学位論文要旨



No 212263
著者(漢字) 川原,富美男
著者(英字)
著者(カナ) カワハラ,フミオ
標題(和) 成熟視交叉上核神経細胞の培養 : 無血清培養系の確立と受容体応答に関する研究
標題(洋)
報告番号 212263
報告番号 乙12263
学位授与日 1995.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12263号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 助教授 小野,秀樹
 東京大学 助教授 松木,則夫
内容要旨

 哺乳動物において視床下部視交叉上核(SCN)は概日リズムのペースメーカーが存在する部位であると知られているが、そのリズムの発生、同調機能の詳細については、未だ不明である。

 近年、生後3週令ラットにおける視床下部諸神経核の神経細胞がアストロサイト培養上清(ACM)中で単離培養できることを山下らは報告した。私はこの手法に従って、ラットの成熟SCN神経細胞の単離培養を行い、SCNに豊富に存在しSCNの入、出力線維の主要な神経伝達物質と言われながらも不明な点が多いGABAのSCN神経細胞に対する作用について、単一細胞レベルでの薬理学的検討を行った。また、SCNには縫線核から5-HT神経が投射している。この5-HT神経がSCNの時計機能に関与していると考えられ、しかもGABA神経とはSCNで同一終末をなしていることが知られている。そこで、SCNにおけるGABA系と5-HT系の相互作用を、電気生理学的手法を用いて検討した。更に、成熟中枢神経細胞の再生、修復過程の研究に有用な化学合成培地の確立と、再生修復因子の探索を試みた。

I.生後ラット視交叉上核(SCN)培養神経細胞のGABAレセプター応答

 ラットのSCNは、視神経が交叉する視交叉の真上で、第3脳室の両側に一対存在する。SCNの腹外側部には3つの主要な神経経路が投射し、一方、出力線維は腹外側及び背内側から発して、視床や前脳基底核等へ投射しており、目からの情報を脳の各部位に伝える重要な中継点でもある。このSCNにはVIP等のニューロペプチドが多く含まれるとともにGABAがSCN全体に豊富に存在している。

 SCN細胞の単離培養は山下らの方法に従って行った。すなわち、生後3週令ラットから視床下部のスライスを作製し、酵素処理および機械的単離の後、細胞を静置収集し低密度でプラスチックプレートに蒔いた。MEMに10%の牛胎仔血清(FBS)を加えた血清含有培地でACMを調製し、これを培地に用いた。ACMで培養したSCN細胞は細胞体が10-20mの大きさで双極あるいは単極の形態を主とし、ニューロン特異的な蛋白質であるMAP2の抗体を用いた免疫染色に陽性であった。SCNニューロンの受容体応答をホールセルパフチクランプ法によって記録した。電極内液にはK+イオンの有無によって2種類の組成のものを使用した。SCNニューロンの静止膜電位は-54mV、入力抵抗は約1Gであり、脱分極性のステップパルス電位に応じて迅速な内向き電流と、遅発性で持続する外向き電流が見られた。これらはテトロドトキシン(TTX)の適用や内液のK+イオンを置換することによって消失することから、電位依存性のNa+、K+チャネル電流であることが判明した。膜電位を-60mVに保持し、CsCl電極内液を用いたときGABA、ムシモールおよびcis-4-アミノクロトン酸(CACA)によって内向き電流が誘発され、いずれもビククリンによって抑制された。一方、バクロフェンでは100Mでも全く応答がみられなかった。GABAおよびムシモールのEC50はそれぞれ5.3、1.6Mであった。したがって、これらの電流はGABAAレセプターを介していると考えられた。GABA10Mによって誘発される電流応答から、電流-電圧曲線を作成して得られた逆転電位はCl-の平衡電位と酷似しており、これらの誘発電流がCl-電流であることも確認された。このGABA誘発電流(I-GABA)は、Zn2+によって非競合的に抑制されたが、ジアゼパムやエタノールによる増強は見られず、文献からの情報により、-サブユニットが欠損したGABAAレセプターであることが示唆された。

II.GABA誘発電流(I-GABA)に対する5-HTの調節作用

 I-GABAに対する5-HTの作用について調べるため、GABAを2分間隔で5秒間適用し、薬物はGABA適用直前の1分間前処置を行った。薬物の作用は処置前後のI-GABAピーク電流値の割合(% of control)で評価した。5-HTおよび8-OH-DPATの各々1Mを1分間前処置したとき、これらのアゴニスト単独では全く電流応答を誘発しなかったが、I-GABAは可逆的かつ、濃度依存的に抑制された。5-HTの抑制作用は非競合型であり、I-V曲線ではCl-電流のコンダクタンスのみが変化した。次に5-HTのI-GABA抑制作用について各サブタイプに作用する薬物を用いて検討した。アゴニストのなかで5-HT(5-HT 1-7:5-HTの1から7のレセプターに親和性をもつ)、8-OH-DPAT(5-HT1A.7)および、5-CT(5-HT 1.7)は、いずれも有意なI-GABA抑制作用を示したが、DOI(5-HT2)では有意な抑制が見られなかった。アンタゴニストを用いた実験において、8-OH-DPATのI-GABA抑制作用はリタンセリン(5-HT 2.7)で遮断されたが、ピンドロール(5-HT1A.1B)では影響を受けなかった。5-HTのI-GABA抑制作用もリタンセリンで遮断されたが、ビンドロール、ケタンセリン(5-HT2)、ICS 205-930(5-HT3.4)によって影響されなかった。これらは、いずれも5-HT7レセプターの関与を示唆している。5-HT7レセプターの刺激でcAMPの上昇が報告されているので膜透過型の8-Bromo-cAMPおよびアデニル酸シクラーゼの賦活薬Forskolinを前処置したところ、I-GABAはいずれも有意に抑制された。このForskolinの抑制作用は5-HTの作用を更に増強することはなく、同一経路を介した抑制作用であると考えられた。cAMP依存性プロテインキナーゼA(PKA)の阻害剤、H-8は5-HTのI-GABA抑制作用を有意に遮断した。以上の結果、5-HTは5-HT7レセプターを刺激し、cAMPの上昇とそれに伴うPKAの活性化を介してGABAAレセプターのCl-電流に抑制をかけている可能性が強く示唆された。

III.無血清培養系の確立

 従来、成熟中枢神経細胞の単離培養法は、血清含有培地やアストロサイトの培養単層を用いるか、山下らのようにACMを用いる方法が知られていたが、完全な化学合成培地(CDM)を用いた無血清培養系は確立されていない。これまでの方法は、いずれも血清のロットやアストロサイトおよびACMの性質に大きく左右される。そこで、アストロサイトが産生すると報告されている既知の神経栄養因子の中から、生後3週令ラット由来のSCNニューロンに対する突起形成促進物質をスクリーニングした。血清含有培地で行った各種因子の単独あるいは併用効果をACMのそれと比較した結果、最も優れたものは、PDGF/ビトロネクチン/IL-1の三者併用培地であり、ACMの約85%の活性を示した。ついで、この三者併用系の最適条件を牛血清アルブミン(BSA)存在下の無血清培地において検討した。各因子単独での最大効果濃度をまず求め、これを併用実験の組合せ濃度とした。併用実験ではこれら三つの因子のうち二つの濃度を最大効果濃度に固定し、残りの因子の濃度を変化させて新たな最大効果濃度を求め、それを次の併用実験に使うという方式を採用した。このような併用実験を4回繰返したところで、三者の最適組合せ濃度はPDGFの0.5ng/ml、ビトロネクチンの0.5g/mlおよびIL-1の0.5unit/mlという一点に収束した。最適条件で構成したCDMを用いて培養したSCN細胞は、形態と免疫染色の結果から、ACMと同様の形態を持つSCNニューロンであることが確認された。このような突起形成細胞の経時的推移を追跡したところ、CDM中ではACMに比べゆっくりとした突起伸展が見られ、その最高数はACMの半分であったが、より多くの細胞が長期間生存した。また、電位依存性のNa+およびK+チャネル電流応答が観察され、更にGABAAレセプターを介した誘発電流も確認された。以上の様に、既知の神経栄養因子を組合せることによって構築したCDMで、ACMと同様の機能を保有した成熟SCNニューロンの培養に成功した。

IV.ACM中の再生、修復因子を求めて

 より最適なCDMの開発と成熟中枢神経細胞の再生、修復因子を求めてACM中の有効成分を単離、同定するための予備実験を行った。ACMの安定性を調べた結果凍結、融解には強く、トリプシン処理にやや抵抗性を示したが煮沸によって失活した。ヒトおよびラットの各種グリオーマ培養上清液(CM)について、上述のIIIと同様にして神経栄養効果を調べたところ血清存在下のヒト、グリオーマのCM中にのみSCNニューロンの神経突起形成促進活性が見られた。

V.総括

 1.生後3週令ラットの視交叉上核培養神経細胞には-サブユニットが欠損したGABAAレセプターが存在していることを示唆する結果が得られた。

 2.GABA誘発電流は、5-HT7レセプターを介して5-HTの調節を受けていることが判明した。

 3.成熟視交叉上核の神経細胞を無血清培地で培養することに成功した。

 4.ACM中の再生、修復因子は、血清含有の培養上清に主として存在することをつきとめた。

 以上の結果は、視交叉上核による概日リズムの発生、同調機能の解明に重要な情報となり、また、成熟中枢神経細胞の再生、修復過程の研究にとって有用な手段と、知見と、そして希望を与えるものであることを確信する。

審査要旨

 哺乳動物において視床下部視交叉上核(SCN)は概日リズムのペースメーカーが存在する部位であると知られているが、そのリズムの発生、同調機能の詳細については、未だ解明されておらず、単一のSCN細胞がリズムを刻み得るかどうかについても結論は出ていない。そしてSCN細胞の単一細胞レベルでの知見が不足しているのが現状である。本研究は、概日リズムが完成したラットの成熟SCN神経細胞の単離培養を行い、SCNの主要な神経伝達物質と言われているGABAに対する応答を調べることによってSCN神経細胞の性質を単一細胞レベルで明らかにすることを目的とした。また、縫線核からSCNにGABA神経と同一終末をなして投射している5-HT神経の役割を調べる目的でSCNにおけるGABAと5-HT系薬物の相互作用を、電気生理学的手法を用いて検討した。更に、成熟SCN神経細胞の再生、修復過程の研究に有用な化学合成培地の確立と、再生、修復を促進する因子の探索を試みた。

I.生後ラット視交叉上核(SCN)培養神経細胞のGABAレセプター応答

 生後3週令ラットから山下らの方法に従ってSCN細胞を単離培養し、その細胞の性質についてMAP2およびGFAPの抗体を用いた免疫組織化学染色の結果やパッチクランプ法を用いて調べたNa+、K+イオンチャネルの性質より、得られた培養細胞がニューロンであることを確認した。GABA系アゴニストによって誘発される選択的な電流応答はビククリン感受性であり、Zn2+によって強く抑制されるがジアゼバムやエタノールに非感受性であることなど、その薬理学的性質からSCNニューロンには-サブユニットが欠損したGABAAレセプターが存在することを示唆する結果が得られた。

II.GABA誘発電流(I-GABA)に対する5-HTの調節作用

 SCNにおける5-HTの役割の一端を明らかにするため、培養したラットの成熟SCNニューロンで普遍的に見られるGABA誘発の電流応答に対する5-HT系薬物の作用に関して検討を加えた。I-GABAは5-HTおよび8-OH-DPATによって可逆的に抑制され、アゴニストおよびアンタゴニストの選択性から、5-HT7レセプターを介していることが明かとなった。この作用はアデニル酸シクラーゼの活性化によるcAMPの上昇とそれに伴うPKAの活性化を介していることが推定された。

 すなわち、5-HTのSCNにおける役割の一部は5-HT7レセプターを刺激することによってGABAの作用を調節することであることが示唆されると同時に、SCNにおける5-HT7レセプターの存在と機能が薬理学的性質から確認された。

III.無血清培養系の確立

 従来、成熟中枢神経細胞の単離培養法には、血清含有培地やアストロサイトの培養単層あるいは山下らのようにACMが必要とされ、いずれの方法も血清のロットやアストロサイトおよびACMの性質など未知因子の影響を受けやすく、完全な化学合成培地(CDM)を用いた無血清培養系は確立されていない。したがって、本研究ではPDGF、ビトロネクチンおよびIL-1という三つの既知因子を血清由来の神経栄養因子、接着因子およびアストロサイトが産生するサイトカインの中からスクリーニングし、成熟SCHニューロンの培養に最適な組合わせ条件を決定した。こうして構築されたCDM中で培養したSCNニューロンは、形態や免疫染色の結果および電気生理学的性質においてACM中のものと同様であることを確認した。

 以上の様に、既知の神経栄養因子を組合せることによって新規なCDMを構築し、ACMを用いたときと同様の機能を保有した成熟SCNニューロンの培養に成功した。

IV.ACM中の再生、修復因子を求めて

 より最適なCDMの開発と成熟中枢神経細胞の再生、修復因子を求めてACM中の有効成分を単離、同定するための初期的実験を行った。上述の培養法を用いてACMの安定性を調べ、ヒトおよびラットの各種グリオーマ培養上清液(CM)について神経栄養効果を評価した。その結果、成熟SCNニューロンの神経突起の形成伸展を促進する有効成分は、凍結融解に強く、トリプシン処理にやや抵抗性を示すが煮沸によって失活するタンパク質様の物質であり、血清存在下のヒトグリオーマのCM中にも同様な活性が存在することを明らかにした。

 以上、本研究により哺乳動物の生物時計が存在すると考えられている視交叉上核神経細胞の性質について新規の知見が得られた。本研究の成果は視交叉上核による概日リズムの発生、同調機能の解明に重要な情報となり、また、成熟中枢神経細胞の再生、修復過程の研究や神経変性疾患に対する薬物療法の開発にとって有用な手段と知見を提供するものである。

 したがって、生理学、神経薬理学の発展に寄与するところ大きく、博士(薬学)の学位にふさわしいものと判断した。

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