地域の医療施設計画を推進するにあたり、明らかにしなければならない課題は多い。その幾つかを挙げると、 1.医療需要量の正確な把握とその将来予測 2.医療圏の形成と圏域の広がり 3.医療施設間の連携 等があげられる。しかも、これらの課題を一次医療から三次医療までの段階構成の中で明らかにしていくことが求められている。本論文は埼玉県を調査研究の対象フィールドとして、’78年及び’86年の二度の国保調査、’82年の病院調査、’83年の救急隊調査、’90年の特殊な医療機器利用調査、および病診連携調査と5つの調査を通して、上記の課題について明かにした。 第1章序論 ここでは「研究の目的」および「研究の意義」で、本研究の必要性と何をどの程度明かにしようとしているかを、特に医療需要については単に患者の定量的な数値ではなく、患者の動態として捉えることが重要であること、また、医療圏の設定については市町村間の患者の流入と流出から患者の動態マトリックスを作り、それをクラスター分析にかけて医療圏の形成される様子を調べることの必要性を簡潔に述べている。そして、最後にこれらに関する既往の研究成果を紹介した。 第2章国保調査にみる医療需要 本章の調査は初めての埼玉県の全県調査であり、国民健康保険利用による患者の受療動向を、主として市町村間あるいは広域医療圏間の、患者の動態として解き明かすことを目的としている。 この結果、埼玉県の92市町村のうち首都東京に隣接する都市のいくつかに、患者の40%余りが東京の医療施設へ流出していることが分かった。この’78国保調査では国保組合の事務上の理由で、東京都の住民が埼玉県の医療施設を利用している実態を把握することが出来なかった。しかし医療的に吸引力の強い都市に隣接している市町村では、当該県内だけで医療圏を完結させることは大変難しいことが予測された。 また、この’78国保調査で自足率のほかに、はじめて自己依存率や絶対自足数といった考え方を提案し、それらが医療需要量を評価する上で有効な指標となりうることが明かとなった。 第3章病院調査からみた保険種別医療需要 先の’78国保調査から4年後の’82年に、再び埼玉県で全県規模の病院調査を行った。これには以下のことを検証することが目的(意図)であった。すなわち、 1.国保調査だけでは、その加入率(埼玉県の78国保調査時では4割弱)の低さ故に、実態を十分に把握し得ないとする考え方。 2.国保患者と社保患者では患者の性・年齢の構成や受診科目などに違いがあるのではないかという意見。 3.受療行動に国保と社保ではかなりの相違があるのではないかという疑問。 これらに対し、調査の結果以下のことが分かった。 (1) 保険種別の患者数は国保38.3%、社保35.1%で、わずか3.2ポイントの差しかみられなかった。 (2) 他施設経由患者数は、全患者数の10.2%でそのうち7割が県内の施設経由であり、残り3割が県外施設を経由していた。 (3) 他県からの流入患者数は全患者数の15.0%を占め、そのうち東京からの流入は6割7分にも達する。 (4) 広域医療圏(二次救急医療圏)間の患者動態をみると、2〜3の地区で国保と社保に若干の違いはみられるものの、全体として大きな違いは見られない。 第4章国保の種別にみた医療需要 4年前の’82病院調査では埼玉県内の全病院調査であった為、県外の住民による埼玉県内の施設を利用する姿は捉えられたが、埼玉県民による県外の施設の利用は捉えられていない。そこで、8年前の’78国保調査と比較し経年変化をみるために’86年に再び国保調査を行った。この’86国保調査時には国民健康保険事業も完全にコンピュータ化され、保険の種別も「一般」、「退職」、「老人」と3つに区別されるようになっていたので、その区分に添ってデータを入手することが出来た。 これによると、(1) 通院日数は「一般」64.6%、「退職」9.3%、「老人」26.1%であったが、入院日数では「一般」が51.5%、「退職」が7.2%、「老人」が41.3%となって、老人の場合は通院以上に入院に占める割合の高いのが分かった。(2) 他県民による埼玉県の医療施設利用は通院日数では5.0%であったが、入院日数では18.2%とかなり高い値となっている。これに対し、埼玉県民が他県の医療施設を利用している割合は通院日数で7.8%であり、入院日数では14.0%と通院では県外流出が多く、入院では流入の方が多くなっている。(3) 埼玉県の各市町村の自足率はある一定の値以上には高くならず、むしろ’78国保調査より低くなる市町村があることが分かった。これは、各市町村において医療施設がある程度充実すると、むしろ患者としては施設の選択のチャンスが増えて、結果として当該市町村の自足率はある一定の値以上にはなりにくくなることが分かった。 第5章特殊な医療機器の利用からみた三次医療圏 医療圏を設定するには医療のレベルに対応した段階構成が必要であり、一般には一次医療のレベルから三次医療のレベルまでが考えられている。これまで、地域医療施設計画では多くの調査が一次医療レベル(通院・外来)での診療圏調査であったり、二次医療レベルでの一般入院に係わる医療圏の調査がそのほとんどであった。本論中の第2章〜第4章までの調査もそれである。これに対し、三次医療は高度な技術と設備を必要とする医療と考えられる。そこで、本章では厚生省の医療施設静態調査でいうところの「特殊な医療機器」の利用実態と、開頭手術や心臓手術など高度な技術を要する治療の実績を埼玉県の全病院を対象に調べ、以下のことが分かった。 特殊な医療機器のうち、CT-スキャン、ファイバ-スコープ、放射線治療装置、人工透析装置の4つについてみると、そのいずれについても自己依存率(当該地域内の全医療施設利用のうち、当該地域の住民利用の占める割合)が最も低い地域は、西部第2保健医療圏であった。当該地区は埼玉県のかなり西の外れに位置するが、埼玉医大という1300床の病院があり、高次医療の一つの中心となっていることが分かる。次いで、西部第1保健医療圏が挙げられるがここには防衛医大がある。この他では大里保健医療圏と東部保健医療圏がその可能性をもっているが、秩父、児玉、比企、利根、などの各保健医療圏は三次医療圏を形成する際の中心地区とはなり得ないことが明かとなった。 第6章医療需要の経年変化 ここでは、’78年と’86年の国保調査と’82年の病院調査結果を用いて、医療需要の経年変化を捉え合わせて需要に影響を与える指数との相関関係について調べた。この結果、(1)医療需要量を表す一つの指数である1000人日入院患者数を、’78年と’86年の両国保調査を較べると’78年の5.4人から’86年の11.1人と8年間に105.6%の増加となっている。これに対し通院患者数は’78年の41.5人から’86年の45.0人と僅かに8.4%(3.5人)の伸びである。(2) 三つの調査から求めた1000人日患者数や自足率、自己依存率等の目的変数と、人口万対の施設数、病床数、医師数、施設密度、老人人口比等の説明変数の相関をみると、自足率や自己依存率と相関関係が高いのは人口や人口万対病床数であった。絶対自足数については全ての地区において人口万対医師数との相関がかなり高い。 第7章医療圏の設定 医療圏の設定を考える場合の最小の区域としては、各種の統計的資料なかでも人口に関する資料が整備できる最小単位として、市町村などの行政区域を基本区域とすることが妥当と考える。さらに、医療圏を設定するには中心的地域となる都市が必要であることから、それを判別するのにいくつかの方法を試みた。その判定材料としては’78国保調査、’82病院調査、’86国保調査の三つの調査結果を用いた。その上で、主に’78国保調査と’86国保調査で得た埼玉県92市町村間の患者の動態をマトリックスで表し、これをクラスター分析にかけることによって、圏域の構成をこころみた。 その結果、8〜11の圏域にグルーピングすることが可能であったが、この圏域構成のうちの一つは埼玉県の広域行政圏にほぼ一致したものとなった。厚生省令によれば医療圏は「地理的条件等の自然的条件及び日常生活の需要等の充足状況、交通事情等の社会的条件を考慮して、一体の区域として病床における入院に係わる医療を提供する体制の確保を図ることが相当であると認められるものを単位として設定すること」とされている。このことからも、市町村間の患者動態から求めた医療圏の設定の手法は有効であったと考える。 第8章埼玉県の救急医療圏 日常的あるいは平常時的医療に対し、緊急を要する救急医療はその医療圏もまた特別な圏域と条件が求められる。本章では1983年に行った埼玉県の全救急隊(132隊)の調査により得たデータをもとに、埼玉県の救急活動の実体を主としてその搬送活動を中心に纏めたものである。調査は’83年8月21日〜8月27日までの一週間について行った。 (1) 上記期間中に救護した人数は1,918人であり、その男女比は59.7%体33.4%と圧倒的に男が多い。また、年齢階層別では60歳までの10歳刻みでは、年齢階層による大きな差はみられなかったが、60歳を過ぎるとそれまでの半分近くになる。(2) 曜日別では日曜日が最も多く17.5%となっている。次いで多いのが土曜日の15.1%、水曜日の14.1%と続く。また、時間帯別では15時〜18時の16.4%がトップで、以下12時〜15時の14.5%、18時〜21時の13.9%、9時〜12時の13.8%の順となっている。(3) 事故種別では急病の45.5%が最高で、次いで交通事故の29.1%とつづく。(4) 搬送にかかる「現場までの所要時間」は、救急医療でいうところの助命率が飛躍的に高くなるといわれる3分以内が44.4%と半分以下である。5分以内は30.1%であった。また、3分以内での平均走行距離は1548mであった。(5) 各救急隊の所在地を中心に3分間で走る距離を半径として地図上に円を描くと、未だかなりの部分(50〜60%)が空白となるが、5分間の走行距離で円を描くと、県西部を除き空白部は30%程度となるなどが分かった。 第9章埼玉県の病診連携 地域医療を考えていく時に、住民の日常の健康管理や健康相談あるいは一般的な疾病や外傷等に対し、適切な診断・治療を行うプライマリー・ケァーの重要性とその推進が必要であることは論を待たない。それとともに、必要に応じてより適切な専門の医療施設等へ患者を紹介することにより、医療の持続性を確保することもまた重要な課題である。ここでは、プライマリー・ケァーと二次あるいは三次医療との連携、いわゆる病診連携が埼玉県においてどの程度進んでいるかを地域的つながりを重点にみた。 調査は1990年02月の一か月間の外来および入院患者について、他の医療機関もしくは施設等への紹介または逆紹介の実績をしらべた。この結果、(1) 紹介有りと答えた医療機関は全体で86.0%と予想外に高かった。このうち、病院への紹介は80.8%、診療所への紹介は17.1%、その他の施設へは2.1%であった。(2) 地域的には秩父保健医療圏では病院への紹介が94.7%、大里保健医療圏では73.6%などかなりの差がみられ。(3) 紹介先医療機関の所在地は病院の場合<同じ市町村内の病院>が57.3%、<同じ保健医療圏内の病院>が30.6%とかなり近場への紹介となっているが、これを診療所についてみると<同じ市町村内>は82.6%、<同じ保健医療圏内>までを含むと累積で96.4%にもなるなどが分かった。 第10章まとめ 以上の各章で得られた結果を要約したものである。なお、これらの研究成果は昭和62年の医療法の改正により、各県それぞれに医療圏の設定と圏域ごとの必要病床数の設定が義務づけられたが、埼玉県の医療圏の設定とその圏域ごとの必要病床数を設定するのに大いに活用された。 |