で調製した乾燥シートは、ゲル状シートを熱プレス乾燥して得た乾燥シートと比較して、3分の1以下にヤング率が低下した。これに対して、キャスト法を用いて調製した乾燥シートは、ゲル状シートからプレス乾燥で得た乾燥シートの約65%のヤング率をもつことが見いだされた。さらに断面積補正値から求めたヤング率では、約80%以上の値であった。この結果は、乾燥シートなどの成型物の調製方法を工夫することで、BCのゲル状シートからだけではなく、離解物や通気攪拌培養で蓄積されるBCからもセルロースからでも高性能の乾燥シートが得られることを示しており、工業的なスケールでの大面積で厚さに制限のない高強度のシートの生産へとつながるものと考えられる。

第6章BCの利用6.1BCの離解物の複合シート材料としての利用

 BCの離解物をパルプと混合することで、複合紙の形成が可能となった。また、BC離解物の添加量を増やすことで、紙の強度が増加することが見い出された。さらに、BC離解物を自着性のないガラス繊維、ウィスカーなどと混合することで、複合シートの形成が可能となった。走査型電子顕微鏡による観察で、これらの繊維が、添加されたBC離解物の細いフィブリルの束が仲立ちとなって架橋されていることがわかった。

6.2BCシートの動物細胞培養担体としての利用

 BCのゲル状シートの水分保持性、生体適合性を生かして動物細胞培養担体としての応用を検討した。静置培養で生産されるBCのゲル状シートの表面を化学修飾し、荷電基を導入した上で、コラーゲンのような細胞接着性蛋白質をコーティングすることで、様々な接着依存性の動物細胞培養の新規担体としてBCを開発することができた。この担体の特徴は、従来のプラスチックシャーレと比較して、細胞との接着性が高く、しかも動物細胞の生育が長期間維持できる点にあった。この担体を用いて、生理活性物質であるEDFの生産を行ったところ、一か月間生産の活性を高く維持することができた。これに対して、従来のプラスチックシャーレの場合には、10日間しか生産が維持されなかった。

第7章総括

 材料としての視点から、BCの構造、物性を評価することで、植物セルロースとは異なる構造、物性上の特徴を見いだすことができた。さらに、これらの特徴が、培養条件、菌株などの種々の製造条件によって、ある程度制御可能であることも見いだした。これらのことは、今後、望みの用途に最適の構造や物性を、バイオテクノロジーにより得ることができることを示している。さらに、以上の研究で明らかとなったBCの構造、物性の特徴を行かした利用についても研究を行った。

 本論文の研究成果をふまえて、BCについては、振動板材料、製紙用原料、機能性食品材料など様々な分野での新機能材料としての開発が進められている。今後、本格的な工業的な生産が進めば、ますますその用途は広がるものと期待される。

審査要旨

 本論文は、酢酸菌が生産するいわゆるバクテリアセルロースについて、その構造、物性ならびに若干の利用法を検討したものであり、7章から成る。

 第1章は序論で、研究の位置づけと論文の構成が述べられている。第2章では、バクテリアセルロースに関する研究の歴史、現在の到達点が概観されている。そこでは、酢酸菌によるバクテリアセルロース生産の必然性、バクテリアセルロースの高次構造、結晶構造、形態、生合成が取り上げられている。第3章から第6章がオリジナル研究の結果で、第7章は総括である。

 第3章では、先ず靜置培養法によるバクテリアセルロースの生成について観察し、バクテリアセルロースからなるゲルは、リボン状のバクテリアセルロースフィブリルのネットワークと液体とから成りたっていて、そのネットワークは菌体の増殖と引き続く菌体からのバクテリアセルロースフィブリル生成によって形成されるとした。さらに静置培養において、気相の酸素分圧を変化させると、バクテリアセルロースの生産量ならびにネットワークの密度が変化することを見いだした。すなわち、大気中より低い酸素濃度では、粗なネットワークが形成され、高い酸素濃度では密なネットワークが形成される。さらに酸素濃度とバクテリアセルロースの生産量との関係から、ネットワークの密度と菌体によるバクテリアセルロース生産量とは負の相関があることを見いだし、バクテリアセルロースのネットワークを制御できることを示した。

 第4章では、培養方法によるバクテリアセルロースの形態、バクテリアセルロースを乾燥して得られるシートの構造について詳細に検討した。すなわち、静置培養と通気撹拌培養とでは、肉眼ないし光学顕微鏡レベルで形態に大きな違いがあるが、電顕レベル、すなわちフィブリルの形態やネットワーク構造にはそれほどの違いがない。ところが、通気撹拌培養ではセルロースの重合度ならびに結晶化度が低いことが明らかになった。また、靜置培養法で生産したゲル状膜を熱プレス乾燥して得たシートおよびゲル状膜を離解して得たシートでは、それを構成するミクロフィブリルが(1-10)面をシート面に対して平行に配向していることを見いだした。さらにシート面に平行な層が存在していることを明らかにし、このことから、シートの面配向は熱プレス乾燥によって生じ、それは(110)面が結合しやすいためで、同時に層構造が出現するとした。また、離解してから抄造し乾燥したシートは、フィブリル間の結合が弱く、面配向ならびに層構造形成の度合いが小さいことも見いだした。これらの知見はバクテリアセルロースを利用する上で重要である。

 第5章には、バクテリアセルロースシートの物性に関する検討結果が述べられている。先ず、静置培養法で得たバクテリアセルロースのゲル状膜を熱プレス乾燥したシートの静的引張ヤング率が、15GPaを超えることを明らかにした。この値はポリマーの無配向シートではもっとも高く、このシートを振動板に使った超高級ヘッドフォンがソニーによって開発されるきっかけともなった。また、キャスト法による乾燥シートは熱プレスによる乾燥シートのやく80%のヤング率を示すことを明らかにし、高弾性がバクテリアセルロース乾燥シートに固有であることを示した。しかし、ヤング率は一定ではなく、菌株による差異や培養法による相違もあり、とくに通気撹拌培養法によるバクテリアセルロースシートは静置培養法によるそれに比べて低く、その理由がバクテリアセルロースの微細構造の違いにあるとして、結晶化度との対応を示した。さらに、工業的に重要な離解バクテリアセルロースについて検討し、抄造法によるシートのヤング率が熱プレス乾燥シートの約65%であることを明らかにした。

 第6章では、バクテリアセルロースの実際的な利用法についての検討結果を述べている。バクテリアセルロースの離解物をコットンリンターパルプ、フェノール樹脂繊維、ガラス繊維、炭素繊維、窒化珪素ウィスカー、炭化珪素ウィスカーなどに添加して抄造した熱圧乾燥シートの強度ならびにヤング率を調べた結果、バクテリアセルロースが自着性のない繊維、ウィスカーのシート形成に効果があり、新しい器材の可能性を示した。また、バクテリアセルロースのゲル状シートが持っている大きな水分保持能と生体適合性に着目して、動物細胞培養担体としての可能性を検討した結果、例えばプラスチックシャーレと比較した場合、選りすぐれた性能があることを明らかにした。第7章は本論文の総括である。

 以上本論文は、バクテリアセルロースの構造、物性、利用について検討したもので、学術上、応用上貢献するところが大である。よって審査員一同は博士(農学)の学位を授与する価値があると認めた。

UTokyo Repositoryリンク