学位論文要旨



No 212264
著者(漢字) 比護,勝哉
著者(英字)
著者(カナ) ヒゴ,カツヤ
標題(和) 新規トロンボキサンA2受容体拮抗薬KW-3635の薬理学的研究
標題(洋)
報告番号 212264
報告番号 乙12264
学位授与日 1995.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12264号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 助教授 小野,秀樹
 東京大学 助教授 松木,則夫
内容要旨 1.序論

 血液は本来血管の中で凝固するものではないが、何らかの原因で血管内で凝固反応が起こることがある。この原因は様々であるが、普遍的に生体内で生じていると考えられる原因に内皮細胞の障害があげられる。内皮細胞は種々の抗血栓性物質を放出しているため、内皮細胞の機能が失われると血栓と抗血栓の間に保たれていたバランスが血栓生成側に傾くと考えられるからである。血栓生成方向に作用する物質の中で最も強力なものとしてトロンボキサン(TX)A2が知られている。TXA2は活性化された血小板から主に放出され、血小板凝集をさらに活性化させ凝集反応にポジティブフィードバックをかける作用を有している。従って、生体内でTXA2の作用を抑える薬物は血小板の活性化を阻害し、ひいては血栓の生成を抑制する作用があると考えられる。

 このような考えの元に我々はTXA2の作用をブロックする薬物の開発を開始した。TXA2の作用を抑えるには、TXA2の合成酵素を阻害する方法と生成したTXA2がその受容体と結合するのを阻害する方法の2通りが考えられる。我々は当初前者、即ちTX合成酵素阻害剤(TXSI)をターゲットにしていたが、研究の過程において後者-TXA2受容体拮抗薬(TXRA)の方が理論的に優れているという結論に達し、TXA2受容体に選択的に作用し強力に結合を阻害する化合物のスクリーニングを継続した。その結果、従来のTXRAとは全く構造の異なるKW-3635(Fig.1)を見いだした。

Fig.1 KW-3635の構造

 本研究ではKW-3635に関して、その本来の作用である血小板凝集抑制作用・血栓生成抑制作用について検討し、これらの生体反応に関与するTXA2の重要性を確認した。同時にTXRAがいくつかの血栓性疾患において発症の予防、病態の進展防止に有効である可能性を示した。また、KW-3635の特徴として、本薬物は血管壁への組織親和性が高く薬物が血中から消失した後も作用が持続する可能性を示した。さらに本薬物が抗血小板薬として汎用されているアスピリンと異なり、血小板凝集抑制作用を示す用量において抗血栓性プロスタノイドであるPGI2の産生を抑制しないことを示し、KW-3635が抗血小板、抗血栓薬として臨床的にも有用たりうる可能性を明らかにした。本研究を行う過程で既存の実験モデルに改良を加え、いくつかの新規な薬効評価モデルを完成した。また、TXRAの抗血小板薬・抗血栓薬ととしての位置づけについても若干の考察を加えた。

2.KW-3635の主作用2-1血小板凝集抑制・血管平滑筋収縮抑制作用およびそのTXA2受容体特異性

 KW-3635は試験管内の血小板凝集のみならず体内においても血小板の凝集を抑制した。In vitroにおいて、KW-3635は各種血小板凝集惹起物質によるヒト多血小板血漿(PRP)の凝集を強力に抑制した。U-46619(stable TXA2 analogue),collagen,epinephrineによって惹起された血小板凝集を10-7-10-6Mでほぼ完全に抑制し、その効力はKW-3635と同様の非プロスタノイド系TXRA BM13,505より強力であった。Ex vivoにおいてもモルモット血小板凝集を強力に抑制し、作用持続時間は7時間以上であった。In vivoにおいてモルモットにU-46619を静脈内投与すると血中で血小板が凝集し、凝集塊が冠動脈、脳の動脈につまって致死にいたる。U-46619の投与の前にKW-3635をあらかじめ投与しておくとモルモットの致死が抑制された。KW-3635の血小板凝集抑制作用には種差が認められ、ヒト、モルモットで強く、ラット、イヌではやや弱く、ウサギでは非常に弱かった。また、KW-3635はヒト、モルモット血小板のPGD2,PGE1,PGI2による血小板凝集抑制作用に影響しなかった。

 KW-3635はモルモット摘出大動脈標本のU-46619誘発収縮反応に強力に拮抗し、そのpA2値は7.74であった。しかし、10-5Mまで血管標本のKCl,noradrenaline誘発収縮に影響しなかった。

 以上の結果より、KW-3635は血管、および血小板においてTXA2受容体に特異的に作用していることが明らかとなった。

2-2血栓生成抑制作用

 KW-3635は種々の血栓モデルにおいて血栓の生成を抑制した。血栓生成抑制に要する用量と血小板凝集抑制に要する用量はほぼ一致し、KW-3635は血小板凝集抑制作用に基づいて血栓生成を抑制していることが示された。

 末梢動脈閉塞症は動脈に内皮障害がおこることが引き金となって発症すると考えられる。モルモットの大腿動脈に光増感反応によって内皮障害を惹起し、血栓生成に要する時間を測定して末梢動脈における血栓生成抑制作用を検討した。KW-3635は10mg/kgより血栓生成を抑制し、この用量はex vivo血小板凝集抑制に要する用量と同一であった。

 tPA(tiaaue-type Plasminogen Activator)などの血栓溶解剤による血栓溶解後に血小板の活性化によって血栓の再閉塞が起こることが知られている。この現象へのTXA2の関与を検証するため、イヌ大腿動脈を用いたtPAによる血栓溶解モデルを作製した。イヌ大腿動脈に銅製のコイルを挿入して血栓を作製し、tPAで溶解させた。その後に、溶媒投与群では100%(9/9)に再閉塞が生じたが、KW-3635は1mg/kg+1mg/kg/h(i.v.)の用量において完全に再閉塞の発生を抑制した。本モデルにおいては実験中の任意の時点で血栓の重量を測定できるように従来のモデルを改良し、定量性に優れたデータを得ることができた。

 一過性脳虚血発作(TIA)は頸動脈に生じた血栓が塞栓となって脳の血管を一時的に閉塞することによって発症する可逆性の神経症状と定義される。TIAの実験モデル作製は非常に困難であり、臨床症状に類似したモデルは皆無であった。今回、発生のメカニズム、症状がおのおのTIAに類似した実験モデルを作製し、KW-3635の作用および血小板凝集抑制作用との相関を検討した。内皮障害を与えたイヌ頸動脈を狭窄すると狭窄部位に血小板を主体とした血栓が生成、流失を繰り返し、血流の周期的な増減現象(CFR:Cyclic Flow Reduction)が発生する。この現象はTIAの発生メカニズムを近似したものと考えられる。KW-3635はCFRの発生を1mg/kg(i.v.)より抑制し、この用量は血小板凝集抑制の用量と一致していた。本実験においてCFRの発生抑制と血小板凝集抑制を同時に測定した報告は従来にはほとんどなく、オリジナリティの高い報告である。また、麻酔したイヌの頸動脈より血小板凝集惹起物質アラキドン酸を注入すると血中で生じた血小板塊が脳の血管を一時的に閉塞して脳の血流を低下させるためその血管の灌流域の脳波の一時的な平坦化が観察される。この現象はTIAの症状を近似したものと考えられる。イヌを用いて脳波の一過性の平坦化を検出した報告は従来にはない。KW-3635は1mg/kg(i.v.)より脳波の平坦化の継続、大脳皮質局所血流量の低下を抑制した。

3.KW-3635の特徴3-1組織親和性

 KW-3635は血管に対する親和性が高く、薬物が血中から消失した後も血管壁にとどまり血管への作用は持続する可能性が考えられた。In vitroのモルモット摘出大動脈標本において、KW-3635またはBM13,505処置下によって収縮させ、洗浄1時間後もう一度による収縮を惹起させた。KW-3635を前処置した標本では収縮は回復せず、むしろ収縮の抑制が増強された。一方、BM13,505を前処置した標本では薬物処置前の値まで収縮は回復した。Ex vivoにおいても同様の現象が観察された。即ち、KW-3635またはBM13,505を経口投与一定時間後に血管を摘出し、U-46619による用量反応曲線を描いたところ、KW-3635を前投与した血管の用量反応曲線は右方にシフトしていた。以上の結果から、KW-3635は生体内においても血管に親和性が高く、血小板に対する薬物の作用が消失したあとにおいても血管への作用は持続する可能性が考えられた。

3-2虚血心筋保護作用

 KW-3635はTXA2の作用を抑制することによって間接的に好中球の心筋への浸潤を抑制し、虚血再灌流に伴う心筋障害を軽減した。イヌ冠動脈を1.5h結紮し、その後4.5h再灌流すると循環血中へのクレアチンキナーゼ漏出を伴う心筋障害が観察され、梗塞部位への好中球の浸潤が認められた。KW-3635は全身の血行動態に影響することなく梗塞部位への好中球の浸潤を著明に抑制した。本実験においては薬物による好中球の浸潤抑制を初めて組織レベルで確認しており、虚血心筋保護作用を有する薬物の研究において意義の深いものであるといえる。

3-3血管壁からのPGI2産生に与える影響

 アスピリンは、抗血小板薬として、あるいは血栓性疾患の二次予防薬として汎用されているが、特に高用量において血管壁内皮細胞からのPGI2産生量を減少させ、血栓生成方向に作用することが知られている。KW-3635は内皮細胞が正常なモルモット胸部大動脈において血管壁からのPGI2産生量を減ずることがなかったがアスピリンは血小板凝集を抑制しない低用量においても血管壁からのPGI2産生量を減少させた。さらに、KW-3635はバルーンカテーテルで擦過して内皮細胞を障害した状態においても血管壁のPGI2産生量に影響を与えなかった。以上の結果より、KW-3635はアスピリンのように血管壁のPGI2産生量を減ずることがないため、PGI2産生減少によって懸念される血栓傾向を引き起こすおそれの少ないことが示された。

3-4抗血小板薬・抗血栓薬としての特徴

 以上のようにKW-3635は特異的なTXRAであり、強力な血小板凝集抑制作用とそれに伴う血栓生成抑制作用を有することを示した。一般的に、TXA2の作用を阻害することによって血小板凝集抑制を示す薬物-TXRA,TXSI-のうちTXRAの方が理論的に血小板凝集抑制作用は高いと考えられている。TX合成酵素の阻害によって蓄積するPGH2にも血小板凝集作用があり、TXRAはPGH2による血小板凝集にも拮抗すると考えられるからである。この点でKW-3635は他のTXRAと同様にTXSIより優れている。また、KW-3635は他の大多数のTXRAと異なり、構造的にプロスタノイドの誘導体ではない。プロスタノイドの誘導体は高濃度になると本来の作用とは逆にTXA2受容体を活性化する作用を示すものが多いが、KW-3635はそのような作用を全く示さず、この点で他の大多数のTXRAより優れていると言える。KW-3635が実際に臨床の場で強力な血小板凝集抑制作用を示し、優れた抗血栓作用を示すか否かはこれからの問題であり、今後の研究課題である。

4.まとめ

 強力な血小板凝集抑制作用・血栓生成抑制作用を有する非プロスタノイド型の新規TXA2受容体拮抗薬KW-3635を見いだし、その薬理学的特徴を明らかにした。KW-3635はTXA2受容体に特異的に作用することによって血小板凝集反応を阻害し、さらにそれによって様々な刺激による血栓生成反応を抑制することを示した。また、KW-3635の特徴として、血管壁に対する親和性が高いこと、アスピリンに比較して血栓傾向を引き起こす可能性のないことを示した。さらに、研究の過程において、新事実の発見、新規な実験法の確立・実験法の改良、初めての測定を行い、本分野における研究の進展に貢献することができた。

審査要旨

 血栓の生成反応は生体にとって欠くべからざる機能である。血管に損傷がないにもかかわらず生体内で血栓が生じることが心筋梗塞、脳卒中といった発症患者数の多い致死性疾患の主たる原因と考えられており、生体内血栓生成の抑制はこれらの疾患の予防・治療に有用であると考えられている。生体内血栓の生成には血小板の活性化が重要な役割を果たしている。TX(Thromboxane)A2は血小板の活性化に伴って放出され、血小板凝集のみならず血液凝固反応にも関与する重要な生体内物質であるが、血小板凝集に関与する物質は非常に多く、それぞれが相互に作用しているためTXA2単独の血栓生成に与える影響を証明した報告は少ない。本論文は特異的TXA2/PGH2受容体拮抗薬KW-3635を用いて種々の血栓モデルおよび心筋梗塞モデルにおけるTXA2の関与を解明することを目的にしたものである。

 本論文では初めに、KW-3635がTXA2/PGH2受容体拮抗作用に基づいてTXA2を介する血小板凝集をin vitro,ex vivoにおいて抑制することを示した。また、同じくTXA2/PGH2受容体拮抗作用に基づいてTXA2を介する血管収縮を抑制することを明らかにした。これら血小板凝集抑制作用、血管収縮抑制作用はin vivoにおいても発揮されていることを示した。さらにKW-3635が血管に高い親和性を有しており、このために特に血管に対する作用は薬物が血管から消失した後にも持続する可能性を示した。

 次に末梢動脈閉塞症、一過性脳虚血発作、血栓溶解療法後の急性冠閉塞の動物モデルを用いた実験を行った。その過程で種々のモデルを新たに確立、あるいは改良した。これらの血栓モデルにおいてKW-3635が血栓の生成を血小板凝集を抑制する用量で抑制したことより、これらのモデルにおける血栓生成がTXA2を介する血小板凝集に基づいているものであることを明らかにした。さらにこれらの疾患が実際に生体内のTXA2の過剰生成によって起こっている可能性、これらの疾患の予防・治療にKW-3635が有効である可能性を示唆した。

 さらにイヌ冠動脈結紮再灌流モデルを用いて、TXA2を介する好中球活性化の抑制作用を組織学的に初めて証明した。KW-3635は冠動脈結紮再灌流に伴う心筋の虚血性変化・心筋への好中球の浸潤を著明に抑制することを証明した。この結果はKW-3635が血栓溶解剤による血栓溶解療法後の急性冠閉塞の予防に有効である結果と合わせ、血栓溶解剤による急性心筋梗塞治療の併用療法にTXA2/PGH2受容体拮抗薬が有用である可能性を示したものである。

 最後に現在も血栓性疾患の予防薬として頻繁に用いられているaspirinとKW-3635の血管壁からのPGI2産生に及ぼす影響について明らかにし、KW-3635の血栓性疾患予防薬としての優位性を証明した。血小板凝集抑制作用を有さないような低用量においても血管壁からのPGI2産生を抑制するaspirinと比較し、KW-3635はより安全に使用できる抗血栓薬となり得ることを示した。

 本論文において著者は、特異的TXA2/PGH2受容体拮抗薬KW-3635を用いて生体-特に血栓生成時-におけるTXA2の役割を明らかにした。その結果、種々の血栓性疾患において、TXA2の作用を阻害することがこれらの疾患の予防あるいは治療に繋がり得ることを明らかにした。本論文はTXA2の生体内における役割を薬理学的に詳細に検討したものであり、血栓性疾患の基礎研究のみならず臨床応用にも期待されるところが大きく、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと判定した。

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