光学活性希土類ビナフトール錯体は、不斉ニトロアルドール反応の触媒として極めて有用である。しかし伊藤徳家が本研究に参画した1992年には、錯体調製に用いた希土類はランタンに、また反応基質はニトロメタンに限られており、触媒構造も解明されぬままに残されていた。そこで、伊藤徳家は種々の希土類元素を用いた光学活性希土類ビナフトール錯体を調製し、ニトロアルドール反応における不斉触媒能の検討と、錯体構造の解明を目的として本研究を開始した。 1.光学活性希土類ビナフトール錯体触媒を用いた不斉ニトロアルドール反応 希土類元素は周期表第3族の第4、5、6周期に存在する17種の元素の総称であり、これらの化学的性質は互いに酷似している。そこで、ランタンを用いる場合の錯体調製法を参考に、各種希土類錯体の最適な調製法を解明し、種々のアルデヒドについてニトロアルドール反応を行った(Fig1)。この結果、脂肪族アルデヒドではランタン、プラセオジム、ネオジムの錯体触媒でほぼ同様の光学純度のニトロアルドール体が得られ、基質によっては90%ee以上の高い光学収率が達成された。一方、ベンズアルデヒドではユウロピウム錯体を用いた場合に最も高い光学収率が得られた。触媒中の希土類の種類によって、反応生成物の光学純度や化学収率が大きく変化することを見いだした最初の例である。調製した光学活性希土類錯体を触媒としてラセミ体で市販されている1選択的遮断薬メトプロロールのニトロアルドール体を経由する合成にも成功している(Scheme1)。 Fig.1 Effect of the ionic radii of rare earth elements on the optical purities of nitroaldolsScheme1.Catalytic asymmetric synthesis of(S)-metoprolol また、最適混合比で調製した光学活性希土類ビナフトール錯体を用い、ニトロエタンと種々のアルデヒドとのニトロアルドール反応における化学収率とジアステレオ比及び光学収率についても検討した。主成績体であるシン体が常に副成績体のアンチ体より高い光学収率で得られ、ランタン、プラセオジム、ネオジム、サマリウム錯体を用いるとヒドロシンナムアルデヒド及び、ベンズアルデヒドの場合に90%eeを越える高い光学純度のシン体が得られている。一方ジアステレオ選択性に関しては、脂肪族アルデヒドが芳香族アルデヒドより優れた立体選択性を示すことを明らかにしている。 2.光学活性希土類錯体の構造 NMRや、EIやFABのような質量分析法では、錯体構造に関する有用な情報は得られない。しかし、レーザーパルスによるソフトなイオン化を利用するレーザーイオン化飛行時間型マススペクトル(LDI-TOFMS)により、構造情報を反映するピークを初めて観測し、一つの希土類原子に対して3分子のビナフトールと3原子のリチウムを含む錯体構造を推定した(Fig.2)。種々の希土類ビナフトール錯体のLDITOFMSにおいて、希土類元素の原子量の差に従ってピークがシフトすることが観測され、各種希土類錯体の構造上の類似性が示唆された。このランタンとリチウムを含む錯体は結晶性に乏しかったが、塩化ランタン以外の希土類塩化物とジナトリウムビナフトキシドより調製した錯体について結晶化に成功した。充分な大きさの結晶が得られたプラセオジム、ネオジム、ユウロピウムのビナフトール錯体についてX線結晶構造解析を行い(Fig.3)、塩化リチウムの添加によるナトリウムとの交換や、別法での錯体調製を基に錯体構造を解明した。いずれも非常に類似した構造であり、金属-酸素結合の約0.1オングストロームの差がニトロアルドール体におけるジアステレオ、エナンチオ選択性に反映されていたことを明らかにしている。 Fig.2LDI-TOF mass spectrum of Eu-(S)-BINOL complex.Fig.3 Crystal structures of Rare earth-sodium-BINOL complexes. 以上の研究は、種々の光学活性希土類錯体が、希土類元素とリチウム及びビナフトールから成る新規なバイメタリック錯体であることを解明し、それらが不斉ニトロアルドール反応の効率の良い触媒であることを見いだしたものである。有機化学に重要な貢献をすることが期待され、博士(薬学)の学位に価すると判定された。 |